第12話 色男狩り

 人のざわめき、無数の足音が入り乱れ、そこに絶え間ない車のエンジン音と走行音が絶えることなく響き渡る――。

 良くも悪くも街ならではの、途切れることのない音と姿。

そんな雑踏の中を青年が歩いていた。

 青年は、街を歩きながら不穏な空気を、すぐに感じ取っていた。

 通りを歩いているのだから、進行方向が同じ人間はいくらでも存在するが、そいつは明らかに青年を付けていた。

 青年の見目麗しい姿を見る視線とは異なる、その視線には殺気が入っていた。

 そいつは、青年との距離を付かず離れず一定の距離を保つ。

 尾行されている。

 しかし、気付いていることを悟られる訳にはいかない。

 青年が気付いたことが分かれば、尾行者は躊躇なく襲って来るだろう。

 青年は、少し深く人混みに紛れることにした。

 人混みに紛れれば、尾行者を見失う可能性が高い。それに、この人の多さだ。

 尾行者が自分と同じ方向に歩いていても、見失ってしまうかも知れない。

 追っ手を撒くように歩調を変えながら進む青年の考えとは裏腹に、尾行者は一向に諦める気配がなかった。

 それどころか尾行者は1、2人と増えていき、最終的には3人にまで増えていた。

 青年は大型ディスプレイビジョンの宣伝広告を見るふりをして、目尻に尾行者の姿を確認する。

 スーツを着ていたが、ネクタイはしておらず、その着こなしはルーズだ。髪型、歩き方、その身に感じる雰囲気、そして目つきの悪さは決定的にカタギとは異なる。

 それは一般人にも分かるようで、人々はあからさまに、その3人を避けるように目を逸らし歩いている。

 一人だけなら自然な尾行でいられたかも知れないが、今では、あからさまな尾行へと変化している。

 自分たちの存在を示すように。

 角を曲がっても、ピッタリと付いてくる。

 青年は正面から来る男を1人見た。

 後ろの3人同様に、危険な様子のある男だ。

 これで4人。

 小柄な男だが、懐に手を忍ばせている。

 刃物か拳銃の類を呑んでいるのが理解できた。

 状況から考えれば、刃物だろう。

 このまま進めば、正面から襲撃される。

 かと言って立ち止まれば、背後から襲撃される。

 避けるには、左にある脇道に入るしかなかった。

 脇道に入ると、人気の無いビジネス街の裏通りに入って行く。袋小路になってはいないが、誘い込まれたのは間違いなかった。その筋のプロなら、ここに追い込んだ時点で勝利が決まるからだ。

 前方からも後方からも挟まれてしまえば、逃げることはできない。

 しかし、それは普通の人間だった場合の話である。

 青年にとっては、むしろ望むところであった。

 青年は脇道を真っ直ぐに進むと、正面の脇道から男が2人出て来て行く手を完全に塞いだ。

 一人は大柄な男。

 もう一人は、長さ120cm程の鉄パイプを握っている。

 鉄パイプは、金属故の頑丈さに加え内部が空洞であることから、ある程度の軽さも持ち合わせている。

 それらの特徴は、そのまま武器としての側面も併せ持つ。下手をすれば木刀よりも軽く丈夫なうえ、その入手の容易さも手伝い暴走族や現代の暴れん坊達の必須アイテムでもある。

 予想通りの展開だ。

 青年は足を止める。

 背後には、4人の男が近寄って来た。

 正面に2人。

 合計で6人。

 青年は完全に前後を挟まれた形になったが、その表情に焦りはない。

 背後から来た男の一人。

 スキンヘッドの男が口笛を吹く。

「ほう、写真で見る以上の色男だな」

 他の男達もニヤついた笑みを浮かべた。

 それは、青年の背後に位置する鉄パイプ男達も同じだ。

 スキンヘッドの男は、懐に手を入れると黒い手袋を取り出す。両拳に装着した。

 暴動鎮圧仕様のハードナックルグローブだ。

 拳を守るナックルガードには、硬度に優れた丈夫なカーボンテックファイバーのパッドが仕込まれており、軽量かつ高い衝撃耐性を持つ。激しい格闘が予想される”暴動鎮圧”という危険なシチュエーションから使用者を守るために、ゴツく分厚くなっているのが大きな特徴だ。

