第9話 邂逅
ディーン、ミシェル、ライゼルを乗せたイアン提督のバルハラは次の目的地であるアルマス空港に向かった。
空港にはモルッカの随伴任務で同道したマッキャオが停泊中だった。
外骨格や素体はバルハラがバスランに運び入れ、輸送艦モルッカは「それ以外の部位」をアルマスに運び入れている。
アルマスの食肉加工場に運び入れ、龍虫の肉とは悟らせずに加工処理して食用として流通させている。
(あんときゃなんの気なしに通り過ぎちまったほど、アルマスは戦のニオイがせんなぁ)
トレドとバスランには血の臭いが漂っていた。
騎士たちの流す血と龍虫の流す血。
だが、アルマスは戦場特有の硝煙や血の入り交じった不快な臭いとは無縁だった。
「幸運でしたね。マッキャオが停泊中ならフェルナン・フィーゴ大佐もホテルシンクレアで休養中でしょう」
「ナミブのハゲワシがナカリア銅騎士団の代表ねぇ」
既に時刻は夜だった。
「いずれにせよ今夜は私たちもホテルシンクレアで休みましょう」
《鉄舟》の申し出にディーンは快諾した。
「それが良いでしょうね。正直、ボクも疲れてる」
「イアン提督も今夜はホテルシンクレアでお休みください。出航予定は明日の正午にでも」
総参謀ミシェルの配慮にイアンはほっと息をついた。
「ありがてぇ、ここんとこずっとあちこち飛び回っててクルーも休ませてやれてねぇ。船体と計器のチェックはバスランで済ませてきた。よっし、お前らも街に繰り出してきていいぞぉ」
バルハラのクルーたちは一斉に歓喜していた。
ただ一人溜息をついたのがライゼルだった。
「はぁ、俺と同類で皮肉屋のフィーゴはともかく、面倒臭いのとカオあわせなきゃならんか」
「あっ、パトリシアさんですか?」
パトリシア・ベルゴールとライゼルも13人委員会の同志だ。
「昔からニガテでね。なにしろコッチは貧乏元伯爵でアッチは金満元侯爵だ。それに金に不自由しないクセにセコいからなぁアイツは。エイブの鬼嫁もドケチぶりじゃタメ張るけどな」
ディーンは苦笑した。
バルハラでの移動中にディーンは散々だったルイスとの入籍騒動についてライゼルに話したら、ライゼルが一番驚いたのがエイブがなんにも知らなかったことよりも、オドリが「結婚祝い」をディーンにくれてやったことだった。
一番笑えないのがパトリシア、オドリ、ライゼルの三人の中で一番のドケチがライゼルだということになっていることだ。
ライゼルは別にドケチではなく、「無い袖は振れなかった」だけの話なのにだ。
まぁ、「締まり屋」なのは事実で「倹約」が得意なのも事実だ。
その点に関してはアローラも認めていた。
アローラがライゼルの招聘に関して逡巡の上で反対していたのはディーンもライゼルも知らない別の理由だった。
《13人委員会》関係者で絶対防衛戦線内にいるのはアローラ、オーギュスト、パトリシアとライゼルの4人だ。
パルムに居るのがトワント、ラクロア、ビリー、パトリック、フェルディナンド、ワルトマ、エイブ、レオポルトといった顔触れだった。
「いずれは他の13人委員会のメンバーもこちらに?」
《鉄舟》の確認にライゼルは首を横に振る。
「いや、ヤツらのうちすぐにもパルムから引き離せられるのがラクロアとドライデン枢機卿だけだろうな。場合によってはドライデン枢機卿にはミロアに行って貰わなきゃならんことになる」
ミロアの内情と法皇ナファドの指揮系統の確認。
生前退位した前法皇のサマリアも高司祭としてミロアにいるし、それ以上に確認しなければならないのが《ブリュンヒルデ》とオラトリエスのミュイエ王妃が「何故ミロアの守護が出来ないか?」の詳細確認だ。
ライゼルはほんの少し前にミュイエとはマルガで会っていた。
聴覚障害のあるミュイエとの筆談で、「ミロアには行けないのでほど近いヴェローム公都のベルヌでエルビス公王に匿って貰っている」と聞いた。
それ以上に深刻かつ切実な話をもだ。
逆にミュイエはミロアに留学中で夏期休暇中の息子リシャールをベルヌに呼び出し、公王から拝借したバーロッタでマルガで開催されたエドナ杯に参加させていた。
バーロッタはヴェローム公国所有の旧式真戦兵で、もともとエルビスやクシャナド、イセリアとシャナムらが訓練で使っていたものだ。
実際の保有数は僅か5機だが、後の史家ディーン・エクセイルはその数を200機と偽ることになる。
オラトリエス王国ミュイエ・ルジェンテ王妃は特記6号の適用外だから情報統制外のミロアとは人を介して電話連絡はつけられた。
それでトリスタで訓練していた息子たちをエドナ杯の開催されるマルガへ呼び寄せたのだ。
エルミタージュ所属の《ナイトイーター》による暗躍はその正体でもあったフリオニール・ラーセンの絶対防衛戦線参戦で激減していたが、『剣皇カール』の実子たるリシャールは良くて人質にされるか、悪ければ暗殺される危険があったので、敢えて剣皇騎士団で鍛えられたその実力を内外に示す必要があり、エドナ杯でそれなりの腕前を披露すれば安易に狙おうとはしなくなる。
リシャールは母ミュイエの期待に応えてみせ、優勝した。
だが、大聖堂内には不穏な空気が渦巻いているとリシャール・ルジェンテも感じていたと話していた。
情報統制外であるにもかかわらずミロア大聖堂は不気味なほどに沈黙していた。
東西で戦争中の夏に開催されたエドナ杯の結果報告も兼ね、現状のミロアについて分かっている話をライゼルはホテルへの車両移動中にミシェルとディーンに話した。
「事実なら非常にマズいですね。それにベルレーヌ大佐やフィーゴ大佐に知られるのもマズい。ドライデン枢機卿の護衛にメリエル陛下とラムジー卿、トリエル副司令をつけることになりますかな?しかし、ラクロア・サンサース鉄道公社総裁も無理なのでは?」
ミシェルの指摘にライゼルはかぶりを振った。
常識的に考えて鉄道公社の総裁では公社本社のあるパルムから動けない。
「いや、アイツをアルマスに呼ぶのはかえって面倒なことになるが、ターミナルのあるレーヌに大きな支局がある。大陸横断鉄道は絶対防衛戦線維持の要だからな。万一、パルムが危険になったならレーヌ支局でゼダ領内すべての列車の運行管理が出来る仕組みになっているんだよ。その点は抜かりない」
ライゼルとラクロアは実の兄弟故に似た容姿を利用して時々入れ替わっていた。
つまり、ライゼルには鉄道公社総裁だった時期もあった。
結局、残りの13人委員会メンバーで6月革命のあった時期までパルムに留まったのはフェルディナンドとパトリックだけになる。
トワントは既に他界していたし、ビリー・ローナン最高裁判事は「私的制裁が横行するパルムに自分の居場所はない」と最高裁に辞表を叩き付けてパルムを離れて妻子と共にレーヌに向かい、「やはり留まるのは危険だ」という理由でレーヌで公社総裁として引き続き活動していたラクロアと合流した。
ゼダ最高裁はローナン判事の辞表を受理せず、かわりにレーヌの高等裁判所最高判事補として慰留した。
6月革命後も変わらず以前の職業を続けられたのは、そうして難を逃れていたビリー・ローナン判事、ラクロア・サンサース鉄道公社総裁、ベルシティ銀行総帥パトリック・リーナとフェルディナンド・シェリフィス“国民議会”議長だけとなる。
フェルディナンドは革命の混乱で反政府勢力の黒幕として議員資格剥奪と反乱煽動罪で逮捕されたが、その息子で政治秘書の“スレイ”と共にギロチン刑死執行からすんでのところを逃れた。
アリアス・レンセンを初代首相に推し、新政府発足後も政界に留まり、アリアスの退陣後も新政府要職を引き続き担った。
新政府内でフェルディナンドはアラウネの悲願だった国民普通選挙実施の準備に当たっていた。
最終的に実施に漕ぎ着けた国民普通選挙で難なく当選して初代国民議会議長となる。
それを最後に政界を引退したのだ。
フェルディナンドはアラウネとトワントに約束し、ライゼルに理想として語り続けていた「ゼダを国民のものにする」という共和制への大転換を成し遂げた。
(アイツはやはり有言実行の鋼の男だった)とライザーは遠くベリアにて感心し、当選時には祝電を送った。
だが今は革命前であり女皇戦争中だ。
ホテルシンクレアに到着し、ロビーに姿を見せた三人をパトリシア・ベルゴールは赤子を抱きかかえてわざわざ出迎えた。
こっぴどい嫌味を言われると身構えていたライゼルはパトリシアから意外な言葉を聞いた。
「フューリー提督からの無線連絡で大体の事情は聞いているわ。陛下がお待ちよ」
子持ちになりライゼルとそう年の変わらぬパトリシアは尚も妖艶と言える美しさを保っていた。
「陛下?いや、アリョーネお嬢はいまだパルムで」
「ごめん、ライザー。先皇陛下よ。それだけ聞けば皇室政治顧問だったのだから判らないとは言わせないわよ」
(メロウィン陛下か)とライゼルは緊張に顔を強ばらせていた。
「それにメリエルも居るわ。衰弱が激しかったのでマリアンが運び込んだの。メリエルはもう休んでいるから改めて話すことがあるなら明日にしてね」
「判った」
「それと幹部会入りに関しては私も大賛成よ。ローレンツ亡き
「お前は今でも・・・」
父親不明の赤子を抱きかかえながらパトリシアはローレンツの名前を呼ぶ際に感傷的な素顔を見せた。
ローレンツの死が5年前だから赤子の父親はローレンツではない。
「そしてナファドに反対はさせない。それは《鉄舟》。アンタの仕事よ」
やはり法皇ナファド・エルレインの真意を疑っていたのはパトリシアも同様だった。
幹部認定しておきながら第一回会合にルイスはともかくパトリシアと亜羅叛を同席させなかったナファドの判断をパトリシアは疑っていた。
相変わらず嗅覚は並々ならない。
幹部会議に最前線でいつでも死ぬ可能性のある連中だけしか出席させなかったのだ。
その中にメリエルも加えていたことがパトリシアの最大の疑念だ。
メリエルが戦争中に死ねばなにもかも終わる。
キングが詰んだならエキュイムも投了なのだ。
午後10時を回っているというのに先皇メロウィン・メイダスだった老女は起きて待ち構えていた。
そしてラウンジルームで一人紅茶をすすっていたが、ライゼルが姿を見せるなり駆け寄って抱きすくめた。
「相変わらず“不眠症”が治っておられないのですね」
メロウィンの不眠症は在位当時から続いていた。
それがアークスの巫女能力たる《未来視》と直結しているのだと知っているのは今やアラウネとライザー、そして“暗黒時代”と呼ばれた時期の三人の元女官騎士たちだけだった。
今ではそれぞれマグワイア・デュラン少佐、オリビア・スレイマン夫人、デュイエ・ラシール夫人と呼ばれている三人の元スカートナイトたちだ。
《未来視》は予知夢としてメロウィンに齎される。
他の女官たちは先代女皇メロウィンが「狂死した」と信じているが、皮肉にして在世当時の三人の問題児女官騎士たちはメロウィンが今も生きていると知っていた。
「そうやって心配してくれるのも、アラウネと貴方だけだわねライザー。よくぞ今日まで死に体のゼダを延命させてくれました」
「別の意味でも死に体のようですよ、陛下。ナノ粒子で汚染されて死の都になるのも時間の問題だけのようです」
「なんですってっ!」
顔色を失ったメロウィンの痩せ細った横顔にこんな残酷な報告をせねばならない因果にライゼルは嘆息した。
「愚息の対義語はなんていうんでしょうね?陛下の未来視の結果が『剣皇ディーン』になりました。それも当たって欲しくありませんでしたがね」
背後に控えるディーンは祖母を前にしてただ視線を落としていた。
龍虫との戦いを先陣で指揮するディーンと《鉄舟》の姿はメロウィンが予知夢で見た通りの結果となった。
あくまでフィンツの代理としてディーンが立っていたのだと、一番思いたかったのは二人の祖母たるメロウィンだった。
結果だけが見える残酷さについてはライザーが一番良く理解していた。
その過程も残酷な未来を回避する方法もメロウィンは知らない。
むしろ“出来ない”と諦めていた。
