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 館内は上映が始まる前から大騒ぎで、あちこちからざわめきが反響してくる。俺達は後方の空いていた席に、前後二人ずつに分かれて座った。四人並んで座れるところがなかったからだ。

「男ってこういう映画好きよね。悪趣味だと思わない、シンシア」

 後ろを向いて、パティが尋ねる。こういう映画とは、ホラーだ。俺は気が進まなかったが、アダムがどうしてもこれにしたいと譲らなかったのだ。こいつの魂胆は分かっている。怖がるガールフレンドが抱きついてくるのを期待しているのだ。

「怖かったら観なければ済むことよ。私は耐えられなくなったら目をつぶって、耳を塞いでることにする」

 シンシアが答える。パティもそうすることに決めたのか、仕方なく前に向き直った。

 いざ上映が始まると、何も事件が起きないうちからパティはアダムにしがみついて、スクリーンを完全に無視した。アダムは俺の方を向いてウィンクしてみせる。俺は右手をヒラヒラさせて、分かったからと合図を送った。

 スクリーンに注意を戻すと、少年の怯えた顔がアップになって映っている。置き去りにしたブラッドのことが思い出された。あいつは、ちゃんとテリー達と廻っているだろうか。それとも、拗ねて家に残っているのだろうか。

 何もハロウィーンの日にデートをしなくてもよかったんじゃ、と今更ながら後悔を覚えた。弟がこの日をどんなに楽しみにしていたか、知っていたはずなのに。

 そんな考えに耽っていた時、ふいに右手を掴まれた。どきりとして横を向くと、シンシアがびくびくしながらも映画を観ている。俺は彼女の手を握り返し、安心させようと言葉をかけた。

「大丈夫だよ。殺人鬼はスクリーンから出てきやしないさ」

 彼女はこちらを見て、ぎこちない笑みを作った。

「そうね」

 青白い光に反射した唇が、濡れたように光っている。今日の彼女の化粧はいつもより大人びていて、赤いルージュは紫に見えていた。

 緊迫した場面に悲鳴があがり、ポップコーンがスクリーン目がけて投げられる。

 シンシアはなんとか堪えていたが、殺人鬼が主人公を追い詰めるところでとうとう音をあげ、いきなり抱きついてきた。セーターを押し上げていた二つの膨らみが感じられる。俺の心臓が、勢いよく跳ね上がった。彼女の柔らかな感触に、映画のことも弟のことも忘れ、舞い上がる。

 どうしていいか分からず、親友に助けを求めて視線を向けると、彼らはキスの真っ最中だ。周りなど気にもせず、夢中になっている。参ったな……。

 戸惑いつつも、俺は彼女の背に腕を回した。シンシアが顔を上げ、呟く。

「ごめんね、ライナス。怖くて……」

「いや。謝らなくてもいいよ」

 会話はどこかぎくしゃくしていた。なぜかお互いに視線をそらすことができず、みつめ合う。気づいた時には、すぐ間近に彼女の顔があった。

 勢い余ってしたキスは、歯がぶつかる鈍い音で中断される。二人同時に「ごめん」と声が出た。シンシアが、くすりと笑う。

「初めてなの、私」

「俺もだよ」

 正直に打ち明ける。

 気を取り直すと、俺達は再びキスを試みた。今度はうまくいった。互いの唇が、半分に分かれたペンダントのようにピタリと重なり合う。彼女の唇は温かく、快かった。

 抱きしめながら思う。女の子って、こんなに柔らかくていいものなのか、と。


 エンドロールが流れているスクリーンを背後に、俺達は他の観客に混じってホールに出た。

「もちろん、俺んち来るよな。今日は親父もお袋もいないから、一晩中、馬鹿騒ぎできるぜ」

 アダムの言葉に、シンシアが同意を求める視線を向けてきた。

「私はそのつもりなの。ライナスも来てくれるでしょ?」

 ファーストキスの余韻が残る頭では、もちろん、と即答したいところだ。けれど、俺の目は腕時計へと落ちていた。八時五分前。行くにしても、断りの電話を入れておいた方が無難な気がする。

「行くよ。でも、その前に家に電話いれる。母さんに言っておかないと」

 そう三人に告げ、少し離れてから電話をかける。一回目の呼びだしで相手が出た。

「あっ、母さん。俺だけど――」

『ライナス。ブラッドが、まだ帰ってこないの』

 俺の言葉もろくに聞かずに、急きこんで言う。母さんは弟のことになると、過保護なくらい心配性だ。普段は、手のかかる子で嫌になるなんて言っているくせに。

「落ち着いて。テリー達と一緒に出かけたんだろ? まだ近所を廻ってるんじゃないの」

『廻るところなんて、たかが知れてるわ。もう帰ってもいいはずよ』

「どこかの家でごちそうになってるのかも。そんなに心配しなくても、そのうち帰ってくるさ」

『でも……』母さんは言いよどんだが、ようやく冷静さを取り戻したのか、声を明るくした。『嫌ね。こんなことで慌てたりして。もう大丈夫よ、ライナス。それで、あなたの用件は?』

 遅くなる。そう告げるつもりだった。それなのに、俺は今すぐ帰ると伝えていた。母さんの心配が伝染したのか、それとも自分も過保護なのかは分からなかったけれど、急に弟のことが気になって仕方なかったのだ。こんな気持ちのまま、シンシア達と楽しい夜を過ごせそうにはない。

 みんなのところに戻ると、そのことを告げた。

「ふざけるなよ」堪忍袋の緒が切れたのか、アダムは語気荒く言い放った。「シンシアの気持ちも考えろ。彼女に悪いと思わないのか!?」

 シンシアは俯いている。側に寄り添うパティは、俺を睨んでいた。

「悪いと思ってる。だけど心配で――」

「せっかくデートに引っ張ってこれたと思ったら、もうこれだ。俺は面倒見きれないよ」彼は憤慨も露に詰め寄ってくる。人差し指で俺の胸を突きながら、続けた。「お前、弟と彼女と、どっちが大事なんだ」

 空気が張り詰め、視線が俺一人に集中する。シンシアの瞳は、悲しげな色を湛えていた。

「ごめん!」

 一声叫ぶと、俺はその場を逃げ出した。バス停に向かって走る。

 頭の中で、アダムの質問がぐるぐる回っていた。どっちが大事かだって? 比べられるわけがない。俺はブラッドの兄貴で。あいつが生まれた時からずっと一緒で、片時も離れたことはなくて。それは、これからも決して変わることがない事実なんだ。

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