第8話 仇

 ディーンがトリケロス改をチョイスしたのは純白のフレアールに見せるためでなく、単に副座機だからだ。

 大方、トリエルは女房のマリアンを乗せて発進し、途中で放り出すとかするつもりで紫苑の改修時に副座を用意させていたのだろう。

 隠密機動のマリアンは真戦兵だけでなく強行偵察のための単独行動もこなせる。

 騎士としてのタイプ的にはルイスたちに近く、ナノ・マシンの内部干渉能力で身体能力を飛躍的に向上させられる。

 《虫使い》の乗る個体特定というのも戦場では極めて重要な任務となる。

 視覚強化で光学迷彩を見破る距離を稼ぎ、小型龍虫を携えたエモノであしらうのだ。

 そして《神速の剣聖》とルイスに名付けておいて正解だったとライゼルは確認した。

 トリケロス改のディーンも相当速いが、ルイスのエリシオンはそれを遙かに上回る機動力だとライゼルは実感した。

 極秘訓練のためバスランからかなり離れた森の中で、ルイスに与えられた課題に取り組んでいたフリオとミィは光学迷彩まで稼働させている。

 其処までしなければならない程の極秘訓練だった。

 先行して到着したエリシオンを確認して二機のシュナイゼルはそれぞれ光学迷彩を解いて、膝をつかせた。

 遅れて到着したトリケロス改からテリーではなくディーンが降り立ったこと、もう一人誰かがいることに気づいて即座に警戒する。

(まるで野生動物みたいなヤツらだな。警戒心がとても強い)

 ミィ・リッテとフリオ・ラースはそれぞれ膝をついて剣皇ディーン本人に最敬礼の姿勢をとる。

「久しぶりだな。なかなかに励んでいるようだ」

「師匠、恐れ入ります」と二人ともなかなかに殊勝な態度だ。

 ライゼルはフリオという男性騎士をしっかりと見て即座に見抜いた。

「お前、フリオニール・ラーセンか?フェリオ連邦アストリア大公国ホーフェン騎士団のバルド・ラーセンの子。顔立ちが俺の会ったバルドの若い頃にそっくりだ」

 ライゼルの指摘に全員に緊張が走った。

 フリオの素性は表向きメルヒン西風騎士団の新人騎士だったからだ。

 ディーンと幹部の一部だけがエルミタージュの《ナイトイーター》だったフリオの前歴を知っていて、アルバート・ベルレーヌに頼んで前歴を偽っていた。

 その場に居た誰より動揺したのがフリオニールと呼ばれたフリオだ。

「何故それを?」

「バルドに《連弾の剣聖》と名付けたのが俺だからだよ。アストリア大公国への視察旅行の際にホーフェン騎士団長のマグノリア・ハーライト卿から是非見てやってくれと言われてその場で剣聖だと認めてきたんだ。バルドは息災か?」

 《連弾の剣聖》の意味するところ。

 それは高速で垂直に打ち出すナノ・マシンの塊が飛び道具さながらだったからで、バルドは両手から連続で打ち出せた。

 その場で天技として《魔弾》とも名付けたし、ディーン、セリーナ、ルイス、ミィと習得者もそれなりに多い。

 そして皮肉にもやがてディーンやルイスの運命にも関わることになる。

 フリオはライゼルの問いかけにしばらく応えず、やがてポツリと漏らした。

「・・・死にました」

「なんだとっ!」

 前述の通りアストリア大公国は龍虫襲撃予想地域であり、そのためライゼルは視察旅行していた。

「マグノリアの片腕だった凄腕を誰が?」

 本当に知らないライゼルは泡を食っている。

「やったのはエルミタージュセルだな」とディーンが言う。

「そうです、剣皇陛下師匠。マグノリア団長も親父と一緒に殺されました。団長も親父も『しかるべきときに騎士としての本分は果たす』と申し出を突っぱねたせいだと聞いています。嘲笑うように言われましたよ、『時代遅れの馬鹿なヤツら』だと」

