戦中八話 さいごの夏の少年少女たち・・・とオッサン 第2話

(前話あらすじ)

 東西での戦争中にマルガで実施された事実上最後となるエドナ杯。

 影武者役のオリビア・スレイマン夫人護衛と視察に派遣されていたビルビット・ミラー少佐、アルセニア・オーガスタは手合い評論家として招かれていたライゼル・ヴァンフォート伯爵と共に目玉選手のいない大会の進行をやる気なさそうに見つめていた。

 そこでディーン、ルイス、メディーナ、アリオンらが参加していた前回大会の内輪話が暴露される。

 しかし、今大会にはトリエルの娘エレナや、ミロア留学中の『剣皇カール』の息子リシャール・ルジェンテらが参加していた。

 そして傭兵騎士団エルミタージュが送り込んだと思われるヴァスイム・セベップの登場にビルビットの顔に緊張が走る。

 一方、お忍びで観戦に訪れていたオラトリエス王妃ミュイエからライゼルも深刻な内容を聞き出していた。


 ビルビット・ミラー少佐は「小用に立つ」とは言ったものの額面通りである筈がない。

 ビルビットの背を見送ったアルセニア・オーガスタはライゼル・ヴァンフォート伯爵にミュイエ・ルジェンテとの筆談内容を尋ねる。

「どうもミロアがキナ臭いことになっているらしい。ブリュンヒルデはベルヌにあるし、王妃は法都には入れていない。リシャール殿下もこの方が安全だからと敢えて大会参加したという話だ。それだけでも陰謀のニオイがプンプンしやがる」

 ライゼルは表情を変えずに勝ち名乗りしているヴァスイム・セベップに視線を向けつつ世間話のように語り、アルセニアも表情を変えずに聞き入るフリをしていた。

 しかし、山間の地方都市の初夏だというのにアルセニアは軍服の脇に大汗をかいている。

(迂闊だった。アリョーネ陛下が気付いていない筈がない。女皇正騎士5人。そのうち即応戦力は事実上、アタシたちと司令の3人。そしてイセリア。この身にかけてもあの人の名前は汚させない。それに、大会に出場している子供たちと愉しみに観戦している皆を護るのがアタシの役目だ)

 大会出場者リストを再確認したアルセニアは予選から試合をしっかり観戦しておいて良かったと再確認した。

 本戦トーナメントに勝ち進んだと考えられるエルミタージュの腕利き傭兵騎士はヴァスイムただ一人。

 そして素性がはっきりしていているのが、「エレーニャ・スライム」と名乗っているエレナ・スレイマン、「シャール・レジェール」と名乗っているオラトリエス王太子リシャール・ルジェンテとその護衛役。

 そして、「フィン・フォーマルハウト」と名乗っているコナン・エリオネア少佐だ。  

 コナンは《軍神》ロムドス・エリオネア中将の甥っ子養子だ。

 だが、事実上は《軍神》の後釜になると目されるラシーヌ・エリオネア中佐の登場により見限られた形で、パルムの国家騎士養成所の教官に左遷されていた。

(だけど、あのとき微かに感じたアノ感覚。間違いない。コナン少佐は覚醒騎士だ)

 だが、精神感応しようとしてもコナン少佐は扉を閉じていた。

 しかし、それでいい。

 アルセニアもビルビットもハニバルも覚醒騎士だが今は扉を閉じている。

 覚醒騎士同士の精神感応とネームレスの思念信号波は極めて似ているから、傍受される懸念を二人は感じていて、自身の心を堅く閉ざしている。

 一番老獪なハニバル司令は思念信号波の受信に必要な「窓」は開放していた。

(何故覚醒化を隠している?どうしてトゥールは少佐の出場を黙認した?)

 トゥドゥール・カロリファル国家騎士団副総帥には裏切った形跡はなく、むしろ《軍神》ロムドスの方が余程怪しい。

 既にトゥールが裏切っているならトゥドゥール・カロリファルとリチャード・アイゼンが何度かエルミタージュセルの刺客団に狙われている事と矛盾する。

 刺客団を片付けているナダル・ラシールからは反政府レジスタンスを装ったエルミタージュセルで間違いないし、本気で暗殺を企てていたと報告を受けている。

 東征妨害作戦で表向き敵対してみて、東征主力部隊のロムドス隊はなにか不可解だとイアン・フューリーとパベル・ラザフォードが結論づけていた。

 ブラムド・リンク強奪作戦時も《百識》ベックス・ロモンドが土壇場でロムドス隊の支援を断念している。

(ロムドス中将に呼応するためにわざわざ騎士修業し直した?其処までして自分を廃した叔父に義理立てる必要があったの?)

