第5話 文殊の三人(前編)

 セプテムと呼ばれたミシェルがまずライゼルを凝視し、ディーンは薄々気づいていた事実をはっきり認めて苦笑した。

「どういうことですか?」とまずミシェルがライゼルを見た。

「なんのことはない簡単な話だ。そもそも俺とアラウネの子がコイツと妹のセリーナだ。10代の頃既に関係していた。ボテ腹を誤魔化し、時間稼ぎのためにエルシニエ大学に通っている体裁にしていたし、実際に通っていたのは姉妹で文武に長けたアラウネの影武者エリーヌ・デュランだった。まぁ、学力教養に関してはもともとアイツらの家庭教師だった俺とマグワイアの仕込みだから二人とも16歳で入試に通るモノは持ち合わせていたし、女房はエリーヌのノートで学業も続けていた。そして、エクセイル公爵家のギルバート3世には三人の男子がいた。それが俺、トワント、ラクロアだ。メロウィン陛下がエクセイル公爵家の本来の跡取りだった俺にアラウネを娶せたんだ」

 メリエルの見立てがまた当たったことになる。

 ディーンとライゼルは身長こそ違ったが、性格はよく似ていた。

 なにより信頼しあっているし、それぞれ家族思いだ。

 つまり、ライゼルの現在の正妻であるメリッサ・モナースはアラウネがセリーナを産んだ後に、自ら夫の後添えとして選んだのだ。

 ライゼルの入ったヴァンフォート伯爵家の存続のためにディーンは利用出来ない。

 ましてセリーナが入っても事がややこしくなるだけだ。

 子種があると分かっているうちに、ライゼルが後継者をもうけさえすれば、それが皇室政治顧問の後継者となる。

 セオドリックとピエールはそうして相次いで誕生した。

 年が離れているがディーンの半弟たちだ。

 結果的にセオドリック誕生がディーンとフィンツの将来を楽にした。

 そうでなければディーンとフィンツの二人にはエクセイル公爵家とヴァンフォート伯爵家を相続する以外の選択肢がなくなる。

 セリーナは誕生してすぐに養女としてラシール家に入った・・・というより、セリーナが誕生したので養い親のグエン・ラシールとデュイエ・ノヴァが結婚したのだ。

 嫌々一緒になったのではなかった証拠に、すぐに実子のナダルをもうけている。

 そして表面的には滅茶苦茶だが、なんだかんだで家族揃って女皇家隠密機動部隊を形成している。

「ボクは薄々父親がサンドラさまでないと気づいていましたが、セリーナとフリオは僕等が兄妹だと確信していましたよ。でもトリエルおじさんの手前言うのが憚られた」

「セリーナとは会っているのか?」

「東征妨害作戦で1、2度ですがね。学はないけど馬鹿じゃないし、察しもいいけど遠慮を知らないし、デリカシーにも欠ける超絶美少女やんちゃ姫です。ルイス、メリエルに会わせたらえらいことになる。シャドー・ダーイン《蘭丸》を駆る『魔女』ですが、全然気にしていません。そしてナダルにぞっこんですよ」

 セリーナの実兄ディーンも白の隠密で、ナダルはどう転んでもディーンには頭が上がらない。

 もともとトリエル夫婦を誤解させる為の措置で、本当の実子がトゥドゥールだ。

 聡明なトリエル・メイヨールはあるいは気づいているかも知れないが、政敵のトゥドゥール・カロリファルとは実の親子である。

 表向き対立牽制し合っていれば、誰も親子だとは思わない。

 ディーンとライゼルは性格的に似ていたが、トリエルとトゥールは真逆とも言えるほど異なっている。

 トゥールは容姿性格共に祖父似で、往事を知る者たちにとってはメロウィンの夫でアラウネ、アリョーネ、タリア、トリエルの実父たるロレイン・サイフィール侯爵にそっくりだった。

 ディーンは皇室吟味役のエクセイル公爵という立場上、《取り替え子作戦》にはある程度気づいていた。

 トワントはディーンの養父であり、その実、叔父だった。

「なんですってっ!?だとしたらおかしい。なぜ、ライゼルさまがオーギュスト卿にいきなりぶん殴られることに?」

 トレド到着早々の騒ぎを見たのだからミシェルが驚愕するのも無理もない。

「アレはオーギュストの片方だったサンドラだからだよ。オーギュスト・スタームもカイルとサンドラの二人居た。そして俺たち《13人委員会》とツルんでた《太陽の騎士》はど天然で馬鹿みたいに陽気なサンドラだった。パルムに居る間のアラウネのエンプレスガードだったからさ。女皇騎士団司令のオーギュストが二人いたことは委員会メンバーにも秘密だ。ぶん殴られるほどのケジメが必要なのはアラウネ本人がパトリシアと仕組んだ縁談だからってメリッサを娶ったことだとか、俺がパルムに居ながらフィンツが失踪したことだとか、ローレンツの末路だとか、思い当たるフシが多すぎてドレと特定出来ん。もう一人のオーギュストだったカイルはとうの昔に誅殺されている。誰にってサンドラの鬼嫁にさ」

 サンドラの鬼嫁というのが現女皇アリョーネだ。

 失踪したディーンの義弟フィンツ・スタームはアリョーネとサンドラの一人息子だ。

「えっ?それだと剣皇陛下はセスタスターム家直系じゃないってことですか?」

 ミシェルの指摘にディーンはなんでもない様子でしれっと応じた。

「そうですよ。まぁ、母様がアルベオお爺さまの養女としてアローラ・スタームになっているので、連れ子のボクも必然的にスターム姓になりますし、スターム家の騎士が剣皇位につくとき、隠してあったフェリオ連邦フェリオン侯爵家連枝を意味するフェイルズ姓が出てくる。ボクにせよ、フィンツにせよ剣皇アルフレッド・フェリオンの末裔ですし、ファーンとエセルの末裔でもある。そもそもエクセイル公爵家が興って以降の新女皇家一族末裔ですからね。だいいちボクは予定外」