 ディーンは確認のため念を押した。

「それなのにお前はエルミタージュに籍を置いて団長や親父のような犠牲者を作っていたのか?《ナイトイーター》として」

 フリオニール・ラーセンは表情を歪めて絞り出すように語る。

「残った家族たちを食わせていくためにはそれしか他になかったんです。どうか、どうか赦してくださいっ!」

 ディーンはおおまかな真相を知っていたが、敢えてフリオの口から話させた。

 マイオドール・ウルベイン中佐から依頼されていたとはいえ、トリエルと共にフリオをどうすべきか慎重に判断し、家族移住に手を貸し、西風騎士団に入隊させた。

 そんなことはフリオにも分かっていた。

 第三者の裁きの場を作り出したのは、ディーンもフリオも《騎士喰らい》、《ナイトイーター》という同質の存在だったからだ。

 フリオの悲痛な叫びに、若い父親バルドに先立たれたフリオニールの労苦はライゼルには理解出来た。

 だが、ホーフェン騎士団はアストリア大公国防衛の要だ。

 龍虫戦争前に弱体化させるようなことをエルミタージュが仕組んでいたなら、「エルミタージュは最初から龍虫のアストリア侵攻がない」と知っていたことになる。

 その上で困窮した《連弾の剣聖》の遺児まで「騎士狩り」の少年傭兵に使っていたという。

「フリオ、父親の事を誰に愚弄されたんだ?」とディーンは聞く。

「タタールとかいうベリア人の老騎士でした」とフリオは答えた。

「嘘っ!」といって今度はミィ・リッテが息を呑んだ。

「タタール・リッテか?元ナカリア銀騎士団長。大分前に引退したとは聞いていたが」と言いながらライゼルは呆然となっていた。

「エルミタージュ幹部です。しかもブレインの相当上の地位にありました。ボクのような末端セル構成員には容易に口もきけないほどの大物のようです」

 タタール・リッテはナカリア銀騎士団引退後にエルミタージュの幹部になっていた。

「どういうことなんだ、ミィ?」

 ミィの動揺はリッテという珍しい姓持つだけでない。

 正に血縁者のそれだった。

「お爺さまは騎士を引退して部族長になると、しかし私たち家族の許には帰ってきませんでした。マルコ父さんは何故か爺ちゃんのことは忘れろと言っていましたが・・・」

「辛いことを聞いてすまないがその後の事を続けてくれ」とライゼルが促す。

「すいません、それ以上はカンベンしてください」とフリオが割って入ったのでいつになくディーンは動揺した。

「マサカ、フリオ・・・お前がやったのか?」

 ミィの部族は次の部族長になる予定のタタールが急に姿を消したことで滅多に集まることのない部族全体が集まって緊急会議をしていた。

 その総数は600人ほど。

 ミィの父親マルコ・リッテもナカリア金騎士団の騎士長だったし、部族の男手で騎士なのは割合として多く、金銀銅に所属を全部足すと40名ほどいた。

 その部族会議が何者かに襲撃された。

 会議の名目で普段はそれぞれナミブ砂漠各所で遊牧生活をしている女子供たちも集まっていたし、会議のついでに実機手合いをしようと騎士たちは自分の愛機を持ち込んでいた。

 明るいうちに行われたファルベーラ、オレロスでの手合いで部族たちは大いに盛り上がった。

 夜半に子供達だけで眠るテント内で目を醒ましたミィが見た光景は、次々と炎に飲まれていくテントと父の愛機ファルベーラの無残な姿だった。

 ミィを含めて生き残ったのは女子供らは僅か10名足らずだった。

 ナカリアのセリアン国王はリッテ氏族襲撃に関して詳細に検証しなかった。

 むしろ、出来なかった。

 縄張り争いに関しての部族間抗争はナカリアではよくある話だったし、犯人捜しをした結果、それが国家要職者だということもあったからだ。

 引責処分などさせようものなら、遺恨が生じてたちまち国がガタガタになる。

 その上で、タタール、マルコらの功績を鑑みて温情措置により生き残った女子供たちに恩給を与え、生活の便宜を図りタッスルに住むことを許した。

 そのお陰で長じたミィは銅騎士団に入ることになった。

 ミィは家族の大半を喪失したその夜、騎士として覚醒し、女子供をも虐殺していたエルミタージュの兵士たちを護身用の短剣で次々に殺して退路を作り、他の生存者たちを可能な限り逃がした。

