第15話 降りやまぬ雨
光は、当てもなく夜行バスに乗った。
シートに身を預け、バスが動き出すと、やっと息をつけた。
少しずつ、バスは住み慣れた街から遠ざかる。冬馬と凪子がいる街を離れていく。
話し合う、と冬馬は言ったが、いったい何を?
好きな人は、いつも一人。
いちばん気になるのは、光だよ。
あの言葉はウソだったのか。
いや、その時は本気だったんだ。
だけど。俺はもう、冬馬のオンリーワンじゃないんだね。
それだけは分かる、痛いほどに実感する。
凪子に子供ができたのなら、もう産むしかないだろう。おじさんも大喜びだよ。
俺は多分、どこかに部屋を借りて、日陰の愛人みたいな暮らしになる。
最悪だ。
それ以上に恐ろしいことに気づいて、光はぞっとした。
冬馬から、別れようと言われたら?
お子ちゃまの時間は終わった、これから俺たちは夫婦として親子として生きていく。光は別の道をみつけてくれ、なんて言われたとしたら?
そうなったら俺はもう、生きてはいけない。
逃げ出したのは正解だった、「別れよう」という言葉を聞かずに済むから。
涙が、あとからあとから流れた。
早朝。
光は見知らぬ土地に降り立ち、駅前の食堂で腹ごしらえした。住み込みで働ける場所を探し、黙々と働いた。専門学校も放り出してきたが、もうどうでもいい。
俺は、誰からも必要とされていない、無意味な存在なんだ。
俺なんか、どうなったっていいんだ。
自暴自棄な日々が続いた。
地方の街にも、仲間が集う店はある。
若くて可愛い光は、行けば必ず誰かに声をかけられ一緒に飲んた。寂しくてどうしようもない時は、誘われるままに一夜を共にした。
これが冬馬だったら、と何度思ったことか。
モノのように扱われ乱暴にされても抗議する気にもならない、自分は無価値な存在なのだから。
冬馬のせいだ、冬馬さえ声をかけてこなかったら、こんなことには。
光は冬馬を憎もうとしたが、すべて冬馬のせいなのか。
いちばん気になる、という言葉が、次第に心に染みていき、付き合いたいと思った。
冬馬に対する気持ちは、なかなか整理できない。
光に対して、本気になってくれる男もいた。
心が動きかけ、しかし、また裏切られたら、と思うと怖くて関係を絶ってしまった。
時々、ふっと思い出す、冬馬との日々。
自分が消えて、冬馬は慌てただろうか、悲しんでくれただろうか。
実家にも迷惑をかけてしまった。捜索願は出てるのかな、友人と同居、とは言ったけど、冬馬の名前は伏せてある。
高校時代の同級生、田中と、と親には告げていた。
田中は迷惑しただろう、俺と暮らすなんて寝耳に水だ。人のよさそうな顔が浮かぶ。
住み込み先でも、田中を名乗ってしまった。
ごめんよ、田中。
うっとうしい梅雨、台風シーズン、秋の長雨。
それぞれを、光はその街で何度か過ごした。
部屋の窓から、ぼんやりと雨を見つめる。
やまない雨はないというが、三日も四日も降り続くと、とても信じられない、きっと永遠に雨は降るんだ。
だが。どんなどしゃ降りも、止む時は来るのだった。
五年ほどたった時、光は突然、覚醒した。
このままではいけない、と唐突に気づいた。
こわごわ実家に電話すると、母は涙声で、父が末期ガンだと告げた。
余命いくばくもない父は、よく帰ってきた、と優しく迎えてくれた。
父を見送り、母や弟と共に店を切り盛りする。がむしゃらに働くことで何もかも忘れたかった。
そんな時だった、凪子から会いたい、と連絡があったのは。
即座に断ったが、何度も電話をもらううちに、断るのも面倒になった。
会えばいいんだろ、会えば。
ごめんなさいと頭を下げれば、それで済むと凪子は思っているのだろう。思い切り罵倒してやるか。
実際に会ってみて、やはり凪子は
「ずっと三人で」
あの席で、光はそう口にした。
冬馬、凪子と自分自身と、三人で暮らしたいと本気で思った、甘ちゃんな過去。
「私もだよ」
凪子はそう答えたが、俺の考えとは違っていたんだろう。
凪子が言う三人とは、冬馬と自分と娘、親子三人のことだったんだろう。
(次回完結)
【あとがき】
ドラマでは、一人になった槙雄(本作では光)に恋人らしき存在が登場します。
彼は小学校の同級生で、三人での再会を後押しし、何かと支えてくれました。しかし私は、あくまで光一人で苦しみ成長してほしかった。冬馬への愛憎も抱き続けてほしかったです。
「恋人ができたからいいでしょ」的な安易な展開は勘弁して、です。槙雄の方から彼を誘った節があるんですよね、寂しいし仕方ないけど。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます