第37話 マムルーク(3/3)

「やってられん」


 エイナルの発言に、ラズロフスキと部下のアシュロフは、何とも言えない表情で固まった。


*


 ハルカ騎士団エジュナードナルハルカトゥとは『自由市民から選りすぐられたエリート軍団』を意味している。

父親や祖父が奴隷身分の軍人マムルークだった息子たちを集めた、特化した軍隊組織だ。

 二世、三世の彼らは、生まれながらにして『リクラフルスの自由市民である』と認められている。

そのため、自らの意思で入隊志願しても、奴隷身分の軍人マムルーク部隊に入れられることはない。


*


『親が奴隷でも、生まれた子供は自由市民』

一見、とても良い社会制度に見えるが、その歪みは思わぬところに出る。


「二世、三世のあなた方は、生まれついての自由市民で、人頭税じんとうぜいも免除される。この国で異邦人いほうじんとして生きていくためには、毎回、税の取立人とりたてにん屈辱くつじょく的な扱いをされることをお忘れか」


ラズロフスキの口元は微笑みの形をとったままだったが、エイナルを見返すハシバミ色の瞳は、笑っていなかった。


「ふんっ。人頭税じんとうぜいがない分、自由市民の男は完全徴兵制だ。徴兵逃れに例外はない。異国籍なら、強制徴兵の対象ではない! 税を取り立てられる時ぐらい、痛みを甘んじて受け入れてもらわなければ、割に合わない」


対するエイナルは、ラズロフスキたちマムルークに対する不満を漏らし始める。


「今やマムルークばかりが昇格するじゃないかっ! 上官にマムルーク。上級、中級士官もマムルークで固まって。マムルーク同士で持ち上げるせいで、自由市民の昇格機会は減る一方だ!」


彼は一度言い出すと聞かない性分なのか、あれやこれやと引き合いに出し、追及の種を探してきた。


*


 人頭税じんとうぜいとは、リクラフルス国籍でない人間が暮らしていくために『自由市民よりも割高の税金を支払うことで、見返りとして、国は一定の人権と生活の安全を保障する』という制度だった。


 税金を支払う時は、必ず自由市民の目の前で『取立人に頭髪や髭を掴まれ、頬を平手打ちされながら、秤の上に一枚ずつ硬貨を載せていく』や、『取立人の前にひざまずき、規定の回数に従い足蹴あしげにされること』などの独特の作法があった。

 その時の取立人によって程度が変わるが『税を払う人間が屈辱に感じる行為を与えること』と決められていた。


 その目的は『リクラフルスの国民に帰化すれば、自由市民と対等の扱いが得られるのだぞ』という見せしめの意味が強かった。


*


「……そう。そんなことを言われたら、私たちは税を納めている上に、兵士として最前線に出ている……奴隷身分でな」


彼との会話に疲れてきたラズロフスキは、切り上げる算段を考え始めた。


「だからって、強力な軍閥ぐんばつを仕込まれてはたまらないんだよっ」


 エイナルのつむぐ不満の焦点は、その一点だった。

マムルークばかりが群れ固まり、軍の人事を牛耳っている、と。

ラズロフスキの切り出した『マムルークは割高の税金を払った上に、命を張っている』という事実の一片は、頭に血が上った彼には効果がなかった。


「そんなことを言われても、私の一存ではどうすることもできない。せんないことを言われても、お互いに困るだろう」


そう言うと、ラズロフスキは抑えた口調で、相手の情に訴えかける話題に移す。


「私にも息子がいるよ。いずれ従軍するだろうが、所属するのは貴殿と同じハルカ騎士団エジュナードナルハルカトゥだ。私の息子は貴殿の言う通り、ナサン中佐の親戚にも当たる。……将来、息子や孫が所属する隊を冷遇れいぐうしていれば、我々マムルークにとっても良くない状況だと、思わないわけがない」


それを聞いたエイナルは、一瞬目を細めて口をつぐんだ。

そばの窓枠に目を移しながら、バツが悪そうに口を開く。


「貴殿一人がそう思っているだけかもしれませんよ。あなたがたマムルークは、一代限りの献身けんしんで過去の王朝からスルターンに愛されてきた組織だ。親兄弟の絆より、同じ釜の飯食った同胞だと思う人間の方が多そうだ」


