第3話 いのちの熱量

 ライゼル・ヴァンフォートはおもむろにカバンの中から地図を取りだした。

 エウロペア大陸地図だ。

「ベルーナの西側全部がやられての50万人の難民か・・・さては初手でタッスル、その後にフォートセバーンがやられたな」

 ライゼルが西の大国メルヒンとナカリアの首都の名前を上げると法皇ナファド・エルレインの眉が大きく歪んだ。

「そして、トレドか・・・トレドの人口も40万だった筈」

 ライゼルは胸ポケットからペンを取り出し、乗車前に購入した地図に瞬く間に数字を書き付けていく。

 主要な都市名の隣におおまかに人口が次々と記される。

「初手での攻撃を免れた海沿いの小都市とその周辺の住人が大挙してファルガー渓谷を越えてきた。その数が50万人・・・・」

 ライゼルはナファドの反応をチラリとも見ようとせずに腕組みをして考えに耽る。

「400年ぶりに特記第6号条項を発動させて迎撃地点と化したトレドを最前線と位置づけた・・・鉄道公社に命じてトレド線も運行停止にさせたのだな。道理でダイヤにない列車に乗せられたと思った」

 特記6号条項とは“龍虫の襲来があった場合にミロア法皇の命令において、各国のいかなる組織も、いかなる行政機関も、その命令と指示を最優先させ、命令に関して守秘義務を遂行せよというものだ。

 それはかつて十字軍の戦いが勃発した際に、数千万の難民が中原諸国に発生して経済的な大混乱を引き起こした苦い教訓から産まれたものとされる。

 法皇が苦渋の選択をもってメルヒン以西の西方諸国を切り捨てたのは明白だったが、気象兵器まで持ち込んでトレド戦線を防衛し、ファルガー渓谷に鉄壁の布陣を敷くのは、なによりここが最後の砦だということを意味していた。

 ライゼルは自分たちを乗せた列車がいかなる運行スケジュールにも乗っていない特別列車であることを訝しんでいた。

 しかも、数両を除けばほとんどが貨物列車である。

 大方積み荷は大量の食糧や資材の類であろう。

 そもそも東征が始まったときに、パルムでの物価上昇はある程度ならば予想されたことだった。

 だが、カロリファル公爵が東征を始めた目的は経済的な動機が最大の要因であり、現に戦時特需により財界は潤いを見せていたし、雇用の促進も進み経済は確実に良い流れに向かっていた。