 いや、そうじゃないとアルセニアは本能的に思った。

 パルムの国家騎士養成所に転属となったコナン・エリオネア少佐を狂わせたのは間違いなく「黒薔薇のリリアン」だ。

 国家騎士見習いだったリリアンについて、コナンは教官としてその将来を心配していて、実父である《C.C.》に遭いにやってきたと国軍警察統括のノース・ナガレ少佐こと、女皇正騎士エーベル・クラインから聞いていた。

「彼は本気で娘のことを案じてくれている。シルバニア教導団に教官として有能な貴方が居るのだと私が知っていたのなら、義母上を説得してでも娘を教導団に入れたかも知れない。“微睡みの刻”という覚醒騎士をギリギリに押し留め、少し手前で踏みとどまらせるという貴方がたの教育方針は間違ってはいない。むしろ、私と義母上はあの娘に母親のことを否が応でも想起させてしまうであろうシルバニア教導団を避けようとしてしまった。それが結果的にあの娘を苦しめ、あの善良な国家騎士教育者を戸惑わせてしまっている。今となっては口惜しい。愛娘が“彷徨える黒薔薇”などと呼ばれていることが、今の私を深く苦悩させている」

 サイエス分団の影のまとめ役である《C.C.》の告解に、そのときのアルセニアは呆然となった。

 痛々しい表情を浮かべる《C.C.》にナダル・ラシールを完璧と言える域に鍛え上げた自分たちへの信頼の程が伺い知れた。

 間違いない。

 コナン・エリオネアは「彷徨える黒薔薇」の行く末を案じ、自分の将来を棒に振ってでも覚醒騎士になろうと藻掻いたのだろう。

 それよりも以前に、アルセニア・オーガスタはシルバニア教導団の訓練教官として国家騎士養成教官のコナン・エリオネアに会ったことがあった。

 肥満体でとても穏やかな人柄であり、騎士としては平凡だったし、《軍神》の甥っ子養子として後継と目されていたことですら自嘲気味に笑っていた。

 将来のある子供たちを育てる方が性に合っていて、むしろ見限ってくれた叔父の配慮には感謝していた。

「私には部下である騎士たちに死んで来いと命令することが出来ません。少佐という肩書きも重かった。私は人を傷つけることと、それに加担することに冷徹になれません。だから、貴方と同じように子供たちを騎士として無駄に死なせない為に心得を説き、任地に赴くその日までに可能な限りの誠意で育てている。それしか出来ません」

 一方で元副司令のベックス・ロモンドから、若い頃のロムドス・エリオネアもまた平凡な騎士に過ぎず、だからこそ上にのし上がる為に戦術論戦略論を磨き抜き、《百識》ベックスに比肩する域に到るまで、努力し続けてきたのだと聞いていた。 

