第46話 核兵器全面廃止への移行2
サハ共和国のビリビノ基地のイワン・ウラジール中佐は、司令官室に閉じこもって、いつものようにウオッカを煽りながらぶつくさ文句を言っていた。
「くそ、何で俺がこんな辺鄙な極北の地に来なきゃならんのだ。一年の大半が凍り付いて外にも出られない。もうここに8年、8年だぞ。一体いつまでいなきゃならんのだ。どうせ、核ミサイルなんて使えるはずがないのに!」
彼の指揮するビリビノ基地には、8基の大陸間弾道弾が備えられている。そして、クレムリンからのある信号があれば、決められた座標に向けてミサイルを発射するのだ。そして、その時世界は破滅するだろう。
だから、そんなことがある訳はないのだ。いくら何でも人間はそこまで馬鹿ではないだろう。馬鹿じゃないよね?
いずれにしても、そんなもののために俺と部下の82人が北緯67度の極北のここに閉じ込められている。年間の平均気温が零下10度で、年間の8ヶ月は凍り付き、冬は殆ど明るくならないこの地では、大森林タイガの北限も50㎞ほど南である。だから、年間の大部分は屋内に留まって暮らすしかないのだ。
しかも、すでにこの基地のミサイルそのものが廃物になりつつある。彼が着任した8年前には、国の安全保障を担う最前線を管理するということで、それなりに使命感があった。
しかし、着任後基地の施設を自ら点検して実態に驚くと共に怒りを覚えた。
それは、基地のミサイルをはじめとする施設の、あらゆるものの老朽化が進んでおり、とても稼働状態にある施設には見えず、実態も見かけ通りであったことだ。塗装は剥げかけており、隅から錆び始めていて、見るからにみすぼらしい。
最初の日の点検の結果、全体的な状態に驚いたウラジミール中佐は、前任のアジゾフ中佐に抗議した。しかし、彼は苦く笑って言い返した。
「君もすぐわかるよ。この基地の設備が作られたのは45年前だ。その頃はまだソ連邦は上り坂であり、最新の技術と惜しみない資金でこの基地は建設されている。そして、25年前にはそれなりの資金が投じられて老朽施設の更新が行われた。また15年前にもある程度の資金を投じて部品の更新が行われた。
しかし、その後の施設更新費はゼロだ。潤滑油や消耗部品の更新の予算は一応ついて実施してきたが、老朽した設備は次々に停止していき、使える物を組み合わせる共食い補修しかできない。要は、国はこの基地が稼働するとアメリカなりヨーロッパに思わせればいいのだ。
どうせ、使わないものに限られた予算を費やすのは無駄だろう?ある意味合理的な考えだと思う」
「馬鹿な、見せかけなどと。そのようなことがあっていいはずはない!」
「まあ、君の気の済むようにやってくれ。私は退任して、モスクワに帰る。幸い、息子がある程度成功しているようだから。息子の手伝いでするよ」
ウラジミールは何度もその会話を思い出すが、今であればアジゾフの言葉に全面的に賛成する。ウラジミールが基地を引き継いだ時、稼働状態にあるミサイルは6基であったが、発射命令があったとしても発電機の容量不足などで、2日かけて発射するのが精々であり、それを知って彼は憤慨したものだ。
しかし、今現在の基地の稼働状態のミサイルはわずか2基であり、かろうじてその2基であれば、もろもろの補助設備を使って撃ちあげは可能である。そのことは当然報告に挙げているが、部からの反応はなく、それがアジゾフの言葉が正しいことを示している。
ウラジミールは、その後一切の昇進はなく56歳の現在、4年先に定年を迎え、多分すでに全てのミサイルが稼働状態にないこの基地を去っていくと確信していた。しかし、彼は誤っていた。
机の上の電話が鳴った。未だにこの基地ではダイアル式の電話を使っているのだ。
「ウラジールだ」
「司令官殿。こちら通信室、マニョイ軍曹です。ナイバのレーダー基地から警報です。ミサイル接近中、北極海からこの基地を目指しています。着弾まで12分の見込み。迎撃準備されたし、とのことです」
ウラジミールは一度に酔いが醒める思いであったが、回りにくい頭を振り絞って命じる。
「よし、迎撃砲部隊のアマズ中尉に直ちに位置につけと命じよ」
「了解!アマズ中尉に命令を伝達します」
電話が切れ、ウラジミールはのろのろ受話器を置く。
この基地の主レーダーは、制御盤の故障で使用できない。さらに、迎撃ミサイルもあるが、レーダー連動なので使えないのだ。結局3門の100㎜高射砲で迎撃するしかないが、そのための探知は高射砲レーダーのみであり、探知範囲は20㎞足らずである。
さらに、高射砲はレーダー連動になっていないので、レーダーで読み取った座標に向けて目見当で撃つしかない。結局音速を超えるミサイルを撃ち落とすには能力不足である。しかし、迎撃手段はこれしかないのだ。
ウラジミールは、ミサイルにやられる位なら弾道ミサイルを発射することを考えた。しかし、アメリカのワシントンを狙った基地のミサイルを発射することは、モスクワからの命令が無い限りはできない。というより、モスクワからの秘匿された信号がないと、発射キーのロックが外れないことになっている。