 東征だけならば、パルムが疲弊する理由は一つとして見出せない。

 騎士と兵士たちはそれほど大飯喰らいではない。

 だが、50万人の難民と最前線で働く兵士、騎士のために密かに生活物資が西に流れ込んでいるとしたら、パルムでの物価高騰の説明は十分だ。

 そもそも旧メイヨール領内はゼダ最大の穀倉地帯であり、トレド、アルマス、バスランがそれぞれ健在だろうと内側に入り込まれたら暢気に農作業などしていられない。

 また法皇の情報統制が完璧だった証拠に、ゼダ国内で龍虫出現の情報を知る人物はおそらくごく僅かで、そのごく僅かな人々は西に集中していた。

 パルムに居ながら情報を知る人物はかの公爵を含めてもほとんどいなかったのであろう。

 その情報はいかなる財宝にも勝る富を産み出す。

 だが、同時に人々の怨嗟と血液を吸い尽くす。

 ライゼルは思わず身震いした。

 なにも実際に気温が下がり、彼が無意識に外套のボタンをしっかりと止めることになっただけのことではない。

 西からの情報がなにも入ってこなかった時点で当然気付くべきことだった。

 だが、あらゆる可能性を否定しない彼でさえ、“龍虫の再出現”という事態は予測だにしなかった。

 それはなにより人類の存亡に関わる重大な危機を意味していたし、かつて多大な犠牲の上に勝利を勝ち得た十字軍派遣が、“ただの一時凌ぎ”でしかなかったことを意味する。

 30年近くも続き、数千万の難民を生み、中原諸国を極限状態に追い込んだ十字軍がただの一時凌ぎだとしたら、今度の戦いはどうなるというのだろう。

「冗談じゃない・・・」

 思わずライゼルはひとりごちた。

 想像力の豊かな彼には容易にその光景が予測できた。

 列車の速度が徐々に落ちたのを感じてライゼルは車窓の外を見た。

 外は猛吹雪で、瞬く間に車窓は雪に覆われてはボトリと剥がれ落ちる。

 進行方向の左手には駐屯基地が置かれていた。

 そのあまりの巨大さにライゼルは言葉を失った。

 見たこともない形の飛空戦艦が並んでいる。

 巨大な筈の真戦兵が小さく並んでいる。

「季節外れの猛吹雪のせいで全く見えないが」と言ってライゼルは進行方向の右手・・・つまり北にあたる北海の沿海側を指で示した。「まさかこっちに難民キャンプを置いてるんじゃないだろうな?」

 女皇メリエルがコクリと小さく肯く。

「列車の中でさえこの底冷えだ。キャンプの中じゃ連日凍死者が出るほど厳しい寒さだろうな」

「それでも・・・」とナファドが言いかけるのをライゼルは手振りで制した。

「虫どもに無残に殺されるよりは遙かにマシだものな」

「・・・はい」

 力無い返事と共にナファドはコートのポケットに仕舞い込んでいた一冊の書物を取り出した。

「これを貴方に。なにかにお役立てください」

 ライゼルは渡されたそれを一目見るなり顔色を失った。

「いいのか?」

「ええ、内容は既に頭に入っていますし」

 ナファド法皇は痛々しいほどの表情を浮かべた。

「それにこの戦いに負けることがあればもう誰にも必要のないものです」

 ファーバ教団の秘儀にして最高機密「ナコト写本」。

 それがライゼルの手に委ねられた。

 だが、彼の心にはなんの感慨も浮かばなかった。

「ははは、古代語の翻訳術も身につけておいて正解だったか・・・」ライゼルは乾いた笑いと共にナコト写本を押し頂いた。「有り難くお預かりするとして、他は自分の目で確認するが一つだけ教えて欲しい。ヤツらが活動停止になるのは氷点下3度なのだな」

 なんでそんなものがあるのだろうと疑問に感じながら時折忌々しげに見ていた気温計がトンネルを抜けて以降、キッチリ-3度を示している。

「ご明察です」

「てぇことは、寒ささえ凌げればこの気温下でヤツらに襲われる心配だけはないのだな?」

「ええ、ただし」法皇は左手側の巨大基地に視線を向けた。「ひとたび真戦兵と龍虫の戦闘が始まると外気温は瞬く間に上昇します。そうなれば血液内に耐性因子を組み込まれた騎士たち以外はひとたまりもなく毒に犯されます」

「言葉は正確な方がいい」とライゼルは訂正を加えた。「“騎士たちと女皇家関係者以外は”だろ」

「ええ」とメリエルが肯いた。「女皇家の連枝たちならあの猛毒にも耐性があります。それと一部の貴族にも遺伝因子があるようです。私の友人も騎士因子はありませんが発症しませんでした」

 メリエルは彼女の友人で騎士ではない身でありながら龍虫の毒に犯されなかったスレイ・シェリフィスを思った。

 自身が契約した顧問役なのに、スレイは多忙を極め、もうしばらく会っていない。

 あの《凪の季節》の夜以来、スレイはメリエルを避け続けていた。

 不必要なまでに警戒させてしまったのかも知れない。

「俺も命賭けで確かめてみたものかねぇ」

 ライゼルの目はもう笑っていなかった。

「もし法皇やこの俺が毒に倒れるとしたら外気温が上昇しているなによりの証拠だ。中原に住む大半のヤツらは当然助からない。よしんば生き残った騎士と女皇が戦おうにも、物資を食い潰せば戦いは続けられない。そして人類の歴史は終わるってわけだな」

「ナコト写本は必要なかったみたいですね」

 ナファドは皮肉っぽく笑った。

「それは読んでから判断させて貰うよ。滅んだとはいえ昔の人類だってバカじゃなかった筈さ」と言ってからライゼルはフッと笑った。

「いや失礼、大馬鹿だったな。アレらを遺産として遺したのだものなぁ・・・」

 女皇メリエルはじっと目を閉じて押し黙っていた。

 ナファド・エルレインは親指の爪を噛む昔のクセを無意識のうちにしていた。

 テオはあどけない表情で基地側を見ている。

 そしてライゼルは・・・。

(まったく、散々親の“遺産”に苦しめられた俺にこんな仕事を回してくるなんて、俺はよっぽどセスタスターム家の連中に恨まれているらしい)