 ディーンは歴代剣皇を輩出したセスタスターム家直系だから剣皇に推挙されたのではなかった。

 本来、剣皇になるべきフィンツ・スタームが「消えた」ので急遽抜擢されたのだ。

「そうなんだよなぁ、もともとディーンはフィンツの補佐か、エクセイル宗家の跡取りで良かったんだけどさ、まさに父親の俺の不徳の致すところさ」

「ですよね。頭が良くて騎士の才が出ていない両親からは生まれながらの覚醒騎士が出てくる。それが《血の爆発》という過去に何度か観測されている現象で、結果として産まれてきたのがボクとセリーナです。そもそも父さんが秘密を明かした方が良いと判断したのは、ボクがフィンツの罪まで背負うと余計に話がややこしくなるからですね?」

「ギルバート・エクセイル3世とエドワード・ヴァンフォート5世も兄弟さ。つまり、ヴァンフォート伯爵家というのはエクセイル公爵家の分家で、という形で存在してきたんだ。皇室吟味役がエクセイル家、皇室政治顧問がヴァンフォート家というのも昔からの慣習だ。伯爵家は宗家の予備だよ」

「その事実はエクセイル公爵家当主しか知りません。ボクもトワント叔父さんから家督相続のときに教えられました。そして、祖父ギルバート3世がどんな人間だったかをもです」

 ディーンは極めつけに不快な顔をしてみせた。

「自分に意見するヤツは廃嫡するという徹底的に傲慢かつ、立場の弱い人間を食い物にするサイテーなオヤジだったよ。その癖、学者としちゃ、家祖同様の超一流とかいう矛盾の塊」

 それでソリが合わずにライゼルは廃嫡され、子に恵まれなかった叔父エドワードの養子となり、ライゼルと改称した。

 もともとはライザー・エクセイルであり、このあとすぐ「ライザー・タッスルフォート」と改称する。

 ライザーの名は《13人委員会》の連中にはお馴染みだった。

 しかし、メンバーの半数はライザーが本名ではなく「愛称」だと思っていた。

 エドワード・ヴァンフォート伯爵はライゼルの前任者であり、皇室政治顧問を実直に務めた真面目な人だった。

 しかし、子種がなく実子にも恵まれなかったし、正妻も早世していた。

 ライゼルの抱えていた負債とはその実、ギルバート3世の女道楽の後始末と酷い借金癖によるものだった。

 なにかというと実弟エドワードの名前を利用するので、借用書の名義がエドワードになっていた。

 つまり、その事情を知っているメリッサ、セオドリック、ピエールにとって「義父さま」「お爺さま」はエドワードでなく、ギルバート3世のことだった。

 晩年のエドワードは現在のトワント同様に病床の身であり、病身ながら出仕していたエドワードを隠居させ、ライゼルを押し立てたのは先代女皇メロウィンの配慮だった。

 そして、エドワードの兄ギルバート3世の存命中は介護に献身的だった義娘のメリッサを伯爵家に迎え入れられなかった。

 ライゼルとメリッサの結婚に反対していたのもギルバート3世で、エドワードは病床から事実婚状態のメリッサとその兄アランに何度も詫び続けた。

 そしてエドワードの療養費の負担もあって家計が窮乏したのだ。

「ボクは祖父を知りませんし、ある意味反面教師ですね。ボクも傲慢かも知れないし、立場の弱い人間を・・・」

 ディーンが言いかけたのをライゼルが制する。

「それはない。なぜならセプテムが育てた究極の怪物ルイスがそんなことをさせない。アレはもう本懐を遂げられなかったエルザとオードリーの怨念そのものだものな」

 幼いオードリー・ファルメはトワントにぞっこんだった。

 しかし、事情がそれを許さなかった。

「酷いなぁ、私の可愛い愛弟子を究極の怪物だとか怨念だとかって」

 ミシェルは冷笑混じりに二人を見据えた。

「でも、その通りです。騎士覚醒したルイスを目にして泣きそうになりましたよ。報われることの少なかった私の人生で最も報われた瞬間は、ゼダ女皇の全権代理人として立派に大成した娘も同然の愛弟子の姿を目の当たりにしたときです」

 ミシェルの目に光るものを見たディーンとライゼルは労いの意味で痩せ細った肩を抱いた。

 ミシェルは聡明で優秀だからこそ、いつも一番大変な役を負ってきた本当の苦労人だ。

「そもそも剣聖ライアック・カスパールなんていう隠し方を誰がしたのやら・・・ってウチのご先祖だけどな。剣皇アルフレッドを支えたライアック・ラファールとカスパール・ラファールの《双剣聖》兄弟。フェリオハノーバー選王候シュマイザー家はフェリオ純潔騎士家としてエルレイン家を別に興した。それで《墨染めの剣聖》カスパール・エルレイン誕生となり、カスパールの末裔にならルイスの養育が務まる。エイブに入れ知恵したのはなにを隠そう俺だ」とライゼルは言う。

「まぁ、ルイスは父親似で頭は良いのに驚くほど察しが悪い。けれど、よくミシェルはセプテム・ラファールだと気づかれませんでしたね?」

 ルイスには《鉄舟》こそが自分の師だと気づいた形跡がない。

 直接、間近に目にしていてもまったく気づいている様子がない。

「それは剣皇陛下。いずれルイスは騎士覚醒するとわかっていましたからね、ルイスが覚醒する前に妻子にも了解をとって顔を変えて騙し通しましたから。法皇行の間の仮初めの名が“セプテム・ラファール”。そして、ファーバ司祭としての名がミシェル・ファンフリート・エルレインだからですよ。なかなか気づけません」

 法皇行というのは愛別離苦を体験するために法皇候補となるファーバ高位司祭が妻帯して子を成し、家族と生別れてひたすら自己研鑽に励むと同時に優秀な司祭の血脈を後世に遺すという合理性に基づく慣習だった。

 法皇行に入る前の《鉄舟》の直弟子であるオラトリエス副王アウザール・ルジェンテと、マイオドール・ウルベイン中佐は勿論のこと、ミシェル・ファンフリート・エルレインの顔を知っていた。

 《墨染めの剣聖》誕生計画とは龍虫大戦中になんども法皇が変わり多くの血が流れ、混乱したことへの予防線だ。

 もともとファーバ教団の一般の司祭たちも妻帯を許されている。

 生命の根幹たる子孫を遺すことをファーバ僧たちがタブー視する方がロクなことにならないとメロウが禁じていた。

 たいてい性欲を処理しきれず、同性愛やら小児愛といった歪んだ性癖に到り、立場的に強いファーバ司祭たちがそれだと誰もが困る。

 それに一般人と僧侶司祭とで分け隔てしない方が禁欲的な自己研鑽の結果が尊ばれる。

 もとは皇族外交官のロレイン・サイフィール侯爵からヴェルナール・シェリフィスと共に絶大な信頼を置かれた外務次官補だったゼダ枢機卿ワルトマ・ドライデンの場合、若くして痛ましい交通事故で愛する妻子を喪い、更には心酔するロレインが《タッスル事件》で身罷ったことから外務次官補を辞職してファーバに帰依した。

 その後の彼は誰もが認める徳を積み、なにより同様に夫、妻、子を喪った者たちにとっての救い手となった。

 ナノ粒子による疫病蔓延で天寿を全う出来る者が少なくなり、愛する家族を奪われる者たちは増えていた。

 世紀末思想とカルト組織ルーマー教団に飲み込まれる者が多くいた中、ファーバ本来の教義を守ることに大いに貢献した。

 ワルトマ元法皇が特別なのではないが、「あなたの死はあなたの中にいる愛する者たちの死でもある」という彼の教えは、絶望のあまり自死を望んだ多くの者たちを改心させてきた。

 愛する者の記憶や思い出が大切なら、喪失の悲しみに飲み込まれることなく死に物狂いで生きなければならない。

 実際それで救われたのがトワントやパトリックたちだった。

 二人とも人生に絶望して自ら命を絶とうとしていたのを同志ドライデンに懇々と説得されて止められた。

 ローレンツだけが間に合わずにワルトマは歯噛みしたという。

 その実、ローレンツ・カロリファルは拳銃自殺したのだ。

 だが、当時既に国家騎士団に在籍していたトゥドゥールさえ「病死した」のだと思っている。

 酷い鬱を患い半ば病身だったのも事実だった。

 体調を崩しては持ち直して良くなるという繰り返しだった。

 死の真相を知っているのはライゼル、ワルトマ、トワント、パトリックだけだ

だが、自死した理由は誰も知らない。

 トゥドゥールが一人前になるまでそれだけはないと見做していた。

 そして、当然残すはずの遺書が残っていなかった。

 ちなみにワルトマ・ドライデン枢機卿は極めて短期間だけ法皇だった。

 法皇行はする必要がなかった。

 もともと愛別離苦の体験者だ。

 すなわち、アリョーネ女皇との連名でオラトリエス王シャルル・ルジェンテを4番目の『剣皇カール』に据えた後、人知れず生前退位して再びゼダ枢機卿に戻ったのだ。

 それも龍虫戦争中にミシェルとナファドに万一のことがあっても「予備」として控えるという苛酷なる措置のためだ。

「つまりは最初から候補のどちらも《墨染めの剣聖》カスパール・エルレインの末裔たちであり、適正で私が副団長、ナファドが法皇となった」

「まっ、それが妥当な線ですよね」

 ディーンは正直な所、ナファドが剣皇騎士団の副団長だとやりづらかったと思っていた。

 ミシェルは頭はいいが正直なので腹蔵なく語れるし、情にも厚いし共通の話題にも事欠かない。

 対してナファドはどこか冷淡だった。

「それは甘いぞ剣皇」と言ってライゼルはカバンから二冊の《ナコト写本》を取り出した。

 それに一番驚いたのはミシェルだ。

「写本だから二冊あっても不思議はない。だが、俺がナファドから渡された方には『キエーフ防衛戦』の記録についての詳細記述がない。従って“黒い咳、黒い小水”の記述もなかった」

「父さん、どういうことなんです?」

 ディーンは二冊のナコト写本の意味を図りかねた。

「こちらに来ると決まってトワントに今生の別れを告げに行った際に渡されたのが『キエーフ防衛戦』の詳述もあるホンモノの《ナコト写本》だよ。現役法皇がその手で管理する原本であり、真実、真相に一番近いナコト写本こと《真の書》。トワントはワルトマ枢機卿から直接預かったんだが、一足遅かった。コレを受け取るべきエクセイル家新当主が西に旅立ったあとになってしまったのさ。だから、俺がトワントから預かってきたというわけだ」