 ゆっくりと、とつとつと、話を終えたミィは半ば放心していた。

「ミィ、絶対大丈夫だから、アタシがついててあげるから」

 ルイスは話を終えて涙を浮かべたまま呆然としているミィを抱きすくめた。

 既に太陽は西に傾いていた。

 ミィの異常なまでに研ぎ澄まされた警戒心はで生き残った者ゆえの悲しすぎるだった。

 フリオのそれもいつ誰に復讐されてもおかしくないことへの警戒だった。

「偶然じゃなくて運命なのか・・・。それがタタールによる過去の精算と過去との決別だということなのか・・・」

 フリオの父バルドの仇はタタール。

 そして、ミィの家族の仇がフリオ・・・。

 我に返ったミィは憎悪の籠もった視線をフリオに向け、フリオもまた憎悪の籠もった視線をミィに向けていた。

 一触即発。

 ライゼルに見せたかった二人の秘天技は仇同士が殺し合うためではない。

 更なる成長ととしての可能性を高めるためだった。

 狼狽するルイス。

 眉根を寄せたライゼル。

 そして、ディーンは・・・。

「二人とも誓え、今の話で仇同士なのはよく分かった。だが、私闘は許さない。共にお前達しかいないボクとルイスの直弟子だ。仲良くしろだとかは言わないが、お前達は共に犠牲者だ。その事をしっかりと胸に刻んでおけ、そしてこれ以上の犠牲者を出さないためにもしっかりと励み、心を揺らすなっ!」

 ディーンが本気で怒った顔はその場に居る全員が一度も目にしたことのないものだった。

 大気が鳴動して森がざわめいていた。

「ダメよ、ディーンっ!貴方こそ心を揺らさないで」

「いいや、ルイス。いい機会だ。お前達にだけボクの持つを見せておく。馬鹿な真似は出来ないのだと教えるためにだっ!」

 ディーンは黒縁眼鏡を確認し直してトリケロス改に飛び乗るやハッチも閉じずにその絶技を使った。

「絶技、《生々流転》発動」

 一瞬何が起こったのか、ディーン以外の誰にも分からなかった。

 しかし、その答えは空にあった。

 西に傾いていた太陽の位置が大きくズレていた。

 ライゼルは懐中時刻を確認してその絶技の意味するところをよく理解した。

「この場に来た時へと時間が巻き戻った?」

「そういう反則技ですよ。だからやたらと使いません。必要なときに必要なだけ使う。理由は森を見てください」

 木々を形成していたナノ・マシンが大量に消費されていた。

 もはや森ではなく灌木だけが生い茂った茂みへと変貌している。

 だが、ミィが話した内容、フリオの悔恨、経過した時間の中で起きた出来事はそれぞれの胸にしっかりと刻まれている。

「この技はまだ未完成です。まだボクとその周囲の人間たちの置かれた時間軸をずらすだけです」

「完成形は事象そのものを反転させる?」

 原理的にはある女性が持つ能力だ。

 あったことをなかったことに出来る。

 そうなると究極の反則技だということになる。

 ディーンの表情から怒りの色が消え、思慮深く温和ないつものディーンに戻っていた。

「フリオ、ミィ、ボクにこれを使わせることだけはやめてくれ」

 二人のうちいずれかが、あるいは双方が秘天技を使おうとしたら即座に時間を巻き戻していた。

 ディーンが敢えて見せたのはそうした意味だった。

「師匠・・・」

 ディーンは黒縁眼鏡の奥の哀しげな目線を二人に向けた。

「本来、起きることすべてに意味がある。そしてなかったことになど出来る筈がない。それでもどうしてこんな技を編みだしたかといえば、無念と後悔とでやりきれない思いや経験がボクにもあったからだよ。愛する義弟が復讐鬼になってしまったときに、ボクは禁を破ってでもやり直したいと猛烈に後悔したんだ」

 そして、フィンツが望む望まないにかかわらず、フリオやミィ、そして多くの者たちに悲劇をもたらしたエルミタージュやルーマー教団を利用して戦える位置についていた。

 アリアスは騎士と《虫使い》の共倒れを狙っているかも知れない。

 だとしたら、フィンツは誰と誰の共倒れを狙っているのか?

