第6話 文殊の三人(後編)

「さて、そろそろいいだろう本題に戻るぜ。長男、三男が家をあけたエクセイル家でなにがあった?当時ハルファに居たお前が知らないことも多いだろう。しかし、俺がトワントから聞けた話はあくまでトワントが把握できた内容と俺に話して構わない内容だけだ。それに失踪直前のフィンツに関してディーンが一番詳しいが、お前はトワントの心を煩わせまいとして、いや“別の理由と不信感”があったんですべては話していない。違うか?」

 ライゼルの指摘したポイントにディーンは感心した。

「父さんはスゴいや。其処までわかっていたならあとはボクの猜疑心がなにを根拠とするか話すだけでいい」

「《鉄舟》にも分かるように話せ。《墨染めの剣聖》たるミシェルは徳の高いファーバ司祭だ。正直に話すことが心のつかえを取り去ることにもなる。ナノ粒子を見たときのお前の動揺は本物だ。なによりそれを案じていた」

 父ライゼルの力強い言葉を受けてディーンは俯いてとつとつと語り始めた。

「フィンツ出奔の直接の動機は祖父ギルバート3世が義娘のウルザ母さんや使用人のマリアにまで肉体関係を強要していたことです。マリアに到っては私生児まで孕ませられていた。そして、密かな子育てで弱り切ったマリアがルーマーに接触されて、エクセイル家の人間に毒を盛っていたことにフィンツが気づいてしまった」

「なんだとっ」

「そうか、それでですか」

 汚染させられた食事を摂らされ続けたら耐性因子があっても肺病に罹患するし、生殖能力を喪失する。

 ウルザはトワントの子を懐妊したし、同じ時期にハンナ・エッダも懐妊していた。

 リィとハンナはもともと女皇正騎士でトワント、フィンツ、ディーンのたちのガード役だ。

 リィとハンナはもともとベックス子飼いの部下たちであり、ベックスの辞職に伴い正騎士を除名されたが、エクセイル公爵家の専任警護担当は引き続き行っていた。

 だから、トワントのこともフィンツのこともフィンツの替え玉となったディーンの秘密も他所で漏らさない。

「ボクらはウルザ母さんとハンナが相次いで堕胎したことで、すぐに異変を察知して密に連絡を取りあっていました。当時はヴェルナールにばかりに気を取られていて、ルーマーの連中がパルムで暗躍しているのだとトリエル叔父さんやベックス爺さんたちも気づいていなかった。そして、用済みのギルバート3世を消そうとしていた。聴講生としてエルシニエ大学内に潜り込んでいたフィンツはボクとの合意で養祖父ギルバートを階段から突き落として半身不随にしました。『女遊びもほどほどにしろ』という警告でもあり、結果的に堅牢なエクセイル邸内でその命を守ろうとした。グエン・ラシール調査室長も大学内がなにが起こっても関知出来ないであると警戒した。そして、ギルバート襲撃の黒幕はベックス爺さんだと思わせておいた」

「そうだなマサカ仮にも家族で10代前半のフィンツの仕業だとは考えなかったろうな」とライゼルは呻く。

「少年時代のあなた方に其処まで負担を強いていたとは・・・」とミシェルも驚嘆した。

「それに当時既にフィンツは婚約していました。その相手というのがメル・リーナです。フィンツから相談され、ボクがフィンツの母親であるアリョーネ陛下に掛け合って了解を得ていました。なにしろボクと違いだったフィンツは聴講生として大学で経済学や経営学も学んでいた。この戦争の後、ベルシティ銀行に入ってメルを娶り、パトリック氏の後継となるのがフィンツの望んだ人生設計でした」

「なっ」

「・・・嘘ですよね?」

「既に半弟セオドリックが誕生していたのでどちらかがヴァンフォート家に入る必要性もない。エクセイル宗家をボクが、セスタスターム宗家をフィンツが継ぐ。それにフィンツが騎士を忌避していたのは愛息を手元に置く陛下が一番ご存じだった。セスタスターム宗家を継いで剣皇として戦争を戦った後、騎士を廃業するのは既定路線です。むしろ、陛下は母親としてフィンツの多芸な才能を眠らせておきたくなかった。殿として宮殿に居たところで皇位継承権のないフィンツにはトリエル叔父さんやトゥールほどには器用に立ち回れない。それに叔父さんやトゥールのようにもいない。財界に入って富と名声を得て辣腕を奮う方がフィンツの性格にも合っていた」

 大人たちは言葉に詰まった。

 少年時代にディーンとフィンツは其処まで将来を考えていた。

「フィンツは純粋にメルが好きでした。当時はメルも本当に純粋なパトリック様とセシリア様の血を継ぐ多芸で可憐な令嬢でしたからね。フィンツ出奔のトリガーはセシリア様とメルが亡くなったことです」

 メル・リーナが故人だというのにライゼルもミシェルも呆然となった。

 ではあのメリエルは何者なのだ?