摂政皇女として母を献身的に支えたアラウネが戴冠しないことも、人の悪意に翻弄され続けるアリョーネが次代の女皇になる未来をも予知していた。
だから、《読心術》のあるアリョーネの前に立つことを控え、狂人を装って表舞台から退場した。
「そうね。トリエルが案外鈍いから私はここでこうして貴方たちの戦いの行く末を見守っていられるのだもの。エウロペア女皇メリエルの後見役としても働ける。ありがたいことだわ」
小柄で温和なメロウィンの理知的な瞳に、ライゼルはそっと目を伏せる。
「そして、なにより怖れておられたのが《剣鬼》の正体についてでしたものね。そればかりはアリョーネお嬢にもトリエルにも教えられない。あの二人が《剣鬼》こそが自分たちの本当の父親などと知っていたなら、それこそが一番残酷な真実だったことでしょう。まだトリエルが偽ヴェルナールの子でセリーナの父だと信じている方がマシです」
覚醒騎士であり、騎士由来能力も有していた未来視の巫女メロウィンは天技たる《鏡像残影》を用いて偽ヴェルナールをも欺いた。
偽ヴェルナールの方ではロレインの姿を偽り、メロウィンを陵辱して産ませた子がトリエルなのだと信じていた。
認知の完全なる改竄が可能なのはエドナ・ラルシュの能力持つ男だけだが、《鏡像残影》は本人が望んだ認知を誤らせる技でもあり、メロウィンがはじめからそれを備えていたとは偽ヴェルナールも予期していなかった。
だからこそ騙せた。
メロウィンは偽ヴェルナールに仕掛けた鏡のセカイのシミュレーションで、ただ実の夫から受けた陵辱の光景を偽ヴェルナールに見せるだけで事は済んだ。
偽ヴェルナールはそれで満足して立ち去った。
そのときには既にメロウィンは一人息子のトリエルを懐妊していたのだ。
しかし、騙し抜けても不安は消えなかった。
だからこそ、皇太子皇女だったアラウネにメロウィン女皇陛下のお気に入りだった神童ライザーを娶せたのだ。
そうしてディーンとセリーナはこの世に生を受けた。
「いちどゲーム盤から下りてしまったなら、後は見ているだけしか出来なくなる。陛下の場合は《剣鬼》ただ一人の存在をお嬢たちから隠し通そうとした。憎悪がお嬢の判断を誤らせてしまわないように、憎悪が別のなにかを産み出したりしないように、けれどもヴェルナール・シェリフィスを殺して姿を奪った連中を野放しにした結果が、お嬢と俺の倅の愛するフィンツを憎悪の権化に変えてしまった。あるいはタリアお嬢まであんなことになり、結局、お嬢やトリエル、犀辰に紫苑までもが憎悪に取り憑かれた。タリアお嬢と共に踏みにじられたルカの無念が愛娘リリアンをも憎悪で歪ませてしまった。“彷徨える黒薔薇”となったリリアンの成長を阻害しているのがやはり憎悪です。わかっていないようでいて、あの子も母が何故に惨たらしく自分と父親から奪われたか知っています。ルカの愛した父親もまた胸に憎悪を宿したままエーベル・クラインとしてひっそりと隠れ、今もパルムを取り巻く悪意と戦い続けていますよ」
ノース・ナガレ少佐の本当の名はエーベル・クライン・クレンティエンであり、「キタ」あるいは「C.C.」というコードネームだ。
同期入隊したトリエル、イアンと並ぶ女皇騎士団の参謀格。
もとは流れ者だという自分の卑しい出自を打ち明けながら、名門騎士家出身のルカ・クレンティエンを妻として愛してしまった。
いや、先にエーベルを愛したのはシルバニア教導団の同輩だったルカの方だった。
トリエル、イアン、エーベル、マリアン、ルカは5人ともシルバニア教導団の同期生だった。
ルカの女皇騎士団入隊が一年遅れたのは娘の出産のためだった。
ルカが《Rの血族》の末端にある剣聖級の優れた騎士だったから、同じく《Rの血族》のマリアンはルカと共に鎬を削り合って飛躍的に成長したし、エーベルはトリエルやイアンのような天才たちをライバルで友としたのでやはり飛躍的に成長した。
やがて副司令となるトリエルはその頃から自分たち5人こそが女皇騎士団の中核になるのだと意識していた。
現実としてトリエルが副司令に、その副官たるイアンがパベルの後任たる「船番」後継候補に、ルカがエンプレスガードに、そしてマリアンとエーベルが女皇騎士団の影になった。
マリアンは隠密機動と女官騎士たちの指揮官。
エーベルは表向きサイエス分団に組み入れ、国軍内偵を担当する監査部軍警察に置かれた。
「エーベルは今もトリエルを憎んでいるのですか?」
不安げなメロウィンにライザーはゆっくりとかぶりを振った。
「人生観を変えるなにかがあったようです。同志エイブから“エーベルはどこか達観するようになった”と。《ブラムド・リンク強奪作戦》参加もその契機の一つでしょう」
トリエルはエーベルとルカが愛し合い入籍し、子をもうけたという話を知っても、当初の構想を曲げずにエーベルにはエーベルの、ルカにはルカの使命を用意して二人を引き離した。
そして、トリエルの頼もしき部下としてエンプレスガードだったルカは《アイラスの悲劇》で殉職した。
そのことでエーベルは誰よりも女皇騎士団を裏切りたかったが、そもそも卑劣な裏切り者が自分の愛妻を警護対象者の多里亜と共に殺していて、トリエルや女皇アリョーネが二人の死に激昂していた。
回るべき「敵」の側にエーベルの椅子はなく、かわりに《アイラスの悲劇》で要塞司令官を解任されたエイブ・ラファール大佐(降格当時、後に准将から少将)が上司となった。
奇しくもエーベルと同じ裏切りにやりきれない思いを抱えた人間が周囲にいることになり、《アイラスの悲劇》発生当時は酷く荒れたが、それでも与えられた任務だけはしっかりとこなしていた。
ブラムド強奪作戦では鬼神の如き戦いぶりでアリョーネを護った。
だが、だからこそ、エーベルは娘のリリアンには同じ轍を踏ませまいとして二人が出会ったシルバニア教導団や女皇騎士団に関わらせまいとしたのだ。
どうしてメロウィンが自分の引退後の女皇正騎士であるルカやエーベルを知っていたか?
