第35話 マムルーク(1/3)
地中海の北東、エーゲ海から黒海に向かう最初の関門、ダーダネルス海峡。
その海峡の東岸に、キンメリク
旧世界の昔から、アナトリア半島を治めていた国家が、海峡を通過する他国の軍艦への威嚇および、街の防衛基地として築いた軍事拠点だった。
世界崩壊後、リクラフルスになった現在まで、その拠点は継続して利用され続けていた。
城塞は城と、それを囲む長方形の防御壁という二重構造になっている。
中心の城は箱形の建造物で、南北に
内部の階層は地上部に二階と、半地下になった牢屋がある。
箱形の城を囲む防御壁の高さは
防御壁で形作られた長方形の距離は、南北に
防御壁の上部は通路になっており、等間隔に並ぶ
建物全体は石材を用いた
*
城塞の中庭に敷き詰められた芝生、防御壁のそばに植えられた
彼らに近づいた兵士の一人は、目の前で身震いされた。
豪快にまき散らされた水滴に、驚いた兵士が尻もちをつく。
その様子を城門から見ていた門番たちが、弾かれるように笑った。
明るく笑う彼らの一人が、軍用犬に近づくと、頭や背中を優しく撫でつける。
城塞だけでなく、イーロスの町全体が、湿度の高い空気で充満していた。
内城の西回廊を、松葉色の軍服を着た男が歩いてきた。
男が中庭に目をやると、外壁整備をしている兵士たちが彼に気付き、敬礼する。
彼らに応えて手を上げた男の両肩には、将校クラスを示す金の房飾りが揺れる。
男の年齢は三十の半ばに差し掛かる。
柔らかな癖のついた
前髪は額を見せるように後ろに撫で付けられ、耳まわりから襟足は、
鼻のてっぺんや頬骨のあたりには、日焼けの跡があるが、首元の肌は柔らかな乳白色をしている。
適度に太く整った眉と、滑らかな曲線を描く鼻梁は、古代彫刻のように彫りが深い。
涼やかな目元から覗く瞳は『
軍用犬の一匹が
尻尾を千切れんばかりに振る犬に、彼は苦笑いした。
「
小声で話しかける
軍用犬に選ばれる犬は頭が良く、体力的にも優れていると見なされた犬種が訓練される。
彼らは訓練の中で、喜怒哀楽を見せないように
その結果、この一匹は彼が来るたび、反応を示すようになった。
「なんでそいつは
犬を抑えに来た兵士の一人が、不思議そうに頭を掻いた。
「犬好きなのが、ばれてしまったのかな」
大尉と呼ばれた
息を呑むほど端正な顔に、笑いかけられた兵士は、思わずたじろいだ。
「そっ、そんなもんなんですかねぇ」
将校クラスの上官に微笑まれた兵士は、顔を赤くすると目を逸らし、犬の首を
笑顔で誤魔化した彼は「好かれることに悪い気はしないね」と続けると、背中を向けてその場を離れた。
「
振り返った彼は、部下に声を掛ける。
「やあ、アシュロフ」
アシュロフと呼ばれた若い士官は、軍靴を揃え右手で敬礼すると報告する。
「
「なに?」
ラズロフスキは『聞き間違いか』とばかりに、目を丸くして部下を見た。
「港の検問は海軍部隊の
アシュロフは上官の視線を正面から受け止めると、緊張から口元をぐっと引き締め、肩を小さくした。
「は、はい。……ですが、
「その男が、何か特別なことをしたのか」
「連行した隊の報告では、同隊の士官と
「暴動ではなく、ただの
ラズロフスキは陸軍騎兵団の下級士官、将校にあたる。
階級の
事情聴取を行うのは、どの部隊でも
(『
「その男なんですが、連れていた女に問題がありまして……」
アシュロフは口をもごつかせる。
「どんな問題だ?」
彼は周囲を見渡し、近くに誰もいないことを確認すると「失礼、お耳を」と言って、恐るおそるラズロフスキの耳元に近寄る。
彼の袖口には
「はっきりとはしておりませんが、王女に似ているそうです」
「王女?」
現在のリクラフルスには、王女に該当する人間はいない。
ラズロフスキは嫌な予感がした。
「行方知れずのタシトゥールの王女に、そっくりだそうです」
アシュロフは声を潜め、慎重に口にした。
「タシトゥールの……?」
ラズロフスキは顔をしかめる。
タシトゥールの王女が、セルダニアに嫁ぐ最中に行方不明になったのは知っていた。
はじめは自国の上層部が、
しかし軍内部でも情報が
「
「昨日、取り締まりを行った部隊はどこだ?」
「
「
部下の言葉に、驚いたラズロフスキが口を挟んだ。
聞かれたアシュロフは何度も瞼を
「……たまたま、だそうです」
「そんなはずはないだろう」
「私には、教えてもらえませんでした」
アシュロフは困ったようの目線を落とし、口の端をぐっと引き締めた。
ラズロフスキは溜息を吐く。
「昨日連行されたなら、すでに彼らが取り調べを行っているだろう。いまさら私が聞くにしても……」
「やっ、
部下はラズロフスキから漂う重い空気に気後れしながら、直前まで話していた中佐との会話を、必死に伝える。
「そんなに手強いのか?」
「外国人で、あまり言葉が理解されないようです」
外国人と聞いて、ラズロフスキは少しだけ腑に落ち、
「……なるほど。それ込みで、
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