 二冊のナコト写本を読み比べて《真の書》とファーバ高位司祭の持つ《ナコト写本》との比較検証作業をライゼルは人知れずに行っていた。

 難民キャンプの片隅でだ。

 その結果がナノ粒子特定だった。

「それで私も知らない記述が・・・」とミシェルは少しだけ納得した。

「まっ、《鉄舟》は『次期法皇』なのだから《真の書》について現在は存在を知らなくても無理はない。問題なのは現法皇のナファドだ」と言ってライゼルは一層声を低くした。「アイツは本当に大丈夫なのか?特記6号発動も遅いし、いきなり気象兵器を持ち込み運用する必要が本当にあったのか?それに加えてベリア難民に対する冷淡さ。徳こそが法皇の最も重んじるべき資質だが、ヤツには人徳が感じられない」

 ディーンとミシェルは思わず顔を見合わせた。

 思えばナファドは謎めいているし怪しいところがあるから、行動制限を課した。

 素性と生い立ちは確かだし、そもそも不適格なら法皇に推挙されていない。

 だが、ミシェル・ファンフリートは1187年12月20日にタッスルのランデスホルン宮で龍虫襲来の第一報に触れ、神殿騎士団副団長として、フェルナン・フィーゴ大佐らとナカリア退却戦を戦った。

 そのときには既にミロア本国に電話で報告をしていたのだ。

 つまり、ナファド・エルレインはこの時点で即座に特記第6号を発動するべきだった。

 更に不可解だったのはメルヒンが単独で龍虫迎撃作戦をフォートセバーン「城外」のレマン丘陵で敢行したことだ。

 もともと450年前に夫のエルヴィウス・ロックフォート統一メルヒン王と共に旧都バルサにかわるフォートセバーンを建設した剣聖エリンベルク・ロックフォートは対龍虫戦争を想定し、新王都を要塞都市として基礎から作り上げた。

 エリンの晩年期にあった大戦と十字軍戦争では要塞都市フォートセバーンに出番はなく、反抗作戦のための集結地点となっただけで、本来のポテンシャルは発揮出来なかった。

 しかし、籠城にも適した地形と実戦想定的なガエラボルン宮殿はトレドよりも遙かに強固な城塞だ。

 ナカリアからの避難民と神殿騎士団の分団、ナカリア銅騎士団の到着を待ち、持久戦の構えをとったならフォートセバーンが短期決戦で陥落することなどまずあり得なかった。

 よしんば攻め落とされ、最終的に国境を越えたトレドに放棄後退せざるを得なかったにせよ、決戦兵器フレアールさえ回収する間もなく、貴重なドールマイスターの耀公明までが難民まがいの扱いだとかいう悲惨な事態になっていない。

 歯車が狂いだしたのは其処からだ。

「それじゃ、父さんはナファド・エルレインが既に殺されていてハイブリッド種がなりすましていると?」

 過去にヴェルナール・シェリフィスがそうであった疑いが強い。

 ナファドもあるいはと考えるのが自然だ。

「違うな。ミロア法皇になりすますのは大変さ。なにしろ、なにを何処まで知っていて他の司祭僧侶連中がなにを根拠にナファドを法皇だと認知しているか分からない。法衣を纏っても見た目は完全に中堅司祭で、司祭服を着ていなければファーバの法皇どころか司祭だとすら思わない」

 実際に対面時にライゼルはナファドを法皇だと気づくのに一瞬遅れた。

 ナファドが法皇になったとは知っていても、まだ目にする機会が少ないし、まして変装のための一般僧侶の僧服だった。

 ファーバ教団には剃髪などの慣習はないので、僧侶と一般信者は外見に目立った違いなどない。

「確かにそうです」

 《鉄舟》はライゼルの言う事実を認め、容貌などは完全に以前からよく知るナファド本人だった。

 それこそ、在位期間が長く高齢の先々代サマリア・エンリケは前法皇だとエウロペア人なら殆ど誰でも知っている。

 それでもなりすますのが難しいのは法話や祭祀手順の中に無意識のクセが混じり込んでいて、違っていたらすぐ違和感を覚える。

 そして、ワルトマ・ドライデンゼダ枢機卿も前法皇だと知っているのはファーバ教団内でもサマリア、ナファド、ミシェルらごく一部の高位司祭たちだけだ。

 更にナファド・エルレインは通例なら聖堂一つを任される中堅司祭の年齢だし、容貌は50歳という年齢よりも若く見られる。

 年は一つしか変わらないが、金髪に白髪の交じるミシェルと比べてナファドは赤毛に白いものは混じっていないので若々しい。

 まだ、完全な中年の《鉄舟》の方が法皇だと思われる容姿だし、実際にベリア枢機卿としてメルヒン、ナカリア、ラームラントを任され、アベラポルト大聖堂最高司祭という法皇に次ぐ立場だ。

「でもよ、ナファド本人の認知を弄ることなら簡単に出来る」

 認知操作と聞き、ミシェルは閃いた。

「そうかっ、この《鏡像残影》」

 今も密談のためにディーンが《鏡像残影》を使っていた。

 だが、元々は応用力のある天技なのだ。

 術相手に判断機会のシミュレートとしても仕掛けられる。

「つまり、ナファド・エルレインに特記第6号を既に発動していると思い込ませて、気象兵器の使用も暗黒大陸から大型龍虫が3000匹乗り込んでトレドに迫っていると思い込ませて踏み切らせた。ところが実際は、3000匹がトレドに一気に押し寄せて来るかというと来ない。奴等はせいぜいベリアに生息圏を確立したくて、乗り込んだのは大型3000匹だとしても、トレドに押し寄せるのは1割以下。それに3000匹を一人で統制出来る《虫使い》は《龍皇》含めて居ない。どんなに優秀なコマンダーでも大中小を取り混ぜた1割300匹を同時に操っていると思わせるのが限度だろうし、実際にゃ逐次に命令与えて連動攻撃させてるってとこだろ」