答えはシンプルであり、幼子を抱えたルカ・クレンティエンははじめハルファに隠棲していた先皇メロウィンのエンプレスガードとなっていたからだ。
その頃、ルカはリリアンをあやしながら、夫エーベルや他の3人と過ごしたシルバニア教導団時代の思い出話をメロウィンに語っていた。
トリエルとマリアンがまったく懲りもせず逢瀬を重ねていたこと。
マリアンが女性宿舎を抜け出すのにルカが協力していたこと。
イアンの教科書落書き事件とベックスが臨時講師に招かれたこと。
実務に長け、人望に篤く、訓練生たちに慕われていたメロウィンやアラウネの信任が篤かった元女皇正騎士たるトワ・ランセル教官のこと。
エーベルは「なんて連中だ」とイアンやトリエルに呆れながらも、「あんな連中には絶対に負けたくない」という一心で必死に食らいついていたこと。
そうした劣等感をバネにする努力家だったエーベルにルカが男性を意識し、恋心が芽生えたことなど。
過去の「クロウデール邸醜聞事件」により、脛疵持ちのトリエル・シェンバッハとマリアン・ラムジーにはもともと開かれた将来などなかった。
イアン・フューリーにも国家騎士団士官学校だったら居場所などはじめからなかった。
エーベル・クラインも出自云々を言われだしたら、そこにあるのはコンプレックスだけだった。
名門騎士家出身のルカ・クレンティエンだけが何処に席を置いていようが将来を嘱望されていた。
だから、身勝手で保身家の大人たちに当てつけるように愛するエーベルに抱かれて女になった。
5人がそれぞれにアエリアを去った後、学院長のアルベオ・スタームはその後の5人の成長ぶりに、5人がそうして出会わなければ全く異なる盤面になっていたと述懐した。
アルベオ、アランハス、サンドラ、《百識》ベックス・ロモンドの去った女皇騎士団の司令にはグエンが、副司令席にはハニバルが居たが、ハニバル自身が「副司令としてはなにも出来なかった」と思い、いずれトリエルが実力でその座を掴み取るまでのベンチウォーマーだったと振り返っていた。
だからこそ、事情知る関係者の誰もが《百識》ベックス・ロモンドの後任はトリエル・メイル殿下だったのだと認識した。
トリエルの長姉アラウネは改革者だったが、その実弟もまた偉大な改革者だった。
とある事件発生でグエンが女皇騎士団調査室新設のため司令職をハニバルに譲ると、空いた副司令の席を若いトリエルが実力で掴み取った。
イアンは騎士団入隊後はしばらくエルシニエ大学の聴講生としてベックスの愛弟子となっていたし、エーベルはサイエス家に身代わりを置いて軍警察に席を得ていた。
マリアンは女官として励み、その厳格さと忠誠心を武器にしてあっという間に女官頭となっていった。
そしてルカは騎士としての実力ならトリエル以上の逸材であり、先輩格のマグワイア・デュランと並ぶ双璧となった。
マグワイアはルカが居てくれるお陰で持ち前の頭脳を高め医学に続き薬学を学ぶためエルシニエ大学医学部薬学科に合格進学し、その後は博士号を得るため邁進していった。
もともとデュラン家の騎士たちは頭脳明晰であり、剣豪バートラム・デュランは《百識》と称されるベックスさえ同輩として居なければ副司令になっていたし、エリーヌにもアラウネの影武者としてエルシニエ大学で学んだ実績があった。
そうした中、副司令となったトリエルは紛い物の女皇正騎士たちの排除のためエーベルを利用して彼等の弱みや不正事実を握り、次々と屠っていった。
格好の《ナイトイーター》としてフィンツ少年がいた。
偽ヴェルナールは焦った。
よもや最大の障害となったのが「自分の実の息子」だというのだ。
表向き失脚していたカイル・スタームことオーギュスト元司令子飼の部下たちが次々に排除されていった。
残されたのはカイルの実弟エルビスことハニバル・トラベイヨと、調査室を立ち上げていたグエン・ラシール元司令の二人。
そしてグエンが引っ張り込み頼みにしていたアルゴ・スレイマンだけとなった。
カイルはもともと女皇騎士団を「女皇を封じ込める檻」に変える腹づもりであり、アラウネ暗殺を契機に調査室立ち上げの準備としてまずは表向き失脚した自身の後任にグエンを司令に引き上げ、実父のアルベオ、ベックス、アランハスという三巨頭を騎士団の中枢から引責引退で排除した。
その実、なにを考えているか判らないパベル・ラザフォードと耀犀辰などは所詮は「船番」と「人形番」であるので居たとして不都合などない。
アエリアにてエベロン学院長となったアルベオ・スタームはわざわざ偽ヴェルナールが与しやすいと好み、議会認可しやすい連中を女皇正騎士候補として送り込み、トリエルとグエンに競うようにあしらわせていた。
彼等はグエン好みなら調査室所属のサイエス分団に、トリエル好みなら女皇宮殿でエンプレスガード候補となったが、実力が伴わずに栄達を望んでいたら、女皇アリョーネ、副司令のトリエル、准騎士フィンツの三人に体よく排除された。
結局、それでも残るのはビルビット・ミラーやらティリンス・オーガスタ、エリーシャ・ハランら本当に優秀な人材だった。
「騎士道に則り」厳正な裁可を求めたビルビットなどは偽ヴェルナールの息のかかった元老院議員たちが不可解な反対票を投じても、エドナ杯での戦いぶりを見ていた議員たちから熱烈に支持されて結局は裁可された。
裏で糸を引いていたのが元老院左派のワグナス・ハイドマン議員だと認識した偽ヴェルナールはワグナスを暗殺した。
その実、本当に事態を操っていたのはライゼル・ヴァンフォート伯爵だった。
「結局のところ、偽ヴェルナール・シェリフィスは端っから排除しておけば良かったのでしょうね」