 素人は、格闘技においてグローブを装着するのは威力が低下すると思う者がいるが、実はその逆だ。

 素拳で殴った場合、拳にかかった力は、より楽な方向へと逃げようとする。その逃げようとする力が手首にかかるために角度と勢いによっては手首を挫くことになる。

 しかし、グローブをはめて殴った場合バンテージやグローブの紐によって手首が固定されている為に、拳にかかった力は、そのまま前方に行くしかない。

 つまり、グローブをつけることで拳の安全性が増すだけでなく、パンチの威力は増すということなのだ。

 男は、手首をベルクロ付きのベルトで入念に固定する。

 青年は、スキンヘッドの男に向く。どうやら、奴と一番手に戦うことになりそうだ。

「オレ一人でやらせろ。こういうスカした野郎の顔をボコボコにしてやりてえ」

 言葉を切ると、呼びかける。

「いいすよね、兄貴」

 スキンヘッド男は、青年の背後に居た大柄な男に聞いた。

「好きにしろ」

 了承の言葉が聞こえる。

 青年は、そいつがリーダー格だと理解した。

 スキンヘッド男の言葉を聞いて、男達が笑う。

 このスキンヘッドの男は白菱組の中でも、特に血気盛んな武闘派として知られている男だった。喧嘩の腕も立つのだが、何よりも好戦的な性格をしている。

 スキンヘッド男の挑発的な言葉に対して、両脇にいる3人の男達は囃し立てる。これから起こることが楽しくて仕方がないのだ。

 今にも殴りかかりそうな雰囲気だったが、スキンヘッド男はあくまでも冷静さを装っていた。

 しかし、それも時間の問題だ。

 それは男を知っている者なら当然のことであった。

 一発でもパンチが入れば狂ったように殴り、青年の顔をミンチにするのは間違いなかった。

「そいつはダンビラ(刀)の扱いが上手いらしい。使わせんな」

 仲間の一人が言うが、スキンヘッド男は、せせら笑う。

「今更間に合わねえよ」

 男が拳同士を打ち合わせて青年に近づいて来るのに対し、青年は鞘袋を紐を用いて左肩に担いだまま動かなかった。

 右手を持ち上げて構えようともしなかった。

 棒立ちになっていたのではない。

 立っていたのだ。

 地を刺すような下半身の安定さと、どこへでも動ける上半身の自由さ。天地の二方と共に、前後左右も合わせた六方から見えない力で引っ張られていて、その緊張のただ中に存在するような立ち方。

 《立つ》

 それは、まるで能楽師が持つ、見事までの華麗で見るものを魅了する立ち姿であった。

 それは決して動かない状態ではない。身体の中では、深層の筋肉群がまさに動いている状態であり、能においては、すべての動きはこの《立つ》という静かな動きから始まる。

 能を完成させた世阿弥は、目に見える美を内面の美にとらえ直すことで、能の表現を深めた。

 つまり、見える動きより見えない美を大切とした。

 能には、いくつかの動きの組み合わせである「型」があり、その型の組み合わせによって曲が成り立っている。物語や演者によって特別な動きをすることはなく、すべて決められた型の連続の中で表現される。

 極限までシンボライズされた能の型は、言葉で言い表せない感情やイメージ、そして森羅万象をも表現する。

 能は侍の頭領である足利将軍に愛され、武士が能という芸能を独占していった。

 江戸時代には能は江戸幕府の正式な芸能である式楽として採用された。

 以来、全ての侍は能を鑑賞するだけでなく、自らも謡い、そして舞うことが義務付けられた。能が侍の芸能になったために、侍の立ち居振る舞い、言葉遣い、教養、精神生活、儀礼など武士の生活全ては能に影響を与えることになった。

