第28話 彼女の覚悟(2/2)

 歯切れ悪く語るファティマの様子に、貞操観念や良識だのを問い詰められているのだと思い、アーヴィンは勝手に苛ついていた。

彼女はただ、怯えていたのだろうに。


「その……庶民の男女には、こういう関係も、普通にあるんだ。少し過激だったかもしれんが。……あまりいい社会勉強じゃないな。忘れてくれ」


 そう言って立ち上がると、彼は食事の終わった皿を重ね、水を張った木桶に浸す。

身じろぎせずに座るファティマを横目で見ながら、部屋の隅に用意していた毛布を広げる。

セシリアが来たことで、寝室のベッドがすべて埋まり、彼は寝室の外の床で寝ることを選ばざるを得なかった。


「俺はもう寝……」


「あれなら取引になる?」


 彼女に背を向け、横になりかけていたアーヴィンが「なに?」と怪訝な顔を向けた。


「今の私には渡せるものがない。……あれが庶民あなたがたのやり方なら」


「どういう意味だ?」


ファティマは立ち上がると、アーヴィンが横たえる床の近くにやって来た。


「アーヴィンは『末端の民衆の意見や実態を王族わたしたちが知る機会はない』と言って私を責めた」


「……ああ」


――あれは突拍子もないことを言い出したから、これ以上巻き込まれたくないと、反射的に言ってしまったことだが……


あの時はクリスからも『ただの八つ当たり』と言われ、アーヴィンはバツが悪くなった。


「アーヴィンたちの生活を見ることが私の社会勉強なら、私を連れてロータスの樹へ行くことは、あなたが王族の実態を知るいい機会だと思う」


彼女は言いながら、アーヴィンの瞳を見据えてしゃがみ込んだ。


「……君、自分の立場わかってるか?」


先ほどまで恐怖で怯えているのかと気を遣っていたはずの相手から、急に強気で反論されたことで、アーヴィンはしらけた気持ちになった。


「私の身に何かあれば、あなた方の首が飛ぶ」


「……脅しのつもりか?」


「現状は『王族を誘拐している』という事実しかない」


アーヴィンは横たえていた身体を起こし、姿勢を正すと、ファティマを正面から見据えた。


「俺が『保護』しなきゃ、君は犯されていたんだが?」


「奴隷商に売りに出されたのは、偶然じゃない」


リクラフルス語トゥルクメニキの聞き取りは不自由だと思って堂々と取り交わしていたが、彼女はわからないふりをして、しっかり聞いていたらしい。


「途中から様子がおかしかったから、本物の人攫ひとさらいだって覚悟した。アーヴィンは助けに来てくれたけど、私のこと、……売り払おうとしてた」


「……」


事実過ぎてアーヴィンは言葉に詰まる。


――気の弱いふりして、どこまで人を観察してたんだ


彼はいまいましげに左頬を歪め、目を細めてそっぽ向いた。


「私をロータスの樹まで連れてって」


「だから、それは」


「今のままでは、あなたたちは誘拐犯」


「……っ」


「私の希望を叶えてくれるなら、私からもちゃんと擁護する」


「君が『攫ってくれメンファブリクァハタファニ』と言ったんだろっ!」


アーヴィンは大きくため息をつくと、突然彼女の左肩を掴んだ。


「……お姫さまは交渉が下手だな」


右の親指をファティマの細い首筋、喉仏の窪みの辺りに添わせた。


「君は、自分の身元がわかる状態で見つかることしか、考えていないみたいだ」


窪みに添わせた親指に力を込める。


「……今ここで私を殺しても、ただの大赤字。でしょう?」


首を徐々に圧迫されたファティマは、アーヴィンから目を逸らさず必死に食い下がる。


「口封じの手段が殺すことばかりだと、思わない方がいい」


アーヴィンはファティマの肩にかかる白髪を払いのけ、彼女の着ていた服の襟刳えりぐりを力任せに拡げると、前身頃まえみごろを留めていたボタンが飛んだ。


「男を挑発して、無事でいられると思うな。あれだけ怖い思いをしたくせに、学習能力がないのか」


ファティマは肩を剥き出しにされ、ボタンを失くした前身頃まえみごろは胸の谷間まで大きく拡げられた。

怒りをあらわにするアーヴィンの形相に、彼女は恐怖と緊張から表情を硬くする。


「……していい」


「なに?」


「……私のこと、好きにしていい。連れてってくれたら」


「なに言って……」


「お金以外で、庶民あなたがたが喜ぶこと……今の私には、こういうことしかできない、のでしょう?」


ファティマは肩を震わせ、彼の首にしがみついた。


「セシリアの真似か……?」


しがみつくように首にまわされた腕を、アーヴィンが呆れながら剥がす。

向かい合った彼女の顔には、緑の瞳に涙を溜めていた。

彼はため息をつくと、先ほどまでファティマの喉元を緩く絞めつけていた親指で、彼女の目元に溜まった水滴を優しく拭う。


「あのな……誤解してるみたいだが、女の身体を好きにできると聞いて喜ぶ男は庶民関係なしに、ろくな奴じゃないぞ。そんな奴に前払いのつもりで身体を差し出しても、ヤり逃げされるだけだ。……約束を守らせたければ、安売りするな」


子供に言い聞かせるように、低く静かな声で諭した。

同時に、その発言が日中、セシリアに誘われて乗り気になっていた自分自身へのブーメランとなり、静かに心を抉った。


――あ……。俺はろくでなしになるのか……


自分で言った言葉に少し呆然とするアーヴィンの頭を、ファティマは強引に引き寄せると、なかばやけくそのように彼の左頬に唇を押し付けた。


「なら、これが前払い分……っ。残りは、連れてってくれたら」


そう言うと、彼女は顔を赤くして逃げるように寝室へ駈け込んでしまった。


――なにやってんだ、あいつ。俺の言うこと、理解できなかったのか……?


子供クリスでももう少しまともなやり口を考えるぞ、と残されたアーヴィンは、別の衝撃で動けなくなった。

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