「しかし、逡巡したのは私でした。ヴェルは夫たるロレインがワルトマ・ドライデンと共に一番頼みにしていたのです。そして、ワルトマは家族に続いた夫の公的死に心を痛めてファーバ教団に去りました」
そうしてゼダ枢機卿となったのだ。
「まぁ、目に見える『敵』として偽ヴェルナールを放置しておく判断に関しては、私とてその方が与しやすいと思いましたよ。実際に何人もの人間が非業の死を遂げるまではですがね。しかし、野放しにしたツケでローレンツやフィンツまで喪うことになってしまった」
ライゼルは偽ヴェルナールの側近として協力するフリをして厳重に監視していた。
「偽ヴェルナールを早々に実力排除していたなら、彼等が作戦方針を変えてレジスタンスの活動を強化し、より多くの人間が、そしてライゼル父さんまで犠牲になっていたかも知れません」
ディーンの指摘にライゼルとメロウィンは嘆息を漏らした。
実際その通りになり、偽ヴェルナールの死後は見えない「敵」に翻弄されることになり、トワントまで毒牙にかかっていた。
そして示威と予行演習だったであろう《アイラスの悲劇》がパルムで実施されていたなら早々に詰んでいた。
トリケロス・ダーインへの移行のためかなり酷似した性能まで強化されていたベルグ・ダーイン改で多里亜とルカは応戦し、戦死はしたがヒントは残していた。
誰がどうやったかは判らないまでも、襲撃の方法としては真戦兵を使用していた。
しかし、《構造理解》の巫女能力持つ多里亜なら「敵」に痛打を与えていた筈であり、腕前からしておそらく数機は屠っていた。
完全撤収まで3時間半という時間内でのアイラス要塞襲撃に成功しながら、当時大陸最高のドールマイスターだった多里亜とルカの反撃で「敵」は慎重になった。
そしてフォートセバーンが陥落した以上、次のターゲットとなるのは要塞たるウェルリ、ファルマス、バスラン、トレドのいずれかだった。
戦略的価値で言うならエウロペア要人がエドラス王しかおらず、実績著しい《ゼピュロス》とメディーナの居るウェルリの線は排除されるし、城壁なき堅牢な大都市パルムでの実施は最終局面に違いない。
つまり、次の標的はファルマスかバスラン、トレドのいずれかだったが、いずれも剣皇ないしは紋章騎士がいるのだ。
『剣皇カール』か『剣皇ディーン』が待ち構える三要塞での強襲作戦実施は「敵」も極めて慎重になるだろう。
《フェルレイン》か《フレアール》、使徒機ではない《エリシオン》に全滅させられてその襲撃手段を暴かれたなら、先に「詰む」のは「敵」の方だった。
「コチラ側は迎撃になる。それだけは確実に判明している」
ライゼルの言葉にメロウィンが頷く。
「父さんはあくまでもトレドを死守するのだと考えていいのですね?」
ディーンの言葉にライゼルは大きく頷いた。
「トレドこそが防波堤で最大の要である以上、《砦の男》としちゃトレドだわな。このアルマスだって戦略的価値は高いがバルハラとマッキャオが頻繁に出入りしているのだと敵が知っているなら、それこそ無防備だとは思わないだろうし、アランハス卿とパトリシアが時間稼ぎに徹したなら、やはり『詰む』」
都市戦におけるシャドーダーインの実力に関しては東部戦線を荒らし回る蘭丸とパルムを護る紅丸により「敵」は十分わかっているし、アルマスには風神丸と雷神丸の二機が配備されている。
風神丸は一応はマリアン専用機とされているが、パトリシアにも扱えないことはない。
それに防空能力に関しては巨大なアルマス空港があり、地対空砲が多数配備され、《ブラムド・リンク》の同型艦なら管制官たちが特徴を知り抜いている。
飛行型巨大龍虫ヒュージノーズ級の襲来にも備えているせいだ。
直接急行するなら、船足に優れるバルハラかマッキャオなら2時間足らずでトレドもしくはバスランから増援を差し向けられる。
「予想はしていましたが難しい戦争ですね」
メロウィンは視線を落とした。
《未来視》により知っている事実すべてをライゼルとディーンにも明かせない。
二人にも直接関わるものだったからだ。
「先皇陛下のお心を煩わせないための『剣皇ディーン』です。そうだろうディーン?」
「ええ、父さん。しかしボクもトレドとアルマスにばかりかまけてもいられません。交替で東への視察に行くことになるでしょう」
ディーンから「交替で東に向かう」と聞きライゼルは顔色を変えた。
「休戦協定の調印か?」
「チャールズが大人しく応じてくれると助かるのですが、望み薄でしょうね。既にボクらゼダだけの問題ではありませんよ、お婆様」
東征の休戦協定が成立するかは次期フェリオン侯爵であり、銀翼騎士団長チャールズ・フェリオンの出方次第だった。
だが、東征から東方戦争に発展した段階で様々な策動が起きている。
最悪の事態となったなら、ディーンは迷うことなくフェリオ連邦の現国王エドラス王だけはゼダに逃がし、《フェリオ遊撃騎士団》と《黒騎士隊》だけは撤兵させてハルファ入りさせる。
マイオやアリオン、メディーナにベルゲン・ロイドは絶対防衛戦線に加えなければならない最重要戦力だからだった。
メロウィンとの三者会談を終えるとライゼルはディーンだけを私室に帰した。
《生々流転》の使用といい、ナノ粒子の一件といい、日頃の戦闘の疲れといいディーンは倒れそうな程に疲弊していた。
なによりフィンツのことで思い悩むディーンは《鉄舟》やトリエルの忠告通り休ませた方がいい。
一人きりになったライゼルはメリエルの私室に向かった。
疲労困憊で憔悴しているとは聞いていたがおそらくは起きてライゼルの訪問を待っていると判断したのだ。
案の定、メリエルの私室前ではマリアンが待機していた。
「ヴァンフォート伯爵」
「ジョセフィン、伯爵はやめてくれ。これからはライゼル臨時執政官とでも呼んで欲しい。当面の話になるとは思うがね」