 トレド駅・・・いや、新トレド駅は物々しい警戒に包まれていた。

 黒いコート姿の兵士達が小銃を手に車内を臨検する。

 情報統制を徹底している様子だ。

 ライゼルも荷物をあらためさせられた。

 といっても、着替えカバン一つと書類と書籍の入ったカバンだけだったし、後は先刻法皇から預かった“例の本”一冊である。

 メリエル女皇やナファド法皇さえも厳しいボディチェックを受ける様子に僅かな衝撃を受けながら、ライゼルも体中をなで回される。

 列車を降りたときからもう苦笑いさえ許さない物々しく毛羽だった空気があたりに充満している。

「ようこそトレド要塞へ」

「おぅ」

 歓迎されていないことはわかっていたが、客として迎える用意はあるらしい。

(だが、誰が俺に白羽の矢を立てたんだ?)

 その疑問はすぐに解決した。

 ホームの片隅で手に息を吐きかけながら眼鏡をかけた若い男が立っていた。

「ディーンっ」

「剣皇、どうしてこちらに?」

 皇女と法皇がそれぞれ声を上げるのを黒いコート姿の若い男は軽く片手で制した。

「先程、前線から戻った」

 剣皇ディーン・スタームは黒縁眼鏡の奥に光る刺すような視線をライゼルに向けた。

「あなたを呼び立てておいて、知らん顔も出来ない」

「俺を呼んだのは君の一存だったのだな」

 ライゼルはディーンの鋭い目を見て確信した。

「君の親父たちは猛反対しただろうに・・・」

「ええ、最後の最後まで反対されました」

 ディーン・スタームは当然予想された両親からの反対を頑強に制してまで、ライゼルを呼びつけた。

 だが、一度の招聘でライゼルがのこのこトレドに来るとは予想すらしていなかった。

 だが、それは嘘だ。

 ディーンは必ず来ると確信して1月待ったのだ。

「よく来てくれました。他の人間たちはともかく、ボクはあなたを歓迎します」

「ありがとう」と言ってライゼルは手袋をはめた右手を差し出した。

「剣皇陛下のご依頼を引き受けました。少なくとも私めは過去の遺恨を捨てて貴方に忠誠を誓うことに致します」

 挨拶を終えると4人とその護衛役はすぐに新トレドの仮設駅舎に向けて歩き出した。

 とてもではないがまともに立ち話が出来るような場所ではなかった。

 だが、せかせかと早足に歩きながらライゼルとディーンは早口にやり取りを交わす。

「それで、お前さんは俺に避難民たちの臨時政府代表をやらせたいのだろう?」

「はい」

「俺の迎えにあの二人が来ていたのでピンと来た。あんたは最前線だし、あんたの親父とお袋もご同様ってことだろ?」

「ええ、ここまで話が早い相手はあなたかトゥール・・・カロリファル公爵くらいでしょう」

「確かに。非情な決断を下した張本人である法皇猊下自身が難民のまとめ役に収まるわけにもいかず、ましてこんなうそ寒い場所に大事な女皇をいつまでも留めておくわけにも行かない。だが、最後まで納得出来なかったのがなぜ俺か?ってことだ。察しがいいことだけではないよな?」

「逆にお聞きしますが、貴方がもし人類存亡の危機に一人だけ騎士を選んで戦わせるとしたら誰を選びますか?」

「そんなのはお前に決まっている。俺は昔っからお前が史上最高の騎士だと信じて疑わなかった大ファンだからな」

「その逆もまたしかりです。人類最後の命運を握る為政者を一人選べと法皇に問われて、ボクの頭には真っ先に貴方の顔が浮かんだ」と言いさしてディーンの顔が僅かに歪んだ。「ボクの親友が常々、中原史上最高の政治家はあなただと言って憚りませんでした」