 つまり、もともと騎士としての才能なんかまるでなかったコナンはどれだけ自分を虐め抜いただろう。

 今現在の「剣聖エドナの天技指南書」に彼が扱える天技など一つもなかろうというのに・・・。

 いずれは記される《啄木鳥》と《浜千鳥》なら誰でも扱えなくはないし、そうなろうと研鑽すれば《鏡像残影》は可能性として示される。

 それが覚醒騎士を目指そうとする騎士たちへの光の剣聖エドナ・ラルシュのささやかな贈り物だった。

 覚醒騎士と覚醒騎士を目指そうとする者たちに悪人などいない。

 中にはタチの悪いのが居たが、その性格や趣向も含めて覚醒騎士なのだ。

 己の欲得のためだけに覚醒騎士化しようとする者は決してその扉を開くことが出来ない。

 他者やセカイへの想いの強さにナノ・マシンたちが応えるとき、このセカイを産み出しているナノ・マシンたちの想いが理解出来る。

 人の悦びと人の哀しみ。

 幾星霜と繰り返されてきた悲劇と可能性を追い求めて足掻いてきた人々の慟哭。

 だから、扉を開く切っ掛けはいつだって自身の無力さに対する慟哭の涙だった。

 アルセニアは本当に大切なものに触れた気がしていた。

「どうしたんだい、“ティリンス”?」

 ふと横を見るとライゼル・ヴァンフォート伯爵がアルセニアに心配そうな表情を向けていた。

 アルセニア・オーガスタは我知らず泣いていた。

「すいません、伯爵。アタシもお手洗いに」

 アルセニアは思わず席を立ち、足早に観客席の雛壇の列を走り抜ける。

 取り残されたライゼルは表情を硬くしていた。

(俺の感じていた胸騒ぎ。アルセニアも感じたのか?奇跡が起きることへの予感を)

 脇に目をやるとミュイエ・ルジェンテも情動失禁したアルセニアの異変を感じてその背を見送っている。

 そのとき《解脱者》ライゼルにも異変が起きた。

 ついさっきまで話していたミュイエの姿が神々しさを纏っている。

「女神ウェルリッヒ?貴方まで解放されていたのか?」

 見えないモノは見えない筈の《解脱者》であるラプラスにほんの一瞬だけ戻った本来の力。

(人として人の心を受け止め続ける苦難。そうかやはり、使徒龍虫ブリュンヒルデを従え扱えたのも道理だ。だが・・・)

 女神の解放により抜け殻になってしまったウェルリフォートの《天ノ御柱》の行く末。

 かつて自身が《砦の男》として護り続けたウェルリフォートでも悲劇か激闘が起きるという予兆。

 やはりセカイは人が望むと望まないに拘わらず終わりの刻へと近付いている。

 ライゼルは強ばった表情を俯けた。

(所詮は悪あがきだったのか?俺の解脱もまた)


 先に席を立ったビルビットは後列席に居ると聞いていた司令のハニバル・トラベイヨを一瞥する。

 立派な紳士の身なりで二人の娘たちを連れた親子連れを装っている。

「嘘だろっ」

 ハニバルではなく二人の娘たちをよく見てそれが誰なのか確認し、ビルビット・ミラー少佐は思わず一人ごちていた。

(どうして此処にあのお二方が?ウチのサイエス分団はなにをしているんだ?いや、司令にならサイエス分団に命じて二人をこっそり連れ出すことだって出来る)

 ミュイエ・ルジェンテ妃の護衛だけでなく、ハニバル・トラベイヨ司令は知的だが神経質なことで知られるシーナ・サイエス、知的に遅れていると思われているアンナ・サイエスの二人の皇女殿下をお忍びで観戦させていた。  

 ビルビット・ミラーの脳裏を過ったのは前回大会でトワント・エクセイル公爵もメリエル・メイデン・ゼダにエドナ杯を見せていた。

(この私にもわからない秘密がこの大会にはあるのだな。皮肉な話だ。光の剣聖エドナ本人も知らない何かがこの大会に隠されている)

 ビルビット・ミラー少佐はハニバルに声を掛けることなく、試合の合間に小用や売店での買い物に向かう人でごった返す通用路を抜け、向かいの貴賓席側にいるアルゴ・スレイマンたちと事前の打ち合わせをしようと足早に歩いていた。