名前に関しては思う処の大きいマリアン・ラムジーは素直に従った。
「わかりました、ライゼル執政官」
「トリエル殿下は相変わらず威勢はいいよ。むしろ心配なのはディーンの方だ。心労も限界寸前だろう」
マリアンは僅かに表情を曇らせた。
「メリエル陛下もです。やはり心労で相当に疲弊されていたのでアルマスで下車してこちらにお連れしました。先程、目を醒まされたご様子でしたので食事をご用意致しましたが、まったく進まないご様子でした」
心配げなマリアンにライゼルは表情を曇らせた。
「わかった。手短に話をするだけにしておこう。それとジョセフィン、先に休んでくれ。現状ここにはアランハス卿とエリーシャもいるのだ。あまり張り詰めすぎているとアンタも体を壊すぞ。メリエル陛下には私から断りをいれておく」
「あっ、ありがとうございます」
(あのマリアンといえど相当参っているな。無理も無い話だがね)
マリアンが扉をノックし、ライゼルの来訪をメリエルに伝えると既にメリエルは着替えを済ませて待ち構えていた。
「ライゼル執政官、どのようなご用件でしょうか?」
「幹部に指名されましたのでそのご挨拶と簡単なご報告です。それとマリアンには先に休むよう指示させて頂きました。彼女とて高度に訓練されているとはいえ人間ですからね、ディーンも休ませましたよ」
メリエルは柔らかく微笑んだ。
「お心遣い感謝致します。それでは幹部会入りと主宰就任を了承してくださったのですね?」
「幹部会入りを了承ですか。では、陛下も私に幹部会に入れという意味と受け取って宜しいので?」
「ディーンとスレイが貴方の手腕を求めていたのは先刻承知しています」
「では、簡単なご報告を。少々不敬な物言いをしますが宜しいですかな?」
メリエルはニコリと笑った。
「その方がライゼル様らしいですわ。“私”などと畏まらなくても父と話していたときのように“俺”で構いません」
「陛下が話が通じる方で助かります。トレドでは大変な騒ぎです。なにしろナノ粒子が特定されました」
「えっ?」
「その対処法もです。しかし、ナノ粒子の特定についてはディーンが箝口令を敷きました。陛下も暖かい部屋から外に出た際は大きく深呼吸されることをおすすめしますよ。とはいえ、アルマスは真夏ですからね。こうも外気温が違うと俺もいい年ですから参ります」
アルマスの外気温は現在25℃だ。
日中なら30℃前後になる。
「ああ、それで私も体調を崩したのですね」
「そうでしょうな。ですから、無理は禁物です。どの道、この先味方など集めようにもそう簡単には集まらないでしょう。特記6号に関してはナファドが信用ならない以上に最早方便にもならない。駆けつけてくれる連中は万難を排してでも此処に来ます」
ライゼルの言葉にメリエルは表情を曇らせた。
最近はともに行動しているというのにナファド・エルレインは何処か怪しい。
「やはり法皇猊下は信用なりませんか?」
「ファーバの最高司祭としては尊敬していますよ。ですが、ワルトマ・ドライデン前法皇もサマリア・エンリケ先々代法皇も知る身としてはアイツはなにかおかしい。メリエルもそうは思わないかね?」
「さすがライゼル様は鋭いですね」
メリエル自身、《鉄舟》は信用に値するが、ナファドはどこかおかしいと感じていた。
「それと、俺の呼称はアンタの親父と同様にライザーでいい。愛称じゃなくてそれが本名だ。じきにライザーと皆に呼ばせる。逆に俺を改称前から『ライザー』と呼んでいた連中の顔触れは覚えておくといい。パトリシアもライザーと呼んでいたクチさ」
メリエルはライザーの顔を凝視したままハッと目を見開いた。
「アローラさまっ?・・・それじゃ、ライザー様がディーンのお父さん?」
アローラはトワント前公爵を「おとうと」と呼んでいた。
セスタで話をされたそのときからトワントとディーンが養父子だけでなく叔父甥の関係だとは気づいていた。
問題として残ったのは「誰がアラウネの伴侶でディーンの父親か?」だったが、その答えがライザーだった。
「まっ、そういうことだ」
「では何故秘密に?」
メリエルの当然の疑問にライゼルは耳をほじりながら苦笑する。
「ヴァンフォート家に養子入りするまで、俺はエクセイル家の長子で次期公爵のライザー・エクセイルだった。アラウネとは事実婚していた。そしてディーンとセリーナの父親だよ。だがまぁ、色々あってね。最初の女房とは泣く泣く別れた。次の女房を指名したのは当のアラウネだ。それにディーンは存在が知られると面倒だし、それ以上に危険でもあった」
ディーンの存在が隠されてきた事情は本人からの話に聞いている。
「後妻というのがメリッサ・モナース夫人?」
「そういうこと。俺とディーンが実の親子だというのはアラウネは勿論。メロウィン先皇陛下と《鉄舟》も承知しているが皆には内緒にしておいて欲しい。立場上やりづらい。だが、察しの良いアンタのこったから、何処かで気づいていた筈さ。メリッサの産んだセオドリックとピエールはディーンの半弟たちだ。ヴァンフォート家は店仕舞いする予定なんで何処の跡取りになるのやら」と言ってライザーは苦笑した。「それで今、俺と話しているのはメロウなのか?それともメルなのかね?」
そこまで気づいていたのかとメリエルは狼狽した。