「さすがは凄い読みですね」とミシェルは驚嘆する。

「そうですね。実際にボクを相手に複雑な連係攻撃を仕掛ける場合は専属のネームレスコマンダーが一人いると考えて良いですし、思念信号波の有効距離は命令が複雑化するほど短くなり、コマンダーは近場に居なくてはならない」

 ディーンは先遣部隊はブリーダーに相当長く訓練された個体が選抜されたと読んでいた。

 戦っていてネームレスコマンダーの意志や作戦行動までは感じられない。

 そして《龍皇子》の単純全体命令である「来いっ!」というものならエウロペア中部から暗黒大陸まで届き、思念信号発生地点を目指して進軍するが、「トレド要塞を攻撃せよ」という命令だと思念信号波に龍虫の理解範囲を超える固有名詞は入れられないのでまずは座標指定となり、それだと強い思念信号波にはなりづらい。

 更に「フレアールを牽制攻撃せよ」だと個体識別情報から攻撃方針指定となり、居ない者を攻撃しようにも出来ないので居なければ命令自体が自動的に無効化する。

 つまり、逆に近場で指揮するネームレスコマンダーがトレド近郊でフレアールが出撃しているのを視認しているという事になる。

 ディーンが《純白のフレアール》でなく《虹のフレアール》を求めているのも、個体識別情報に加えて、光学迷彩で視覚位置把握情報に制限をかけ、確認作業が必要になるネームレスコマンダーを戦場に引き摺り出すためであり、もっと言うとディーンが機体強度の安定した量産機フリカッセを次々に乗り換えたなら個体識別情報まで滅茶苦茶に混乱させられる。

 そうなると最終的に「スタンピードして全部殺っちまえ」の騎士たちへの「エリミネートオーダー」と同じヤケクソな思念信号命令にさせられ、虎の子の「機動防御戦術」は其処でこそ生きる。

 つまりスタンピードした無闇矢鱈な攻撃を防御し続けて、フリオの言っていた「クタクタヘトヘトになるまで攻撃続行する」ことになり、連続活動限界で動きが鈍ったのから各個に仕留められるし、トリエルのように命令衝突による「同士討ち」も誘える。

 実際にを自在に操るというのはそうも難しく、逆に騎士たちという個性と個別性能を持った戦闘集団をとして団体行動させつつ、各自の個別性能を引き出せるアリアス・レンセン中尉がと言われる所以だった。

 統制のとれたこそが脅威であり、ある意味でエルミタージュセルが厄介な脅威となっているのは、各個に状況判断と状況反射対応出来るだからだった。

 戦闘指揮官の優劣は其処でつく。

 そして、メリエルの説明を受けるまでもなく、ライゼルは《砦の男》として《虫使い》と龍虫の実態やら個体特性は既に知っていた。

 その上で生態調査により各個体のを分析して叩く方法まで考案する。

 ともあれ《13人委員会》メンバーのワルトマ・ドライデン前法皇は対龍虫戦争の初期作戦を二正面作戦と位置づけていた。

 龍虫たちがフェリオ連邦アストリア大公国に進撃してきた場合に備え、オラトリエス王のシャルル・ルジェンテを剣皇に任命し、ファルマスとウェルリを後方支援要塞として迎撃作戦を実施する。

 逆にベリアに進撃してきた場合には海峡に近すぎるナカリアのタッスルを放棄して半島付け根のフォートセバーンにベリア全軍を集結させ、ゼダ、フェリオの両大国からの増援を待って反抗作戦に転じ、最終的には海上揚陸作戦担当のオラトリエス王国ルートブリッツ騎士団によりタッスルも奪還する。

 予定作戦行動通りのミシェルに対し、ナファドは特記6号条項の発動をなかなかしなかった。

 あるいはミロア本国で特記発動に慎重な意見もあって踏み切れないでいるのだとミシェルは判断したが、そんな筈はない。

 意図的に遅らせることで東西に戦場を割り、ネームド人類軍の戦力を分散させるのが目的だったとしたら、あるいは時間が経てば両方とも瓦解する。

 それがライゼルの指摘通りだとしたらミロア法皇国内に「敵」が入り込み、騎士能力もあるナファドの認知を誤らせていることになる。

 そして、なにより兵站物資の問題だ。

 戦場が東西に割れれば穀倉地帯であり供給元となるゼダ西部とオラトリエスが戦場になり、供給元が供給できなければ長期戦が難しくなる。

 だから、ライゼルはパルムの物価高騰を不審がったのだ。

 何年も戦い続けたならともかく、急激に物価が跳ね上がった。

 あるいは前の周期と同様にしてトゥドゥールが裏切ったと思い、ライゼルは呼びつけて真意を問い質したが、一番苦しんでいるのはトゥドゥール・カロリファル公爵自身だった。

 トゥドゥールは停戦協定の時期について既にフェリオ連邦国王エドラス・フェリオンとの間で内々に合意しており、龍虫のアストリア侵攻が「ない」と判断されれば、停戦後すぐにも外征部隊を大陸横断鉄道で西に振り向ける。