「光栄の至りだねぇ」

「いいえ、“貧乏くじここに極まれり”と思っていますよ」

「それはお互い様だろう?この局面での剣皇位ほどの貧乏くじはあるまいさ。剣皇になるのは最後になって欲しいと思っていたよ・・・」

「やはり貴方とは気が合いそうだ」

「お互い、“同族殺し”が板についてるせいだろうな。アンタは《騎士喰らい》と蔑まれ、俺は“貴族殺し”と囁かれ続けてきたもの」

「ずっと同じニオイを感じていたのはそういうことだったのですか」とディーンは苦笑いしながら続けた。「道理で親父たちとまるで気が合わないわけですよ」

「オーギュストは健在かね」

「ええ、親父ほどの騎士はなかなかいません。だけどいちいちボクの言うことに逆らう」

「アイツは昔からしょうもない“ウソつき”だからな。アンタや俺みたいな“正直者”とはソリが合わない」

 追い詰められればられるほど、ディーンもライゼルもに忠実になる。

 のためならいかなる犠牲もいかなる代償も厭わない。

 そのことにさえも感じない。

 ただ己の背になにもかも背負い込む体質の男たちだった。

 どうしても手に余るようならためらいもなく50万人を見捨てる選択をするし、自分がいるから少なくともそれよりはマシな選択をしてみせるという自負を持つ。

 そこが思考の出発点である所が余人とは大きな隔たりのある所だった。

「で、勝算はどうなんだい?あと4ヶ月は保ちそうかね?」

「さぁ、出たとこ任せでボチボチやってますよ。少なくともボクとルイスたちだけなら4ヶ月・・・いえ4年くらいなら戦える」

「ではアンタが踏ん張り続ける限りはここを維持してみせましょう、俺の意地と名にかけて」

「頼もしい限りだ」

「かわりに一つだけ頼みがある」

「なんでしょう?資金ですか?資源ですか?」    

「いいや、ここに家族を呼んでもいいか?」

「えっ・・・」

 ディーンは思わず足を止めた。

 ライゼルはバツの悪い表情を浮かべて頭を掻いた。

「そりゃさ、フツーの人間だったらこんな寒くておっかない場所に大事な家族を置いておきたくないよなぁ」とライゼルは屈託なく微笑む。「でもよ、じゃねぇと誰も俺なんかの言うことに従ってくれねぇって」