 ルーマーに大切な人を奪われた二人。

 それでもまだ、自身のまで奪われていないフリオとミィには救いがあった。

 その後、気を取り直したミィとフリオはライゼルの前でそれぞれの秘天技を披露した。

 ライゼルはフリオの跳躍物理攻撃型絶技に《流星剣》と追認し、ミィの空間断裂絶技に《月光菩薩》と名付けた。

(正に《魔弾改》とでも言うべきか。《流星剣》はフリオニールが間違いなく父親の才を継いでいる証。そして、ミィの《月光菩薩》。血縁者のミィがあれほどの技を持つならタタールもまた・・・)

 ライゼルはなにを考えてか二人に剣聖の称号は与えなかった。

 だが、ミィはその意味を察していた。

 そう、クシャナド・ファルケン子爵から剣聖とは「孤独なる騎士の代名詞」なのだと既に教えられていた。

 だが今はまだ孤独であってはならない。

 与えられたオーダーか自分自身の責任判断で動ける「完成した騎士」になるまでは、守り役が必要になる。

 紛れもない剣聖たるディーンやルイスの庇護の下でいずれ直面する孤独で苛酷な戦いを前に、自分自身と持てる技を磨いておく段階であり、仇だとわかっていても“一緒に励む仮初めの姉弟”としてフリオを支えてやれという意味だと理解した。

 フリオはどんな思いを抱えて自分の家族たちを殺めていったのだろう。

 どんな思いを抱えて自身の愛する父親を殺めた男たちの命令に従っていたのだろう。

 心ならずも《ナイトイーター》として犯した罪への贖罪のため、出自も名前も偽って、父たちの遂げられなかった「騎士の本懐」を全力で果たそうとしていることだけは痛いほどに伝わった。

 むしろ、仇だと知ったのが今で良かった。

 もう後戻りの出来ないところで知ったなら、自分がフリオをどうしていたかまったく分からなかった。

 戦闘中のどさくさで《月光菩薩》にフリオを巻き込んでミンチに変えて復讐していたら、ミィもまた騎士ではいられなくなる。

 「お願いだからそうしないでくれ」という意味で、ファルケン子爵はミィに自分のへの落とし前と、終生の師を用意した。

 子爵の意向を汲んだフィーゴは干し肉にしたミンチをミィの食事に割り当て、ディーンとの合流後は身柄を預けた。

 銅騎士団の同輩たちは食糧事情の悪い中、ミィだけ肉を食べているのを見て奪い取り、砂を噛んで辟易した後にそれが元はなんだったか聞いて吐いたり、乱暴に投げ捨てた。

 だが、彼等にもいずれは事の本質が分かる日が来るとディーン師匠は説いていて、現にそうなりつつあった。

 ファルケン子爵がミィに本当に望んでいたのは、孤高の剣聖として成長した姿だった。

 ライゼルはライゼルでこの可哀想な若者たちになにが必要なのかを必死に考えていた。

 やはり、大切なのはだ。

 あるいはこの時点でライゼルは二人の未来の姿と剣聖として臨む戦いの形を完全に理解していたのかも知れない。

 再び訪れる日暮れまで訓練を続けるミィとフリオ。

 そして、万一にもまた衝突しそうになった場合に備えてルイスはその場に残った。

 親子はトリケロス改の中でについてそれぞれむっつり黙って考え込んでいた。

「タタール・リッテか・・・」

 二人の若者を絶望に突き落とした男の名を挙げて、ライゼルは尚も考え込んでいた。

 皮肉にもタタールの名が出たことでルーマー教団とエルミタージュセルを構成する裏切りの騎士たちは線になった。

 タタールは突如人が変わったという。

 以前は今のミィと同じように頑なで警戒心の強い男だったが、それ以上に実直で真面目だったし、他人の死を愚弄するような人物じゃなかった。

 逆に「実直で真面目」だったので自分たちが欺かれていると知ってしまい、壊れたのだろう。

「父さんはタタールを知っていたので?」

「いや、直接は知らないよ。話には聞いていただけだ。世代的には俺たちより一回り上だからな。金騎士長マルコ・リッテのことは知っている。流石に親子で二つの騎士団の束ねというのは部族を束ねるナカリア王国内では問題があるのでタタールの引退後、間を空けて金騎士団の団長候補になっていたろうさ。剣聖になれたかともかく腕も確かだった。後で《鉄舟》に聞いてみようぜ。今もナカリア枢機卿のアイツが事情に一番詳しいだろう」

「ルーマー教団って一体なんなんでしょうね?わかっているようでボクにも分からない。否定したいのに否定出来ない」

 ディーンの中の葛藤はそれだった。

 ファーバの異端だと決めつけるのは簡単なのに、なぜだか躊躇われてならない。

「人の本来のの形だよ。と呼称するより上位の存在が在ることにして人の罪悪意識を薄めるための概念だな」

「ボクらにとってはメロウ?」

「いや、メロウは水槽を作り、それを外から眺めているだけのお嬢ちゃんだよ。原則として水槽の中の事に滅多に干渉はしないし、ちょくちょく介入もしない。《滅日》で水槽の中身を入れ直しているだけ。でも、それは必要な行為だろう?」

