第36話 マムルーク(2/3)

 連行された男が外国人と聞くと、ラズロフスキは自分が指名された建前を理解した。


「……奴隷身分の軍人マムルークなら、一人くらい言葉の通じる奴がいるかもしれない、か」


彼は諦めの笑みを浮かべた。


*


 マムルークとは、アラビア半島を中心とする回教イスラムの教えや価値観に基づき組織された、社会身分の一つである。


 もともとの意味は『所有された者』、男性奴隷を指す言葉だったが、『奴隷』と言っても、言葉の響きほど彼らの社会的地位や待遇は低くない。


  彼らの多くは、幼い頃から乗馬に親しむ騎馬民族出身者だ。

幼少期から乗馬、弓射、槍術などの徹底した訓練を受けさせることで、弓射を得意とする騎兵のエリート軍人としての育成がほどこされる。


 マムルークの中には、将軍アミール太守パシャなどの社会的地位が高く、支配者階層に影響を与える人物が出現した。

彼らのように出世で上り詰めたマムルークは、自らが親方となり、新たな少年奴隷や徒弟とていを召し抱えるため、周辺の騎馬民族からの子供を望む。

 そして、その親たちもまた、我が子の立身出世を夢見てリクラフルスに積極的に売る、という循環が完成していた。


 現在のリクラフルスで「マムルーク」と言えば『異邦人から組織される軍人徒弟』という意味合いの方が強くなっていた。


*


「『王族の誘拐犯を捕らえた実績は、子飼いの部下に与えたい』ってことかな」


ラズロフスキは、ナサン中佐の顔を思い浮かべた。


「別部隊の手柄の横取りか。気持ちはありがたいが、あの人の遣り口は露骨すぎる。その反動を受けて憎まれるのは、ごめんだよ」


 一度気に入られれば、尽くす限りはとことん情を注いでくれるが、絶対の忠誠が求められる。

中途半端な服従心では、彼に付き従うことは出来ない。


「仕方ありませんよ。この城塞ではナサン中佐ヤーベイ・ナサンの命令は絶対ですから。……目をかけてもらえるうちは華です」


「……そうだな」


 他国の王族と思わしき人物への対応は、慎重を期す。

軍部でも最上位に位置する人間が対応した方が良い、と判断されるのは、ごく自然な流れだ。


現在のキンメリク城塞にいる士官の中で、最上位にいるのはナサン中佐だ。


 軍の最頂点の役職は元帥マリシャイ

そこから大将オーゲネライ中将コアゲネライ少将トゥンゲネライ准将トゥゲネライ大佐アルベイ、そして中佐ヤーベイと六階級下になるが、該当者がいない階級もある。


中佐ヤーベイは、実質的な部隊指揮官である。

そこからさらに少佐ビンべシュ大尉ユーズベシュと二階級下がると、現在のラズロフスキの立ち位置になる。


「まいったな」


ラズロフスキは弱ったような顔で笑った。


「私は現場第一主義だ。取り調べなんて、まともにした記憶がなかった」


不意に向けられた上官の笑顔に、アシュロフは僅かに口元が弛んだが、適当な言葉が出てこなかった。


 ラズロフスキ大尉の端正な顔立ち、物腰の柔らかさ。

誰に対しても人当たりが良く、同じマムルークで組織された陸軍騎兵団だけでなく、一般徴兵ちょうへいされた一兵卒いっぺいそつたちからもしたわれている。


 一見すると優男やさおとこなので、軍人の中にいると舐められそうに見える。

しかし、汗臭い男たちの中で十数年切磋琢磨せっさたくまし、昇格した現在の立場は、彼が伊達だてではないことを証明している。


「仕方ない。しないわけには、いかないな」


自分を納得させるように呟くラズロフスキの後を、アシュロフが黙って付き従う。


 低い石階段を上りきった二階は、古めかしい穹窿ヴォールト(ふたつのアーチ形状を直交させてまるみをつけた天井)が頭上に迫る。

狭い廊下の突き当たりに、二人の士官が立っている。


ラズロフスキが部屋の入口に近づくと、士官の一人が扉の前にふさがるように立ち、声を掛ける。


「お初にお目にかかります。ラズロフスキ大尉ユーズベシュ・ラズロフスキ


ラズロフスキは黙って微笑むと、隣のアシュロフに目をやった。