「俺もアラウネも《真史》を知る立場だった。教えたのは勿論俺だよ。そして当然だが、《真史》には龍虫戦争を最初に指揮したのが始祖女皇のメロウだと書いてある。メロウの容貌やら特徴もね。そしてはじまりの都マルガの抱える秘密と《筺》に関してもだ。《筺》には別世界人類の技術やら思想やらといった『禁忌』と言える内容が詰まっている。俺たちは《アークスの筺》としてその内容が外に漏れることをアークスの騎士やら司祭、巫女と称して防ぐ立場だ。そしてメロウ、アンタにとっちゃ《パンドラの筺》だ。開ければ禍がふりかかる。俺の親父だったギルバート・エクセイル3世が《筺》を開け、《聖典》を取り出した。そのことで正に禍が降りかかり、親父の不行状の尻拭いに俺は半生を捧げてきた。そして、ずっと守られてきた《第6の掟》が有名無実化したのも禍の一端だ。その上で元の女房がなにを考えてアンタの後ろ盾になったかも察してはいる。だが、俺はあくまでも《砦の男》だ。このセカイの叡智を武器にセカイを守るのが俺の使命だ」
ライゼル改めライザーの言葉にメリエルは双眸を輝かせた。
道理でディーンやスレイが強固に意見を押し通した訳だ。
「現世における《砦の男》。始祖シンクレアの正統なる末裔」
「そして《13人委員会》の筆頭理事にして組織した張本人。《13人委員会》は最初のメンバーが足して13人だったというのは建前だ。6と同様に13も特別な数字だ。別世界のヨーロッパで忌み嫌われた数字であり、13のうち一人は“裏切り者”を意味している。その“裏切り者”とは俺のことだと他のメンバーたちは思っているだろうさ。しかし、そうではないと気づいている人間もいる。アンタの父親もそうだし、俺の実弟たるトワントとラクロアもそう。フェルディナンドもそうだった。『対龍虫戦争国土強靱化計画遂行委員会』が正式名称。俺に言わせれば“裏切り者”はローレンツ・カロリファル前公爵だ。しかし、それも本当に裏切りだったのかに関しては不明だよ。少なくともパトリックとトワントを自殺から救い生きる希望を与える結果となった。我々の希望としてアンタを創り出したからな」
メリエルはライザーの言葉を侮辱だと受け止め、スレイにも秘密にしているもう一つの力を使った。
ナノ・ブレード。
大気を組成するナノ・マシン配列を変えて産み出す実体剣。
横凪ぎに払いライザーの首を落としたつもりだった。
この男は自分とセカイにとって危険過ぎる。
「そんなものでは俺は殺せないよ。俺はライザーとしてはじめから普通の人間じゃない。ナノ・ブレードでも傷つかない」
確かにナノ・ブレードを振るったというのにライザーは傷一つ負っていなかった。
しかもその名を知っていた。
メリエルはひどく動揺した。
「どういうこと?」
「『解脱者』だからだ。つまり、アンタの用意した因果からは外れた存在だということ。ナノ・マシンたちが俺という人間を構成する配列を維持しているから俺は老衰か自壊以外では決して死ぬことはない。だが、俺にも代償はある。つまり血統的には間違いなくそうだが、騎士としての能力は全くなく、このセカイの本質を理解していようがいまいが、特別な力は行使出来ない。見えないものは見えない。その替わりに騎士の技の本質を一番良く知り、俺がそうと認めた事象はそう簡単には覆らない。つまりは《観測者》メロウとは同等の存在であり、本名のライザーというのは短縮形だ。ネーミングライツァーつまりは《命名権者》という意味で、このセカイにおける全ての事象に名を与える者。つまりそのナノ・ブレードもその実俺がそうと名付けた」
メリエルはつぶさに理解した。
メロウ自身が望んでいた人の究極。
悟りの境地に到った生き仏。
「《命名権者》。試作型騎士の生き残りだったシンクレアとルイーゼの第二子でフォートレス姓持つ者。それが今は貴方だというのね?」
「その通り。そしてフォートレス姓はアルフレッドの愛機に与え、喪われてしまった。《砦の男》の砦を意味する存在意義もつ使徒真戦兵。アルフレッド、《龍皇》、フォートレスが喪われたそのときからこのセカイにおいて何か決定的な事が壊れてきた。“アドルフ”と“ジャンヌ”は“ボナパルト”や“ハンニバル”と奮闘してきたが、パルム除染のための《アリアドネの狂気》と覇王エスタークの登場でエウロペアは行き詰まり、その先へとは向かわなくなって其処で終わっていた。荒廃地エウロペアの末路は数多の怨霊を産み、《滅日》の災厄も白痴の龍皇そのものとなった。後の完全なセカイでセナと日本がどれだけ力を尽くしてもアリアドネを呑み込んだ《龍皇》は倒せず、禁軍もモノノフたちも全滅した正に地獄絵図となった。アイツは《ゴジラ》だ。正に人の業の象徴であり究極の絶望たる魔獣。そして、本当の《悪魔ベリアル》。それを打開するため、覇王エスタークにかわってエセルは現れた。エセルが《黒髪の冥王アドルフ》と《嘆きの聖女ジャンヌ》、《大陸皇帝ボナパルト》、《人食いの雷帝ハンニバル》らを従えてどうにかアリアドネと《龍皇》の融合という事態だけは阻止した」
ライザーの言葉にメリエルは目を見張った。
「だから今の世にこれだけ強力な戦力が集中しているのね」
「そう。歴史の分岐点を安定させ、次のステージへの移行を完全なものにするため。俺が『解脱』したのも、かつて“ラプラス・ヴァンフォート”として究極の砦の男たる《ラプラスの魔》として5人の《円卓騎士》候補たちを指揮統括し、アリアドネを封印してあらゆる犠牲を払ってでも、《龍皇》との融合を阻止した。事の発端となった《白痴の悪魔龍皇》誕生という《龍皇子》アリアスの暴挙そのものは事象確定してしまった。だからこそ、まだどうにか出来るアリアドネの対処とマルガへの《龍皇》侵攻阻止のために《絶対防衛戦線》維持は不可欠の要素となり、
《観測者》メロウとして異常でさえある今の状況についての説明はそれで十分だった。
どうしてアローラが悲壮な覚悟を持つのか?
どうして《黒髪の白き冥王》が《砦の男》を《絶対防衛戦線》に招聘したのか?
どうしてエセルとその末裔である《新女皇家》連枝たちがこれだけ揃っているのか?
