僕の花嫁になってくれますか

 近藤正彦32歳。

 独身。彼女有り。

 職業、お笑い芸人。

 役職、ツッコミ担当・ネタ作り。


 いや、訂正しよう。

 職業、「売れない」お笑い芸人……だ。


 大学生の頃に見た漫才コンテストがきっかけでお笑いの道を目指し、大学卒業後にお笑いの聖地大阪に引っ越した(東京が上京なら大阪は上阪だろうか?)。養成所でひたすらに漫才のネタを書き、相方と笑いの腕を磨いてきた。そりゃ、最初の頃はひどいもので、誰もひとくすりもしない。何を言っても静寂が訪れるだけだった。それでもめげずにネタを書き、養成所を出る頃には、同期で1番面白いコンビと評されるようにまでなっていた。

 しかも、アルバイト先のカフェで出会った女の子と人生初めてのお付き合いまで始まったのだ。近藤は舞い上がった。これでもかというほど舞い上がった。

 

 そんな幸せな生活は一瞬にして崩れ落ちた。養成所を出て最初の1年。地方の営業の仕事があればいい方で、アルバイトの仕事をしている時間の方が長かった。意気揚々と挑んだ漫才コンテストも2回戦敗退。売れてテレビに出放題なんてそんな夢みたいなことがすぐに起こるわけがなかった。

 それから数年、鳴かず飛ばずの売れない芸人生活が続いている。


 それでも彼女だけは初めて出会った時からずっと僕を応援してくれていた。

「夢を追いかけている正彦くんが1番格好いいよ」

 それが彼女の口癖だった。お金のない冴えないお笑い芸人の僕は彼女を連れておしゃれなデートに連れて合ってあげることはできない。やっと出れた劇場公演の打ち上げで何度もドタキャンしたこともある。今思えば最低な彼氏だなと、近藤はつくづく自分についてきてくれた彼女への感謝の気持ちが止まらなかった。


 養成所を出てもうすぐ10年が経つ。そろそろ年貢の納め時だろうか。近藤は今年の漫才コンテストを機に、彼女にプロポーズすることを決めていた。もちろん、優勝という結果とともにである。もし、優勝できなかったときは、芸人を辞めて就活をすることに決めた。いい加減彼女に幸せをあげたかった。

 相方にも了承は得た。大事な芸歴10周年の年だ。自分も節目の時だろうに、俺のわがままに付き合ってくれる相方には感謝が尽きない。相方は喜んでネタ作りに協力してくれた。今までは僕に任せっきりだったくせに。なんて文句も頭に浮かんだが、言わないでおこうと思った。


 何度も書き直しては路上や公園で漫才の練習に明け暮れた。こんなにひとつのネタに一生懸命になったのは、養成所にいた頃以来だったかもしれない。

 今度のネタは、誰が見ても面白いと言えるだろうと自信があった。絶対に優勝してみせる。僕は初めて彼女を漫才コンテストの予選に招待した。



 とうとう漫才コンテストの予選の日がやってきた。僕たちコンビの最高記録は3回戦進出。決勝はおろか、準合唱に臨んだことすらなかった。周りの人から見れば、優勝は無謀な挑戦かもしれない。それでも、僕たちが10年培ってきた経験は裏切らないと信じていた。

 彼女は会場の後ろの席で見ていた。ああ、緊張するな。まずはこの予選を勝ち抜かないことには話にならないな。そう思っていると、緊張の波がどんどん大きくなっていった。本番まで後少し。僕は相方と最後のネタ合わせをしていた。






 さて、結果だがそれはそれは散々なものだった。結論から言うと予選落ち。今までで1番最悪の結果だった。

 一体なぜこんなことになっているかと言うと、理由は簡単で、ネタが飛んだのだ。いざ、自分達の番になって会場に足を踏み入れる。ピンライトが僕を照らした瞬間、今まで考えたネタのセリフが出てこなくなった。

 焦った僕は頭をフル回転し何かを声に出そうとしたがそれも難しい。しばらく沈黙が流れた後、小さく出たのが没にしたネタの語りだし。それでも語ってしまったのだからと相方とそのネタを披露した。会場は気を利かせてくれるような笑いをくれる客がいる程度だった。



 会場を後にして、彼女と合流する。もちろん次があるものだと思っていたから、彼女と楽しい食事会になるはずだったのだ。それがどうだ。結果は最悪じゃないか。これじゃあ、プロポーズなんてできやしない。

 僕は情けなさに俯いていると、彼女は突然怒ってこう言った。

「今日のネタ、面白くなかったよ! 正彦くん、全然楽しそうじゃなかった!」

「え……」

 まさか、彼女からもつまらないと言われるとは、本当に酷いネタだったんだろう。

「ごめん。格好いいところ見せられなかった」

 情けなく笑ってみせると、彼女は涙を浮かべて話し出した。

「そんなことを言ってるんじゃない! 正彦くんが今回のコンテストで何かをしてくれようとしているの、本当は気づいてたの。でも、私、正彦くんのことちゃんと支えられなかった」

「そんなことないよ。君がいたから僕はここまでやってこれたんだ。でも、これからは、」

「うるさい! 続きは合わせないんだから。生活なら私が支える。私が正彦くんのことを幸せにする。だから、正彦は、自分の夢を追いかけ続けて! 正彦くんたちはちゃんと面白いんだから! 私は夢を追いかけている正彦くんが大好きだよ」

「え……」

「だから私と、結婚してください」


 突然の彼女からの申し込みに僕は固まってしまった。こんなのってないじゃないか格好良すぎる。


「僕からも言わせてください。これからもっともっと頑張ってお笑いで頂点を取ります。だから、みっちゃん。僕の花嫁になってくれますか」

「もちろん!」



 次の日、相方に報告すると、やっぱりかと言う顔をしながら喜んでくれた。なんでも、彼女から相方に相談があったらしい。僕の様子がおかしいと。相方は、いたたまれず、プロポーズのことをバラしてしまったという。なんてことをしてくれたんだか。


 それから僕らはまた、お笑い芸人の頂点を目指して再出発し出した。いつか、僕の奥さんが僕を選んでよかったと言ってくれるように今日も面白い話を書き続ける。





 近藤正彦38歳。

 既婚。二児のパパ。

 職業、お笑い芸人。

 役職、ツッコミ担当・ネタ作り。


 いや、訂正しよう。

 職業、「大人気」お笑い芸人……だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る