 ディーンは驚愕と動揺で顔色を失ったライゼルを見て、この件には無関係だったのだと確信した。

「お二人もご存じないなら、本当の事情を知っているのはローレンツ前公爵、トワント前公爵、パトリック氏の三人だけです。あの三人の結束は固い。だからこそ、メルの死を秘匿しました。もともとメルはパトリック氏とセシリア様の実子です。フィンツとメルが共にアリョーネ陛下の実子なわけがない。実の兄妹を結婚させるなど母親が許すはずがない。つまり、メルは《メリエル計画》とはなんの関係もない。《虫使い》を攪乱するためにパトリック様が敢えてそれっぽい名前をつけていただけ。なのにルーマー教団の魔の手はリーナ家にも及んでいた。財界人のパトリック・リーナ氏とその家族もルーマーによる排除対象だった。フェルベール元男爵家出身のパトリック氏はともかく、なんらかの工作がないと皇分家筋のリーナ一族までナノ粒子の犠牲者には出来ません。だから、そのときからフィンツは復讐鬼と化した。ボクにももうフィンツを止められませんでした。ルイスに対して同じ事をされていたらボクも復讐鬼になる。そして、ギルバート3世とマリアをしてフィンツが逐電したときから、ボクとフィンツのという役割が逆転したのです」

 ライゼルとミシェルは一言も発せられなかった。

「ボクは養祖父ギルバート3世が排除されたことで堂々とエクセイル家に戻れた。もとより廃嫡された嫡男の長子です。その上で、新大陸行き前の短期滞在の間に一連の事件の検証だけはしました。フィンツは戦利品としてをボク宛に残していた。ボクはすぐにマギー姐さんに鑑定解析を依頼した。その結果は既にお話しした通りです」

「そういうことだったか・・・」

 ディーンの実の父親のライゼルやアリョーネ女皇まで《メリエル計画》では茅の外に置かれたのだ。

 だから、ディーンは皇室吟味役だった叔父で養父のトワントを全面的に信用せず、猜疑心を抱いた。

 パトリックの娘メリエルこそが皇位継承権第一位でその双子の兄がトゥドゥール新公爵だと宣告したのは、他ならぬトワント・エクセイル公爵だ。

 母親も父親もそんな筈がないと知っている。

「あくまで推論ですが、マルガの地下施設に秘匿されていたのはアリアドネ様だけではなかった。始祖女皇メロウの肉体、いいえも保存されていた。それに一縷の望みを託してとして蘇生させていた。ローレンツ公の暴挙なのか、新たな可能性なのか現段階では判りません。ですが、少なくともトワント父さんもパトリック氏もご存じだった。そうしてメルの死亡届は出されず、一定期間の休学の後にメルが表舞台に復帰しました。ですから、ボクと陛下も謀に乗ることにしました。其処に居ないフィンツでなくメルを皇太子皇女として《メリエル計画》を継続させ、ボクが期間限定での替え玉になり、剣皇になるボクをトリエル叔父さんとトゥールが補佐する。そのための時間稼ぎでボクは新大陸で武者修行した後、ベルカ・トラインの偽名でエドナ杯に出場し、名実ともにとなりました。もともと議会承認を通していなかったボクの女皇騎士という身分に正騎士という公の認証がなされた。ヴェルナール議長には面通しして“オーギュストの息子としてその任に当たる”とだけ言って信用させた。だから、元老院全会一致で決議された。反対票があったならそれは父さんの投じた一票だけです。でもそうしない方がいいと父さんは判断した。かつてレオポルト・サイエス新公爵をアリョーネ・メイデン・ゼダ皇女の婚約者としての決議に賛成票を投じて誹られたときと同様に」

