第14話 訣別・新生



 美咲にはいろいろ期待していた。ピアノとバレエを習わせ、発表会では可愛いドレスを着せよう。

 だが、どちらも失望に終わった、レッスンの度に行きたくないとべそをかかれて、うんざりした。引っ込み思案で内向的な性格にもイライラする。

 それなりの高校、大学に進み、就職。あとは結婚か、と思ったら、同性と結婚すると宣告された。

 母にも、義父母にも本当のことは言えない。しかし美咲が家を出たことはいずれ知られてしまう。それだけでも頭が痛いのに、今度は妊娠。

 冬馬にも愛想が尽きた、美咲を責めないばかりか、人工授精にまで賛成するとは。

 私が、まっとうな道に引き戻してあげたのに。

 役員の一人として、懸命に会社を盛り立ててきたのに。

 もう限界だ、と凪子は思った。


「私と、別れてください」

 凪子はテーブルの上に離婚届を置いた。冬馬がサインしさえすれば提出できる状態だ。

 結局、こうなったか。

 冬馬はぼんやりと書面に目を落とす。

 美咲の結婚以後、家庭内別居が続いており、いつかはこうなるだろうと覚悟していた。

 光。やっとだよ。

 早く離婚してよ!

 悲鳴のような声が聞こえる。

 あの時、離婚出来ていたら。

 あの夜、凪子をきっぱり拒否していたら。

 遅すぎるけど、何の解決にもならないけど。

 冬馬は、無言で署名した。


「子供が生まれたら、会いに来てくれ」

「結構です」

 会いたくない、と凪子は言った。

「孫の顔を見たくないの」

「見たくないわね」

 仏頂面で言う。

「そうか」

 父親が光であることを告げる気はないが、光と再会したことだけは言っておきたかった。

「俺、光と会ったよ」

 少しだけ、凪子の表情が変わる。

「いつ?」

「去年」

「それで? よりを戻すの」

「まさか」

 そんなに簡単じゃない。

 二十年は、とてつもない時間だ。

 生まれたての赤ん坊が酒、タバコを許される年になる、それほどの年月だ。正直、いま自分が光に抱いている感情をどう名付けていいのか、冬馬には分からない。


 凪子はマンションが欲しいと言った、母と二人で住める場所が欲しいと。

 会社の経営は思わしくなく、別荘も、若い頃に住んだマンションも手放している。借金を増やすより、と自宅をリースバックすることに決めた。家を売り、その業者と賃貸契約を結ぶ。持ち家ではなくなるが、家賃を払えばそのまま住める仕組みだ。

 凪子は望みを叶え、家を出ていった。


 美咲が光と話しあってから一年。

 元気な男の赤ちゃんが誕生した。

 生まれて一か月後、光が渡会家を訪ねてきた。

 光輝こうき、という名前に、

「俺の字を使ってもらって」

 いいのかな、と恐縮する。

「そうしたかったんです」

 美咲の言葉に、光は頷く。

 美咲と真帆が越してきて、冬馬は孤独ではなくなった。そこへ孫の誕生だ、まさに世界は光り輝いている。


「抱いてあげて」

 ご機嫌で美咲に抱かれた光輝を、そっと光に手渡す。

 光が大事そうに光抱くと、

「意外と慣れてる?」

 美咲と真帆は目を見張った。

「甥にミルクやったりしたから」

「甥ごさんがいるの!」

「コウちゃんの従兄だね」

 それも二人と聞いて、ママたちは大はしゃぎだ。どちらも一人っ子、従兄もいない。

「ねえ、コウちゃんに会わせてもいいでしょ」

「うん」

「よかったね、コウちゃん。お兄ちゃんが二人もできたよ」


 至福の時が流れる。

「どっちに似てるのかな」

 冬馬はふと気になったが、

「まだ分からない、一か月だもん」

 美咲の答えに、光と光輝の顔を交互に見て、

「この子と光、耳がそっくりだ」

「そうかな」

「本当よ、光さん」

 にこにこしながら美咲が言う。


 耳。

 ドライヤーをかけてくれた冬馬の指が、耳に触れて。

 いちばん幸せな日の思い出が胸いっぱいに広がる。

「あのシャツ、まだ持ってる?」

「うん」

 冬馬に、光は微笑んだ。

「やっぱり、もらっておこうかな」


 その日、ブルーグレイのTシャツは、光の元にかえった。




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