 それが出来なくてトゥドゥール・カロリファルはパルムで焦り苦しんでいた。

 極秘会見のあと席を立って帰りかけたトゥドゥールの気持ちに余裕がなさすぎるのを見かねたライゼルは、敢えてライゼルを密かにガードしているナダル・ラシールの存在を教え、面通しさせた。

 その上でリチャード・アイゼン中尉も伯爵亭に呼びつけた。

 ナダル・ラシールのガード対象だった耀紫苑がバスランに異動となり、シルバニア教導団訓練教官の必要もなくなったティリンス・オーガスタがスカーレット・ダーイン2番機と共に随伴した。

 現在、姉のアルセニア・オーガスタが女皇正騎士ティリンス・オーガスタとして、スレイマン家のマーニャをガードしている。

 もっともマーニャを害したくとも宮殿勤め、女皇正騎士アルゴ・スレイマンの居る実家暮らしなので難しいし、《執行者》のナダルが待機していると思わせておけば滅多な真似は出来ない。

 その気になればもっと強力なガード役が女皇宮殿に常在していた。

 そうなるとナダルはフリーとなり、ナダルはパルムを去ったトリエル副司令から指揮権の移行したハニバルの指示で、ライゼルやトゥドゥールといった国家要人たちをガードしている。

 実際のところ、ライゼルは一度も狙われたことがないが、トゥドゥールとリチャードのことは都合3回ずつは刺客団を始末したとナダルは話してトゥドゥールとリチャードをゾっとさせた。

 ヴァンフォート伯爵邸は密偵に内容を盗み聞かれる心配もなく、刺客が入り込もうにも閑散としすぎ、隠密機動たちが貼り付いていて、使用人たちも古参の者たちばかりだから安全だと示した。

 その上でライゼルはトゥドゥール・カロリファルの悩みを聞き出した。

 トゥドゥールの苦悩は東征軍の全権を委任しているロムドス・エリオネア中将が停戦しないことだ。

 よもやの《軍神》の裏切りまで疑い始めるとキリがない。

 そうしたことになっても大丈夫なように、ルイスの兄シモン・ラファール大佐が中将の腹心となっていた。

 「見えない敵」の存在にトゥドゥールもエイブもミシェルも苦しめられていた。

 関与しているのは傭兵騎士団エルミタージュとルーマー教団だ。

 だからこそ、グエンとトリエルは東征妨害作戦という形で女皇騎士団外殻支援部隊エルミタージュで、傭兵騎士団エルミタージュを炙り出して叩いていた。

 宿営地や兵站基地を狙うエルミタージュの妨害行動(過去の作戦では女皇騎士団の仕業)でロムドスは停戦したくても出来ないとトゥドゥールに詫びている。

 それを額面通りに信じて良いものかトゥドゥールとリチャードは判断に苦しんでいた。

 確認したくとも腹心のリチャード・アイゼン中尉を派遣したら、戻らない可能性も高い。

 ナダル・ラシールの口から単身で3回も命を狙われていたと聞けば尚更迂闊に動かせなくなる。

 トゥドゥール・カロリファルは国家騎士「トゥール・ビヨンド」という並以上の騎士だし、刺客のあしらい方は心得ている。

 だが、参謀将校のリチャードはそうではない。

 伯爵邸退去後、トゥドゥール・カロリファルは国家騎士団中央司令部に直行してリチャード・アイゼンの大尉への昇進と人事異動とを命じた。

 東征作戦に関われないリチャードは今の所重要な仕事が他にないのでウィリー・ヒューズ大尉の宮殿支部付とした。

 腹心に死なれるのが一番困る。

 だから、腕の立つヤツの側に置いておく。

 当初の計画通りだとナダルの負担が減る。

 つまり、まずライゼルがパルムから消え、続いてトゥドゥールもパルムから消え、リチャードは女皇宮殿近くで執務する。

 現在はライゼルがパルムから

 いまの元老院議会はライゼルの出した「辞職願い」を受理して正式にライゼルを除名したものか判断を付けられずにいた。

 そして、9月初頭から再開する議会で審議しようとしている。

 トゥドゥールは今後も表向きはパルムに居る体裁だが、それはトゥドゥール本人ではなく、になる予定だ。

 ならばトゥドゥール・カロリファル副総帥がしようとしていたことを実行してフェリオから生還出来る。

 結果的に人事異動によりリチャード・アイゼン大尉は後の「パルム防衛隊」の下地を作り、ヒューズ子飼いで信用出来る国家騎士たちやエイブ直轄の国軍兵士、軍警察捜査員たちとの結束を固めた。

 女皇騎士団のそして女皇メリエルの切りC.Cが暗躍している。

 既に外殻部隊エルミタージュの活動は縮小し、今も現地で活動中なのはセリーナ・ラシールら少数だ。

 その撤収にせよ、シャドーダーイン・蘭丸はコンテナに擬態させて貨車に乗せ、セリーナは乗客として移動出来る。

 実際何度もそうしてきた。

 移送に困る他の真戦兵は乗り捨てるなり、東征部隊の宿営地に置いていけばいい。

 肝心なのは人員の撤収であり、アリアスはスレイ・シェリフィス中尉相当官時代に既に撤収プランを出している。

 ミロア巡礼のファーバ教徒のなりをして徒歩と列車で移動すればいい。

 情勢が不安定だからこそ、宗教に救いを求める者は多く、戦が続くオラトリエスではそうして国外に逃れる者が多かったし、国民の国外流出を止める国境警備の兵士たちもいないので、彼等と共に移動すればまったく怪しまれずにゼダに戻れる。