「ミラー少佐、ご無沙汰しております」

 通用路の途中で、国家騎士団少佐の黒軍服姿のコナン・エリオネア少佐が屈託ない笑顔を浮かべ、まるでビルビットを待ち構えるようにしていた。

「エリオネア少佐・・・」

 今日は予選最終日であり、既に本戦トーナメント出場を決めている「フィン・フォーマルハウト」に出番はない。

 まるで大会に出場する教え子の引率で来ているかのようなコナン・エリオネアの穏やかな丸顔に、ビルビット・ミラー少佐がぶつけたい質問は山のようにあった。

「少しお時間を頂けないでしょうか?」

 願ってもないとビルビット・ミラーは軽く頷いた。

「ここでは人目につきます。貴賓席側には歓談用の個室がありますので、お話はそちらで致しましょう」

「心得ました」

 二人は連れだって歩き出す。

 ミラーの白軍服とコナンの黒軍服。

 体型的にも長身痩せ型で美形と称されるビルビット・ミラーと矮躯で肥満体かつ容姿の冴えないコナン・エリオネアは対称的だった。

 あたかも観戦に訪れていてたまたま顔を合わせた派遣武官同士でもあるかのように、二人は競技場外周を半周歩いて国家騎士たちの警護する貴賓席側に回り込んでいた。

 途中、警備担当の国家騎士に空いている歓談室を確認する。

 案内を受けて入室した二人は豪華な作りの歓談室に入り、それぞれソファーに腰を落ち着けて互いの表情を確認した。

「やはり気になりましたか?ヴァスイム・セベップ選手」

 ビルビットの見立てるコナン・エリオネア少佐の漂わせる雰囲気が以前とは少し変わっていた。

 気さくで穏やかな人柄を滲ませる柔らかな笑顔は以前から少しも変わらないが、態度から滲み出る雰囲気と研ぎ澄まされた感覚と慎重さ。

「それより貴方が子供たちに混じって選手として出ているだなんて信じられませんでしたよ。ライゼル伯も驚いている様子でした」

 ビルビット・ミラーは真顔でコナン・エリオネアを凝視する。

「そうでしょうな。以前の私であれば伯爵が一顧だにしなかったでしょうし、貴方も私を其処まで警戒したりはしなかったでしょう。もう一人こちらに招いて構いませんか?」

 ビルビットの顔が強ばる。

 返答を待つまでもなく、コナン・エリオネアは立ち上がって歓談席のドアを開いて一人の淑女を招じ入れた。

 彼女を一目見るなりビルビットは驚愕していた。

「セリーナ、どうしてここに居る?」

 表向きは上官たる女皇騎士団調査室長グエン・ラシールの養女であり隠密機動のセリーナ・ラシールは艶やかな薄桃色のサマードレスに身を包んでいた。

 これが東征の両軍を絶句させている“魔女”セリーナ・ラシールだとは誰も思うまい。

「ミラー少佐、しばらくぶりですわ」

「どういうことだ、セリーナ?何故キミがこちらに来ている?」

 当惑するビルビットをセリーナは冷ややかに見据えた。

「当然、任務ですわ。脱走兵を追うエルミタージュセルを追跡排除しておりましたの。彼等を狩るのが“魔女”たる私の任務なのですから当然ではなくて?」

 さも当たり前という態度のセリーナにビルビットは戦慄していた。

「ちょっと待て、セリーナっ!脱走兵だと言ったな?」

「如何にも。ヴァスイム・セベップは脱走兵本人ですわ」

「なにっ!」

 統制、洗脳されたエルミタージュセルは捕らえても口を割らない。

 そして、拷問を加えても自身の所属セルの情報以外は吐かない。

 『人間兵器』として完成していて、自分たちが細胞を意味するセルとしての戦闘単位という以上でも以下でもないと示す。

 女皇騎士団は「ルーマー討滅令」を適用して降伏・捕縛した彼等を捕虜とはせず、懐柔か処刑を重ねてきていた。

 ただし、懐柔可能なのはフリオ・ラースのようにエウロペア域内でスカウトされた傭兵騎士だけだ。

 傭兵騎士団エルミタージュに金で雇われた彼等はルーマー思想に汚染されていなければ、自分たちの存在のいびつさと既存国家への破壊行為にやましさを感じていて、悔いて改心することもある。

「しかし、ヴァスイム・セベップはどう見てもフェリオやベリアでスカウトされた傭兵騎士なんかじゃなく、奴等の本国セルの所属員だ。それが脱走した?」

 セリーナは黙って頷いた。

「事情もなにもまったくわかりません。こんなことは初めてのことですし、オラトリエス国境を越え、マルガに入った彼を追跡監視していましたが、私たちの良く知るセル構成員たちとは明らかに行動原理が違います。彼はどう考えても、自分の実力を確認する為にエドナ杯に堂々と乗り込んできたのです」

 ビルビットは放心し、セリーナはふぅと溜息を漏らし、コナンはそっと目を閉じた。

「そんなことがあるのか?セル構成員がブレインズの指揮下を勝手に離れることも信じがたいし、まして自分の実力を確認する?」

 既に実戦投入されているルーシア本国のエルミタージュセルは自分たちは完成品だと思っているし、連携力と対騎士戦闘に特化した訓練を受けている。

 上昇志向が強く、今以上の戦闘力を追い求めようとする者はほぼ居ないものだ。

「脱走時に乗ってきたリンツ・タイアロットをマルガにいる民間のメンテナンサーに依頼して偽装し、大会エントリーに必要な形に手直ししています。私は既に依頼を受けたメンテナンサーと接触して機体改修仕様確認もしましたが、翼に仕込まれた自爆用の爆薬も取り払っています。だからこそ目的が全く分からず、本当にエドナ杯に腕試しに来たのだとしか今のところは思えません」