「あ、あっ、大尉ユーズベシュ、こちらは」


視線が合った彼は慌てて口を開くが、それを制止するように、正面に立つ士官が、立て続けにしゃべり始める。


「私はハルカ騎士団エジュナードナルハルカトゥ第二連隊所属、エイナルと申します」


そう言って、敬礼をするエイナルの袖口には、太い線と細い線の二重の金糸が縫い込まれおり、彼の階位が中尉であることが見て取れた。


「初めまして。陸軍騎兵団所属の……」


ナサン中佐ヤーベイ・ナサンの命令でいらしたのでしょう」


エイナルは食い気味に話を詰めてきた。


「ええ。そうです」


ラズロフスキは戸惑うことなく、にこやかに返答した。


「我々が連行した男を、なぜ陸軍騎兵団の、マムルークに任せられるのでしょうかね」


目の前のエイナルは、不快そうな目つきで『マムルーク』を強調した。


「……奴隷身分の軍人マムルーク、では?」


ラズロフスキは微笑みを崩さずに、穏やかな口調で返した。


「私も先ほど命令を聞いたばかりで、全部の事情は飲み込めていないのですが、相手の男は外国人だとか?」


「ええ。……ですが、それがなにか、問題ですかね?」


エイナルの発言は、随所に刺が散りばめられている。


 はたで聞いているアシュロフは、はらはらしながら上官を見る。

そして、先ほどからエイナルの隣にはべっている、若い士官も盗み見た。

二十代前半のアシュロフから見て、少し年下そうなエイナルの部下は、上官二人の会話がまるで聞こえていないように、涼しい顔をして、微動だにせず佇んでいる。


「言葉が満足に伝わらない外国人相手に、貴殿たちは手を焼いている、とうかがっておりますが」


「ハッ、そんなっ! そんなわけ、ないじゃないですかッ!!」


 エイナルは大仰おおぎょうに天を仰ぐ仕草をする。

呆れたように大きく肩をすくめると、ラズロフスキの顔を穴が空くほど見つめた。


「あの男を桟橋で捕らえた時、それはそれは流暢りゅうちょうリクラフルス語トルクメニキでしたよッ! 城塞に来てから、突然しらを切り始めたんだッ!」


「……そうですか。では、本日はどのような手段で、問い詰める予定でしたか?」


ラズロフスキは変わらず、静かな口調で微笑みを浮かべている。


「予定もなにも! 昨日は初日だから耐えただろうが、今日は限界ですよ。我々も今日落ちると確信していますからねッ」


「申し訳ないが、貴殿に今日の取り調べはない」


ラズロフスキは笑顔を維持したまま、感情を乗せない口調で断言した。


「それは、貴殿を贔屓ひいきするナサン中佐ヤーベイ・ナサンの差し金だからでしょうッ! 子弟制度していせいどだかなんだか知らないが、尻の穴まで知り合った仲には、敵わんなっ!」


「な……ッ!? 中尉ウステーメンッ! 今の発言は聞き逃せませんッ!」


エイナルの暴言に、ラズロフスキの隣で聞いていたアシュロフが我慢できずに反応した。


大尉ユーズベシュ中佐ヤーベイどころか、我々マムルークに対する侮辱ですよッ!!」


彼は憤懣ふんまんやるかたないとばかりに、エイナルに掴みかかる。


「やめなさいっ!」


口の両端をわずかに上げ、微笑みの表情のままラズロフスキはアシュロフを止めた。

エイナルは、よれた軍服の肩口を直しながら、鼻息荒く言い放つ。


「……たとえ、百歩譲ったとしてね。中佐ヤーベイ従妹いとこだかめいだかと結婚して、身内になった貴殿に、贔屓がないわけないでしょうっ!」


彼はラズロフスキを見下すように、顎をしゃくって続ける。


「ほんとに、恐ろしい組織だ。この国に命を張ってるのはマムルークばかりじゃないのに。私たちだって、元はマムルークの父や祖父の代から、この国に連れてこられた他国籍の人間に過ぎない。なんだって、マムルークばかりが優遇されるんだ。……やってられん」


 最後に吐き捨てた発言は、エイナルの本心であり、軍に所属する非マムルーク兵士たちの心情だった。

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