「運命共同体ってことですか?」

「そっ、全財産賭けてもいいがウチの連中はここに連れてこられても恨み言一つ言わないし、ましてここの秘密を誰にも漏らさないぜ」

「そうなんですか?」

「ああ、いらん苦労には馴れててな。離れて暮らすよりも、一緒に死ぬ方が遙かにマシだって思う頼もしい連中さ」

 仮設の駅舎を抜けると鉄条網が張り巡らされた難民キャンプが目の前にあった。

 到着した列車を待ち受けていたらしい人々の姿がそこにあった。

 ライゼルとディーンの一団の中に、法皇の姿をめざとく見つけた人々が祈りを捧げている。

「アレが俺の民か?」

「ええ、エウロペア女皇国主宰殿」

 ライゼルは自分に与えられた肩書きをそのとき初めて知った。

「迷える民には何者であろうと手を差し伸べるファーバ教団にも見放された哀れな民か」

 ライゼルは法皇ナファドに向き直って真顔で告げた。

「なら俺が拾い受けたぜ」

 ナファドが無言のまま会釈した。

 法皇自身にもその自覚があるらしいと実感し、ライゼルはいよいよ彼らと運命を共にする決意を固くする。

「陛下っ!」

 泡を食った様子の神殿騎士・・・いや、剣皇騎士が一人、ディーンめがけて走り寄る。

「急にお姿が見えなくなったので心配いたしましたぞ」

「ミシェル、すまんな」

「ほぉ、アンタが《鉄舟》ことミシェル・ファンフリート卿かね?」

 長身に細髭の人物を認めて、ライゼルは心持ち表情を崩した。

「この方が・・・?」

「ああ、ワトルマ枢機卿も推薦されていたライゼル伯爵だ」

 にこやかに右手を差し出されて、ミシェル・ファンフリートはあからさまに面食らった様子を見せる。

「陛下がご両親の猛反対を押し切ってまでパルムから呼び寄せたのはこの男ですか?」

「迎えに出ることまで反対されかねないからな。勝手に来た」とディーンは吐き捨てるようにつぶやき、すぐに表情を変えた。「フレアールの整備は?」

「はい、今し方終わりました。素体も上々」

「ならば出撃だっ!お前は後詰めを頼む」

「了解です、陛下」

 どうやら剣皇ディーンは真戦兵フレアールとやらで、フル回転で龍虫と戦っているらしい。

 後詰めに剣皇騎士団を置いて背後に回り込まれぬようしながら、自らが先陣を切っているのだろう。

「猊下とメリエルは伯爵をキャンプに案内してくれ」と短く命じ、いつの間にかディーンの傍らに立っていた少年騎士セオドリック・ノルンに外套を差し出す。

 厚手のコートの下は剣皇紋の入った黒い軽装甲冑だった。

「すみません、私はこれにて失礼します」

「ご武運を。あなたがお戻りになる場所は必ずやお守りいたします」

「そう願いたい」

 ディーンは足早にすたすたと軍営地に向けて歩き去る。

「ディーン、死なないでね」

 女皇の言葉にディーンは振り返りもせず、軽く片手を上げて応じた。

「しかし、よくもまぁ集めたものですな、猊下」

 ライゼルはまるで真戦兵と飛空戦艦の見本市といった軍営地の様子にしばし視線を漂わせる。

「メルヒン、テンプルズ、それにラームラントの旗。それに我が国家騎士団まで加わっていましたか」

「はい、現状で私たちの努力でどうにかなる軍勢はすべてここに集めました。騎士800名と後方部隊2万。そして整備の者が2000名あまりです」

「人類最後の砦アークスはかくやといった立派な陣容ですな」

「それでも大型龍虫3000匹を引き受けるにはあまりに少ない」

「まぁ、龍退治は私の専門外です」とライゼルは踵を返して鉄条網の方に歩を向ける。「行きましょう。ここにいても私たちに出来ることは祈ることの他にはない」

「はい、よしなに」

 ミシェルに続き、ディーンとテオが去った一団は鉄条網の切れ目に立つ歩哨たちの許へと足早に進む。

「それで女皇陛下はこちらに居られてもよろしいのですかな?」

「私も猊下と共に間もなくバスランに向かいます」

「ほぉ」とライゼルは感嘆した。「さしずめ、あの列車が荷を下ろしてアルマスに引き返すのに便乗されますか?」

「はい、そうですわ」

(メリエル女皇か。なんとも気丈な御方だ。パトリックたちの「養育」も行き届いたというわけか・・・)