遂にはカエサルたるエウロペア女皇メリエルまで用意した。
だから、フィンツは自分の存在を消した。
兄ディーンと弟フィンツが対峙してまでも、怨霊たちをこの時代の勝者にしてはならない。
戦いに勝つのは兄か弟。
《金色の乙女》ビーナスと《破天の巫女》セリーナはぶつけてはならないという制約。
それこそ神無きセカイの神話なのだ。
「実体無き影たち。ディーンとルイスも『解脱者』だと言うの?」
ライザーはゆっくりと頭を振った。
「よく考えてみろよ、メロウ。アイツらは紛れもなく騎士だ。つまり、このセカイに積極干渉できる立場だし、『解脱者』ではない。とっくに『解脱者』にもなれたというのに、アイツらは『解脱者』や『傍観者』でなく常に『当事者』を選んでいた。まだセカイにやり残したことがあるからだよ」
「やり残したこと?」
「そう。天寿を全うしてヒトとしての生を老衰や病死で終えることだ」
「アリアドネ姉様のこと・・・何故それを?」
アローラの言葉とライザーの言葉がシンクロしていた。
本物の始祖女皇たるアリアドネに当たり前の生と当たり前の死を与える。
そうすればまたヒトとして別の人生を歩める。
「アリアドネだけじゃなく、アイツらもそうだ。その実、アイツらはいまだにいちども天寿を全う出来てなどいない。そしてキミたちもだよ、メリエル」と言ってライザーは俯いた。「まだこのセカイに対してやり残した未練があるからヒトとして足掻いている。俺のような『解脱者』たちは生に足掻くヒトたちの道標さ。そもそもナノ・ブレードなんか使わずに、頭にきて怒ったのなら単に殴れば良かった。現に俺はサンドラにぶん殴られていたろ?痛かったよ。『解脱者』だからって言ったって、体の痛みも悲しみも感じるんだよ。単にそれでも死なないだけ。ナノ・ブレードのようなこのセカイでのみ生じる超常の力は通じないだけ。何故だと思う?」
メリエルには全く理解出来なかった。
自分の軽率さと傲慢とを呪っただけだった。
ゆっくりと頭を振る。
「軽いんだよ。ナノ・マシンの集積体としてはヒトそのものの存在を確定している膨大な情報体よりもね。ヒトの記憶だけだって相当の情報量持つナノ・マシン集積で成り立つ。だから単にその場にある大気の組成をいじっただけの紛い物の力では俺をどうこう出来ないだけだろうな。大気組成の変化だけだから、単純に元に戻すだけで無力化する。ディーンの育てている弟子の一人がそのナノ・ブレードを空中に大量に発生させて狙い通りに当てる絶技を扱える。それにも《流星剣》と追認で名付けさせて貰ったよ。俺は殺せないが、騎士や蟲どもは殺せるだろうさ。その実、俺は不老でもないし、不死でもない。だが、騎士天技の中でも組成変化だけじゃない技であればおそらくは死ぬ。ナノ・マシンの超速加速技あるいはナノ・マシンの完全停止技。血統に裏打ちされた天才騎士ルイスやアリオンの使う技なら俺でも死ぬか停止させられる。でも、おそらくヤツらはそうしないな。アンタと違い、俺という存在がこのセカイに必要だと思うからだ。形成せない怨霊でもなければ、ヒトであるのだし、なにかの必要が生じたので自分たちと同様に此処に居ると考えるだろう」
メリエルは呆然となった。
「このセカイに必要とされている?」
「そうだよ。俺の武器は“言葉”と“叡智”そして事象や剣聖について“その名を与える役”なんだ。本物のキミが“名有り”と“名無し”の相克と因果を創り出した。紛い物のセカイを構成するナノ・マシンたちをもね。そして、かつての俺はその“真理”に気づいた。だから、この実験セカイの《観測者》として“外野”あるいは“盤外”にある本当のキミとよく似た存在に成り得た。因果は応報するという“真理”と、ヒトはその因果の果てでもヒトの形を維持して誰でもゴール出来る。そうと示すために俺は在る。ある者たちにとっての“希望”であり、ある者たちにとっての“絶望”。どちらと受け止めるかはその魂の在り方次第だ。周期周回実験という形で何度も繰り返され、散々セカイの末路や地獄を見てきたが為に俺はそうなった。だが、形成さぬ悪意という“ヒトの末路”もまた在るのさ、やがてヒトの存在意義が問われる《滅日》で神ではないキミ自身の選択がその先を決めることになる。『解脱』とはこのセカイから一時的に情報体としての存在を“確定”させることに他ならない一種の境地であり、セカイを構成するナノ・マシンたちの集積情報体の審判こそが《滅日》だ。その場にヒトとして俺は立つことになるだろうし、結果次第ではナノ・マシンたちと共に消滅する」
「私がそうなるように仕向け、そうなるべくして仮初めのセカイを創造した?その情報記憶も制御されている?」
「あるいはソレこそが《真のメロウ》たる《創造主の真意》だ。理不尽だし道理に適っている。ヒトを創り出した《真意》とヒトを滅ぼそうとする《真意》。《筺》に隠していても無駄な話であり、《筺》はヒトの手に掛かれば簡単に開き、“希望”あるいは“絶望”として《筺》に大事に収められていた筈の中身が一緒の混沌を産み出す。矛盾した創造主の思惑がやがて本当のキミが創り出した仮初めのセカイを本当の終末へと誘う。それでも、そのときキミを助けるのはやはりヒトになる筈さ」
「この周期の終わりに本当の終末が訪れる?」
「少なくともそろそろだとね。俺はそう考えていて、メロウィン先皇陛下はその様を既に見て沈黙している。だから、俺と女房、倅とその嫁は其処に救いを産み出そうと焦っている。俺のアニキだった《真実の鍵持つ者》とはこの時代では倅のディーンだ。ではその《真実の鍵》とはなんのことだろうね?《筺》を開けるのに《真実の鍵》はいらない。鍵が掛かっていない無防備な《筺》だから、その守り手たちは《アークスの騎士》だとか《アークスの巫女》だとかいう番人を気取り続けてきた。だが、一番肝心な《聖典》さえもが親父の裏切りで外に漏れた。だが、《聖典》の内容と真実ですら、キミの産み出したヒトの大半にとっては“懐かしい悪夢”さ。《筺》に収められていた情報として別世界の《聖櫃》にはヒトを戒める《十戒》が収められていたというが、その内容などこのセカイにおいてはファーバ教団の教えとして常識だ。つまりそれとも異なるなにかが《真実の鍵》であり、その真実については俺も見当がつかない。おそらくそのヒントは真戦兵の正式呼称は《トゥルーパー》であり、《龍虫》を解体分解再構成した存在だということ。使徒のもつ本当の意味と《天使》と《トゥルーパー》、あるいは《龍虫》が組み合わされるとき、人智を超えた怪物になる。現にそれが白痴の怪物とされる《龍皇》だ。そして、《天使》たる使徒を利用しようなどという危険行為をやってるのは俺達エウロペアネームドとエウロペアネームレスだけだ。セナと日本では禁忌とされ、技術でカバーしたより完成形に近い《トゥルーパー》を運用して存亡の危機を乗り切ってきたのだもの」
「やはりヒトの業の業たる場はエウロペア・・・」
「だから、他の人類文明圏にキミは《観測者》として不在だし、歴代の《砦の男》たちもエウロペアの命運だけを常に注視してきた。此処ははじまりの地じゃない。そして終わりの地でもない。災厄誕生の地であり、悪意の根源。最終的にセカイを呑み込む災厄たる終末の原点だ」
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