第3話 小説家は天使を求める:page2

 キャリーケースから丁寧に本を取り出し、並べていく。万が一にも折れ曲がったりしないように慎重にだ。これが今から売れていくと考えると、それだけで心が沸き立つのを感じる。

「なんや、そんだけしか用意してへんのかいな」

「そんだけって……一応300冊あるし充分だと思うけど?」

 僕と桜花で150冊ずつ用意している。これだけあれば一冊500円だから、全部売れたとして15万円になる。もし完売すればかなり良い利益になるだろう。

(まぁうちみたいな小規模サークルの同人誌が300冊も売り切るなんて状況はそうそう起こらないだろうけど)

「ハッ!そら俺を舐めとるゆーことやな」

「いや……なんでそうなるんだよ」

「俺が売り子するんやで?もっと用意せなクレーム入ってまうわ」

「あはは!そりゃ悪かったね。じゃあ見せてもらおうか。商人の街で育った男の手腕をさ」

 鬼丸は「まかしとき!」と言い残して何処かへ行ってしまった。

 陳列とPOPの準備を終え、桜花と二人で椅子に座っていると、何やら下の階が騒がしくなってきた。

「随分盛況だな。下の階に人気サークルでも入ったのか?」

「んー特別人気なサークルが入った話は聞いてないけど、ここと交代したトコにすっごく可愛いレイヤーさんが居るらしいよ」

「ふーん」

 ということはこの騒ぎは3階か。

 ふと耳を澄ますと、微かに声が聞こえてくる。そしてその声は少しずつ近づいてきているようだ。

「なんだ……?」

 コツ……コツ……と固い質感の靴が音を立てている。音の主はブースに足を踏み入れると、まっすぐ僕の方に向かって歩いてきた。

 肩にかかる程度まで伸びた絹のような滑らかな質感の美しい黒髪。白をメインとした、いかにも清楚系ヒロインらしい服装。まだ幼さを残した顔立ちは美少女と称するには充分すぎるほどで、僕は桜花の言っていた「可愛いレイヤー」は彼女を指した言葉であると察した。

「可愛い……」

 小声で溢す桜花。気持ちは分からなくも無いが落ち着いてほしい。

「いらっしゃいませ」

 慣れない営業スマイルで声をかける。

 そんなに酷かっただろうか?彼女は僕の顔を見て一瞬動きを止めた。

 彼女は右手で本を指さすと「これ一冊ください」と言った。

 今度は僕が止まる番だった。衝撃が全身を駆け抜け、指一本動かせなくなった。

「とべっち?」

「あっ……すみません。Aルート一冊ですね」

 危なかった。桜花に声をかけてもらわなければ僕はもうしばらく呆けていただろう。それほどに衝撃的だった。

「ありがとうございます」

 と言い残して去っていく彼女の背中を僕は静かに見つめていた。

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