 そのついでとして別のものも釣れる。

 ルーマー教団だ。

 親切顔してルーマー関係者が接触してきたらわざとついていき、彼等の所在を暴き出せる。

 改宗を迫られたら大声を出して逃げ出せば、不安ながらも着いてきた他の巡礼者たちも蜘蛛の子を散らし、結局ルーマー教団にその目的を果たさせない。

 そうして、摑んだ教団拠点の座標さえ判っていれば、撤退支援担当のパベル・ラザフォード少佐がロード・ストーンで出向いて精密爆撃をするだけで事は済むのだ。

 その頃にはとっくに外殻支援部隊エルミタージュのメンバーたちは遠くに逃げ去っている。

 外殻部隊エルミタージュや女皇騎士団には「ルーマー討滅令」が出ている。

 パベルは息子のカルロスを陥れたのがルーマー教団だと既に掴んでいるので、たとえもとは戦争難民だろうと容赦などしない。

 「カルト教団などクソ喰らえ」とばかりに爆弾を投下して悠々と女皇宮殿に凱旋する。

 こうした小細工を考えさせたら病的とさえ言えるアリアスの右に出る者は少ない。

 この作戦プランを提出されたとき、パベルは不気味なほどに嗤い、イアンは露骨にイヤな顔をし、トリエルは爆笑した。

 なにしろ亡き息子を思う父親の気持ちさえも上手く利用して目的を果たそうというのだ。

 ヘビと揶揄されるトリエルをしてと評された。

 外殻部隊エルミタージュを前線指揮していたトリエル・シェンバッハは既に西に戦場を遷し、彼もまた作戦計画通りに《剣皇機関》の一部となっており、亜羅叛、パトリシア、エリーシャらにアルマスを守らせつつ自分はバスランに居た。

 隠密機動であるマリアン・ラムジーは基本的に姿を隠して女皇メリエルにべったりと貼り付いている。

 ディーンがトレド要塞に貼り付いていられるのも、バスラン要塞に居るトリエルもまた『剣皇ディーン』として居るからだ。

 そもそも虫使いたちはどちらが本物の『剣皇ディーン』なのかをいまだ特定出来ていない。

 決戦兵器フレアール単機で荒らし回るのは《ガエラボルンの虐殺》ことフォートセバーン反抗作戦時にトリエルが実施した。

 同じく極温下で活動の鈍った龍虫をディーンは事実上、《純白のフレアール》単機で蹴散らしている。

 そのバックアップ要員としてミシェル、サンドラ、アローラの三人がついていた。

 公明と紫苑のバスラン要塞合流後、トリケロス・ダーインを見た目だけフレアールと同じ装甲形状と純白色に改修したトリケロス・ダーイン改としてトリエルが使っている。

 遠目には《純白のフレアール》とは見分けがつかない。

 エリシオンとルイス、アリアスもバスラン守備隊に回っている。

 もともとたった二人でフォートセバーン反抗作戦を事実上大成功させたのだ。

 二人の居るバスランに迂闊に手を出せば甚大な被害が出る。

 一方、《純白のフレアール》はディーンがトレドで使用中だ。

 まだ耀公明に正式発注した《虹のフレアール》が未完成だからだ。

 敢えて気象兵器使用に乗っかり、その間にバスランで量産型エリシオンことフリカッセ、カル・ハーン、ポルト・ムンザの建造を急いでいる。

 耀犀辰もアパラシア・ダーイン開発計画を一時中断してハルファから合流し、耀家三人体制で三種類の機体を量産指揮している。

 フリカッセはダーイン系機体の扱いに長けた紫苑が担当。

 カル・ハーンはトリケロス・ダーインを手がけた犀辰が担当。

 ポルト・ムンザはシュナイゼルの上位互換機なので公明が担当している。

 実際、公明がポルト・ムンザの量産に苦戦しているので虹フレの建造に手が回っていない。

 シュナイゼル並の軽量化という難題に直面し、公明はディーンによる戦利品のプラスニュウム調達待ちなのだ。

 そして、高速輸送艦バルハラはディーンがトレドで仕留めた龍虫を定期的にバスランに移送している。

 なにより一番遅い年代に完成したシュナイゼルが実戦機体としてもっとも秀でているし、新大陸への船便を定期的に出していたメルヒンは中堅騎士たちを交替で派遣してはシュナイゼルで「龍虫狩り」をしていて実戦に慣れていた。