 客観的事実と調査結果だけを並べるセリーナの報告にビルビットは更に当惑した。

 コナン・エリオネアはセリーナと頷き合うようにして先を続けた。

「ですから、セリーナ・ラシール卿と話し合った上で、裁可を貴方に求めようとなったのです。ルールに厳格であり、ご自身の身をもって示された貴方に。現段階では彼はテロリストかも知れない。標的ならばエレナ・スレイマン、オラトリエス王太子リシャール・ルジェンテと考えられる可能性はある。しかし、私は同じ出場者としてそうではないと感じています」

 そして、コナン・エリオネアは懇願するようにビルビット・ミラーを見た。

「ビルビット・ミラー少佐、いいえ、光の剣聖ベルベット・ラルシュ。剣聖エドナとして貴方はヴァスイム・セベップをどう判断しますか?その上で彼を“試す”ことが貴方にならば出来る。あなたの絶技である《真・鏡像残影》。お願いです。騎士として騎士の可能性を追い求めた私に賭けてみてはくれませんか?」

 コナンから「光の剣聖ベルベット・ラルシュ」と呼ばれたミラーは一瞬だけセリーナ・ラシールに目をやった。

 話したのか?という確認の意味でセリーナの黒い瞳を見つめたが、セリーナはゆっくりと首を横に振った。

「覚醒騎士コナン・エリオネア。いえ、フィン・フォーマルハウト卿は貴方の真意に適う力を宿しているとだけはわかります。しかし、扉を閉じているので、兄ディーンと同等の力持つこの私にもフィン・フォーマルハウトが何を隠し持つかは分かりませんわ。それでも私は賭けてみたい。そう思わせるだけの何かを感じているからです。私には“魔女”として蘭丸を用いてヴァスイムを始末することは容易に出来ます。しかし、フィン・フォーマルハウトには“彼を生かす”ことが出来る」

 セリーナの慎重な言葉に、コナン・エリオネアは深く大きく頷いた。

 そして身を乗り出すようにしてビルビット・ミラーに熱っぽく語りかける。

「お願いしたいのはただ一つ。《真・鏡像残影》により決勝トーナメント抽選会においてヴァスイムの対戦相手を私にすること。貴方と白の剣聖にして剣皇ディーンはこれまでその手で騎士たちを吟味して来られた。成長の可能性を促し、心得違いは殺す。だが、それは実のところ私とて変わらない。私も教育者の側にあり、成長を促しながらも、心得違いたちは貴方たちに裁かれる前に可能ならば修正し、聞けないのなら、その道を断念させてきました。潔癖な貴方に違反行為をしろと言うのは忍びない。しかし、このエドナ杯は貴方の名を冠して騎士たちが自分を高め、相手を知るための機会であり、貴方には殺す、殺さない以前に“試す”ことが許されている。貴方が始めたものではないとも分かっていますが、その名を冠し、かつてサイモン・ランスロットを光の道に導いた貴方には試すことが許されているのだと私は思っています」  

 10年前の大会において、ビルビット・ミラーはシモン・ラファールに目先の戦いに勝つことよりもルールに殉じて「負けても構わない」のだと教えた。

 それが真の騎士道であり、モノノフとしての矜持なのだと教えた。

 そして終生の友として共に歩もうと誓い合った。

 エドナの兄ミトラは覚醒騎士たちが剣聖として戦うことに意味を見出している。

 《紅の剣聖》はミトラ・ファルケンとして同胞たちを助けるために、敢えて裏切り者の汚名を背負った。

 剣皇アルフレッド・フェリオンと剣聖エリンベルク・ロックフォートに龍皇子エドナが託されていたのは可能性の芽を摘まないことであり、いのちを燃やしぶつけ合った者同士に芽生える確かな絆があるということだった。