 大方、トレド線の列車がベルーナ峠越えをするまでは仮眠をしていたのだろう。

 それで二人とも姿を見せなかったのだろうとアタリをつけた。

「パルムの事はアリョーネ女皇陛下が、こちらのことは剣皇陛下が、そして、間を繋ぐ役を法皇猊下とエウロペア女皇陛下がなされているわけですな?」

「いかにも」

 三人の会話を遮るようにして一隻の飛空戦艦が空から舞い降りる。

 フィーゴ提督のマッキャオだ。

 ディーン、ミシェルと交代して修理と回復に戻るため、ケージワイヤーに掴まった二機の真戦兵が三人のすぐ眼前にどうと舞い降りる。

 降りしきる雪がその振動で舞い上がった。

「手荒いな、オーギュスト」

 20年前に最後に観たオーギュストの駆るアモン・ダーインの姿を認めてライゼルは膝にまとわりついた雪を払いのけた。

「貴様っ!」

 血相を変えたオーギュストの顔が真戦兵のハッチから覗く。

「よくもおめおめとっ!」

「黙れっ!お前の息子の招聘を受けた身だぞっ」

「うるさい、この手で串刺しにしてやりたいわっ!裏切り者っ」

「あなたっ、おやめになってください」

 オーギュストのアモン・ダーインに並ぶようにして真紅の真戦兵が屹立する。

 スカーレット・ダーイン。

 マグワイア・デュラン女史がパルムで使っていたのと全くの同型機だろう。

 先行配備型というところだ。

「ライザー・・・」

「アラウネ様かっ?」

 20年ぶりの再会にライゼルの心は激しく揺り動かされた。

 しばし、見つめ合った二人は互いにふぅと大きな息を漏らす。

「皇女殿下がまさか騎士になられていたとは」

「よく、よくぞいらしてくれました」

 それが本音ではなかろうにとライゼルは内心舌打ちしかけた。

 自分を陥れた張本人とこんな場所で再会することなど望んでいなかったに違いない。

 ディーンも両親から反対されていたと言っていたことを不意に思い起こす。

「殺しはせぬ、殺しはせぬが・・・」

 ハッチから飛び降りたオーギュスト・スタームの大きな躯がライゼルを突き飛ばす。

 そしてその頬めがけて渾身の拳が繰り出された。

 殴られた痛みよりも尻の下の雪の冷たさにライゼルは悶絶した。

「本当に手荒い歓迎だな・・・」

「俺もメリエル陛下に指名され、真女皇騎士団司令だ。ソレでカンベンしておいてやる。だが・・・」

「分かっているさ、俺はお前達の前に堂々と立てる身でないのは十分わかっているさ」

「だったら」となおも拳を振り上げるオーギュストをメリエルとナファドが抑えようとする。

「それでも俺は使命を全うするぞ、親に逆らっても俺を呼んだ殿下の愛息子のためになっ、それ以上に」

 ライゼルは自分たちのやりとりを不安げに見守る群衆を指さした。

「あの者たちの為にだ。汚名でも悪名でも、そのためなら幾らでも引き受けてやるさっ!」

「分かった風な口を利くなっ!たった今来たばかりのお前になにがわかるという」

「これから骨身に刻むさ、幾らでもな。そうともが終わるまで幾らでもなっ」

「はっ、まったくけったくそ悪い」

 居住まいを正したオーギュストはさっと踵を返す。

 オーギュストが背を向けたことで、ナファドとメリエルはライゼルを二人がかりで抱え起こした。

「皆、気が立っております。あまり不穏当な言葉はお慎みください」

「言われずともわかっておりますよ、猊下。だが、皇女殿下はともかくとして、あの男と私の間にはケジメが必要なのです」

 その言葉にメリエルは確信に近い印象を受けた。

 ライゼル・ヴァンフォート伯爵がアラウネ事件に関与していないのではないか?という自分の見立てはどうやら正しいことのように思えたからだった。

 そして・・・。

 この男はディーンに似ている。

 孤独で傲慢。

 だが、それを苦にしない体質。

 余人はそれを孤高と呼ぶのだ。


 我が民だとか呼んではみたものの、彼等のほとんどがベリア半島の出身者たちだ。

 そもそも華の都パルムから到着したばかりのなんだかよく分からないが威勢だけはいい自分のことなど誰も知るまいと思い、せめて一人一人の表情が見える位置まで行こうとしたとき、ライゼルは名前が呼ばれることに驚いた。

 それもゼダ公用語でなくベリア語でだ。

「ライゼル様だぁ」

「アリアス様の言ってた通りになったぁ」

「一度、お目に掛かりたかったんだぁ」

 思わぬ人気と周知ぶりにライゼル自身が一番驚愕した。

「皆、なんで知ってるの?」

 同行していたメリエルとナファドも難民達から寄せられるライゼルの人気に驚いた。

「えーと、陛下と猊下はお忙しいようだから、あとは私一人で事情を確認してみます」

「それでよろしいのでしたら・・・」とメリエルは伏し目がちになっている。

 そうなのだ彼等を見捨てた張本人たちにとって「難民」たちは正視にも耐えない。

「いいから、いいから、長旅でお疲れなのはあなた方もご同様でしょうに」と言ってライゼルは渋る二人を駅舎方面に追い返してしまった。

「で、どういうわけ?」

 民たちに向き直ったライゼルは彼等が古新聞を手にしきりに指さしているのを見て半分は理解した。

「あ゛ーっ!」

 「財政の立て直し屋」として世に知られるライゼルのもう一つの貌が「騎士手合い評論家」だった。

 そっちは道楽と小遣い稼ぎだと割り切ることにしていた。

「ちっくしょー、メルヒンやナカリアの新聞社まではチェックが漏れてたぜ」

 ゼダ国内の新聞社がライゼルの手合い寸評を書く際は例外なく記事使用料を取っていたのだが、マサカ外信までもだったとは・・・。

 大体、新聞に手合い記事が載る際に併せてライゼル自身の顔も載せられる。

 だとしたら遠く離れいちどしか行ったことのないベリア半島内でも自分の顔が通用するのも道理だった。

 文字が読めない人たちにも手合いの興奮やそれを評論する人物の表情をとらえた報道写真で大体は書かれている内容がわかる。

 だから、子供たちすら知っているのだ。

 新聞で常々見慣れている顔をした人と会えたのなら誰だって嬉しくなる。

(そりゃそーだっ)

