今日は少し頑張りすぎたかも知れない。元々予定していたオペの他にもう一件の緊急が入り、キャパオーバーになりつつあった。書類を纏めてデータを入力したらもう深夜だ。長い間、もう何年も何十年も、そんな事を繰り返してきた。自分で決めたこととは言え少々ハード過ぎたかも知れない。

 自分に出来ることは全て、尽くせる手は全て、とにかく命を注ぎ込むように生きてきた。駆け抜けるうちに節々が軋みをあげて、少しだけ横になろうと身体を横たえたソファから起き上がれなくなっている。

「限界が来たかな」

 誰もいない部屋の中、口にした声は掠れて誰にも届きそうにない。でも良いのだ。これで。

 ゆっくりと目を閉じて、深い呼吸をする。

 その時、ソファの端が軽く音を立てた気がした。反射的に瞼を上げれば、そこには懐かしい姿があった。

「ずいぶん頑張ったんだね、少年」

「……もう少年じゃないよ」

 佐々木さんはソファの淵に腰掛けたまま、いつかと同じ朗かな声で、あっはは! と笑ってから楽しそうに足をぶらぶらさせた。少しムッとした僕は、掠れて上手く出ない声で話し始める。積年の恨みというやつだ、佐々木さんを付き合わせる権利が僕にはあるはず。たぶん。


 研修医として再び訪れたこの病院には佐々木マリエという看護師は居なかった。正確には「居た」。佐々木マリエは病死したのだ。病気が発覚し、勤め先であるこの病院にそのまま入院し、闘病生活を送り、そしてこの世を去った。

 それを知った時、いくつものピースが心の中でパチパチと嵌まっていく音を聴いた。決まって誰もいない時にしか現れなかったのも、病院食にやけに詳しかったのも、どのタイミングをいちばん寂しく感じるのかを知っているのも。

 いくつか候補がある中で、僕はこの病院に勤務することを選んだ。そうすればいつかは佐々木さんに会えるんじゃないかと期待したからだ。それからずっとずっと、ここで僕が出来ることを全力でして来た。


「遅いよ、来るのが」

「あれぇ? そうだった?」

「……会いたかったんだよ、佐々木さんに」

 ははーん、という表情をした佐々木さんが僕の顔を覗き込む。僕は目を逸らした。本当は顔を背けたかったけれど、もう上手く動かすことが出来なかったのだ。

「少年、そろそろ行こうか」

「それを待ってたよ、一日千秋の想いってやつ」

「おやおや、大袈裟だなぁ」

 苦笑する佐々木さんの息遣いを感じながら再びゆっくりと目を閉じて、細く長く息を吐いた。

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空の青さを知る頃には 野村絽麻子 @an_and_coffee

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