「なんか、物凄く鋭い指摘ですね。水も魚も一度外に出して水槽を洗ったらまた元に戻している。マメだし面倒見の良い飼い主ですよ」

 メロウはセカイの創造主だと思われてはいたがではない。

 従って、ゼダの始祖女皇とは呼称されてもだとは言われない。

 崇拝の対象でもなく、始祖メロウがセカイを創り始めたと理解されていた。

 崇拝の対象となるのは人たる偉大な先達たちだった。

 イスルギ・オダ法皇を開祖とするファーバ教団の教義が、人だけが人の手本であり、より大きな治績を達成した人はセカイから「解脱」すると見做されていた。

 「解脱」とはその人がその人として確定した現象を指す。

 居たことと成したことがはっきりしている人だけを畏敬と崇拝の対象たる聖人にしたことで、誰かが誰かを無意味に嫉むということがなくなった。

 自分よりも優れ、自分にないもの持つ他者へのもまたファーバの教義では乗り越えるべき試練だと説いていた。

 くらいなら努力して追いつき追い越せだ。

 ファーバの司祭には教義を理解しさえすれば誰にでもなれる。

 元がなんだとかいった事は一切問われない。

 現にワルトマ・ドライデンゼダ枢機卿は元々はゼダの外務官僚だったことをファーバの教えに帰依する者なら皆が知っている。

 だから「特別扱いされた」のでなく、だから「枢機卿になるのが早かった」のだと思われているし、外務官僚としての過去はゼダのみならず、言語の異なるベリアやフェリオでもファーバの教義を丁寧に説けることで、国内外の大勢の信徒たちの心を救っていた。

 自身が愛別離苦の体験者であり、妻子や尊敬する上司を相次いで喪いながら、ファーバに帰依して絶望の淵から立ち直った。

 そのことと同じ境遇にある者たちに寄せる心からの同情と、叱咤激励こそが、ドライデンが枢機卿に推された理由だ。

 ファーバにおいての異端思想というのも例外的にルーマー教団だけだった。

 異端思想に対する弾圧にもファーバ教団は積極的でない。

 心得違いや勘違い、誤解という回り道もまたに到達するのに必要な道の一つだと教えていた。

 人の犯した罪は人の法が裁く。

 そうした考え方が犯罪者たちの更生にも役立っていた。

 人の罪は人個人の罪でなどなく、罪を犯さなければ生きられなかった不完全な人の社会の罪であると教える。

 罪そのものより、罪を犯すに到った過程を徹底的に検証する。

 何処で間違いを犯したのかを検証する過程でその人個人のなにが「弱かった」せいで罪を犯すに到ったかを問い質す。

 ライゼルに言わせたら、かつての《13人委員会》の同志たるドライデン枢機卿と現最高裁判事ビリー・ローナンの考え方はもともと極めて似ていたし、フェルディナンド・シェリフィスも二人には相当感化されていた。

 だが、ドライデンもビリーもではなかった。

 むしろ過去やら生い立ち、半生に起因した強烈過ぎるほどのペルソナを持つたちだったことで、そうしたを嫌うローレンツからは距離を置かれていた。

 ローレンツには飲み込まれて仕舞いかねない程に二人は眩しすぎたのだ。

 そして、強固なるレールに乗った人生を歩んでいて、あまりにも完全無欠で可愛げがなさすぎる。

 だから、その道半ばを自覚し、更なる可能性を求めて足掻き、その癖「私情」に無頓着であったライゼル、トワント、パトリック、オーギュストをの人として共に並んで歩く道を選んだのだ。

 ライゼル自身も変われないなりに、ワルトマやビリーの思想には影響されている。

 その上で、だからこそ「人が道を誤ることをせずに済む政治を実践していこう」と故人のワグナス議員とも心に誓っていたのだった。

 逆に「なにを知ったら完全とは言わないまでも最善と思えるファーバの寛容なる教義に背けるのだろうか?」と考えていたのだ。

 自身の父、ギルバート・エクセイル3世公爵こそライゼルは一番理解に苦しんだ。

 なぜ与えられたもので満足せず飽食の道を選んだのか?

 なにがきっかけで筆頭公爵と皇室吟味役、天才的な史家という地位と立場に不満と嫌悪を抱くようになったのか?