 仮にライゼルがフェリオ遊撃騎士団で「疾風」の異名とるメディーナ・ハイラルと顔を合わせたら嬉しいし、それが敵国軍人だという事実そっちのけで大興奮する。

 ・・・でしばらく後に実現する。

 政治にも言葉にも壁はある。

 だが、娯楽に国境はない。

 何処の国も同じだった。

 騎士手合い見物はゼダは勿論、メルヒンやナカリア、オラトリエス、フェリオでも庶民と貴族共通の娯楽だった。

 あとはエキュイムも同様だ。

 まるで将棋とチェスとを組み合わせたこの盤上競技についてもエウロペア共通の娯楽だ。

 ライゼルがなおも怪訝なカオで難民たちに近付くと、一人の青年がかきわけるようにして近付いてきた。

 流暢なゼダ公用語でまくしたてる。

「貴方の評論記事はいつも楽しみにしています。それで貴方自身にも興味が俄然わいて貴方が中原史上最も優秀な財政家だと知り、フォートの大学で政治経済を専攻していたんですが・・・」と言いさしてインテリ風の青年は突然泣き崩れた。「ボクらはなにもかも喪いました。家も学校も財産も暮らしも家族たちもぜんぶ・・・」

 青年に貰い泣きしてすすり泣く声が瞬く間に広がる。

 なにもかも暮らし全部を喪って命だけ長らえて歩き疲れてようやく辿り着いたトレドで彼等は「難民」になった。

 弱者に手を差し伸べる筈のファーバ教団の最高司祭ことナファド法皇は平時における役割よりも非常時の役割を優先して難民たちを事実上見限った。

 なにもかもに見捨てられて極寒の地と化したトレドで消えかかる命のともしびを感じながら不安な毎日と戦っている。

 だからこそとライゼルは声を張り上げた。

「泣け青年っ!悔しいだろ、無念だろっ、不条理だろっ、神もホトケもないだろっ、だから思う存分に泣けっ!」

 神無きセカイだが慣用句として「神も仏もない」はあった。

「・・・えっ?」

「ただ、泣くのは今日だけだっ!明日からは違う自分になれっ!なにもかも喪ったのならば、明日からはなにもかもを奪い返す番だっ!その為に俺は来たっ!」

 青年だけでなく其処に居る全員の肩をおしいただくようにした。

「俺は国を棄てたっ、伯爵位も棄てたっ!もうパルムには二度と戻らない。心底愛する家族たちと心穏やかな日々を過ごすことさえ出来ずに古い慣習と、親父の借金と、政治家としての業と、いらぬ借りと、恨み言とででがんじがらめだった昨日までの自分をついさっき棄てたっ!」

 群衆のほとんどが呆然としてライゼルを見据えた。

「昨日までの俺は正にそんな状態だったけれども、毎日を誇り高く生きるためにずっと戦い続けてきたっ!そして、いまこのときからこのいのちを燃やしてお前たちのをする。持てる知識と教養と知恵と経験とを総動員してお前達からまずはとかいうレッテルをひっぱがす。それから先は俺とお前達自身の戦いだっ!」

「ライゼルさま・・・?」

「勇敢に戦う騎士たちが俺は大好きだっ!技を極める彼等を誇りに思う。いままではなんでだか本当のことはなにも分からなかった。ただ、自分にないものに憧れて良いモノをみた気になって、興奮して時には涙を浮かべたっ!でもっ」

