第11話 戦闘部隊

 悪口あっく・大橋信は白菱組の組長室に居た。

 肘掛け椅子に背をもたせ、マホガニー製の机に靴を履いたまま足を乗せている。

 部屋の床や壁、天上に至るまで赤黒い染みが残っていた。

 信は、この部屋で前組長・菅村篤と、その親衛隊二人を始末している。死体は片付けさせたが、部屋には未だに濃い血臭が残っていた。

 だが、信にとっては芳香剤であった。

 血の臭いこそ彼にとっては安らぎなのだ。

 信がここに居る理由は一つしかない。

 ――獲物がかかるのを待っていたのだ。

 部屋に一人のスーツ姿の男が入って来る。

 年齢は40前後か。中肉中背で特徴のない顔立ちをしている。

 若頭の雄島崇裕であった。

「組長。例の男らしき奴がかかりました」

 それを気いた信は、口元に笑みを浮かべて崇裕が持って来たタブレット端末を手にした。

 画面に映った、あの青年の姿を確認した信は満足げな様子だった。

「言ったろ。簡単に見つかるってな。イイ男だからな」

 腹の底から湧き上がる笑いを抑えきれずにいた。

 その声は部屋中に響き渡っていた。

 婚活サイトの色男狩りと称した、一般男性の写真投稿を背後から糸を引いていたのは白菱組。

 その婚活サイトは、白菱組の企業舎弟だった。

 企業舎弟とは、暴力団の構成員や暴力団周辺者(準構成員)が、シノギ(資金源)のために経営する企業・及びその役員や従業員をいう。

 現在では「フロント企業」と呼ばれることが多い。

 白菱組は、このサイトを用いて外国人女性と日本人男性の偽装結婚を行っていた。無論、その逆もある。

 偽装結婚とは、夫婦として生活するつもりのない結婚。

 現在、偽装結婚を目的として国外から日本へやってくる者の大半が女性だ。

 通常は現地のブローカーに多額の金を払い、偽装結婚および日本入国の仲介をしてもらい、時には入居先や働き先の斡旋もしてもらうのだがブローカーに支払う報酬の相場は日本円で100万円から200万円程度と言われる。

 高額な報酬を外国人はそこまでの額を支払ってでも、日本で働くことにメリットがあるからだ。

 日本に住んでいる日本人にとって、日本の給料が高いという印象はないかも知れないが、それでも経済的に発展途上の国と比べると、やはり高い。

 例えばフィリピンの物価は日本のおよそ1/3で、日本人の収入というのはフィリピン人の基準からすると遥かに高い。

 単純計算で日本での年収が「300万円」だとしたら、フィリピンの物価に換算すると「900万円」の価値があるということになる。

 完全に富裕層に位置するような収入になる。

 だが、外国人が日本に滞在するためには在留資格(ビザ)を持たなければならない。

 在留資格(ビザ)というのは、資格の種類によって働くことが出来なかったり、働き方が制限されていたりする。

 また、その在留資格(ビザ)を取得できるかどうかの取得条件も、資格の種類によって変わってくる。

 日本における全部で27種類ある在留資格(ビザ)のひとつに、結婚(配偶者)ビザと呼ばれる「日本人の配偶者等」という在留資格がある。

 「日本人の配偶者等」という在留資格(ビザ)は非常に万能な資格で、日本人と結婚すればこのビザを取得することができ、さらに働き方にも制限がない。

 要するに日本に合法に在留できない外国人にとっては、日本人と結婚さえしてしまえば日本で生活でき、さらに働き方も制限されないというメリットがあるのだ。

 その婚活サイトを使い、婚活を盛り上げる目的と称して、街の男性を投稿させ、青年の居場所を探るのが信の狩り出しであった。

 思う以上に簡単に、青年の居場所を見つけられたことに、信は笑いが止まらなかった。

 あれだけの美男だ。

 街を歩けば見つからない筈がなかった。

 その様子を見ながらも、崇裕は言葉を続けた。

「組長。このような男は捨て置いてはどうでしょう」

 その口調には、焦りがあった。

 それは、まるで追い詰められているかのように。

 崇裕の言葉からは、いつものような余裕がなかった。

 その理由は明快だ。

 信が、あの青年に執着している。

 それ故、今回の件に関しても、あまり乗り気ではなかったのだ。

 そもそも、この案件は、とある事情があって組の中でも限られた人間しか知らない。

 だが、崇裕は知っている。

 それは信が青年と戦って、頬に傷を受けたということ。

 刀で斬られたということだ。

 大橋信がいかに恐ろしい魔人と化しているかは、白菱組の構成員全員が知っている。信は、組長と、その親衛隊二人だけではない。歯向かった幹部以下の構成員8人を殺害し、力と恐怖を以って白菱組を掌握したのだ。