 能の動きはまさに《武》であり、能を舞うことによって侍は、その身体を磨いていた。

 美しいとは、無駄がなく、同時に隙きが無いという意味でもある。

 青年の美しさには、一つ一つの動き無駄がないことにも端を発していた。

 その見事な《立つ》という構えと共に、その顔には一切の表情がない。

 全てを達観した聖人君子の如き面には、恐れも怒りもない。

 ただ静かに立ったまま動く。

 例えるなら、樹木は一歩も動けない存在であるにも関わらず、命の息吹を感じさせるのと同様に――。

 四季が流れる中、枝葉を人が気が付かぬほどの静けさで伸ばし、幹の色にそぐわぬ美しい花を咲かせ、たわわな実りをつける。

 動かないままに、幹の中で動き続けた結果なのだ。

 青年の、その立ち姿は、悟りを開いた完成された人間の姿だったのかも知れない。

 一つ哀しいことがあるとすれば、その姿を理解できない愚か者ばかりが居たということ。

 男は上体を立て、拳の親指がこめかみに当たるくらいに両腕を構える。打撃系格闘技で使用される、アップライトと呼ばれる構えだ。

 対戦相手と距離を取って効率良く有効打を当てる戦い方をするアウトボクシングに多く用いられる。

 アウトボクシングとは、相手からのパンチが届かない距離をキープし、攻撃のチャンスに一気に攻める戦い方。

 相手が近付いてきたら同じ間隔をキープするなど、距離感が大切となる。

 いわば相手には打たせず、自分が打つスタイルだ。

 戦闘訓練を受けただけあって、構えからしてサマになっている。

「どうしたビビって動けねえのか? テメエのキレイな顔を潰して、オレの小便かけてやるぜ」

 スキンヘッドの男は、脇を締めての左拳による牽制パンチを放つ。

 体を捻らない故に威力はないがスピードに優れたパンチだ。

 それは、相手の防御動作を誘発させる為のもの。

 その瞬間、青年は動く。

 摺足。

 爪先に意識をおいて、床を感じながら、しかし引っかかって止まることがないように、身体を進めて行く。

 両脚の間が開かないように、一本の線上、もしくは線の両側を、足の内側がすれあうような気持ちで前に出して行く。

 足元が乱れたり、上体がふらついては、声の出、息の出が狂う。

 上体が揺れないで、身体の動きが止まらず滑らかに、安定して歩いてゆかねばならない。その時の足が「摺足」と呼ばれ、能、狂言、歌舞伎、日本舞踊で共通して使われる歩き方。

