ヌマジマドブ子
D県S市にある廃ラブホテル
“アイーダ”の203号室は有名な心霊スポットだ。
この場所の名前を聞いてすぐ、
“ヌマジマドブ子”のことを
思い出した方もいるかもしれない。
本名、N島T子。
90年代前半に世間を騒がせた女結婚詐欺師だ。
50代の男性をターゲットに、言葉巧みに心を奪い、5人の男性から総額6000万円もの大金を騙し取り、警察から指名手配された悪女。
指名手配の写真は、お世辞にも美しいとは言えない顔だった。
白浮きしたファンデーションに、下品なピンク色の唇、少女趣味な服装とはちぐはぐなワインレッドのつけ爪はなんとも毒々しい。
被害男性が、
インタビューでひとしきりT子を罵ったあと、『クソ女!ヌマジマドブ子め!』と怒鳴ったのもあって、
テレビはこぞって彼女の悪行と不名誉な蔑称を報道し、世間の好奇心の的となった。
そんなT子の最期は悲惨なものだった。
ラブホテル“アイーダ”の203号室で、恋人の若い男性に、顔の原型が分からなくなるほど激しい暴力を受けて絶命した。
そんな悲惨な最期であったというのに、
彼女は誰からも同情されることなく、
死後しばらくは世間から笑いものにされていたのだった。
最後まで死を哀れに思われることがなかったT子の怨念が今もアイーダの203号室に宿っていて、夜中の2時にその部屋へ行くと女の幽霊に襲われる…。
その噂をネットで見た
椎名は心霊スポットが好きというわけではなかった。
ただ、仕事やプライベートが上手くいかず、お金もない中で唯一できるスリリングな遊びがそれだった、というだけだった。
今年40歳になる椎名は、T子の事件とその時の世間のおもしろがりようを覚えていた。
心霊スポットをまとめたサイトでアイーダの名前を見つけた時、
ちょうど己の境遇の惨めさに腹を立てていたこともあって、
もし霊が出たあかつきには、T子の醜い顔を見て、「こんなんよりはましだ」と笑って憂さ晴らししようと思いたった。
行きの電車ではドキドキと胸を高鳴らせていたのに、建物に入り、しんとした部屋に一人でいると急に心細くなって、自分がようやく悪いことをしていることに気がついた。
時刻は1時56分。
このまま2時になっても何も起きなければ直ぐに帰ろうと、スマホをいじる。
整備されず伸び放題になった雑木林から、
時折ガサガサと音がしたり、
虫の羽音がするだけの暗闇。
眠気に襲われ、うとうとと船を漕ぎ、
はっと気がつけば2時半になっていた。
結局何も起こらなかったし、帰ろう…
荷物に手を伸ばした時に、椎名は口の中に違和感を覚えた。
舌の上に、硬くて薄い何かが被さっている。
吐き出そうとしたが、
ぴたっと舌に張り付いて剥がれない。
指を使って剥がそうと口を開けた途端、
それは喉の奥へ向かってぐぐぐと潜り込み始めた。
「おっ、おぐっ」
嗚咽の反射が起きて、腹と舌が波打ち、
必死に薄く硬いそれを追い出そうとするが、
全く聞かない。
どんどん奥へと潜っていく。
椎名は先程聞いた虫の羽音を思い出し、
ぞっとして、より激しく嗚咽するが
全く効かない。
彼はとうとう、喉の奥に指を突っ込んで、
吐きそうになりながら薄いソレを指先でやっと掴むと、やっとのことで取り出した。
上がった息を整えぬままに、指先でつまんだそれを確認した椎名。
見るやいなや絶叫して放り投げた。
椎名の喉奥に入り込もうとした薄くて硬い何かの正体。
それは、あの、ヌマジマドブ子が好んでつけていた、先のとがった、
ワインレッドのつけ爪だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます