第18話 八方破れ(2/2)

「アーヴィン……っ!」


ファティマの瞳が愛らしくまばたくと、寝台に腰を掛けたアーヴィンに駆け寄ってきた。


「アーヴィン! おはよう! アーヴィン、私、私……ッ!」


突然抱きついてきたファティマに気圧され、アーヴィンは蒼白になった。

彼女のさらさらした白髪が、彼の鼻先をくすぐる。


「ちょ、やめ、やめてくれ! 普通にっ! ふつうに会話してくれ」


慌てた彼は抱きつくファティマを強引に剥がすと、寝台を隔てて距離を取り、向かい合った。


 生々しくいやらしい夢を一方的に見てしまったアーヴィンは、いたたまれなさで彼女から目を逸らす。

夢の中の彼女は裸で抱きついてきた。

目の前の彼女は紺の七分丈の上着に、生成り色の弛めのトラウザーズを、裾を捲って履いている。


――当たり前だ。彼女は王女であって、痴女じゃない。


 奴隷商に攫われたり、殺されかけたりと、面倒な事態に陥ったのは彼女のせいばかりではない。

しかし、先ほど淫靡いんびな夢を見てしまったアーヴィンには、彼女と顔を合わせるのは居心地が悪かった。


――何より怖い。

思い出すと股間がヒュンとする。


「はぁ……とりあえず、ご飯できますからー……」


 どこか醒めた顔で二人を見つめたクリスは、毛の長い猫を抱えると部屋から出ていった。

ファティマと二人取り残されたアーヴィンは、気まずさで顔を背ける。


「あんな目に遭わせて、……すまなかった。だけど俺には、君を王家まで届けられる繋がりは無いんだ」


「……うん」


「君がどこへ行くべきなのかはわかったが、俺は見ての通り、自分とクリスを食わせていくことで精いっぱいだ。君の世話する余裕はない」


「……」


「いずれ君はセルダニア王室に届けなければいけないが、なんの後ろ盾もない庶民の俺には、王室と連絡を取り合えるものは何もない。冷たいだろうが、君から動いてもらわないと困る。手はずを間違えば、また人買いや海賊に攫われるだけだ」


『手はずを間違えば』と言ったものの、実際ははじめから売り飛ばすつもりで行動していたので、自分は悪くないような主張の仕方がとても嫌らしいな、とアーヴィンは気が咎めた。


「あ……わたしは……」


「うん」


「私は……まだセルダニアに行けないの」


「まだ行けない?」


「タシトゥールに帰るわけにも、いかない」


「それまでどこに居るつもりなんだ」


「……」


ファティマの瞳がアーヴィンを見上げた。


「ちょ……、だ、ダメダメッ! うちは育ち盛りと男盛りの男しかいないんだ!」


「うぅ……」


ファティマの大きな目に涙が溜まる。

口の端を噛みしめて、必死にアーヴィンに訴える。


「まだセルダニアには、行けない……」


「な、なんでっ?! 花嫁航行だったんじゃないのかよ!?」


花嫁航行、と口にしたとき『彼女は王家の本船と離れた商船(ボロ船)で捕らえられたと、ファニスが言っていたな?』とアーヴィンの頭に疑問が湧いた。


「ファティマ、君が本物の王女なら、王室の船舶は何を運んでいたんだ?」


この質問は重大だ。

泣いたって見逃すことはできない。

アーヴィンの目が、険しくファティマを見た。


「……身代わりを、おねがいしました……」


「身代わり」


「はい。婆やの……娘さん……を」


「身代わり。その彼女は、今頃どうなっているんだろうな?」


「わかりません……」


ファティマは涙を溜めて、声を震わせる。


「見つかれば、血眼ちまなこになって君の捜索隊が組まれてても、おかしくないはずだが。まだバレてないのか」


「わかりません……っ」


俯いて涙を零すファティマ。

今ここで誰かを責めても、どうにかなることではない。

しかし、ただ泣いてるだけの彼女を見ていると、アーヴィンは無性に腹が立ってくる。


「もう八日は経つ。情報が無いと動けないが、中継地点のイージェプタはとうに出航して、セルダニアに着いてるはずだな」


「はい……」


「君は身代わりまで作って、何がしたかったんだ。ここまでいろんな人間を巻き込んだんだ。言えないなんて、許さないぞ」


アーヴィンは追及の手を止めない。

たとえ王家に戻すことができなくても、このまま自分達の元に居座られては困る。


「すみません……私、」


「うん」


「……私……」


両手の平で顔を覆い、肩を震わせるファティマ。

背後の扉から、細い目つきのクリスが顔を出し、声を上げた。


「ねぇ~えっ! ご飯できてるんですけどっ! 冷めちゃうんですけどぉ!?」


唐突に割り込んだクリスが、険しい表情のアーヴィンと涙目のファティマを交互に見ると


「ちょっと、アーヴィンさん。自分の寝起きの悪さ、自覚してください。女の子に当たるなんて最低ですからね?」


と言ってファティマに近寄り、


「恐かったでしょう? 気にしちゃダメです。ごはん食べましょ」


と彼女の手を引いて、出て行ってしまった。


話の最中に横槍を入れられ、アーヴィンの苛つきは治まらない。

自分の涎が染みたシーツを力任せに剥ぎ取ると、もう一度扉が開く。


「……あと、いい加減、服着てください」


冷たい目のクリスに追撃された。

アーヴィンは上半身裸に、下に一枚履いているだけだった。


「……~っ、男やもめの場所に、女が入るのが悪いんだよぉッ!」


むしゃくしゃした勢いで布団を蹴飛ばすと、下に隠れていた寝台の脚の角に、小指を打ち付けた。


「~~~ッッ!?!」


声にならない痛みに耐えかね、片脚で跳ねる。

跳ねた勢いで体のバランスを崩し、床に尻もちをつくと、寝台の端に頭をぶつけた。


『泣きっ面に蜂』を見事に体現したアーヴィンが、痛みと悔しさで涙を流すと、クリスが扉を開いたタイミングで部屋に侵入していた猫が、じっとりした目で棚の上からアーヴィンを観察していた。


「……こっち見んなっ!」


猫は小馬鹿にするように、アーヴィンにあくびをかました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る