 摺足をする理由は、身体が揺れたり、ぐらついたりせずに、安定して歩くため。身体が上下や左右にゆれていては、形も美しくない。

 風に羽毛がそよぐ。

 葉の上を雫が転がる。

 氷の上を粉雪が流れる。

 それらの自然に見る姿のように、青年の歩む姿が美しい。

 ひざを軽く曲げて頭は決して上下しない。

 出て行く足に体が乗っかるように全体的に動く。

 腰は安定させて、足裏を見せないようにじっくりと歩くので、外側の筋肉より内側の深層筋を使う。

 力を使用していないように見えて、想像以上にこの摺足は体力のいる運動になるが、青年はそれを使いこなす。

 青年は、一切の揺らぎの無い、神に約束された未来に向かうような疑いのない動きで、横に男の拳をすり抜けるように躱す。

 一切の無駄を省いた、美しい動きが青年にある。

 男は、空振りした左拳を引き戻した。

 だが、そこで終わらない。

 男は、すぐに拳を引くと同時に右拳を繰り出してきた。

 右後ろ足の踵を浮かせ、右下半身を回転させた強力な右ストレート。

 ボクシングで言うところの、ワンツーという左右の拳を使ったコンビネーションだ。

 ワンツーとは、左で軽く打ち、続いて右で強打する攻撃法。

 右のストレートパンチは青年の首根が折れるほどのスピードとパワーで放たれる。

 青年は、それを黙って受けた訳では無い。

 男が左腕を引いて戻す動作は、一瞬であるが、次の攻撃に移るまでのタイムラグが生じる。

 それは二拍子だから。

 そこを狙って、青年は前に動いていた。

 つまり、男の右ストレートが放たれる前に、青年は次の動作に入っていた。

 男は、自分の攻撃が完璧に決まると考えていた。

 しかし、予想に反して青年は、そのカウンターとなるであろう一撃を避けなかった。

 いや、避ける必要がなかった

 なぜならば、既に青年はそこにいなかった。

 男が、青年の顔面に向けて放ったパンチが青年に当たることはなかった。

 青年は既に移動していた。

 前に。

 青年は、男の攻撃に対して何の躊躇もなく、自らの身を危険に晒すことも厭わず、男の懐に入ると、右の掌底を男の顎に下から突き上げる形で叩き込む。


 【掌底】

 打撃に用いる手型の一つ。

 空手、古武術、拳法、軍隊格闘技など多くの武術、格闘技で用いられる。

 指が折れるのを防ぐ為、親指は内側に折るような感じで曲げ、他の四指も第一関節と第二関節を少し曲げる。

 ヒットさせる箇所は、掌の底(手首側)を用いて使用する。

 拳による点の攻撃と異なり、接触部位に対するダメージということではない。打撃により波紋を伝え、その奥にある部分にダメージを与える形になる。

 手形の関係で、肘を伸ばすようにすると武技の質が低下するので、肘を伸ばしきらないようにして打つ。

 拳に比べて若干間合いが狭くなってしまうが、素拳でありながら手首を痛める心配がなく、この技は接近戦では拳以上の技となる。


 青年が狙った先・アタックポイントは、顎。

 顎に攻撃を受けると、脳震盪を起こし側面を強打されると脳が揺れて内出血、血栓などを引き起こす急所だ。

 しかも、青年は下から突き上げる形で打ち込むことで、頸椎への攻撃も盛り込んだ複合ダメージを狙っていた。

 青年の掌底は、男の顎を捉えた。

 男は空を見た。

 それが最後の光景だ。

 男は脳震盪を起こし、頸椎捻挫を受けて膝から崩れ落ちる。

 青年は一歩引いて半身になり、男を見て残心を決める。

 男は白目を剥き、口から唾液が流れ出る。

 青年の掌底による一撃で、完全に意識を失っていた。

 これで1人目。

 青年の体術に、5人の男達が理解ができなくて唖然としている。

 青年は、倒したスキンヘッドの男の脇を抜けて行く。

 戦いには流れがある。

 スポーツ、ギャンブル、ゲームなどに及ばす、ありとあらゆる勝負事には、《流れ》というものがある。

 それは、戦闘においても同じだ。

 相手が戸惑っている間に、勝負を決める。

 この隙を逃すほど、青年は愚かではなかった。

 スキンヘッドが倒されたのを見て、青年の正面に居た3人の男達は慌てて我に返ったようだが《流れ》は青年の方にあった。

 最初に仕掛けたのは、右側の男だった。

 青年の顔面目掛けてストレートを放つ。

 先手を取られた。

 いや、青年は、先手を取られたのでは無い。

 取らせたのだ。

 武術に《後の先》という戦術がある。


 【後の先】 

 相手が仕掛けてきた技に合わせて掛ける技。

 相手の攻めを利用して逆に相手を攻める、相手の攻めをゆとりをもって受けるなどの意を表す言葉で、相手が仕掛けてきた技に合わせて掛ける。

 剣術では、相手が斬りつけ体勢の修正が効かない段階で、相手の刃を避け、相手に斬り返す技。

 格闘技においては、カウンターと称する。

 相手の繰り出すパンチに対して自分のパンチを合わせる技術のこと。

 相手の勢いを利用して、先に当てることにより通常の一発より強力なダメージを与えることができる、まさに必殺のパンチ。


 青年は身体沈めて男のパンチを掻い潜ると同時に、相手の懐に入り込み鳩尾に右肘を突き刺した。

 正確には相手の勢いを利用しているので、突き刺さったのだ。

 《後の先》を用いているために、青年は肘を出して待ち構えているだけで攻撃が入った。

 鳩尾を含めた腹部は、人体の中でも一番柔らかい部分なので、破壊力は抜群だ。

 男は息を詰まらせて悶絶する。

 これで2人目。

 青年は膝を伸ばして立った。

 そこに、左側から小柄の男が懐から、シースナイフ・シュレードSCHF36を突き出して来る。

 シュレードSCHF36。

 全長:260mm ブレード長:110mm ブレード厚:約5mm 重量:450g

 ブレード材質:1095高炭素スチール ハンドル材: TPE

 ブレードはフルダンク構造の、非常に耐久性の高い1095高炭素スチールの1枚で作られ、腐食と反射を防ぐパウダーグレーコーティングが施されている。

 TPEのテクスチャ加工されたハンドルのカーブは自然な形で、濡れた状態でも握りやすくなっており、グリップ部分のくぼみによって、使用中に滑って落下することを防ぐ。

 ブッシュ・クラフターとサバイバルナイフとしての使用出来るように設計されている。

 青年は、左足を前に出して軸足を安定させると、男がシュレードSCHF36を握った右腕の外側へと移動しつつ躱し、右手で男の右肘を掴む。

 瞬間、男は電気が流れたような衝撃を感じる。

 肘にある経穴・青霊を指で圧迫したのだ。

 肘関節内側の皮膚のすぐ下を尺骨神経が通っており、ここを圧迫すれば腕の小指および肘までの周辺が痺れる。強く圧迫すれば麻痺を起こすこともできる。この現象は一般にファニーボーンと呼ばれる。