我々マムルークだってただの人だ。我が子はかわいい」


「そうでしょうかね?」


「……どうしたら貴殿の矛を収めていただけるかな」


エイナルの愚にも付かない不満話に、ラズロフスキは飽きていた。

切り上げるためなら、多少の融通はしなければならない、と腹を括っていた。


「書記官はうちの人間を使ってくれ」


「なんだって?」


エイナルから思いもしない提案に、彼は変な声が出た。


「マムルークで、国外の言語に明るい貴殿が、取り調べをすることには承知した。しかし、書記官についての指示はないな。ハルカ騎士団エジュナードナルハルカトゥの書記官を使ってくれ」


「それにどんな意味があるんだ」


エイナルの意図が掴み切れず、ラズロフスキは声を上げた。


「我々もこの国の防衛に貢献している、と見せたいだけさ。……手柄を横取りされようともね!」


 まったく、くだらないプライドだ、とラズロフスキは内心呆れた。


 書記官を別部隊の人間にするということは、自分たちが聞き取りした内容を、他部隊に譲渡するも同然だった。

その場で複写させるか、自分たちの部隊からも書記官を同席させて同時速記させることも可能だが、そんなややこしいことをして、事務作業の二度手間などご免被めんこうむる、と拒否するのが普通の判断だろう。


「……わかった。貴殿の気がそれで収まるのなら、そちらの書記官にお願いしよう」


大尉ユーズベシュっ?!」


隣で聞いていたアシュロフが『そんな提案を受け入れるのか?!』と言いたげに声を上げたが、ラズロフスキは反応しなかった。


「これ以上はここで言い争うのは埒が明かない。我々の任務はここではない。お互いにな」


ここでラズロフスキが承諾しなければ、目の前のエイナルは、粘着質に輪をかけた作業妨害をしてきそうだと判断したからだ。


エイナルは満足そうな顔をして、自分の背後に立つ若い士官を呼んだ。

呼ばれた士官は一瞬の間が空いた後、驚いたように反応した。


「ア、はい」


聞いた人間が拍子抜けするような甲高く、鼻から抜けたような声だった。


「わたしはァ、ハルカ騎士団エジュナードナルハルカトゥのォ、キチュバルクとォ、申しますゥ」


彼はそう言って軍靴を鳴らすと、右手を軽く上げ、ちょこんと敬礼した。


「このたびはァ、書記官ンとして大尉ユーズベシュと共にィ、取り調べを行うよう、中尉ウステーメンからうけたまわった次第でェありまァす! わたしの階級はァ、准尉アスツソバイバスチャヴスでありまァす!」


入隊してまだ間のなさそうなキチュバルクは、どうにも締まらない挨拶する。


彼の自己紹介は、先ほどの上官の会話を聞いていれば、言う必要のない情報ばかりだ。

ラズロフスキの隣で黙って聞いていたアシュロフは、キチュバルクの型通りの挨拶に『扱いに難のある人材か』と嫌な予感がした。


「えぇっと……、書記官ならば、速記を頼むよ。リクラフルス以外の言語はたしなまれているのかな?」


気を取り直すように、ラズロフスキが和やかな雰囲気を意識しながら聞いた。


リクラフルス語トルクメニキはァもちろんでありますがァ、セルダニア東部語ヘレニックとォ共通語フスハーを少々ゥ……」


と言い、突然思い出したように


「あァッ! わたしの祖父はァ奴隷身分の軍人マムルークでしてェ……」


キチュバルクはパッと瞳を輝かせ、自慢げに言い放った。


「……充分わかった。ありがとう」


 ラズロフスキは彼の前に左手を軽く上げ、会話をやんわり切り上げた。

横で聞いていたアシュロフは『ハルカ騎士団エジュナードナルハルカトゥに所属してる奴らはみんなそうだよ』と言いたげに、キチュバルクを見る目を細めた。

キチュバルクの話からは、彼が周りの会話を全く聞いていない、または、まったくお構いなしであることがよくわかった。


 どういう訳から、このような人間が書記官としてまともに務まると推薦するのだろうか。

ラズロフスキはエイナルの本心を聞いてみたい衝動に駆られた。


しかし、先ほどのように言いがかりや難癖を延々と語られるのも嫌だったので、黙って小さく溜息を吐くだけだった。


「しっかり務めなさい」


エイナルは笑顔でキチュバルクにそう言うと、一人満足そうに廊下を歩み、その場を離れた。


大尉ユーズベシュ、私も同席速記いたします」


心配そうに申し出るアシュロフを見て、ラズロフスキはありがたくお願いした。


 聴取室ちょうしゅしつの扉の前に立つと、ラズロフスキはたかぶってしまった感情を落ち着かせるため、目を閉じて息を吐いた。

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