第30話 港(2/3)

「……めんどくさいエノヒリティコス


セシリアが渋い顔をして呟く。


「民間の帆船では時間がかかる。国の軍艦か海賊船なら、もう少し早く着くんだろうけどな」


彼女の発言に、アーヴィンも顔をしかめながら同意する。

ファティマは縮こまり、卵炒めメネメンを口にした。


「海軍や海賊の船は特別なんですか?」


正面のクリスが、パンエキメッキチーズベヤズペイニル卵炒めメネメンを挟みながら聞いてきた。


「俺たち民間人の使用が許されてるのは、基本的に帆船のみだ。

限られた石炭燃料は国の管轄かんかつする施設や、一部の金持ちしか使えない」


アーヴィンは手前にあった紅茶チャイグラスを持ち上げ、一口含むと、まるで油をしたように語り出す。


「石炭燃料で動く蒸気機関は、船の船尾部に取り付けられたスクリュープロペラヴィドトエリカを動かす。帆船のように風や潮の流れに左右されず、安定した推進力すいしんりょくがあって速いんだ。まれに民間船でも搭載とうさいした船があるが、乗船料はべらぼうに高い」


彼は続けて「死ぬまでに一度は蒸気タービンアトモトゥルビナが搭載された船に乗ってみたいもんだ」と呟くと、にやにやしながらチーズベヤズペイニルを摘まみ口に入れる。

琥珀の瞳はどこか熱っぽく、遠くを見ていた。

隣に座るセシリアは、そんな彼を気味悪そうに見つめている。


「海賊船は?」


 向かいのクリスの質問に、アーヴィンは現実に引き戻された。


「海賊ってのは、元々はどこかの国の海軍や、商船に雇われていた水夫たちの集まりだ。海軍を首になったり、商船よりも稼ぎがいいなどの理由で、航海術に長けた人間が海賊に集まりやすい。自分たちの船へのこだわりも強い。見た目は帆船でも、船底や内部に推進機すいしんきを違法に取り付け、改造してる船も多い」