 青年は男の斜め後ろに身体を移動させると、男は天地がひっくり返り、もう1人の男を巻き込んで、身体を激しく地面に叩きつけられた。肺の中の空気を全て吐き出し戦闘不能となる。

 腕力は使用していない。

 体を使って投げた。

 神経の圧迫から投げに至るまで工程は、圧迫、移動、投げというように3つの動作に分解できるが、青年は、それを起こりや溜めのない止まることのない一拍子で行う。

 仮にこれが一つ一つ区切られた三拍子であったとすれば、そこに隙きが生じ攻撃を受けることになる。

 それは青年と戦った最初の男が行ったワンツーのコンビネーション・ブローに言えることだ。二拍子故に、付け入る隙きがあった。

 対して、青年の技は隙きの無い一拍子の攻撃であった。

 これで3人目。

 投げの巻沿いを食らった男は、倒れたまま頭を抱えながら目を開けていると顔面に青年の背足が迫っていた。


 【前蹴り】

 前方に真っ直ぐ放つ蹴り。

 空手や拳法等には華麗な蹴技がある。

 古武術にも諸賞流や心眼流などに激しい蹴技があるが、古武術の蹴りは前蹴り一本という所だ。

 着物を着、袴を履いた日本人の風俗からは華麗な蹴技は生まれなかったと言えるが、蹴技の使い勝手の悪さはアメリカで行われたアルティメット(ノンルールのデスマッチ)で証明されている。

 実戦形式に近くなるほど一撃で相手を倒せないもので、結論として敵を倒すための蹴技は立った相手の頭部を狙うのは望ましくなく、他の技で転倒させた相手に確実に止めを刺すために用いる。


 青年の前蹴りを鼻っ柱に受けて、男は意識を失う。

 これで4人目。

 残ったのはリーダー格の大柄な男と、鉄パイプ男だけだ。

 青年の背後から、男は鉄パイプを振り上げて襲いかかってきた。空気を殴るような音が響く。

 しかし、その振り下ろしたはずの鉄パイプは、空を切った。男は鉄パイプを握る左手を引くと鉄パイプは右手を支えに、地を叩く前に男の方に引き戻される。

 身体を低くして、鉄パイプを槍のように突き出す。

 外されれば、今度は半分だけ引き戻し鉄パイプの中心を掴み、青年の頭部を狙った回し打ちが襲った。

 鉄パイプという武器の見た目に騙されてしまいそうだが、振り回すだけしかできない粗暴者ではない。本格的な棒術を学び、戦闘を潜り抜けてきた者の動きだ。

 だが、それでも遅い。

 回し打ちが外されると、青年はわざと大きく距離を取る。

 男は、それを知って右手のみで鉄パイプの端を握ると、大きく振り回す。片手という伸びと、鉄パイプの長さを生かした最大射程の横殴りの一撃を青年に叩き込もうとする。

 そう来るのが分かっていた青年は、男に向かって飛び込む。

 それは竜巻に自ら突っ込むようなものだが、青年は地を這うように身体を沈めて間合いを詰め、そのまま男に体当たりを仕掛けた。

 いや、体当たりではない。

 男の脇腹に、青年の揃えた指先四本が刺さっていた。


 【貫手ぬきて

 貫手は手の指を真っ直ぐ伸ばし指先で相手を突く技。字の如く貫くための技。

空手、拳法、古武術の流派に見られる技。

 拳による打撃の歴史は力任せの殴り合いから始まり、人体の弱い箇所・急所を狙っていく知恵を身につける。その急所も細かく分類され数か増え、顔面や鳩尾、脾腹といった大雑把なものではなく、殆ど点に等しい様な細かい所にまで分類に成功する。

