第26話 シルフィウム(4/4)

 予想だにしなかったセシリアの行動に、アーヴィンは固まった。


「……ッぷハ! 試してみよっ?」


彼の口を塞いでいた可愛らしい唇から、強烈な提案が飛び出す。


「はあッ!? なに言ってんだッ」


セシリアの発言に、度肝を抜かれて動揺するアーヴィン。


 彼女は二十代前半。

二十代後半のアーヴィンとは四つほど離れている。

絹のような練色の肌に、蠱惑的な茶色い瞳。

薄紅の小さくぷっくりした唇や、珍しいストロベリーブロンドは、嫌でも人目を引き、たいていの人間が彼女を美しい娘だと認識する。

ミュルミドンの中にも、同業者以上の感情で彼女に目を掛けている男はいるだろう。


 アーヴィンは年に数回顔を合わせるセシリアに、気安さを感じることはあっても、恋愛対象が年上の女性なこともあり、彼女をそのように見たことがなかった。

そもそも、同僚に当たる人間と恋愛関係を結ぶのは、仕事をややこしくするので、忌避するところがあった。


彼女はよほど自信があるのか、男なら誰でも落ちると確信しているに違いない、甘い微笑みを浮かべて誘っていた。


「『効果は確か』なら、大丈夫でしょお」


そう言って、セシリアは再びアーヴィンの顔を覗き込むように近づくと、彼の膝の上にまたがる。

薄紅の艶めく唇を、彼の薄い唇に重ねた。


「……んっ」


セシリアの温かい舌が、彼の口腔に入り込む。

濃密な舌の動きに、アーヴィンは拒絶でも歓迎するでもなく、されるがままに口を開いた。


――やわらかい……


午前中にチナーさんの奥さんに刺激され、抑えていた欲求が、セシリアの口づけによって再燃する。


柔らかい舌が丹念にぬめりを絡めてくる。

アーヴィンの舌も応えるように彼女の口腔に入り込む。

彼女の唇の感触、舌の動きに合わせて静かに漏れる水音。

刺激のすべてが、彼の頭をふやけさせた。


――こういうのはいつぶりだ……?


そう遠くない記憶のはずが、最後に誰としたか思い出せないほど、アーヴィンは親密な交流を遠ざけていた。

クリスと行動を共にするようになってからは、その場限りの付き合いで欲求を解消していた。


「は……ッ、アーヴィンのくちびる、きもちいー……」


セシリアが唇を離して、彼を見下ろす。

その様子は、いたずらが成功して快感に浸る子供のようだった。


「それで……、こっちはご無沙汰?」


セシリアの白い手がアーヴィンの内腿をさぐるように触り、股間の上で止まった。


「……ッ」


布越しとはいえ急所を触られ、アーヴィンは思わず息を漏らす。


「積極的な女が嫌いなわけないよね? 娼館に通ってるんだもの」


「……そんなこと、どこから聞いてるんだ」


「この薬だって、その娼館のお得意様に持って行くつもりなんでしょ」


「……」


「アーヴィンは後腐れのない関係が好きなのよね? 私だったら好都合でしょ」


「どっ、どこがだ!?」


「だって、お互いにどうなりたいとか……ないでしょ?」


服の上からでも顕著に反応する彼の一部を誘うように、セシリアは手の平で撫でて、執拗に刺激を与えてくる。


「それともアーヴィンは、愛だの恋だのと身体を繋げるのに高尚な建前がないとダメなの?」


「……そんなことはないが……」


「めんどうなやりとりは取っ払って、すぐにできる相手がいいでしょ? ……でも誰でもいいってわけじゃなくて、好みだってあるし? 私のこと、キライじゃないでしょ?」


「ずいぶん自信があるんだな」


「人にどう思われようと、私は私が好きよ。自分に自信の持てない生き方してる人間は、魅力的じゃないもの」


「その感性には尊敬するが……」


ふたたびセシリアの顔が近づき、アーヴィンの口を貪るように吸い付いた。


「……ふッ」


アーヴィンの口から快楽の吐息が漏れる。


 彼の膝に跨るセシリアは、彼の腹部に自分の腰を押し付けるように座り直すと、布越しにずりずりと擦りつける。

その大胆な動きに、アーヴィンの敏感な箇所は擦られたマッチのように熱く、逃げ場のない欲望が溜まっていく。


「ねぇ、……いい?」


 下を向き、必死に耐えるアーヴィンの後ろ髪に、セシリアの指が這う。

彼女の白い指は、彼の地肌を優しく触ると、髪を鷲掴み、強引に顔を上げさせた。

後ろ髪を掴まれたアーヴィンは、白く形の良い喉元が露になる。

セシリアはその喉元に舌を這わせると、彼の敏感な部分を調べるように顎のラインをなぞり、左耳に到達する。


「あ……ちょっ……ッ」


 アーヴィンが思わず声を漏らすと、セシリアは舐めるのを止め、彼の顔を覗き込んだ。

彼女の瞳に、不安と快楽で歪むアーヴィンの顔が映る。


セシリアは『してやったり』とばかりに大きく笑い、アーヴィンの揺れる瞳を覗き込む。

彼女は目の前で舌を出すと、琥珀の瞳に近づく。

驚いたアーヴィンが目を閉じると、セシリアの舌が瞼の上を撫でた。


「おま……ッ、なにすんだよッ!?」


アーヴィンの膝の上で、彼の焦る姿を眺めるセシリア。

嗜虐的に片頬を歪め、笑うばかりである。


 セシリアがもう一度アーヴィンに唇を重ねると、両刃短剣カーマを下げた帯革バンドを器用に外し、その下のトラウザーズを留める革ベルトを弛め始めた。


アーヴィンはされるがままに、右手をセシリアの後頭部へ、左手を彼女の腰に回し、互いの唇を貪るように激しく重ね合った。




ぎいぃぃ――



音に反応したアーヴィンが、上体を捻じって背後に目をやる。


「あの、夕食が……」


声の主は緑の瞳を大きく開き、口を開けたまま棒立ちになっていた。


思わぬ闖入者ちんにゅうしゃに現場を見られたアーヴィンは、ふやけた頭に冷や水をぶっかけられたような衝撃を受け、セシリアを抱えたまま固まる。


互いに見つめ合って数秒、――数分ともわからない無音のあと、ファティマは扉を開けたまま無言で駆け出した。


アーヴィンの腕の中のセシリアは「誰あれ」と大きくため息をつき


「……最後までヤんないの?」


と興醒めした顔で、彼の頬をちろりと舐めた。

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