第17話 八方破れ(1/2)
暗闇から浅黒い腕が伸び、少年の肩に手をかける。
――やめろッ
少年は両腕を振り回し、迫る男の顎や胸板を殴る。
『
男の左手が少年の両手首を掴み、頭上で拘束した。
――クソッ、このっ!
少年が男の脚を蹴る。
突き出された少年の足首を男は簡単に掴み、黄ばんだ歯を見せて大きく笑う。
両手首と片足を掴まれた少年は、悠々と持ち上げられ、飼い葉の上に投げ出された。
その上に、男が覆いかぶさる。
――いやだッ、やめてェ
男はニタニタと笑いながら、少年の下着に手をかけると、
少年の背中がぞわりとした。
『
男は少年の腰を掴むと、
――やだッ、ヤダヤダっ! お願い、止めてえ
*
「……ンがッ」
アーヴィンは息苦しさで目を覚ます。
うつ伏せで寝ていて、枕に鼻を埋めていた。
口から涎が垂れ、頬のまわりのシーツが湿っている。
首や背中からは汗が噴き出しているが、身体の芯には震えるような寒気が残っている。
「くそっ」
乱暴に寝返りを打つと、右に寄っていた身体を左に向き直した。
涎で湿ったところは朝になってから処置すればいい。
今は寝直すぞ、ときつく目を閉じた。
「……アルハール……」
アーヴィンの耳が女の声を拾った。
腿の一部が一瞬冷たくなった。
「なに……?」
腰のあたりを中心に、温かいものが広がっていくのを感じ、アーヴィンは上体を起こす。
薄暗い部屋の中、彼の寝台の上掛けは、妙な盛り上がりを見せている。
「まさか漏ら……いや、そんなっ」
この歳で
「……
熱に潤む緑の瞳がアーヴィンを見つめる。
「なッ! お前、まだ調子悪いのか!?」
アーヴィンの上で腹ばいになったファティマが、右腕を伸ばし、彼の左手にするりと指を絡ませる。
彼女の肩の動きに合わせて、小麦色の乳房が揺れる。
「ふっ、服はッ!?」
柔らかく揺れる双丘が彼の視界を奪う。
彼女はアーヴィンの右腿に
「ちょ、待っ」
ファティマの両肩に手を掛けて身体を離そうとするが、彼女の細腕は彼の首に巻き付き、アーヴィンは仰向けに押し倒されてしまった。
「……
潤んだ瞳が彼を見下ろす。
彼女はしなやかな手つきでアーヴィンの下着に手を這わせ、股間の上を撫ではじめた。
「ヤっ、めろッ」
「
アーヴィンの下腹部に跨ったファティマは、腰を落として身体を震わせる。
形のいい乳房は、その重量を誇張するように彼の頭上でぶるんと揺らいだ。
――これはまずい。本気でまずい。
眼を丸くしてファティマを見上げたアーヴィンは、自分の腰が熱いどころか、冷たいものに包まれる感覚に違和感を覚えた。
そっと下腹部に目をやると、二人の結合部から大量の血が溢れ、シーツが赤く染まっていた。
「……ひぃッ」
アーヴィンは驚いて腰を離そうと暴れるが、対面で跨るファティマは彼の両肩を掴んで押し倒してくる。
彼女はアーヴィンの耳元でカチカチと歯を鳴らし、琥珀の瞳を覗き込むと口の端を歪めた。
「まさか、俺のッ!? 千切ら……ッ」
ファティマの妖艶な瞳が、涙目のアーヴィンを捉えると静かに顔を寄せてきた。
彼女の桃色の唇が、彼の口元に迫る。
睫毛が触れ、アーヴィンの瞼は反射的に閉まった。
……サリッ
ファティマがアーヴィンの鼻を舐めた。
軽く湿った紙やすりのような、ざらざらする感触。
彼女の舌が続けて頬を舐めてくる。
妙に薄っぺらく小さい。
アーヴィンの首に、ファティマの
――なんで毛が……
*
目を開けると、小柄で毛深いモノがアーヴィンの鼻を舐めている。
――……ファティマ、じゃねえッ!
猫だった。
見覚えのない猫がアーヴィンの鼻を、頬を、丹念に舐めていた。
眼前の猫に驚いたアーヴィンは飛び起きると、その勢いで乗っていた猫は寝台から振り落とされた。
白地に銀縞の猫は、着地した板の間でアーヴィンを一瞥すると「ぅあぅ」と鳴いた。
アーヴィンが目を白黒させ、クリスの名を叫ぶ。
しばらくして部屋の扉が開き、少年が顔だけ覗かせると、その隙間へ滑り込むように猫が寄って行った。
「あっ! お前ここに居たのか」
クリスが出て行く猫に声を掛ける。
猫は太くて長い尻尾を立て「ぅあーおぅ」と鳴くと、クリスの足元にスリスリし始めた。
半壊した石の塔からファティマを救出した後、アーヴィンは彼女に片腕を貸して、引きずるように一日半歩いた。
リクラフルスでの活動拠点であるアロヴァヂェキの作業小屋は、イーロスから南に
二人が
昨日のアーヴィンは、食事をするとすぐに眠ってしまった。
泥のように。
「クリス……、なんでここに猫がいるんだ」
夢見が悪いアーヴィンが、寝ぼけ
「やだなぁ、忘れたんですか? この子がファティマを見つけてくれたんですよ?」
そう言ってクリスは猫の顎を触る。
猫は気持ちよさそうに背中を震わせ、クリスの愛撫に身を任せる。
「なんだっけ」
数日の記憶が飛んでるアーヴィンに、クリスが目を細めた。
「恩知らずですねぇ。奴隷商のテントに張り込んでても、ファティマが一向に出てこなかったでしょ。当てが外れたって帰ろうとした時、この子がテントの端に捨てられていた彼女の外套を見つけてくれなかったら、諦めてたでしょう」
「……そうだったっけかな?」
アーヴィンはぼんやり思い出す。
――たしかに猫は見た。見たと思う。だが……
「だからって、家に連れ込んでいいなんて言ってないぞ。第一、俺は猫が嫌いだ」
「えー! こんなに可愛いのにっ!?」
クリスは毛深い猫を抱き寄せると、尻尾の付け根を避けてお尻を支えるように抱え込む。
抱き上げられた猫は、まんざらでもない顔をして、クリスの左肩にしがみつく。
「可愛いからそばに置くってのは違うぞ。お前、生き物の面倒見れるのか?!」
「僕、毎日アーヴィンさんのご飯と掃除と洗濯、頑張ってます!」
「俺の世話じゃなくてっ! そいつが何食べるか知ってるのか?」
一瞬考える表情を見せたクリスは、
「……ねずみ? 魚も食べるかな?」
と自信なさげに猫に向かって聞く。
声を掛けられた猫は、クリスの愛撫にぴくぴく耳を震わせ、気持ちよさそうに目を細め「ぷふぃ」と口をくちゃくちゃした。
「そういう『適当に食いそうなもの置いとけばいいだろ』みたいに考えるのが駄目なんだよ。肉食には違いないが、食べたらダメなもんもあるんだよ」
「へぇ~」
「知らないで食わせて病気にしたり、殺したりすることがあるから、ダメだ」
子供の甘い考えで生き物を飼うなど、到底許されない。
ただでさえ金欠な上、アーヴィンの本業の都合で頻繁に拠点を移す。
生き物を養う余裕などあるものか、と心を鬼にするアーヴィン。
「アーヴィンさんって……」
クリスが口を尖らせて言い淀んだ。
「なんだよ」
「猫、嫌いなんですよね?」
「猫と言わず、生き物全般が嫌いだねっ!」
「……本当にそうなのかな?」
クリスはボソッと呟く。
子豚の話でも感じていたが、嫌いだダメだと言う割に、妙に詳しいのがクリスには気になる。
「とにかく、うちで生き物飼うのは禁止!」
アーヴィンが高らかに宣言すると、口を尖らせたクリスの背後から、ファティマが顔を覗かせた。
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