 あるいはだったのか?

 あんな父親の子だ孫だと「驕り高ぶれる」ほどにそれぞれの自己評価が高くないライゼルたち三兄弟とディーン。

「おそらく、ルーマー教団とは永久に平行線だろうな。自分の力不足やら目端の利かなさやら想像力不足で、大切だと想う人を何人も死なせてきた俺たちゃ、自分たちがだなんて到底思えない。本当にならどんだけ悩まず、苦しまずに済んだことやら、それをファーバの教義に救われてどうにかこうにかだ」

 人生経験に長けたライゼルはディーンよりももっと多くの後悔を重ねていた。

「まったくです、父上。ボクもルイスも“世間に喧伝されているほど強かった”なら、弟子たちの育成に本気で悩んだりはしちゃいませんよ。結局、なにかを犠牲にしてようやく教え諭すことで目一杯です」

「そのようだな。お前もルイスもホントによくやってるのだなと感心したよ。あの二人もいずれ感謝するさ。お前がお嬢達や公王や子爵たちに感謝しているようにさ」

 ディーンは過去を想い口許を歪めた。

「道半ばの中途半端なとこが一番辛くて大変です。それに出来ることならもっと時間を割いてやりたい。あの二人の才能にはそれだけの価値があります」

「上手いこと行く方法は俺も考えてやるよ。ベリア奪還再統一を達成する際にアイツらが先頭に立ってたら、志半ばで死んだ連中も、騙し討ちで殺された連中も少しは浮かばれるんだろうけどな」

 ディーンとライゼルの戻りをトリエル、ミシェル、アリアス、セダン、ベルレーヌたちが待ち構えていた。

 なんだか酷く疲れた様子の二人がルイスを置いて戻ってきたことで、後に“ウィズダムモンスターズ”と称されるこの二人にも悩んだり考え込むネタはあるんだとトリエルは顔をしかめた。

「アンタらが居ない間に情報統制を破る算段はつけたよ。俺は法皇猊下から戦費兵站担当のアリョーネ姉さんにならコッチの内情を伝えていいことにさせて貰っている。アリョーネ姉さんからマギー姐さんにはヒソヒソで済む話だ」

「そうでしたか。そうでもないとなぁ」とディーンとライゼルは尚も暗い顔を並べていた。

「どうしたんだよ?」とアリアスが二人を案じる。

「フリオの親父の仇がミィの祖父で、ミィの家族の仇がフリオだってさ。ミィの祖父タタール・リッテが本物のエルミタージュ幹部だと判明したんだが、よりによって元ナカリア銀騎士団の団長だというのに、珍しくディーンが本気で激怒した。まぁ、ミィの方が少しだけ大人だし、なんか感じてたんで、フリオを背後からブスリとかはなんないだろうさ」

 トリエルとアリアス、セダン、アルバートは唖然とした。

 ミシェルはファーバ流に十字を切り、幹部たちに話せる程には二人を落ち着けて戻ったのだと理解した。

 そんな深刻な話があった割には戻りが早かったのは《鏡像残影》をまたしても使ったのだとも理解した。

「なんとなく、アイツらは良きライバルから良き夫婦になるもんだとばっかり思ってたんだが、お互いが仇とかシャレになってねえな」とトリエルは苦笑し、「いずれにせよ時間が必要だな。アリアスもそのつもりで作戦練ってくれ」

「殿下にゃ同感です。しっかし、蟲さんたちと戦う以前に背中が火だるま状態ですね」

 アルバート・ベルレーヌ大佐はもっと深刻な顔でいた。

「ひょっとすると《西風騎士団》の抗戦強硬派の中にも、反対者の中にもルーマー教団関係者が居たんでしょうな。道理で私たちが門外漢扱いされたわけですよ」

 大佐として幕内に居ながらアルバートはレマン迎撃作戦を巡り、将官たちの交わす沸騰する議論から置いて行かれていた。

 そもそも、なんでまた突発的に作戦の大幅変更の必要があったのか理解に苦しんだ。

 その上、各個撃破されたという《西風騎士団》の犠牲者や全壊やら擱座したシュナイゼルの数が全く合わなかった。

 今現在ベルレーヌの率いているのは生き残った《西風騎士団》団員の6個中隊に相当する四分の一程度だ。

 幸いにして事前作戦の内容に精通していた将官級幹部がベルレーヌの配置を後背にしていてくれたお陰だった。

 迎撃作戦の旗色が思わしくないのでフォートセバーンに退却しようとしたが、既に龍虫本隊の急襲により難民達が雪崩をうって街道沿いを逃げるのに遭遇し、急遽退却戦の内容を切り替えた。