 ライゼルは溜まりに溜まった鬱積を言葉と共に吐き出した。

「此処に到着して早々に俺はいっとう大好きな騎士たる剣皇ディーンことフィンツ・スターム少佐と再会した。それで分かったことは二つ。ひとつは俺が最後の頼みとする騎士はアイツで、アイツが最後に頼みにする政治家は俺だということ。そして、世の中の物事すべてが片一方だけじゃないっ!片思いなんてないっ!ただ、双方向が等しく上手く行くなんてことはまずほとんどない奇跡だ。だが、たとえ報われなくても熱量さえあればいいんだ。その熱量こそが正にいのちの炎だっ!懸命に生きろっ!俺はずっとそうしてきたっ!家族がまだいる者は家族のために一生懸命になれっ!家族を喪ったものは新しい家族を作るために一生懸命になれっ!その最初の一人目の家族に俺はなるっ!ことが龍虫とかいうトンデもない化物たちとの戦いだっ!すべてのいのちは燃やすためにあるっ!」

 ベリア語であるにもかかわらず、ほとんどの人々が途中からなにを聞いたのかわかんないとばかりにキョトンとほうけてしまった。

 国というモノ、民というモノ、家族というモノ、人生というモノ、いのちというもの・・・。

 それら全てを一点に凝縮したライゼルの場所を弁えない大演説がはじまりの一歩だった。

 ライゼルが喚き散らした最初の言葉にまずアノ青年の人生が変わる。

 新しい家族としてライゼルが名乗りをあげたことで、青年の本当の意味での孤独はなくなった。

 たちの家族だとライゼルが言い切ったことで、人々の手助けをしようというライゼルの手助けをしようという気に少しだけなった。

 いまは名前を名乗らない彼こそが、ライゼルの正統後継者として彼の実の息子と共にベリア半島に新たな国を作り上げ、発展させることになる。

 そして、誰がなんと言おうが変えられなかったたちの心と体とがすこしずつ氷解し、龍虫たちから土地を奪い返して其処に新たな国を作ることに傾いていくのだった。

 ライゼル・ヴァンフォート伯爵のゼダにおける歴史は文字通りのにより幕を閉じる。

 だが、ライゼルの人生はその先から全く異質なるものへと変化する。

 後に史家ディーン・エクセイルはライゼル伯爵の「夜逃げ」を時期的に遅らせ、伯爵自身を「偽典史」における既得権力で忌むべき一三人委員会の象徴かつ、トゥドール・カロリファル公爵の絶対的政敵として扱った。

 革命で倒された既得権力の便利かつ忠実なる飼い犬だったが土壇場で逃げたことにした。

 そうした分かり易い人物ではないことを招聘したディーン自身が一番肌身に知っていた。

 だが、唯一無二の英雄として史実に描かれることに関してはディーン自身もライゼルもまったく望んでいなかった。

 ディーンも、メリエルも、ナファドも、後に三皇と呼ばれた彼等がこの先どんな困難に見舞われても決して心折れなかったのは、背後で支えるライゼルたちのいのちの熱量だった。

 なによりエウロペア絶対防衛圏はこの日を境に変質する。

 護るための戦いから奪い返すための戦いへと変わり、たち自身がたちではなくなる。

 偽典史において反乱軍所属とされる剣皇ディーンたちだったがディーン・エクセイル自身はだったとは一行も記していない。

 ディーン・エクセイルは偽典史の編纂にあたり、後世の心ある人たちならばなにに対する反乱だったか行間で読み解ける細工を施していた。

 本当は虫使いたちと龍虫侵攻という世界の真理に対する反乱だった。

 その意味では少しの偽りも間違いもない。

 この時点ではすっかり絶望し憔悴しきっていたベリア半島壊滅を逃れたたちはライゼルとの化学反応で最前線で戦う騎士たち兵士たちのまたとないとなる。

 また、ライゼルという見事なまでのお手本はゼダ共和国初代首相アリアス・レンセンにとってトレドにおける恩師だった。

 アリアスが病床で著述した回顧録において、という形でライゼルは何度も登場する。

 そして、ディーンが遺した「中原史」においてベリア半島における「奇跡の人」としてライゼルは描かれることになる。

 200年後の世界において新生ベリア共和国で「国父」といえばたった一人の人物のことを指すのだ。

 ただし、この時点でのライゼルは国も身分もなくしたただの野良犬だ。

 エウロペア女皇国主宰と指名されたがその自覚はまだない。

 生きるために必死で目ばかりギラギラとさせた狂っているとしか思えないその馬鹿野郎の語る言葉がやがて自由、平等、博愛の精神の根幹となるのだ。

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