第15話 鋸歯の子宮(2/3)
「この娘たちの輿入れに、
白髭の老人は床下の収納板から顔を上げると、
「薬漬けで意識を奪うのが?」
眉を
老人は、アーヴィンの言葉を気に留めた様子を見せず、立ち上がると入口扉の左、壁に備え付けられた棚の前に移動する。
「あんた『
「なんだそれ」
「……だったら『王のゆりかご』は?」
気味の悪さと、聞き馴れない単語の連投に、アーヴィンは相槌を打つ気もなく、黙って老人の動きを目で追った。
「全く知らないかい。タシトゥール王家の娘が生む男児は、必ず父親の能力を上回ると言われてるんだがね」
老人は奥の棚の引き出しを開けると、小さな薬瓶を取り出し、中の丸薬をコロコロと揺らした。
「そんな都合のいい出産ができるのかよ」
アーヴィンは吐き捨てるように言った。
「実物の王女様を見たのは、私も初めてだがね。王族同士の婚姻で、タシトゥール王家の娘が選ばれるのは、三国同盟の政略結婚ばかりが目的ではないらしいよぉ」
三国同盟とは、海運と軍事に力を入れる帝国セルダニアとタシトゥール王国、新王朝に変わったリクラフルスの三国間で交わされた外交協定である。
アフリカ大陸北部、タシトゥールを中心とする
国土に山間部が多く、主食となる麦の生産に向かないセルダニアは、タシトゥールと緊密な関係を望み、タシトゥールも南の砂漠地帯からやってくる蛮族の襲撃や、ジブラルタル海峡を越えて干渉してくるボルニア皇国の脅威を防ぎたいため、ボルニアの隣国セルダニアと百年以上前から協定を交わしている。
元々はその二国間の協定だったが、五十年ほど前に王朝の代替わりをしたリクラフルスが、国政の早期安定と、南で紛争が続くカルティール、もとい
「タシトゥール王国最高の輸出品は、王家の血を継ぐ
「迷信だろ」
「どうかねぇ。興味があれば一度、セルダニア王家の系図を調べて見ればいいさ。可能ならね」
寝台に繋がれたファティマは、二人が話している間も苦しそう呻き、時々腰を揺らしている。
「あんた、こいつをどうするつもりだ。王家に届けるようには見えないが」
目的を聞かれた老人は、喉の奥に物が詰まったようなくぐもった笑い方をすると、
「その娘には、私の子を産んでもらおうと思ってね」
老人の回答に、アーヴィンは
「良質な跡継ぎができる保証のある嫁なら、誰だって欲しいさね。若い嫁を娶って確実に優秀な息子が生まれるなんて、願ったり叶ったり」
「女が生まれたらどうするんだよ」
「男が出るまで続ければいいだけさね。女は若ければ、いくらでも孕ませられる。できなければ、生まれた娘を孕ませればいい……!」
「あんた、狂ってんな」
――この爺さん、一体いくつなんだろう。
小柄な体格に皺とシミだらけの顔、白い髭の特徴から七十は超えていると見ていたが、若い女を孕ませるという思想が飛び出すということは、実は見た目ほど老いてないのではないか、とアーヴィンは気になった。
目の前の老人はとうとうと語る。
「古代から王侯貴族の間では下賤の血を入れないように、血族結婚が常だったんだ。一族の財産分与を防ぐ目的もあっただろうけど、やっぱり保証された血統さね。優秀な血を残したいのは……」
「同族間の婚姻なんて、血が濃すぎて障害を出す危険も大きいだろ」
背筋から這い上がる寒気が止まらず、アーヴィンは口を挟んだ。
優秀かそうでないかの前に、似たような遺伝を持ち合う近親間の交配は、本来優先される遺伝子によって目立たなくしていた希少な劣性遺伝子の重複により、特徴が出やすくなる。
それによって疾患などが出現しやすいため、近親間の婚姻は一般的に忌避される。
「何度も繰り返してたらね。私に関しては一代目になるから、先の心配には及ばんよぉ。この娘の子宮は期待できる」
「王族の
「それはお互い様じゃないかい? あんたも痛いところ突かれたくないだろうしなぁ」
老人の説に一理あるものの、お互いさまと一緒にされるのには、アーヴィンは我慢できない。
「……あんなに薬漬けにして、正常なガキができるとは思えん」
「
「ああ」
「彼女たちはああしなければ、
――いやだッ、やめてェ
アーヴィンの脳裏に過去の記憶が
「人間と
老人は一度、ふんっと鼻を鳴らす。
棚の中から萎びた革袋を取り出すと、床下の収納に戻り、身を屈めてごそごそと漁り始めた。
「……まぁ、そんな膜なんて、実際は狭かろうが破れてようが、処女の証にはならないんだけどねぇ。初物だのなんだのと有難がって飛びつくのは、ろくに女を知らない男の妄想が生み出した俗説だ」
「何が言いたいのか、さっぱりわからないんだが」
老人のもったいぶった言い回しに、アーヴィンの
彼の脳内には忌まわしい亡霊が顔を出し、身体の芯が震える。
「『
「あほらしい。そんなバカげた特質、事実なら生殖に向いてない」
「『歯の付いた女性器』なんて伝承は、東方の国生み神話なんかに稀に出てくるんだがね。実際は嚙み切ると言うより、圧し潰すと言った方が正しそうだ。……よほど優秀で発達した子宮なんだろうねぇ。女の方で認めた子種でないと、受け入れないみたいだよ」
「迷信も甚だしい」
「迷信だったら助かるね。私も『息子』は可愛いから、食いちぎられるリスクは避けたいねぇ」
「……それで、意識を奪ってヤっちまおうってか」
「子種を着床させるだけなら、道具を使えば済むんだろうけどねぇ。どれほどの膣圧か知りゃあせんが、間違って
「子種を蒔くのが目的だから、他の男では試せないわけか」
――やだッ、ヤダヤダっ! お願い、止めてえ
過去の残像が老人の言葉に呼び起こされ、アーヴィンの中でうるさく喚きたてる。
「私のように子種の数が限られたり、体力に自信のない男が確実に子孫を残したければ、こうでもしないと……」
「……もういいッ」
もう耐えられない、とアーヴィンは頭を振って老人を睨みつけた。
胃の腑から何かを吐き出すには、充分すぎるほど聞いてしまった。
「理屈はわかった。こいつは売らない」
アーヴィンの言葉で水を打ったように静まると、老人は眉根を寄せ、駄々っ子を見るような目をした。
「おかしなことをおっしゃるねぇ。売った奴隷がどうなるかなんて、あんたには知ったことではない、そうでしょう?」
さあさあ待たせて悪かったね、と続ける老人の言葉をアーヴィンは遮る。
「気分が悪い。それだけで充分だ」
「気分で商談なんて、ほんとド素人だねぇ」
やれやれ信じられない、と言うふうに老人は肩をすくめると、バチンッと何かを弾く音を立て、開いた床板から立ち上がった。
「もっともね……こんな話聞かせてたのは、こっちは生きて帰す気がなかったからだけどねぇ」
身を起こして振り向いた老人の腕に、
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