「・・・わかった。親友の真名まで出されたならば私は私自身のこころに問う。そして、コナン・エリオネア卿。この大会出場をもってその名を棄て去るご覚悟なのですね?」

 ネームドの騎士として、自身の持つその名には深い意味がある。

 両親から託された願いと、このセカイに期待された役割とがある。

 ディーンがベルカ・トラインと、自分がビルビット・ミラーとそれぞれに名乗った事情とは全く異なる。

 コナンはフィン・フォーマルハウトとしてこれから先、生きてその刻が来たなら躊躇いもなく命差し出そうというのだ。

 その覚悟を国家騎士団副総帥のトゥドゥール・カロリファルも認めた。

 国家騎士の一人としてやはり国家騎士たる弟子の命と未来を守ろうというのをトゥールは止められなかったのだ。

「“茨姫”を呪いから救い、正しき道を征くその背を護るためなら、仮にも《軍神》の甥であるとか義息であるという躊躇はその名と共に捨てなければなりませんでした。そして、兄として妹を討つ。それは安っぽい嫉妬なんかじゃない。叔父ロムドスも、叔父を迷い狂わせた義母トワも、妹ラシーヌのことも家族として愛している。しかし、ラシーヌを討たねば大勢の正しき騎士たちが心残りな最期を遂げることになってしまう。だが、そんなことはさせられない。元女皇正騎士トワ・ランセル。貴方の先輩格にあたる彼女が、やはり貴方の先輩であった女皇正騎士ルカ・クレンティエンを警護対象者のタリア皇女と共にアイラスの地で騙し討ちにした」

「!」

「《軍神》たるロムドスの副官として私は間違いを犯した。傭兵騎士団エルミタージュをゼダ領内に入れるのを黙認し、要塞守備機動部隊の黒騎士隊との交戦をお膳立てした。親友ベックスさえ裏切る覚悟のロムドスを止めることが出来たのは、彼によく似た私だったのに、そのときの私には出来なかった。あのとき私の中には女皇アリョーネ陛下の覚え目出度きラファール家への敵意があったし、騎士としてシモンとルイスへの嫉妬があった。アイラスの悲劇の意味。傭兵騎士団エルミタージュへの陛下の反撃の意志。事態の推移の中でそれが私の中の罪悪感としてわだかまった。そして、その罪の重さに耐えきれない私を叔父ロムドスは見限った。やがて私の罪の形である“茨姫”が彷徨える黒薔薇として私の前に立ったとき、私の中に芽生えたものはこの命に替えても彼女を護らねばならないという使命感でした。人の中に受け継がれてきた女神マーガレット・アテナイの愛する人々を護りたいという意志と、その本来の器たる母ルカの無念。そして、リリアンの純粋さが彼女の中でせめぎ合い、正に地獄絵図を見せている。だからこそ、ベーセ・ルガーと共にリリアン・クレンティエンを人としてこのセカイに留めておかなければ更なる悲劇に繋がる。もう間違いは許されない。だから私は自分の中にもあった真実への扉をこじ開けた」

 セリーナとビルビットは顔面蒼白となっていた。

 女皇アリョーネと皇弟トリエルが必死になって追い求めた悲劇の真実は、意外やコナン・エリオネアという性根の善良な人物の中にわだかまっていた。

 すなわち、エイブ・ラファールを出し抜こうとロムドス・エリオネアは傭兵騎士団エルミタージュに機密情報を売り、侵攻を手引きした。

 国家騎士団のパルムでの定例幹部会議出席でアイラスの守護神たるエイブが不在となり、ロムドスも同席していた。

 誰も現場に不在証明が確たるロムドスに疑いの目を向けることはない。

 そのロムドスにかわり傭兵騎士団エルミタージュをアイラス要塞近郊に招き入れたのはロムドスの副官で甥のコナンだった。

「私は聞かなかったことに致しますわ。仮にも皇弟トリエルの娘たる私がエリオネア少佐の告解を受け入れてしまったのなら、何故誅殺しないのだ?となります。しかし、私はコナン・エリオネア卿がそれだけの存在なのだとはどうしても思えません。ある意味、人は罪を犯し、その罪の重さが人を決定的に変える引き金に変わる。無念と後悔とが己の存在意義さえ変えてしまう。美しく残酷なるこのセカイの真実とは、人が人を思う愛と、自身の抱く後悔の念から決定的に変えていくのです」