「えぇ?! 海賊船ってそんなにすごいんですか」


「彼らの仕事はしょせん、略奪行為だ。捕まれば首を切られる。高給取りだが命がけ。だから、いざという時の逃げ足が速くなければ、お話にならない」


 セシリアはあまり関心が無いようで「ふんふん」と適当な相槌を打っては、目の前のサラダやパンエキメッキをひたすら口に運んでいた。

 一方ファティマは、雷に打たれたようにアーヴィンを見つめ、耳を傾けていた。

さじですくったきゅうりサラタリックの欠片が、口に入る前に皿に落ちたことに気付かなかったほどに。


「海軍が海賊を捕まえてみたら、そいつが元同僚または元上司だった、なんていうこともある」


クリスは目を丸くした。


「ボルニア皇国の海軍なんかは、マグリブの海賊バルバリアには手も足も出ない、と言われているな」


うはぁ、とため息を漏らす少年の様子を見て、アーヴィンが愉快そうに笑った。

セシリアは覚めた顔で「へー」と応え、ファティマはやっと口にしたきゅうりサラタリックを、上の空で過剰に咀嚼そしゃくしていた。


「海賊のお友達でもいれば、もう少し楽に移動できたかもしれんが。……まず難しいな」


――海賊の一つは、ファティマの誘拐で敵に回してしまったし


アーヴィンはエーゲ海の海賊エテジアンを思い出し、眉根を寄せた。


――今後、彼らに遭ったなら、全力で逃げなければ命はない


彼は申し訳なさそうにファティマを見た。


「そういうわけなんだ。ジェルバ島には早くて二か月、遅くて三か月後になりそうだ」


アーヴィンが丁寧に説明したおかげか、彼女は「納得した」と力強く頷いた。


*


「わたし、用事」


桟橋の検問所を先頭にした行列に並ぶアーヴィンに向かい、セシリアが突然言い出した。


「用事? なんの?」


ここまで来て宿に忘れ物でもしたのか、とアーヴィンがだるそうに彼女を見ると、セシリアは可愛く口を尖らせる。


お・は・な・つ・みマゼーヴォロルーディア! ……んもぅ、レディキリアに言わせないで」


 彼女は手の平を前で組み、もじもじさせながら上目遣いになった。

その様子を見たアーヴィンは『何言ってんだコイツ』と目を点にさせたが、何かを察した表情になると「あ……あぁ、わかった」と歯切れの悪い返事をした。


セシリアはウィンクすると、自分の荷物を持って時計塔の広場へスタスタと歩いて行った。

遠目からも美しく波打つ、ストロベリーブロンド。

彼女の後姿を見ながら、クリスが不思議そうにアーヴィンに尋ねた。


お花摘みマゼーヴォロルーディア? そこの公園で採ってくるんですか?」


「『言わせんな』ってことはトイレトゥアレタだろ」


「へぇ……そんな言い方があるんですね」


クリスは茶色い目をくりくりさせて納得した。

ファティマは腑に落ちないのか、二人の顔を交互に見る。

きょろきょろと落ち着かない彼女に向かって、アーヴィンが言った。


「一般的に、女は男の前で大小だいしょうの欲求をはっきり口にしないものだ」


ファティマは「大小……」と口にした後、目を細め、いじけたように唇を突き出した。


「言葉がその通りの意味をしてないなんて、難しい」


彼女はまだ何か悩んでいる様子だったが、アーヴィンは無視した。

他者とのやり取り、特に言外げんがいの意図することを汲み取るのは、一朝一夕いっちょういっせきにできるもんじゃない。


 しかし『お花摘みマゼーヴォロルーディア』はもともと、王侯貴族の間で使われた隠語いんごである。

王族のファティマにこそ、馴染みがある言葉だと思われた。


――彼女の周りには、そういう暗黙の了解や、会話の雰囲気などを教えてくれる同性が、いなかったのだろうか


 桟橋で検問の列に並ぶ間、クリスはセシリアが向かった方向をずっと見つめていた。

少年が何を見てるのか、アーヴィンは後ろから腰を屈めてクリスの視界に目線をあわせた。

煉瓦造り建物の脇を太った茶虎の猫が、短く曲がった尻尾をフリフリさせ、倉庫の裏へ回っていった。


――こいつ、やっぱり未練があるな


 出発する三日前、アーヴィンはクリスに動物は飼えないことを、もう一度説明した。


少年も頭では理解しているが、心がついてこなかったのだろう。

口を尖らせ、本当に不承不承ふしょうぶしょうという感じに頷いた。


 次にアーヴィンが悩んだのは、猫の処分だった。

元は野良なので、放っとけば自分で餌を探すだろうとも思ったが、チナーさんの家に管理費の支払いと、肉詰めドルマのお礼を渡しに行った時に猫もお願いしてきた。

図々ずうずうしくて申し訳ない」と謝るアーヴィンの気持ちを汲み取ってか、彼は笑顔で応えてくれたので、少しだけ気持ちが楽になった。


「ぼくも『お花摘み』行きたい……」


クリスが上目遣いでアーヴィンに言った。

彼は行列の先頭を見る。

船に乗り込む通用門から彼らの位置まで、七パスティカ弱20mだろうか。

行列は蛇腹じゃばらのように折り返す形になっており、七十人ほど前に並んでいた。

アーヴィンは小さく息を吐くと言った。


「とうぶん進まなそうだ。行ってこい」


承諾を貰ったクリスは茶色い瞳を輝かせると、倉庫の裏へと走って行った。

アーヴィンは「早く帰ってこいよ」と声をかけ、建物の影で見えなくなるまで少年の姿を目で追っていた。


――あの様子じゃ、本当にトイレか怪しいが


「君はいいのか?」


一応ファティマに聞くと、彼女は外套の中で左右に首を振る。


「もし気を遣ってるなら遠慮するなよ。クリスは本当のお花摘みかもしれないからな」


「え?」


「あいつは猫を触りに行っただけだから」


 アーヴィンは二日酔いですっきりしない頭――右のこめかみ付近――を親指で抑えながら答えた。

そんな彼を見て、ファティマは肩を震わせた。


 彼女の肩が外套越しに小刻みに震えているのを見て、まさか泣いてるのかと心配したアーヴィンは、怪訝な顔で下から彼女の顔を覗き込んだ。

突然覗き込んできた琥珀の双眸と目が合い、ファティマは一瞬固まると、間をおいてさらに笑った。


 今の何が面白かったのか、アーヴィンは理解できずに首をかしげた。

ファティマの言動は想定できず、彼からすると呆れや驚きしかない。

 しかし無茶な取引を持ち掛けてきた、あの夜のような、捨て身で思いつめた顔で泣かれるよりは、今はだいぶマシだと諦めた。

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