 その慣れと奢りとが実戦部隊西風騎士団を擁しながら、フォート陥落を招いてしまった。

 新型プラスニュウムの改良研究も急いでいる。

 更には並行して既存機の性能向上という大仕事もあり、アルマス、トレドからメンテナンサーたちを大挙異動させてバスランは工房をフル稼働させていた。

 だからこそ、機動防御戦術に熟練したディーンは《純白のフレアール》の整備を最少人数のメンテナンサーに任せ、事実上単機迎撃しているのを気取られないように戦っている。

 つまり、トレド戦線ではアリアスの作戦プランにより、ディーンと《純白のフレアール》を除く全騎士、全真戦兵が見せ駒だった。

 ときどきバルハラとマッキャオが増援部隊を空から投下するので、いかにも全機全軍で交替して戦っているように見える。

 単機迎撃のカラクリがわかったところで気象兵器の作動するトレド近郊では龍虫は思うようには戦えない。

 フレアール不在の間隙をアモン・ダーインのオーギュストとスカーレット・ダーイン1番機のアローラが埋め、ミシェルはなにかしているフリだけする部隊指揮に徹している。

「・・・とまあ、そんなところですよ《砦の男》サン」

 ライゼルの情報と現状報告とを交換させてミシェルは鼻ヒゲを撫で付けつけた。

 人類史に何度も登場し後背を支える《砦の男》とはこの時代はライゼルを指す。

 その予備が《鉄舟》ことファンフリートの二つ名持つもう一人の《砦の男》で《墨染めの剣聖》ミシェル・ファンフリートだった。

 ライゼル自身は騎士ではない。

 だが、騎士戦闘の本質も騎士の優劣もよく熟知しているし、ナノ粒子耐性もある程度備えている。

 「剣聖の下ろし手」として既に各国の騎士たちから認められている。

 騎士ではないからマークされにくいし、為政者としての手腕を考えると始末しにくい。

 最終的に「親友ローレンツを売った」ことが、グエンと同様にライゼルを敵方に信用させた根拠だ。

「まてよそれじゃ、今はどうやってトレドを防衛してるんだ?」

「流石だね父さん」

「ええ、陛下」

 ディーンとミシェルは顔を見合わせて微笑み交わした。

「《純白のフレアール》は使徒搭載機ですよ」

「つまり、このところずっとボクの戦い方を学習させていました」

「そういうことか、無人稼働」

 《使徒》の特性は龍虫にも似ているというよりほぼ同じだ。

 つまり、学習能力があり一定期間学習させると戦術行動を自動的に行えるようになる。

 殺される他に寿命のない龍虫たちはブリーダーに仕込まれると基本的にその通りの戦術行動パターンをとる。

 それを必要最小限命令としてネームレスコマンダーが操る。

「ご明察です。剣皇陛下も人間ですからね。適度にお休み頂かないと倒れられたりしたら困ります。それについ先程、精神的なダメージを負われた。ですから長めの休養が必要です」

「連続稼働時間は6時間だとテリーが割り出してくれた。つまり、6時間程度戦ったら自動的に戦術的退却をするように仕込んであるのです」

「外装修理と素体の疲労回復が1時間です。ですからまた1時間ほど経ったら《純白のフレアール》は自動的に再出撃します」

「まるでクシャナみてーなことしてやがるな。完全に使徒搭載機をつかいこなしてやがる。《使徒使い》ってのには呆れるぜ」

 ライゼルとクシャナド・ファルケン子爵は旧知の仲だ。

 実際はそれ以上だった。

「《紅蓮獅子サーガーン》も使徒搭載機でしたものね」

「子爵は現在、暗黒大陸強行偵察任務に従事しています。昨年末にマッキャオで北岸に上陸しているのですが、まあ単身での偵察行動ですから帰還には最低一年はかかるでしょう」

「もう一つの決戦兵器フランベルジュ・ダーインも使徒搭載機だろ?それに俺の見立てではいまだタイアロット・アルビオレは決戦兵器としては完成してねぇ。機体は完成してるんだが、まだ《遊撃騎士団》によるシェイクダウン中だ。だとしたら、東征軍をあしらったアレは《ゼピュロス》だ。《疾風の剣聖》メディーナの正体は『剣皇ファーン』だな。俺にはなじみ深いヤツさ」

 メディーナ・ハイラルはこの前の戦闘で伯父のドルクス・ルフトーが戦死したことにより、メディーナ・ルフトーとなっていた。

 もともとルフトー家の方が騎士家としての家格が上であり、メディーナの父エルモスは分家のハイラル家に養子に出されていた。

 メディーナはかつては「パーン・クライス」としてエドナ杯に出場してルイスに完敗した。

「少しばかり手を抜きすぎました」と試合後にパーンはライゼルに笑ってみせたが本心ではなかった。

 もともと陸のみで戦うのは得意ではないのだ。

 一方で空を舞わせたら歴代剣皇一だ。

 陸と空での立体的な戦いが『剣皇ファーン』の真骨頂だ。

「怖い怖い、怖いと聞いていても尚怖いですね。《砦の男》は」

「アルビオレが完全に完成してからがヤツは恐ろしいことになるな。《ゼピュロス》も真戦兵同士なら単機で十分なんだが、ヒュージノーズ級と戦うには単機だと難しい。ディーン、遊撃騎士団のあの女隊長さんはなんてったっけ?」

「ベルゲン・ロイド隊長ですが?」

 《フェリオ遊撃騎士団》の女隊長ベルゲン・ロイド大佐ともディーンは旧知だ。

 当然の話で、《遊撃騎士団》に配備予定のタイアロット・アルビオレ開発支援がディーンに与えられた本当の役割だった。

 同時に飛行タイプ真戦兵の慣熟でもある。

「悪い悪い、“ソシア・アラバスタ”って名前の方が強烈でね。おまえらの場合は『仇敵』だったがあっちはもともと『兄妹』さ。わかっててあの関係なら見る目はあるが見境がねぇ」

 ライゼルにかかったらそんな調子だ。

 自分自身にまで嘘をついて欺ける。

 なんにも知らなかったなど大法螺だ。

 かつて《霧の剣聖》と呼ばれたソシアは『剣皇ファーン』とは異母兄妹でいずれも父親は剣皇アルフレッド・フェリオンだった。

 問題なのは《風の剣聖》、《黒豹》と呼ばれたソシアの母リュカイン・アラバスタの所在である。

 それもいずれ判明はする。

 ベルゲン・ロイドとメディーナは表向き上下関係だが、その実は恋人関係なのだ。

 といっても、現段階ではそれほど濃密な関係ではない。

 《疾風の剣聖》メディーナ・ルフトーは男あしらいの上手いベルゲン大佐に見事なまでに飼い慣らされていた。

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