 そして、その点に等しい急所を狙う方法として貫手などと言った鋭角的な拳形が案出された。

 こうして、急所を狙うナイフの如き殺傷力抜群の拳打が生まれた。

 通常の拳による突きよりも力を一点に集中させることが出来るため、目、喉、鳩尾、脇腹などの急所を攻撃する場合は非常に大きなダメージを与えることが出来る。

 通常の格闘技の技は、脚を狙ったローキック、ボディへの攻撃等、覚悟を決めていれば、耐えられる技が大半だ。

 しかし、目や喉への攻撃は耐えられない。

 よって貫手による急所攻撃は、無視はできない。

 貫手自体は大変強力な技で、使うことができればまさしく《一撃必殺》を地で行くような効果が期待できる。

 問題は武器としての強度。

 貫手は指先が使用部位になるが、本来は大変弱い箇所だ。

 突き指というのは、日常でも経験することだが、武器として使用する場合、簡単に突き指をするような強度では使えない。

 武技として行なう場合、使用部位にかかる衝撃が大きく、もし強度に問題があれば突き指程度では済まず、骨折する可能性が高くなる。

 よって、貫手を武器として使うには、武技として成立するように鍛錬が不可欠であり、この条件なくしては、用いることはできない。

 鍛錬として指立て伏せを行う。貫手は握力が大事で握力不足の貫手は容易に突き指、骨折を引き起こす。

 又、目の細かい砂もしくは米を入れた甕に繰り返し貫手を突き刺す方法もある。最初は爪が隠れる程度の深さで始め、慣れてきたら段々と深くする。慣れれば指が全部隠れるまで突き刺さり、達人は手首まで刺さる。

 貫手という技術は、使えるようになるまで長期間の鍛錬が必要なことと、原則として急所しか狙わないこと。

 効果的に使う場合は、目、喉等、相手に一生ものの損害を与えることから、試合制度から真っ先に除外された危険過ぎる技術だ。それは鍛えた所で意味を持たない。

 貫手は、実戦向きで、むしろ実戦でしか使えない。

 現代では、存在してはならない技術だ。


 青年は突き刺さった貫手を持ち上げると、生木をへし折る音が何本も響く。

 肋骨が3本へし折れた音だ。

 肋骨骨折と共に、肋間神経を巻き込んでの神経断裂を引き起こした男は、雷に打たれた如く身体を硬直させ、胃袋が裏返ったかのように大量の胃液を吐き出しながら、その場に崩れ落ちる。

 これで5人目。

 最後に残ったリーダー格の男は懐から自動拳銃・マカロフPMを抜いた。

 マカロフPM。

 全長:161.5 mm。重量:730 g。装弾数:8+1。口径:9x18mm。

 銃種:自動拳銃オートマチック

 1951年、トカレフTT-33の後継としてソビエト連邦軍に制式採用された拳銃。

 堅実な設計の中口径拳銃として、ソビエト連邦軍やロシア連邦軍・ロシア国境軍など、多くの軍や準軍事組織で採用され、さらには東側諸国でも採用された。

 近年マカロフは日本国内での銃犯罪に使用される頻度が高まっている。2001年には日本の警察による押収量がそれまで主流だったTT-33を抜いて1位となった。

 暴力団では、暴発のリスクが高く、貫通力も高すぎて市街地での使用に適さないトカレフ型を廃してマカロフ型に切り替える傾向が進んでおり、2003年前橋スナック銃乱射事件・2007年町田市立てこもり事件など、マカロフが使用される犯罪も増加している。

 なお、暴力団関係者の間ではグリップの星マークから「赤星」という通称が付けられている。

 銃口が青年に向けられる。

男は、青年に向かってマカロフPMを2発撃つ。轟音が響き渡る。

 ダブルタップ。

 拳銃は普通、1発では敵を倒すことが出来ない。2発程度頭にぶちこむことで確実な成果が得られる。故に拳銃は2発セットで発射し、相手がまだ倒れなければ、また2発撃ちこむやり方が一般的だ。