 束になっても勝つことは不可能だからこそ、信に従っているのだが、信が敵視する青年は少なくとも互角に戦ったということだ。


「《王》に逆らう者は生かしてはおけねえからな」


 信は青年に対し、そう語っていた。

 崇裕は思う。

 《王》とは大橋信自身のことだろう。信は今や白菱組の王となっているのだから。信は自分に逆らった青年の存在を許してはおけない。

 だが、そんな危険な相手に手を出すなど、正気の沙汰とは思えない。

 それを崇裕は知っていた。

 だからこそ、信は確実に青年を殺すために同じ力を持った魔人を二人誕生させようとしていた。

「若頭。俺は俺の邪魔をした奴を逃さねえ。キッチリ落とし前をつけさせるのが流儀だろ」

 信は崇裕を食い殺しかねない口調で言う。

「……では、組長。戦闘部隊を出しましょう」。

 崇裕は進言する。

 暴力団に高い戦闘能力は必要ない。

 彼らの利益獲得の手段は『戦闘(暴力)』ではなく、『脅し』であって、『戦闘』は一手段でしかない。

 しかし、この稼業に入れば将来は必ず拳銃を使うような抗争がある。

 暴力団幹部によれば、拳銃は一般に持たれているイメージに比べて格段に取り扱いが難しく、いきなり手渡されたところで、すぐに撃てるようなものではないという。

 実際に発射すると、銃弾は前方にまっすぐに飛ばないものだ。撃った時の反動が強くて、しっかり握っていても銃身が上を向いてしまって、よく見たら弾痕が天井に残っていたこともある。至近距離の2~3mだったら的に命中するが、5mも離れたら確率はかなり下がる。10m離れたらまず命中しない。

 しっかりと練習を重ねなければ射撃場の的ですら、まず命中しない。ドラマや映画では拳銃を片手で握って撃つシーンを見かけるが、実際にはかなり難しいと、暴力団幹部は打ち明ける。

 小型の拳銃は片手でも撃てるが、38口径(9.65mm)となると両手で握らないと反動で前に飛ばない。45口径(約11.43 mm)のような大型拳銃になると、片手で安易に撃つと『肩の関節が外れるのではないか』というほど大きな衝撃がある。

 そのため暴力団関係者は、合法的に拳銃が撃てる海外に行って拳銃が撃てる練習をする。

 崇裕が言う戦闘部隊とは、射撃練習程度をたしなんだ連中ではない。その名の如く本格的な戦闘訓練を受けたメンバーであった。

 暴力団の抗争の原因は、大きく分けて縄張り、つまり「シノギ(資金源)」と「メンツ(面子)」の問題に係わると言える。

 現在は、シノギが多様化し、不動産、金融、建設、倒産整理、民事介入、繁華街のサービス業、遊戯場、飲食店など様々だ。

 最も高額なシノギを得たものとしては、2005年に開港した中部国際空港の建設工事に暴力団が介入し、砂利やセメントなどの利権を確保。1000億円以上稼いだと言われる。

 言い換えれば、いつ、どんなところで暴力団同士のシノギのバッティングがあるかも知れず、また抗争の形態もいつ、どこで起こるのか分からない危険な時代と言える。

 その為にも、白菱組は戦闘要員を必要とした。

 東南アジアで拳銃の射撃訓練を行うだけでなく、彼等は様々な抗争に対応できるよう、格闘技と武器格闘術、戦闘術を学び、さらに短機関銃サブマシンガン散弾銃ショットガン自動小銃アサルトライフルの扱いに長けた戦闘のプロ集団。

 その戦闘力は、警察官など相手ではない。

 警察官は、拳銃を日常的に携帯している。

 交番などに勤務する地域警察官が腰のベルトに拳銃を吊り下げてパトロールで巡回している姿は、誰もが街で見かける。

 だが、当の警察官に話を聞くと、拳銃の取り扱いが得意な者はごく少数だという。実際に使用したことのある警察官はごく稀なうえ、取材した多くの警察官は射撃訓練を「苦手」と感じていた。

 殺人や強盗などの凶悪犯の捜査や、地下鉄サリン事件などを引き起こしたオウム真理教の逃走犯の追跡を担当した警視庁捜査1課の元捜査員は、次のように打ち明ける。

 捜査の現場で拳銃を携帯したことはあるが、実際に使ったことはない。警察では年に1回拳銃の射撃訓練があるだけで、射撃が得意だという警察官はいないのではないか。

 警察の射撃訓練では、腕前の上達よりも事故防止に気を使うことの方が優先されるという。

 神奈川県警で長年にわたり暴力団犯罪捜査を担当しているベテラン捜査員も捜査の現場で拳銃を携帯することは多い。

 しかし、使用したことは一度もないとのことだった。

 更に、とにかく拳銃は当たらないという点も同じだ。

 射撃訓練の的は20m前後ぐらいの位置にあるが、自分はほとんど命中しなかった。引き金に指をかけると、どんなに注意しても微妙に力が加わってしまい狙い通りには行かない。2~3mの距離なら命中させる自信はあるが……。

 と話す。

 日頃から拳銃を携帯している警察官でも、一筋縄ではいかない“道具”なのだ。

 地方の警察署など白菱組の戦闘部隊が、その気と装備があれば1時間と待たずにスプラッター映画さながらに血の海に変えられる。

 それほどまでに白菱組の戦闘部隊は強い。

 勝てる相手など、普通は居るはずがない。

「ほう。なぜだ?」

 信は、戦闘部隊を出すという崇裕に尋ねた。その眼光には、不審と疑いの感情が含まれていた。蛇に睨まれているかのように、じっとりと汗が流れて出る。

 崇裕はその迫力に押されるが、それでも答えた。

 それは、言わなければ殺されかねないという恐怖からだった。

 自分が生き残るためでもあった。

 同時に、良くも悪くも今の白菱組の存続に関わることだった。

 大橋信が組長以下の構成員を殺害し、信の支配下になるよう構成員に命じたのは崇裕だった。これ以上の犠牲者を出さない為であったが、恐怖に怯えつつも不満を持つ者は少なくない。

 崇裕は構成員から恨まれつつも、生きていられるのは信のお陰だ。信は利用価値のある人間は生かしている。

 仮に信が、もし青年と戦い死んだ場合、恨みの矛先は崇裕に向けられ構成員から突き上げを食らうことになる。

 間違いなく、その責任を取らされる。

 つまり、崇裕の死を意味する。

 幹部の殆どを失った状態で、若頭の崇裕が死ねば白菱組は確実に崩壊する。

 それだけは避けたかった。

 故に、崇裕は必死になって言葉を紡いだ。

 それは、崇裕の本心であり、理想でもある言葉だ。

「あの男を始末するのに、組長自らが出るまでもないということです。あいつは、かなりダンビラ(刀)の扱いが上手いとのことですが、ステゴロ(素手喧嘩)の方はどうでしょうか? ようは使う前なら始末できるということです。

 ならば、勝機は十分にあります」

 しかし、信は、それを嘘だと察する。崇裕は、信が青年と戦えば危ういと想像しているのだ。

 だが、一理あるのも事実だと信は思った。

 青年に戦闘部隊をぶつけた場合、勝てないまでも、青年の腹にナイフの一本でも刺すことができれば、信は自分との戦いの時に少しでも有利になると考えた。

 そう確信した信は命じた。

「よし。お前の案を採用しよう」

 青年を殺しに行くようにと。

「では、今すぐ出動させます」

 崇裕は頭を下げてから、部屋を出て行った。

 一人になった信は呟く。

 あの青年を殺せば、自分はもっと強くなれる。

 そう思うだけで興奮が止まらなかった。

 しかし、一方で不安もあった。

 あの青年は、どこか異質なものを感じたからだ。まるで、自分の正体を知っているかのような振る舞いをしていた。

 いや、確実に知っている。

 悪口あっくの《力》を一見して看破しているのが、その証拠だ。ならば、どうやって《力》を手に入れたかも知っているということだ。

 それが、信を苛立たせる。

 信じられないことだった。

「《王》に逆らうとは。野郎、何者だ……」

 《王》を知っているならば、誰もがひれ伏し許しを乞うのが人間だ。《王》と人間とは、それ程までに存在の桁が比較にならないのだ。

 いずれ殺すとしても、今はその時ではない。

 魔人の一人は新聞記者・石川健太郎を殺害した時に仕上がっていた。もう一人が揃った時、その時が青年の命日になる。

 それは、まもなくだ。

 それまでは、せいぜい楽しんでおくことにしよう。

 信は、これから起こるであろう出来事を思い浮かべながら、口元に笑みを浮かべた。

 その笑顔は、悪魔の様でもあり、鬼の様でもあった。

 その黒い感情は、信の表情だけでなく、影すらも歪ませる。

《王》の、命を奪うことを歓びとする境地であった。

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