だが、そのキーシステムはすでに老朽化で機能していないことをウラジミールは知っている。だから、彼がその気になれば、発射操作はできる。とは言え、実際に発射できるかどうかは、彼にも自信はなかった。とりわけ、多数の古いミサイル内の電子回路、及びミサイルの推進薬が実際に機能するかは怪しいと思っていた。
だから、強制でもされない限りミサイルを発射するつもりはなかった。それにしても、なぜここにミサイルが飛んでくるかであるが、彼とて自国が日本に向けてミサイルは放ち、あえなく撃墜されて日本、アメリカとの間が緊迫していることは承知している。
あの奇妙な憲法に縛られた日本が、何かをしてくるとは思えないがアメリカは別である。そのアメリカが報復すると明言しているのであるから、何らかの行動はするとは思っていた。何しろ彼らは、火薬を発火させることのできるWPCというものを持っている。
この場合には、航空機がそれを放射しながら空を飛びまわると高射砲、地対空ミサイルは通じない。しかし、戦闘機などで体当たりをして、パイロットが脱出すれば爆撃機などは撃墜できる。だから、“人命を尊重する”アメリカなどがそんな危険を冒すことはないだろう。
問題は、ミサイルにWPCを仕掛けて飛ばされることで、この場合はまず体当たりなどは通じない。ただ、この場合には核ミサイルはそのWPCの放射によって核爆発を起こすであろうということだ。その場合にこの基地の場合は、水素爆弾である核弾頭については解体していないため生きている。
核弾頭にWPCを照射されると、核爆弾に仕掛けられた爆薬は燃える。M国の実績からMPCによる照射の結果は爆発ではなく燃焼が遅いので燃えると推定されている。しかし、それにより少し不揃いだが推力は働くので、臨界量を超えるU235がくっつく可能性が高く、結局核爆発が起きると考えている。
そして、人口が少ないこの地区であるが、10メガトンの弾頭が8発爆発するとなると、この基地の要員は無論、人口2千人のビリビノの町を含めて周辺5千人ほどは死ぬだろう。そしてそれは、もっと人口の多い地区に作られた基地の場合にはずっと多くなる。
“人権・人命”を尊重すると称しているアメリカが、そのようなことを実施するとは考えにくい、というのがモスクワの見解である。だから、核ミサイル基地がWPCによる攻撃を受ける可能性は低いと言う結論だ。
このような話は、モスクワからも回ってくるし、ミサイル基地の司令官仲間とも話し合っている。だから、ミサイルが迫っているという知らせにウラジミールが狼狽えたのは当然ではある。
北極海からのミサイルということは、多分アメリカの原子力潜水艦からの発射であろう。近年の温暖化によって、北極海では夏には氷が解けており貨物船が航行できるようになって、10月の今はまだ薄氷の段階であるから、潜水艦にとっては問題なく作戦行動ができる。
ウラジミールはそのようなことを考えながらも、迎撃砲を準備している部隊のところに行く。現在零下10度であるが、ここでは暖かい日であるので、掩体から引き出された長砲身の迎撃砲の準備も比較的楽である。
約20mの距離をおいて並んでいる砲には、それぞれ6~8人の兵が取りつき調整をしている。迎撃ミサイルが3年前から使えない今、迎撃手段はこれしかないので、気休めとは思いながら訓練だけは2ヵ月に1回積んできた。だから、兵たちの動きはきびきびして統制が取れている。
アマズ中尉は中央の砲の付近のレーダー管制室のドアのところにいて、近づくウラジールを見て敬礼して報告する。
「同志・司令官殿、1号と3号砲はあと1分で砲撃準備完了です。ただ、2号砲ですが、仰角調整器の回路が不調で、交換の必要があって残念ながら時間に間に合いません。申し訳ありません」
「うむ、やむをえん。1号と3号で最善を尽くせ。うーんと、あと3分だな」
ウラジールの言葉に、アマズは一旦頭を下げてためらいながら言う。
「司令官殿、敵ミサイルはアメリカのものでしょうが、例の火薬を発火させるWPCを設備しているという奴でしょうか?」
「ああ、中央ではそのように考えていたようだが、私もそう思う。まだWPCの効力範囲は判っていない。だが、我々の砲はレーダー連動ではないので、各砲の表示板で見当をつけて撃つしかない。だから、前から決めているように……」
ウラジールの言葉を遮ってレーダー担当士官が叫ぶ。
「レーダーに敵ミサイルキャッチ、距離22㎞、高度5千m、下降中。速度は……約1200㎞/時、着弾まで65秒!」
その声を聞いて、アマズ中尉が叫ぶ。
「よし、各砲、射撃手待機。表示板を熟視し最善と思われる時に撃て。訓練を思いだして最善を尽くせ!」
しかし、残念ながらWPCの照射の効果は砲撃まで待ってくれなかった。より効力範囲の広いNI-WPCは15㎞以上の距離で基地の8発の核弾頭の核分裂機能を無効にして、WD-WPCは11㎞の距離で、基地内のあらゆる火薬を発火させた。