 しかし、青年は、男の撃った弾丸を躱した。

 いや、本当に躱したのだろうか。

 9x18mm マカロフ弾の速度は、秒速約319m。

 時速にすれば1148kmだ。

 青年と男との距離も、4mしか離れていない。

 躱せる訳がない。

 だから、躱したというのは間違いだ。

 青年は、マカロフPMに対し、まるでそれが分かっていたかのように身体を翻したのだ。

 青年が見せた、あの動き。

 風に羽毛がそよぐ。

 葉の上を雫が転がる。

 氷の上を粉雪が流れる。

 あの自然を表現し能を舞うかのような、美しさは凶弾を前にしても揺るぎなかった。

 憧れし空を目指し、風を味方につけて、宙を舞う綿毛を拳で打ち抜こうとしても、決して打ち抜けないのと同様に、青年は銃弾を無力化したとしか思えなかった。

 今の青年に、狙撃銃スナイパーライフルを撃ち込んだとしても、仕留めることができるか疑問が残る。

 いや、無理だろう。

 そう信じさせてしまうものが、青年にはあった。

 男は目の前に起こっている現実が信じられなかった。

 白菱組・若頭の雄島崇裕から、写真の青年を消せと命令を受けた時、男はせせら笑った。

 こんな優男一人を殺すのに、なぜ戦闘部隊が出なければならないのかと。

 青年はダンビラ(刀)の扱いが上手い。

 としか教えられなかった。

 そんな青年に対し、戦闘部隊が6人全員で殺害を試みたのだ。それがこんな結果になるとは、誰が予想できただろうか。

 今や、立っている者は自分だけになった。

 青年に、男は戦慄を覚えた。

 確かに強い。

 戦闘服に身を包み、アサルトライフルを持ち予備弾薬は200発、サイドアームは二列弾倉ダブル・カーラム自動拳銃オートマチックと予備弾倉は4個、コンバットナイフ、手榴弾ハンドグレネードを装備し、自分のようなプロが戦争をするレベルで挑んで、ようやく殺せる自信が持てるかどうかと思った。

 何しろ青年は、今においても右腕と右脚しか使っていないのだ。

 そういうレベルだ。

 だが、今更逃げる訳にはいかない。

 男は――。

 青年は――。

 そして、《後の先》を極めし者の回避動作は、攻撃と防御を同時に行うのと同じことだ。

 突然、男はもつれ込むように倒れて地に転がった。

 マカロフPMが乾いた激しい音を上げて転がる。

 男は何が起こったのか分からなかった。間合いを詰めての確実な銃撃を行おうと動いた瞬間には、地に転がっていたのだ。肩の付け根に生じる激しい痛みの元を、男が確かめると、そこにはナイフが根本まで深々と突き刺さっていた。