 ライゼルは苦々しく顔を歪めた。

 事実上、エドワードを筆頭に家族を人質にされているライゼルはヴェルナール議長の意向には逆らうことが出来なかった。

 ローレンツとアリョーネ、そしてアラウネを裏切ることになるが、13人委員会の分断に成功していると議長に思わせておく必要があったし、自分がキーパーソンだと気付かれるのは好ましくない。

 その上で、レオポルト・サイエスという男を侮ったヴェルナールに便乗したのだ。

 ローレンツ・カロリファルは表の能力や趣向など色々と暴かれすぎていた。

 しかし、そもそもレオポルト・サイエスも13人委員会のメンバーであり、留学先のウェルリに居ながらにしてエドラス王との折衝役として動いていた。

 ゼダ人としては帝王教育学の教育者として屈指の存在であり、惰弱で臆病なフリをしているが気骨のある青年であり、ローレンツには悪いがライゼルはアリョーネのパートナーとしては最適任者だと判断した。

 敢えて同志ローレンツを推したフェルディナンドとワグナスに対し、ライゼルはレオポルトを推した。

 そうして同志たちからは「裏切り者」と誹られたが、その一件によりヴェルナールの懐深くに潜り込んでいた。

 我が身可愛さから同志を売ったフリをしてヴェルナール・シェリフィスの首に鈴を付けたのだ。

 道理を弁え、話の分かる役に立つ男だと思わせておけば、いざというときまで雌伏を続けられる。

 当然だが、メロウィンとアリョーネには個々に皇室政治顧問として必要な措置だと説き、女皇家が施政と距離を置く格好の機会だと説いた。

 メロウィンが狂った風を装い、母の名代だったアラウネが排除されているのに無理に足掻けば、ヴェルナールの思う壺になる。

 トワントにもよくよく因果を含め、アラウネの排除という緊急事態への対応策だと語った。

 本当はローレンツにも分かっていたのだ。

 自分の役割はトリエルの子トゥドゥールを養育することであって、アリョーネの伴侶となることではないとローレンツも覚悟を決めていた。

 反撃の契機は必ずやって来る。

 いずれはフィンツ、ディーン、トゥドゥールという三枚のカードを並べて一人勝ちしているヴェルナール・シェリフィスを追い込む。

 結果、フィンツが欠け、トリエルが代役になったというだけの話だった。

「そうだな、我が子フィンツの出奔に動揺したアリョーネを除こうとしていたハニバルやベックスたち騎士団主流派の目論見を挫き、エドナ杯決勝の舞台でルイスと共にアリョーネを護った。そんなヤツがヴェルナールの手先に終わる筈がない。俺と同じ事を考え、そうして欺いた。ディーンはやはり“敵も味方も欺く”正真正銘の俺の息子だ」

 そうして、対の怪物たるアリョーネ女皇とその影であるオードリー・ファルメ・ラファール夫人あるいはオドリ・アンドリオン女子爵を二つのクイーンに見立て、メリエル・メイデン・ゼダをキングに頂く。

 その下にナイトでありルークたる真女皇騎士団団長オーギュスト・スタームことサンドラ・スターム、ハニバル・トラベイヨ女皇騎士団司令あるいはエルビス・ヴェローム公王、トリエル・シェンバッハあるいはトリエル・メイヨール、トゥドゥール・カロリファル公爵またはトゥール・ビヨンド、ディーン・エクセイル公爵または剣皇ディーン・フェイルズ・スターム、“ベルベット”・ラルシュ少佐を並べたゼダ側の重厚な盤面は完成した。

「そして、ヴェルナール議長の逝去、フィンツの死とローレンツ公の自害の発生です。貴方方はためらったがフィンツの亡骸とローレンツ公の亡骸を陛下の勅令によりボクとマギー姐さんが詳細に検分した。その結果が、フィンツの死体は正真正銘の本物で、ローレンツ公の亡骸はナノ・マシンで作り出した偽物です。しかし、ローレンツ公とフィンツはわけではないでしょう。ヴェルナール・シェリフィスの偽物が立てた計画に乗った。つまり、ある肉体に生体情報を移し替える。ハイブリッドや覚醒騎士なら可能な方法です。おそらくは《タッスル事件》で殺された本物のヴェルナール・シェリフィスの記憶を偽物のに同居させた。そうでなければ、故人の人脈を利用した高度な妨害計画など遂行できません。同様にあるいはフィンツはヴェルナールの用意したに自身を移し替えたのかも知れません。そして、ヴェルナールの立てていた計画を奪った。しかし、フィンツは『敵』でしょうね。なにより、フィンツは自身を其処まで追い詰めた女皇家と女皇国、ひいてはネームド人類を憎んでいますから。問題はそれが誰なのか?」

「俺が真っ先に怪しいと踏んだのはスレイ・シェリフィスあるいはアリアス・レンセンだ」

「なんとっ」

 「真の敵」として親友の名が聡明な父の口から真っ先に出たことに、ディーンは全く動じなかった。

「兄弟だけあって父さんも叔父さんも考えることが似ている。けれど、ボクはアリアスは敵ではないと思っています。だから、トワント父さんの意向を受けてスレイを排除しようとしていたルイスをも止めました。アリアスの自我はとても強いし、アイツの憎しみと怒りと嘲笑とはセカイの真理そのものに向けられ、仮面で隠しています。騎士たちへの憎悪は計り知れない。だが、だからこそ騎士にも《虫使い》にも龍虫にも同様の憎悪と嘲笑を浮かべて『共倒れ』を狙っています。それは誰か一人の自我が制御出来るようなものではありません。もともとアリアスは帰化したエドナの弟・・・つまりは《龍皇子》でしょうね」

「えっ・・・」

「そんなマサカ」

 二人の中年男は動じたがディーンだけはとても冷静だった。

「《鷲の目》持ちであれだけ戦術戦略に秀でている。エドナの能力継承者ビルビット・ミラーは戦術家ですが、あれはボクやトリエル叔父さんと同レベルで、半分は騎士としての才覚。つまり前線指揮官として抜群に優れている。しかし、アリアスの戦略的思考はそれを遙かに凌駕します。現にボクも叔父さんももアイツの手腕にかかればです。だいたいそのアイツが父さんを持ち上げていた。流石に《砦の男》と比べたら未熟者だと、プライドの高いアイツが素直に認めていました。怖いのは其処からです。アリアスはメリエルと結託すると自ら選びました。メリエルの正体が始祖女皇メロウだと知っても臆さなかった。それどころか自らに志願した。多分、アイツなりのをつけるが為にです。そのために盤面をひっくり返してコッチ側に来たんです。《バルム講和会議》を破綻させたのはアイツですが、そのことに良心の呵責を感じ、それがために《白痴の悪魔》や《アリアドネの呪い》、《新女皇家》が生じたことに煩悶していた。ボクからしたら“遂にそうなったか”です。セカイの変革はコチラ側でしか出来ません。アイツが《虫使い》側に置いてきた《能力》だけでさえ、過去にボクらを翻弄しています。それに打ち勝てるのはかつてその能力を保持していたアイツだけでしょうし、あるいは人嫌いのメロウをも屈服させているでしょうね。だから、ボクははなっからアリアスとメリエルとにこの先の未来を託しています。《嘆きの聖女》の影たるルイスも最終的に同意しました。護れるなら護り、尻拭いはする。それがかつては父さんに救われた《黒髪の冥王》あるいは『剣皇ディーン』の結論です。可能な限り切り札となるカードをアイツに預ける。これから先、厄介な敵はどんどん出て来る。そして、ボクが皆に語りたくても語れなかった《オリンピアの天ノ御柱》。パルムが正に焦土となりかねないその危機の本質を識っているからこそ、アリアスはアリアスとして戦うと宣言したんです」

 いまだ《御柱の暴走》という本当の危機についてはごく少数しか知らない。

 そのごく少数の中にフィンツがいた。

 セカイそのものの審判の刻が迫っていた。

 《白痴の悪魔》の本当の狙いはアリアドネではなくその御柱なのだ。

 ライゼルはむっつりと黙って腕組みしたまま息子の言葉を最後まで聞き届けた。

 ミシェルは思慮深く考えた後に慎重に言葉を絞り出した。

「つまりこの戦いの真の意味とは、御柱を産み出した始祖女皇メロウをどちらの陣営がより深く理解して、その真意に適うかを争う競争ということなのですね?」

 中原一の頭脳と称される《鉄舟》はそう結論づけた。

 ミシェルは戴冠式でメリエルの掲げた“大エウロペア連合女皇国成立宣言”を聞いていない。

 アリアスはその場に居なかったが宣言内容に策士アリアスのアイデアが散りばめられていて、アローラ、メリエル、アリアスが三人で練ったものとディーンは判断した。

 そして最も強硬な反対者になると予測したフェルナン・フィーゴが真っ先に心服し、メリエルとアリアスの覇道を支えるというディーンと同じ結論に到達した。

 メリエルの宣言は劣勢側の馬鹿げた賭けなのだが、亡国のナカリア人だからこそ冬の大地の下でひっそりと進む可能性の芽吹きを一番感じたのだろう。

 聞いた上でメリエルを吟味するディーンと、宣言を聞いておらず、やがて知るライゼルとミシェルが最終的なキーマンになる。

 ディーンは涼しげに笑った。

 『滅日』はまだ遠い先の出来事だ。

 今は歴史の分岐点でしかない。

「それがお前の最終計画と考えて良いんだな?」

 ライゼルの確認の言葉にディーンは頷いた。

「ええ、計画は用意していても、ボクらも父さんも最終計画の行き着く先は知りません。今は歴史の分岐点ではあっても終着点ではないからです」

 あるいは『滅日』の日、ディーンとルイスはその場にいる。

 人の心もつ姿でなく怨念そのものとして審判者の列に在る。

「そうですな。私らには今のこのセカイを次のステージへと移行させるという至上命題がある」

 ミシェルの言葉にディーンは難しい顔をした。

「大分、旗色は悪いけれどね。なにせこっちには守らなければならないものが多すぎる。そして、本当の『敵』の姿はまだ全く見えてこない」

 ライゼルが最後を締めた。

「まぁ、重大なヒントはお前自身が口にした。おそらくはそれこそが『鍵』になる。そろそろ《鏡映残像》の効果切れだろう。長話だったが現実には3分と経っていまいさ」

 ディーンが「密談」に際して天技である《鏡映残像》を用いていたことにはライゼルもミシェルも気づいていた。

 《光の剣聖》エドナ・ラルシュの残した騎士たちの高度訓練の方法であり、通常は仮想戦闘訓練に用いる。

 だが、使い方次第では「密談」や「熟考」にも向く。

 「鏡のセカイ」内では脳細胞の活性化により、現実よりも経過時間を短縮出来るのだ。

 通常の時間経過に戻ったことでライゼルは「ディーンの父」から「メリエルの任命した主宰という臨時執政官」に戻っていた。

「そうだっ、剣皇陛下にひとつお願いが。トレドの野営地で余っているレジスタはありませんか?」

 なにを言い出すのだとディーンと《鉄舟》はキョトンとなる。

「ええ、レジスタは配備されていますが今は訓練どころではないので、公明が改修した戦術偵察用以外はみんなカカシですよ。なぁ、ミシェル」

「はい。立たせておけばそれなりに真戦兵として居る格好になりますから。けれど、実戦は危なすぎて貴重な戦力たる騎士たちに使わせるわけにはいきません」

 ライゼルは事前に確認していた。

 その上でディーンもミシェルも簡単に了承すると踏んでいた。

「数機お借りしたい。それというのも難民たちの自立のためにです。まだ日は浅いですけれど、難民たちもただ凍死と戦っているわけではなさそうだと思いましたので、なるべく法皇猊下たちにご負担をかけない方法を私なりに思案致しました。騎士因子がある程度あれば動かすぐらいは出来るんですよね?」

 ミシェル・ファンフリート大佐は小首を傾げる。

「まぁ、そうでしょうけれども、義勇軍とか編成されるお考えでは?」

 ライゼルは苦笑した。

「ありませんよ。なにしろ訓練を積んだ騎士たちでも危ないのに折角繋いだ命を危険に晒す考えなんてありませんが、たぶん職業騎士たちには思いつかない方法で利用出来ると判断しました。まずはためしに私が動かしてみますよ」

 ディーンとミシェルは怪訝な顔を見合わせたがライゼルだけがなにかを思いついた人間らしいの表情を浮かべた。

 このときから「ライゼルの女皇戦争」は始まったのだと言い換えて良いからだ。

 そして、この時のライゼルの提案こそが人類絶対防衛戦線にとってターニングポイントの一つとなる。

 やがては騎士能力者の発掘という点でも、苦境打破としても恐ろしく有効な手段となるのだった。

 果てはミシェルが皮肉めいた冗談のつもりで口にしたことが本当になり、ベリア半島義勇軍こと通称「ライザー隊」が華々しいデビューを飾ることになる。

 難民民間人と一般兵たちで組織されたこの部隊の戦闘こそが重大な意味を持つのだ。

 その結果、ミシェル・ファンフリートのみならず法皇ナファドも、女皇メリエルもライゼルにはまったく頭が上がらなくなり、やがては心酔することになる。

 招聘に猛反対していたサンドラとアローラもライゼルの手腕には舌を巻く結果となる。

 そのことさえも、ライゼルは「ローレンツの遺産」と称し、「褒めるならローレンツ公を褒めろ。俺はただアイツがやらせたがっていたことをしただけだ」と謙遜することになる。