高射砲の砲弾はボム!ボム!という音と共に薬莢と弾頭が鈍く爆発して砲身を赤熱させ、125発の砲弾を収めていた背後の火薬庫は多量の爆薬の同時発火により爆発した。
さらに、100m離れているサイロの、10m毎に配置されたミサイルは、2段のロケットの推進薬の発火により、大きな爆燃を起こしたが、燃焼が遅いために爆発は鈍いものであった。
そして、そのサイロが爆発により盛り上がってコ、ンクリートや土を周囲に撒き散らしている時に、飛んできたミサイルが着弾して爆発を起こした。それは、ウラジミールとアマズ達の砲員が、赤熱した砲から逃げて唖然として見ている中で、500mほど先に白い噴煙を上げた爆発であった。
彼らは、砲弾の爆発は何度も見ているが、それとはずいぶん感じの違うもので、威力も小さいように思われた。それも当然で、その爆発は残った水を水蒸気爆発させたもので、ミサイルのWPC部分を破壊して分析させないようにするためのものである。
ウラジミールは砲弾が爆燃した時には、続いて核爆発が起きると覚悟した。だが、基地の設備は多量にあった火薬によって全滅したものの、管理棟とサイロが100m以上離れており、ウラジミールが爆発の恐れのあるサイロに行かないように命令していた。
だから、砲弾の爆燃でけがをした兵が3名の他は死傷者が出なかったので、彼は安心 もしたが拍子抜けした。こうして、大陸弾弾道弾のアメリカを狙った有力な発射基地である、ビリビノ基地は機能を失った。
そして、これはロシア全土と中国全土で起きた。ロシアは88ヵ所、中国は15ヵ所の中距離を含む弾道弾基地はトマホークによって無力化された。さらに、ロシアの日本海とオホーツク海の沿岸、中国の東シナ海と黄海沿いについてはアメリカの空母機の護衛の元にB2爆撃機が飛び回った。
それは、ミサイル発射基地のみならず、飛行場、軍港、陸軍基地に至るまでWD-WPCを照射して回って、爆薬を爆燃させて無力化した。
ついでに、北朝鮮のミサイル基地設置が疑わしい地域を念入りにNI-WPCとWD-WPCで照射しているので、当然その照射区域にはあらゆる軍事基地と寧辺核施設、さらにはウラン鉱山も入っている。NI-WPCには核物質の探知機能もあるので、北朝鮮の核爆弾は完全に排除されたと言ってよいだろう。
実のところ、すべてのミサイルがうまく飛行した訳ではなく、5発については機器の故障で墜落または目標を逸れてWPCによる水蒸気爆発で爆破された。さらに1発はロシアにおいて戦闘機の体当たりで撃墜された。
その後のバックアップのミサイルは当然用意されていて、異常が判り次第追加のミサイルが発射されて、目標は無力化されている。そして、ミサイルが検知された結果、ロシアの2ヵ所からドイツとアメリカに向けて、中国の1ヵ所からはグアムに向けて核ミサイルが発射された。
そして、それは西側で直ちに検知されて、ロシアと中国の指導者はアメリカ大統領からのホットラインによって警告された。それは以下のような内容であった。
『すでに、貴国への攻撃で実証されたように、アメリカがWD-WPCによって火器のみならず核を無効化できることは明らかである。だから、これらを装備した迎撃ミサイルによって君らの国から発射されたミサイルを100%無力化できる。
だから、発射したミサイルは無駄であるが、狙われた地域の人々は怒り狂うであろう。だから、これらのミサイルを空中爆破しなさい。もしそれをしないなら、貴国の原発をWPCで停止させる』
ロシア・中国の両国とも、現在ではWPC方式の発電所を盛んに建設しているが、その部分は石炭や石油発電所を廃止しており、今のところ原発による電力が大きな割合を占めている。そして、すでに北朝鮮の原発がすでにWPCにより強制的に停止させられている。
苦渋の決断で両国とも発射したミサイルの自爆ボタンを押している。勿論、その経過と結果にロシアと中国は猛抗議をしたが、いずれにせよ後の祭りである。
この結果は、ロシアにとっての方がどちらかと言えば影響が大きいであろう。ロシアは、そのアメリカに劣らないとされる核ミサイル網が彼らの国際的な影響力の源泉であった。いざそれが無くなってみると、途上国ではないが、只の人口1億5千万人の比較的貧しい国である。
中国はインドと並ぶ人口大国であって、世界2位の経済大国でもある。そして、その経済力と大きな予算を費やしている軍事力によって、大国意識丸出しで世界から大いに嫌われ始めたわけだ。そして、核ミサイルのみでなく、その沿岸部に置いていた軍事力がほぼ無力化した訳である。
ロシアは資源、中国は巨大な人口があるので、今までの強面外交を止めて、低姿勢で外資を呼び込めば経済については復活する可能性は高い。そして、両国の国民にとってもその方が幸せなのでないか、そのように語られ始めている。
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