 ビルビット・ミラーはその目を大きく見開いていた。

 既に起きてしまった事実は変えられない。

 犯してしまった罪への後悔は魂という人の設計図が繰り返し人を世に出す限り、そのこころから完全に消え去ることはない。

 そして、コナンと同様に罪の意識に耐えられずにエドナ・ラルシュはその死に際し、自身の記憶を棄て去り、アウグスト・ブラン氏族として産まれ出る娘達に委ねたのだ。

 つまり、ベルベット・ラルシュには剣聖エドナとしての苦悩について、本当のことはほんの一部しか知らない。

 だが、ベルベット・ラルシュの持つ絶技である《真・鏡像残影》。

 認知の完全なる書き換えが可能な天技を超える天技の中に、龍皇子エドナの後悔と苦悩とがまざまざと焼き付いていた。

 だからこそ、ベルベット・ラルシュはその名を得てから一度たりとも《真・鏡像残影》を己の為に用いることはなかったのだ。

 認知を書き換え、同士討ちを誘う対象は《白痴の悪魔》に対してだけ。

 そしてこのセカイを護り、このセカイが必要とする存在の認知だけを必要に応じて書き換える。

 今の周期においても既にディーン、ルイス、トリエル、トゥールに対して使っていたが、それは彼等を生かす為であり、穏便な形で人として生まれたその使命を全うさせる為に、恒久的に書き換えるのでなく、彼等がそれと分かっても納得出来る機会まで、誤解させておくという形にしていた。

 彼等と共に周期周回の中、まっとうな方法で《白痴の悪魔》を打倒する方法を冥王や聖女、大陸皇帝たちと散々模索してきたのだ。

 それでも、《白痴の悪魔》は猛威を奮い、セカイを終焉させてきた。

 そのことへの無力感。

 ナノ粒子の灰と化しても、《白痴の悪魔》は使徒再生核によりその灰の一片からでも蘇る。

 エドナには大切な友である初代剣皇アルフレッド・フェリオンと愛する弟を地獄から解放してやることが出来なかった。

 悪意の根源は《白痴の悪魔》の中に確かにある。

 人を超える覚醒騎士たちが束になっても、使徒真戦兵フォートレスの再生核に取り込まれた二人を救済する方法はみつかっていない。

 もしかすると、使徒という存在について自分たちはまだ誤解している。

 黒豹の使徒真戦獣である《ベーセ・ルガー》が女神マーガレット・アテナイの力をもってしても起動しなかった事と、覚醒騎士たちの認知として“狂戦鬼”として怖れられていること。

 その名を口にした覚醒騎士フィン・フォーマルハウト。

 あるいはとベルベット・ラルシュは思い至った。

「それが許されざる罪であるか、人を思う人の愛であるかなど今の私に分かる筈もない。だが、セリーナ。私も賭けてみたくなってきたよ。奇跡を起こし、在り方を変えようというフィン・フォーマルハウトのその心意気に」

 コナン・エリオネアは涙を浮かべていた。

 そして、絞り出すように言葉を紡ぐ。

「無辜の人々の信頼に応えることが、人を超えてしまった私たちに出来ることであり、人の可能性を否定しないこと。もし、定められたルールの中でヴァスイムを変えられるのであれば、ひょっとしたら《白痴の悪魔》となってしまった我らの剣皇アルフレッドと、貴方がたの《龍皇》をも変えられるかも知れない。そして、今の叔父ロムドスは救われたいと願っている。そのことは私には手に取るように分かる。ベルベット・ラルシュ。貴方はイレギュラーの結果として『剣皇ディーン』になってしまったディーン・フェイルズ・スタームにかわる『最終剣皇』と呼ばれるのかも知れない」

「!」

 絶句したセリーナとビルビットはコナン・エリオネアを思わず凝視していた。

 最終剣皇がベルベット・ラルシュになるということは二つの事実を意味している。

 ベルベット・ラルシュが絶対防衛戦線に参戦するという事。

 そして、剣皇ディーン・フェイルズ・スタームがいずれ死ぬという事。

 《剣皇機関》としてトリエル・メイルとトゥール・ビヨンドが代役である以上、三人とも死ぬという事態の発生。

 しかし、そんな事などお構いなしだとばかりにコナン・エリオネアは畳み掛けた。

「人を傷つけたくない、人を愛している。その想いが産みだした奇跡の力。貴方と《砦の男》の紡ぐ天技指南書に決して載ることのない私だけのシールドオブイージス。たった一人の少女のまごころを護るために産まれた絶技。それがヴァスイム・セベップを変えられるかも知れません」