 次の議題こそが深刻だった。

 安全圏だと思われていた皇都パルムの危機的事態だ。

 既に十数年前から《虫使い》たちにより皇都も汚染されていた。

 ナノ粒子の直接摂取が耐性因子保有者をも汚染して呼吸障害や子宮汚染として苦しめることになる。

 ディーンが「パルムが危ない」と言ったとき、ライゼルは正に同じことを考えていたのだ。

 もしも飲料水や食料品にナノ粒子が散布されていて、パルムの住人たちが我知らず摂取した結果、不妊や喘息に悩んでいたとしたらこれを取り除くのは容易ではない。

 ただし、特性だけは掴めた。

 粒子の小ささにより、人体内に蓄積して容易なことでは排出されないが、氷点下3度の環境下では深呼吸と咳き込み、排尿だけで簡単に人体から排出されてしまう。

 通称「龍毒」とはそうも呆気ないものだったが、果たして冬場でも気温が氷点下を下回ることの少ないパルムで、気象兵器を使用したトレドと同じ環境を実現させることは出来るのか?というただ一点に関してディーンとライゼルは懸念した。

 まず、自然任せ、ナノ・マシン任せでは無理だ。

 かといって、虎の子の気象兵器がそう数多くある筈がない。

 全滅したキエーフから比較的良好な状態のものが回収され、ミロアで厳重に保管されていたというのが事実だろう。

 騎士たちがトレドやバスランで如何に奮戦しようとも護るべき地が汚染・蹂躙されていて、死の都と化したら補給面で行き詰まり最前線を突破されるのは時間の問題だった。

 そこまでするのかとディーンは思いを巡らし、ライゼルはすぐに対策を熟慮した。

 中原最高頭脳と称される《鉄舟》にしても同様だ。

 だからこそ、三人は会話のうちでは明白な事実を表したりしなかっただけだった。

 ディーン、ライゼル、ミシェルは三人とも馬鹿どころか極めて優秀な頭脳を持っている。

 だからこそ決定的な打開策が脳裏に浮かぶ前は話題にするのを躊躇ったのだ。

「最大の問題点は此処の現状を悟らせずに民衆に周知徹底させる方法とその役割を担う人選ですね」とミシェルは言った。

「ゼダに関しての人選については既に思い当たっているんだ」とディーンは言い切った。「ゼダ国軍軍警察の諸氏たちだ。ボクら4人は口の堅いとびきりお堅い彼等に追われて難渋した経験を持つ。だからこそ、彼等に特記6号発動を示して味方につける意味もあると思う」

「問題は『どうやって』ですね・・・」と言ったときに天啓がごときひらめきがライゼルの頭脳に舞い降りた。「そうか、エイブ・ラファール少将とマグワイア女史だ」

「マギー姐さんと義父さんですって」とディーンは息を呑んだ。

「マグワイア・デュラン女史は科学的な知見と標本保有者として、エイブ少将は13人委員会の一員だし、役目柄軍警察の指揮統括ではまたとない人物。それに彼等は職責故にとびきり口が堅い」

「そうか、かの二人であれば此処とまったく無関係ではない。身内が関係しているから余計な情報は他へは漏らさない。特記6号の統制下において情報遮断に一役も二役も担ってくれますな」

「剣皇、さきほど恐ろしくてバーンズ医師もわたしも試せなかったのが重篤罹患者での人体実験です」とライゼルは声を低くした。「よもやトワントのように余命宣告された患者では試すこと自体が寿命を縮めかねないとためらわれます。まずは脳裏からお義父上を排除されたい。痛恨事なのは先ほどの告白にて重々わかっております。私とてトワントは無二の『知己』です。出来れば喪いたくない」

