第16話 鋸歯の子宮(3/3)

「あの時、銀貨百五十枚を貰うか、諦めていれば良かったのに」


 老人の抱えるクロスボウは、弓の中央に穴の空いた長方形の箱が据えられており、奥のレバーを上げると箱が前方にスライドした。


「このクロスボウは旧世界より古代、東方地域で『諸葛ズーグ十字クロス連弩れんど)』と呼ばれていてね。昔の名将が考案したそうだよ」


老人はそう言うと、足元に転がる黒髭男に向けてレバーを下ろす。

レバーの動きに連動して、後ろに下がる箱から矢が飛び出し、黒髭の脇腹に刺さる。


 黒髭は「……がハッ」と呻くと、一度身体を痙攣させ、白目を剥いて動かなくなった。

矢の刺さった脇腹からは赤い染みが広がり、床の石畳にじわりと血溜まりが広がっていく。

老人は再びレバーを上げ、黒髭のこめかみに向けて第二矢を放つ。


「うん、充分使えるね。……玩具おもちゃじゃないのはわかっただろう?」


 倒れた仲間に、老人は躊躇なく試し打ちする。

レバーの上げ下げだけで、矢をつがえる動作が自動で行われている。

アーヴィンは声が出なかったが、長方形の箱が弾倉になっていることだけは分かった。


 老人は向き直りレバーを上げると、一パスティカ(3m)先のアーヴィンの頭に射出口を向けてレバーを下ろす。

咄嗟とっさに首をすくめたアーヴィンの右耳を、風切り音が掠め、第三矢は空を切った。


「ごらんの通り、私のような非力な人間でも、訓練なしで連続して打てるんだよ。すごい技術だよ? シクロ銀貨五百は下らない逸品だ」


アーヴィンの眉間に向けて射出口がつきつけられた。


「あんたが王女を連れて来てくれたのは、天の采配だよ。我が家の繁栄を祈っておくれよぉ」


老人がレバーを上げる動作に入ると同時に、アーヴィンは老人の正面に駆けだす。


一瞬で間合いを詰められた老人は慌ててレバーを下ろすが、アーヴィンの左腕がクロスボウの弓の端を触って射出方向をブレさせた。

彼は右手で握った両刃短剣カーマの刃先を、クロスボウを支えていた老人の左手首に添えたとみるや、力を込めて引き下ろした。


切断された手首が、クロスボウと共に石畳に転がる。


手首からは勢いよく血が噴き出した。


老人は「ひぃあッ」と叫ぶと、右手を左脇に挟み、立ったまま二の腕の動脈を圧迫し、止血しようとした。


「連続打ちはいいけども……」


アーヴィンは唸る老人の左側面に立つと、膝をめがけて真横から思い切り蹴り飛ばした。


「手元の動きが大きすぎて玩具だぜ」


膝の関節を外され、床に倒れた老人の頭に左手をのせると、頭巾クーフィーヤごと残り僅かな毛髪を引っ張り、顔を上げさせた。


「あと、あんたの家族計画な」


「や……ッ待てっ、待ちなぃ」と目を剥き出し唾を飛ばしながら命乞いする老人を無視し、アーヴィンは彼の剥き出しの喉元に両刃短剣カーマの刃先を添える。


「あんた以上の変態が生まれるなんて」


力を込めて横一線に引く。


「反吐が出る」


喉からゴポゴポと血泡を飛び散らせ、老人はこと切れた。


 アーヴィンは無表情で、死んだ老人の衣類をその場で剥いでいった。

ファティマに繋いだ鎖の鍵がないか、脱がせた下着の中まで確認すると、服ではなく老人が首からぶら下げていた。


最初にここを見とけば、見なくていいモン見なかったのに、と自分の視野の狭さにアーヴィンは嫌気が差した。


寝台に繋がれているファティマの元に、のろのろと歩み寄る。

彼女はいまだ薬で朦朧としている。

鍵を使って足首の鎖を外すと、彼女の名前を呼んだ。


「ファティマ」


彼女の両手の拘束を外すと、アーヴィンは静かに彼女を見た。


「俺がわかるか」


「ん……あーヴぃ、ん」


「歩けるか」


「んー……ん」


「今ここを出ないと、お前本当に奴隷にされるぞ」


「……」


「ここを出るんだ」


目を開けたまま無反応になってしまった仰向けのファティマを見て、アーヴィンは脇の下に腕を入れた。


彼女はがくがくと震えながら必死にアーヴィンの首に両腕を回した。

下半身に力が入りにくいのか、アーヴィンの首にぶら下がるように身体を傾ける。

アーヴィンは彼女の腰に回した左腕に力を入れて抱き起すと「歩くぞ」と言って、ファティマの重い足運びに辛抱強く合わせた。


「……ここで襲われても恨むなよ」


アーヴィンは、床下に収められていた硬貨の詰まった壺に心惹かれたが、そばに倒れる男たちの骸に目をやると、苦い顔をして小さく舌打ちし、目を背けた。

左肩でファティマの身体を支えながら、重い足取りで部屋の扉を開けた。

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