(シールドオブイージスだと?いけない。人として戻って来られなくなる)

 ベルベット・ラルシュの中に本来、ある筈のない記憶が蘇る。

 龍皇子エドナにはかつてその禁断の絶技を目にしたことがあった。

 その絶技と引き換えに用いた名も知らぬ騎士は消滅した。

 やはり、「賭け」としては危険過ぎる。

 思い直したビルビット・ミラーはコナンを思いとどまらせようと考え、説得するための言葉を絞り出そうとしていた。

 そのとき歓談室の扉が開いた。

 半ば呆然とし、涙に目を腫らしたアルセニア・オーガスタが立っていた。

「今までの話は精神感応していました。お願いよベルベ。私が抱え持つ貴方自身の後悔のこころが叫んでいるの。『人は分かり合うことが出来る』『人は奇跡を起こせる』って。貴方が《銀髪の悪鬼》と蔑まれ、心得違いの騎士たちを裁いてきたのは、其処に可能性を求めているからなのでしょ?鉱山を掘り進めて一欠片の宝石を探し出すために、貴方は命を賭し、がむしゃらだった。それと同じこころをエリオネア少佐に感じた」

「アニー・・・」

 ビルビット・ミラーはかつては龍皇子でありながら、今は騎士として騎士を吟味し、裁く側に立っていた。

 何故、エドナが天技指南書を綴るか?

 セカイの担い手たちである覚醒騎士たちを無闇に消耗させない為であり、ヒトとしてセカイに留めるためにヒトの域を超越した技は禁忌として使わせない為だ。

 覚醒騎士たちをヒトとして保たせるモノノフとしての矜持で境界線としての天技であり、絶技に至らしめないための予防線。

 《黒髪の冥王》と剣聖エドナは同じ結論に到達した。

 “絶技”は絶望が産み出す人を超越し、何度も後悔してきた魂から絞り出される希望であり、それを使いこなせる者は本当の絶望と苦悩を何度も乗り越え、死線を潜り抜けてきた者たちにしか正しく使えない。

 本当の絶望とは魂の死と可能性の断絶。

「筋を曲げても貴方の信念には反しない。そして、コナン・エリオネアはあんなことになったりなどしないわ。その事に私は私自身を賭けて支持するわ」

 アルセニア・アウグスト・ブランもまたかつてネームレスコマンダーの一人としてシールドオブイージスを見ていた。

 その上で、大丈夫だと言い切り、ベルベット・ラルシュに決断を促している。

 コナン、セリーナ、アルセニアの視線を受けながら、ビルビット・ミラーはしばし沈黙して熟考した。

 そしてビルビット・ミラーは目を伏せたまま結論を述べた。

「わかったよ、アニー。君たちの見立てが外れることはほとんどない。そして、エリオネア少佐の言葉に嘘がないのであれば、リリアンを護る乙女の盾として用いるまでは執着と意地とがヒトとしての彼を消滅させたりなどしない」

「ビリー」

「ミラー少佐」

 注がれる視線を受けながらベルベット・ラルシュは続けた。

「だが、問題はヴァスイムがシールドオブイージスの持つ意味を理解するかだ。そのためにも一度は別の形で彼を“試す”。32人の決勝トーナメント進出者の中から彼を試す者を用意し、半分の16人となった時点でエリオネア少佐を彼にぶつける。《真・鏡像残影》はその準備の為に使うことにしよう」

 進み出たセリーナ・ラシールが冷徹に抑揚のない声で囁く。

「わかりましたわ、ミラー少佐。もし彼が対戦相手を力任せにねじ伏せ、命を奪うようならば、そのときは私がオリビア・スレイマン夫人の裁可を得た上で《執行》します」

 《執行者》となるのはナダルだけではなく、セリーナもまた《執行者》だった。

「そうしよう。願わくば我らの覚悟と決断が彼に理解され、この大会を血で穢すことなきを望むよ。オリビア・スレイマン夫人はともかく、皇女殿下たちがご覧になられているというのに、衆人環視の手合いで死者を出す事態は可能な限り避けたい」

                              (続く)                                                

 

 

  

 

 


  


  

 


 

 

 

    

  

 

 

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