 耀公明とはそれではぐれてしまい、トレドに敗走部隊を預けてミシェルやフィーゴと共に策を練り直すためにアルマスに退いた。

 更には《ガエラボルンの虐殺》で一時的にフォートセバーンを解放した後、市内の状況を確認したが港沿いの倉庫群に大量備蓄していた戦略物資が忽然と消えていた。

 考えたくはないがアルバートと同様に事前の作戦計画に精通していた「裏切り者」が交戦するフリだけした連中と共に飛空戦艦で持ち去ったのだ。

 光学迷彩稼働による奇襲が迎撃作戦の初期作戦だったのでこっそり戦域離脱しても味方にも分からない。

 ナカリアもメルヒンも戦前から相当に切り崩されていたということになるし、ひょっとするとまだ部隊の大半がベリア半島内に留まっている。

 フリオはディーンにだけは海沿いの港湾都市のいずれかに西風ルーマーセルが潜伏していることを伝えていた。

 国家騎士団西部方面軍のレウニッツ・セダン大佐も貧乏くじを引かされたが、アルバート・ベルレーヌ大佐はそれ以上だったかも知れない。

「蟲さんたちだけじゃなくて、ナカリアの金銀騎士団と西風騎士団のルーマー派もベリアに居座っている格好ですかな?」

 《鉄舟》の言う通りともなると今後はシュナイゼルやらファルベーラとも戦うことになる。

「ヤツらが馬鹿で良かったぁ。旧型のシュナイゼルやファルベーラなら新造したポルト・ムンザや改修機で戦えば性能的優位はこっちにある」とトリエルは豪語したがアリアスはタメ息をついた。

「だといいですけどね」

 メルヒン《西風騎士団》組と違いナカリア《銅騎士団》はひよっこたちだったし、ようやくお尻の殻が取れた程度だ。

 オレロス、ファルベーラの扱いもなってないのに性能的に凌駕するポルト・ムンザを運用出来るか。

「いっそ新米どもにはなからポルト・ムンザで訓練させとくか?」

「それもアイデアとしてはアリですね。私自身新造試作機よりはシュナイゼルの改修機の方が扱い易いですから」

 アルバート・ベルレーヌ大佐が言うのももっともな話だし、新米に新型機を使わせる提案をしている張本人のトリエルも使い慣れたトリケロス・ダーインの改修機を使っている。

 慣れというのはそういうものだ。

 もともと使っていた機体の性能向上は大歓迎だが、新造機となると急に臆するベテラン騎士も実際多い。

「いざとなりゃ、純白のフレアールにエリシオンとトリケロス改、スカーレット・ダーイン、フリカッセを集めてぶっ潰す」

(殿下の威勢の良さだけがウチの陣営にとっての朗報だよなぁ)

 アリアスは肩を落としてまたため息をつく。

 当初の作戦計画よりもかなり旗色は悪いが、まだまだ引き出しだけは大量に残っていた。

 現有戦力だけでどうにかしろという無茶なオーダーも、軸となる主力騎士たちとその乗機とでどうにかこうにかしている。

 現に哨戒任務を兼ねてファング隊と出撃中のティリンスとスカーレット・ダーインの姿はバスランにはない。

「じゃあ、バスランのことはあんた方に、パルムのことは女史と少将に任せるということで、お次はアルマスですか」

「ホテルシンクレアでしっかり寝て来いよ。到着までもしっかり休んでてくれや。当面、こっちゃ小競り合いだけだし、半分は慣熟訓練みたいなもんだわ」

 事実上、トリケロス改を軸に耀紫苑の警護目的で着任したティリンス・オーガスタのスカーレット・ダーイン2番機が活躍していたし、既に《虫使い》に干されかかっているルイスのエリシオンもほぼ後方待機だった。

 龍虫の分断作戦は上手いアリアスが本隊から強制的に分断した龍虫たちを《西風騎士団》の若手騎士やらナカリア銅騎士たちに「実戦訓練」として叩かせている。

 数に勝った状態だったらなんとか戦えなくもない。

 だが、そんな芸当がいつまで続けられるやらとアリアスは途方に暮れた。

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