 青年は3人目に倒した男が、持っていたシースナイフ・シュレードSCHF36を拾うと、左脇に挟んだまま保持していた。

 それを投げたのだ。

 男はシースナイフが刺さったことと、利き腕をやられたことで受け身を取れなく背中を強く打ち付けたことで、呼吸困難に陥る。

 これで6人目。

 青年は左肩に背負った鞘袋を解くまでもなく、右腕一本と脚のみで襲撃者を制していた。

「クソ……。フザケやがて。…………こ、んなことなら、女……。見張る方、行きゃ、良かった……」

 青年は苦悶の声を上げる男の前に立った。

 その顔を正面から睨みつける。

「貴様ら、誰だ。なぜ俺を狙った」

 その視線に、男は震え上がったが、暴力団としてのプライドが恐怖を抑え込んだ。

「……誰が喋るかよ」

 だが、その声はか細く、掠れている。

 青年は男の銀バッジを見る。

 各ヤクザ組織には、代紋があり代紋が入ったバッジが存在する。

 バッジにも色があり、幹部のみが付ける事が許される金バッジ、そして銀バッジがある。

 金バッジは幹部クラスが付け、素材はもちろん18金で作られている。

 金自体が高価な金属となるので、金バッジを付けることが許されるヤクザは、組織の中でも上位にいる幹部となる。

 銀バッチは、幹部手前の構成員が使用する。

 その銀バッジの中央には、漢字で白菱と書かれていた。

「分かりやすい。少なくとも白菱と言うらしいな」

 言われて男は、嗤った。

 滑稽過ぎた。

 自分の所属を明かすなんて馬鹿げている。

 男は自嘲した。

 大柄な男も、その身体の傷から流れ出る血の量に命の危険を感じ始めていた。ナイフは、鎖骨下動脈から続く動脈・腋窩動脈を傷つけていた。

 このままでは出血多量で死ぬかもしれない。

 いや、どうせ死ぬんだ。構うもんか。

 そう思い、男は語り始めた。

 白菱組で何が起こったのか。

 そして、青年を襲撃した経緯を話した。

 青年は黙って聞いていた。

 男の話が終わる。

「今のお前らの組長には、左頬に傷があるな」

 青年が問うと、男は頷いた。

「おお橋、の……ぶ。た、かが……。じゅ、んこうせいいん。でしか……。なかった。……男」

悪口あっくか」

 青年の脳裏に、公恵と女を背後から襲おうとした、あの男を思い出す。

「もう一つ訊く。お前がさっき言った女の見張りとは誰だ?」

 男は口を開こうとしたが、すでに意識が朦朧としている。

 青年は男に刺さったシースナイフを引き抜いた。

 もう一度、シースナイフの先を傷口に埋め込んだ。

 根本まで刺す。

 青年は今の作業を眉一つ動かさずやる。まるでエンジンが止まった機器を再起動するかのような所作によって、男は意識が覚醒した。

 だが、激痛のあまり悲鳴を上げる。

 男は暴れようとしたが、青年は腕で押さえつけていた。

 男が抵抗を止めても青年の腕力の方が上で、びくりとも動かない。

 男は涙を流しながら懇願した。

 死にたくないと。

 しかし、青年は無表情に言う。

「お前達、白菱組が何をしたのか忘れるな。お前達に殺された新聞記者にも父と母がおり、妻や子供が居たかもしれないんだ」

 男は言葉にならない言葉を吐いた後で、首を横に振った。

 そんなはずがない。

 自分は命令されただけなんだと、訴えようとしたのだろうか。

 その通りだとしても、今の状況で、その言い訳を通してやる程、青年は優しくはない。

 青年は、男の肩を押さえていた手を外す。

 男は、息も絶え絶えに呟いた。

「い、いしゃ……だ」

「医者?」

 青年は訊き返す。 

「…日ヶ、さき、いりょ…………セン、ター…。さ、えき、きみ、え。………って、女。くみ、ちょう……。そい、つ。殺る……って」

 そう言って、男は目を閉じた。

 男が絶命したのか気絶したのかは分からなかったが、今必要な情報を聞き出すことはできた。

 オープンカフェで青年が会った女性は誘導尋問に、こう言った。


「そんな訳ないでしょ。私も、スタッフも懸命になって……」


 その一言で、あの女が、青年が斬った女・志水洋美の治療や手術を担当したことが理解できた。

 同時に、彼女が、今回の件に深く関わってしまっていることも。

 そして、この大柄の男の口から漏れた名前。

 それは、青年が最も知りたかったことだった。

 青年は、男の言葉から推測される事実を確かめるために、男の懐を探った。

 スマホを取り上げると、男の言った病院名を検索し、医療スタッフを確認する。

 そこに青年が見知った顔があった。

 あの夜に会った女であり、オープンテラスカフェで会った女だった。

 そして、名前は男が言った名前でもあった。

「佐伯公恵。これが、あの女の名前。……奴らに、目をつけられたか」

 青年はスマホを投げ捨てると、その場を去った。

 佐伯公恵が狙われている。

 ならば、彼女を守る必要があるだろう。

 青年は考える。

 蛇を殺すには頭を潰すのが効果的だ。長い胴体を切っても蛇は動き続ける。

 それは組織も同様だ。

 だが、奴らが動いている以上、白菱組の事務所に行って組長の悪口あっく・大橋信を斬ったところで意味は無い。そもそも大橋信がそこに居るとも限らない。白菱の息のかかったマンションに身を潜めている可能性もある。

 探していては時間がかかりすぎる。

 猟犬が解き放たれている以上、まずすべきことは、彼女の居場所を突き止めることだ。

 青年は、空を見上げた。

 今日も空は青く澄み渡っていたが、青年はそこにある表面的な美しさではなく、もっと本質的なものを見ていた。

 空に渦巻く瘴気が見えた。まるで、雲の中に吸い込まれそうな錯覚を覚える。その先には、何があるのか?

 ――天国。

 いや、違う。

 その先は、天国という名の地獄。

 この街を食らうかのように存在する悪意に満ちた世界。

 その深淵を覗いて、青年は呟く。

「――やはり、あの男を斬らねばならない」

 そうしなければ、誰も救われないだろう。

 そして、救うためには、あの佐伯公恵が、あの男に殺されてしまわないようにするしかない。

 青年は歩き出した。

 目指す場所は、既に決まっていた。

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