第33話 バッドトリップ(2/3)

どっから乗り込んで来たメンエィイバラダンオンチアッ」


太く荒々しい腕が、少年の細い腕を背中でねじ上げた。


くっせえっアルラァイハトゥ! このガキ、吐いてやがるラクォットクァイアア


少年は抵抗する力もないほど憔悴しょうすいし、口からは何度も戻した胃液が糸を引くように垂れ、身体から酸っぱい臭いをさせていた。


「船酔いだろ。馴れてねぇのが一目でわかる」


「誰だ、こんなの連れてきたのは」


少年を拘束した男は周囲の男たちに声を掛けたが、誰もが首を横に振る。


密航者ってやつだなフアムサフィロンハリサトン


帆柱に背中を預けていた男が、口の片側を歪めた。


「この船に乗り込むとは、いい度胸してるじゃねぇか」


正面に立った褐色の男が、少年の顎を掴むと、青白い顔を無理やり上げさせた。


密航は死罪なんだぜアルサファルハリサトゥンフアホクムアダミボクワラド。……いやおじょうちゃんビンティか?」


 少年のあどけなくも整った顔立ちに、男たちはニヤついた。

空腹と吐き気で立ち上がる気力もない少年は、虚ろな目で周囲を見渡す。

なにかを言おうと口を開けるが、声が出ない。

水揚みずあげされた魚のように、パクパクと口を動かしているだけだ。


「なんだ、ビビッて声も出せねぇか」


 男たちの中から別の腕が伸び、少年のトラウザーズがずり下ろされる。

目にも眩しい白い素肌に、まだ発毛の兆候がない足の付け根。

衆目しゅうもくに晒され、小さく縮こまる象徴を見て、誰かがき下ろす。


くせぇから漏らしたかと思ったぜ! モノは付いてるみてぇで、安心したぜ!」


その発言に男たちは一斉に笑った。

少年は、怒りも悲しみも感じられないほど疲れ切っていたため、反応することができなかった。


よしハッサナンよしハッサナン天国まで連れてってやるサアーヒドゥカイラルジャンナティ


 腕を掴んでいた男が、足腰が弱って立ち上がれない少年を船首まで引きずる。

甲板の荒い木目に、少年の白く柔らかい皮膚がすりおろされる。

左の尻から腿にかけ、赤い擦り傷が生まれていく。


「まてまて、汚れた服は置いてきな。せっかく逢えた神様に嫌われちゃ、目も当てられねぇからな」


観衆の一人が笑いながら少年の上着を破った。


生まれた姿で飛び込めよアクフズフィルマカニカマロクントゥラト! 神様に遠慮はいらねぇぜラアタッタダアンニンラー


 船首手前の左舷の縁に着くと、男の手が離れる。

一糸纏わぬ姿の少年は、震えながら両手で前を隠し、カサカサに乾いた唇を動かした。


「……さ……い」


騒ぐ男たちの声にかき消され、誰の耳にも届かない。


「……でも……ま……す、……け……ださい」


少年が大きく口を開け、虚ろだった目が見開かれる。

生気を宿した瞳の珍しい色に、男たちは食い入るように見た。

彼が何を言うのか、ニヤけた顔で注目している。


なんだマーダッタクール


 正面で笑っていた赤い口髭の男が、目を細め、大仰おおぎょうに右耳に手を当て、うかがう素振りを見せた。

それを見た数人から吹き出す音が漏れる。


少年は顔を上げ、天に向かって叫んだ。


なんでもしますッソウファイフアリイエシェイエン! たすけてくださいサーアイドゥニッッ」


まだ声変わりを迎えていない高くか細い声が、甲板に響き、上空に吸い込まれていく。

男たちは一瞬静まり返ったが、すぐに溜息と嘲笑が飛び交う。


「なぁんだ、毎度のご挨拶か」


「万国共通だねぇ」


「それ、聞き飽きてんだよな」


褐色の男が、少年の前に躍り出た。


「ここはまだ神様の御前ごぜんじゃないぜ」


そう言って少年の前にしゃがみ、両脇に腕を入れて無理やり立たせる。


「海の上じゃ、どこの神様が聞いてるかわかんねぇしな」


 船縁ふなべりに少年の腰を押し付けると、後頭部の生え際に指をくぐらせて、ぼさぼさの赤毛を掴む。

少年の琥珀の瞳を見つめてニヤリと笑う。


「助けて欲しけりゃ、どうしたらいいんだろうな?」


そう言って髪を離すと、甲板の上にへたり込む少年を見下ろした。


 少年は男たちをゆっくり見渡し、直前まで髪を掴んでいた褐色の男の足元に近づいた。

のろのろと手を伸ばし、男の腰を触る。

震える指で腹帯ベルトの留め具を探り、弛めはじめた。


「お、わかってるねぇ」


周りの男たちは一斉に気色けしきばみ、口の端を上げて見守る。


 少年は男の下半身に手を添たまま止まり、不安そうに顔色をうかがった。


「悪くないぜ。知ってることをやってみな」


褐色の男は面白そうに顎をしゃくり、続きを促したが、それ以上少年が動くことはなかった。


「なんだ、見かけ倒しかよ」


痺れを切らした観衆の一人が声を上げる。


「わかんねぇんじゃねぇか?」


「あちゃー、パパアビーママウンミーの姿を思い出せないのかな?」


口々に囃し立てる男たちを尻目に、褐色の男は笑みを消し、冷たい目で少年に言う。


「一度手を付けたことは最後までやんな。それが男ってもんだ」


その言葉に誰かが吹き出す。


「今からすることが『男の仕事』とは、言うことが違うねぇ」


がくがくと震える少年の顎に左手を添えると、右手の指を口に突っ込んだ。


「わからないなら、教えてやるぜ」


そう言うと指を抜き、少年の後頭部を押さえつけた。

少年は顎が外れるほど口を開かれ、苦しさに涙がこぼれた。

何度もえずいたが、胃の中には吐き出せるものが何もなかった。


 男たちの喧騒から一歩引いて見ていた男が、二人のそばに寄る。

頭に白い布を巻き、くすんだ紅色の外套コートを羽織った、商人らしい格好をした背の低い男だ。


自分の価値は、自分で作らないとなタハロッククィマッタカルハッサタ


そう言って少年の腰に両手を添えると、膝を立たせ、甲板に両手をつける姿勢にさせる。


「死ぬ気で気張きばれば、陸まで生きられるかもしれんぞ」



雲一つない晴れ渡った空。

絶え間なく降り注ぐ陽光。

乱れた髪を揺らす潮風。


美しい青空も、明るく照らす太陽も、帆を膨らませる海の息吹も。


残酷な世界を平等に暖めていた。



 力を使い果たしてぐったりとした少年の身体は、荷を詰めた船室に投げ出される。


「いつまでもつか、賭けねぇか」


運んできた男が隣の男に声を掛ける。


「賭けにならねぇよ」


話しかけられた男が鼻で笑う。


「俺は生き残る方に賭けてやる。陸までもたなくても、儲けもんだしな」


「まったくだ。予定外だが、わるかねぇ」


少年を囲む男たちは、ニヤニヤしながら互いの顔を見合わせていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る