 実弟をと呼び換えたライゼルの宣告に他の話題であれば「私とて」と抗弁するディーンもなんの反論も反証も出来なかった。

 だから、思い至って無力に膝をつき絶望したのだ。

「トレドでのあの劣悪な環境は戦時下と難民たちだからこそ出来たこと。なにごとにも自由な皇都では到底望めません。それに《鉄舟》殿は法都で実施可能な方法こそ考えるべきだ。最悪パルムが敵の卑劣なる手に墜ちても、法都ミロアはそうはさせまいとしませんと・・・」

「それだっ!」とディーンは絶望の闇に一筋の光明を見出した。「この場合、パルムにありミロアにないものが鍵となる」

「上下水道ですな」とライゼルは視察旅行で目にした法都ミロアをよく思い出し、ディーンに少し遅れて気づいた。

「平野部のパルムは上下水道を完備しなければ街の衛生状態が保てないが、山岳部のミロアはそもそも河川の水量がふんだん故にそのどちらもない」

「だとしたら、法都は心配ご無用。鉱山採掘で生じた鉱毒でさえふんだんな水量で洗い流されて人体に影響がないほどに薄まる。《虫使い》たちからしたら人口百万人のパルムこそネームド人類の最大拠点ですが法都ミロアなどはオマケです。ミロアはそもそも肥沃な平野部での食糧生産に依存していて、採掘される石炭、鉱石と引き換えに得ています」

 ミロア法皇国の基幹産業こそ石炭と金属の採掘に他ならない。

 その意味では化石燃料というについては絶対防衛戦線は最初から確保していた。

ですね。フェリオ連邦も現在の王都ウェルリや『剣皇カール』のいるファルマスは標高が高い。むしろ海岸線に近いオラトリエスの都リヤドの方が懸念材料。ですが東征のせいで今やゼダの占領下」

 ディーンは口に手を当てて思案し続けた。

 それを横目にライゼルは一気にまくしたてる。

「まずは人口百万都市のパルムの上下水道を軍警察に依頼して調査する。口実は『レジスタンスが東区の上下水道に毒を混入し、官僚官舎を標的にしている。極秘調査事案につき軍警察は水道局員と連携し、その調査結果はエイブ・ラファール少将に報告。なおこの調査は念の為、パルム中央駅と女皇宮殿のある中央区。貴族邸の多い山の手の西区においても調査の必要性の有無を確認せよ』といった処ですな」

「ライゼルさま、一つだけ確認したいがどうして南北は外されたのですか?」

 ディーンに指摘されてライゼルはニヤっと笑った。

「剣皇陛下、官僚や軍警察の立場に立ってみろよ。まずは自分の足許を確認してみたくなるのが人情だろ。自分たちだけは身の安全を図りたいという保身。その上で日々大勢の人々が利用する中央区、狙われやすい西区と調べていく。港湾地区の北区に関してはまぁまず真っ黒だろうさ。なにしろ川の下流域でドラウの大運河があるんだぜ。その上で歓楽街と貧民街のある南区までもが汚染されているとなると、黒幕がレジスタンスという線が最終的に排除される。民間レベルの小さな謀略じゃない。国家級の陰謀。つまりは東征で実害を被っているフェリオ、オラトリエスの関与も疑うことになるだろうさ」と言ってライゼルは不敵に笑った。「そして、最終的に答えを出すのはあのお堅いエイブ・ラファール少将だぞ。心理を読もうぜ。その上で危機的状況の排除についてはをみつけておいてやるんだよ。おそらくは低コストかつ早期に実施可能な方法として安全な飲料水の確保。つまりは上水道に濾過のためのなにかを密かに取り付けることになり、下水道では汚染物質の濃度調査というわけさ。そして、カミソリラファール少将なら最終的に汚染物質の投入地点を割り出す。そこまで詰めたならあとは一気にドカンと一斉検挙だ。国軍上級顧問ならばそれだけの人員をまかなえる。ただし、あくまでもすべて彼等にやらせるんだ。下手にこちらが具体的な方法や指示を出せばヘソを曲げる。そのあたりはもうタイミングの問題だ。ここにいる俺たちにゃムリだ。マギー女史のお手並み拝見といこうじゃないのさ」

 ディーンとミシェルはゴクリと唾を飲んだ。

 遠く離れたパルムの動静を慎重かつ正確に読む。

 おそらくは予算案についてもライゼルの脳裏には既にあるのだ。

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