第30話 港(2/3)
「……
セシリアが渋い顔をして呟く。
「民間の帆船では時間がかかる。国の軍艦か海賊船なら、もう少し早く着くんだろうけどな」
彼女の発言に、アーヴィンも顔をしかめながら同意する。
ファティマは縮こまり、
「海軍や海賊の船は特別なんですか?」
正面のクリスが、
「俺たち民間人の使用が許されてるのは、基本的に帆船のみだ。
限られた石炭燃料は国の
アーヴィンは手前にあった
「石炭燃料で動く蒸気機関は、船の船尾部に取り付けられた
彼は続けて「死ぬまでに一度は
琥珀の瞳はどこか熱っぽく、遠くを見ていた。
隣に座るセシリアは、そんな彼を気味悪そうに見つめている。
「海賊船は?」
向かいのクリスの質問に、アーヴィンは現実に引き戻された。
「海賊ってのは、元々はどこかの国の海軍や、商船に雇われていた水夫たちの集まりだ。海軍を首になったり、商船よりも稼ぎがいいなどの理由で、航海術に長けた人間が海賊に集まりやすい。自分たちの船へのこだわりも強い。見た目は帆船でも、船底や内部に
「えぇ?! 海賊船ってそんなにすごいんですか」
「彼らの仕事はしょせん、略奪行為だ。捕まれば首を切られる。高給取りだが命がけ。だから、いざという時の逃げ足が速くなければ、お話にならない」
セシリアはあまり関心が無いようで「ふんふん」と適当な相槌を打っては、目の前のサラダや
一方ファティマは、雷に打たれたようにアーヴィンを見つめ、耳を傾けていた。
「海軍が海賊を捕まえてみたら、そいつが元同僚または元上司だった、なんていうこともある」
クリスは目を丸くした。
「ボルニア皇国の海軍なんかは、マグリブの
うはぁ、とため息を漏らす少年の様子を見て、アーヴィンが愉快そうに笑った。
セシリアは覚めた顔で「へー」と応え、ファティマはやっと口にした
「海賊のお友達でもいれば、もう少し楽に移動できたかもしれんが。……まず難しいな」
――海賊の一つは、ファティマの誘拐で敵に回してしまったし
アーヴィンはエーゲ海の
――今後、彼らに遭ったなら、全力で逃げなければ命はない
彼は申し訳なさそうにファティマを見た。
「そういうわけなんだ。ジェルバ島には早くて二か月、遅くて三か月後になりそうだ」
アーヴィンが丁寧に説明したおかげか、彼女は「納得した」と力強く頷いた。
*
「わたし、用事」
桟橋の検問所を先頭にした行列に並ぶアーヴィンに向かい、セシリアが突然言い出した。
「用事? なんの?」
ここまで来て宿に忘れ物でもしたのか、とアーヴィンが
「
彼女は手の平を前で組み、もじもじさせながら上目遣いになった。
その様子を見たアーヴィンは『何言ってんだコイツ』と目を点にさせたが、何かを察した表情になると「あ……あぁ、わかった」と歯切れの悪い返事をした。
セシリアはウィンクすると、自分の荷物を持って時計塔の広場へスタスタと歩いて行った。
遠目からも美しく波打つ、ストロベリーブロンド。
彼女の後姿を見ながら、クリスが不思議そうにアーヴィンに尋ねた。
「
「『言わせんな』ってことは
「へぇ……そんな言い方があるんですね」
クリスは茶色い目をくりくりさせて納得した。
ファティマは腑に落ちないのか、二人の顔を交互に見る。
きょろきょろと落ち着かない彼女に向かって、アーヴィンが言った。
「一般的に、女は男の前で
ファティマは「大小……」と口にした後、目を細め、いじけたように唇を突き出した。
「言葉がその通りの意味を
彼女はまだ何か悩んでいる様子だったが、アーヴィンは無視した。
他者とのやり取り、特に
しかし『
王族のファティマにこそ、馴染みがある言葉だと思われた。
――彼女の周りには、そういう暗黙の了解や、会話の雰囲気などを教えてくれる同性が、いなかったのだろうか
桟橋で検問の列に並ぶ間、クリスはセシリアが向かった方向をずっと見つめていた。
少年が何を見てるのか、アーヴィンは後ろから腰を屈めてクリスの視界に目線をあわせた。
煉瓦造り建物の脇を太った茶虎の猫が、短く曲がった尻尾をフリフリさせ、倉庫の裏へ回っていった。
――こいつ、やっぱり未練があるな
出発する三日前、アーヴィンはクリスに動物は飼えないことを、もう一度説明した。
少年も頭では理解しているが、心がついてこなかったのだろう。
口を尖らせ、本当に
次にアーヴィンが悩んだのは、猫の処分だった。
元は野良なので、放っとけば自分で餌を探すだろうとも思ったが、チナーさんの家に管理費の支払いと、
「
「ぼくも『お花摘み』行きたい……」
クリスが上目遣いでアーヴィンに言った。
彼は行列の先頭を見る。
船に乗り込む通用門から彼らの位置まで、
行列は
アーヴィンは小さく息を吐くと言った。
「とうぶん進まなそうだ。行ってこい」
承諾を貰ったクリスは茶色い瞳を輝かせると、倉庫の裏へと走って行った。
アーヴィンは「早く帰ってこいよ」と声をかけ、建物の影で見えなくなるまで少年の姿を目で追っていた。
――あの様子じゃ、本当にトイレか怪しいが
「君はいいのか?」
一応ファティマに聞くと、彼女は外套の中で左右に首を振る。
「もし気を遣ってるなら遠慮するなよ。クリスは本当のお花摘みかもしれないからな」
「え?」
「あいつは猫を触りに行っただけだから」
アーヴィンは二日酔いですっきりしない頭――右のこめかみ付近――を親指で抑えながら答えた。
そんな彼を見て、ファティマは肩を震わせた。
彼女の肩が外套越しに小刻みに震えているのを見て、まさか泣いてるのかと心配したアーヴィンは、怪訝な顔で下から彼女の顔を覗き込んだ。
突然覗き込んできた琥珀の双眸と目が合い、ファティマは一瞬固まると、間をおいてさらに笑った。
今の何が面白かったのか、アーヴィンは理解できずに首を
ファティマの言動は想定できず、彼からすると呆れや驚きしかない。
しかし無茶な取引を持ち掛けてきた、あの夜のような、捨て身で思いつめた顔で泣かれるよりは、今はだいぶマシだと諦めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます