第14話 鋸歯の子宮(1/3)
燃えるような茜色が、東から忍び寄る濃紺の闇に塗り替えられていく。
その空を背景に、影絵のような黒い針葉樹林が、ダーダネルス海峡を見下ろす丘を覆っている。
その丘を一人の男が上っていく。
暗い林の中に、古い石造りの半壊した塔が佇んでいる。
男は周囲を見渡し、誰もいないことを確かめると中に入って行った。
しばらくすると、男を追ってきた人影が塔の壁に張りついて身を潜めた。
この丘に着くまで、イーロスから二時間半掛かった。
人が一時間に歩く距離を
半壊した塔の内部には更に小屋があり、入れ子状の造りになっていた。
閉まった扉に聞き耳を立てると、内側から女のか細い呻き声が聞こえた。
人影は、足元に転がっていた手に収まる大きさの石を握ると、扉に投げて音を立てる。
内側から足音が近づくと、内開きの扉から黒髭の男が顔を覗かせた。
開いた隙間から漏れる部屋の明かりを確認した人影は、体重をかけて扉に体当たりする。
扉はその勢いで大きく開かれ、内側にいた黒髭は石造りの床に倒れ込んだ。
人影は中に入ると、床で呻く男の胸倉を掴み、右の拳で黒髭の顎を横から全力で打ち抜いた。
強烈な脳揺れを食らった黒髭は、
殴った人影は自分の腰に携帯していた紐を取り出すと、気絶した男の手足を縛り、男の被っていた
人影は乱れた赤毛を撫でつけると、大きく息を吐く。
室内は薄暗く、壁に付けられた燭台の灯りを手掛かりに、奥の暗闇に目を凝らす。
簡素な寝台に、女が横たわっていた。
「……ファティマ?」
人影は寝台に駆け寄り声を掛けるが、女――ファティマは無反応だった。
ファティマの両手は頭の上で縛り上げられ、両足首は物々しい鎖が付けられて、寝台の脚部に左右から繋がれて大股を開く形にされていた。
「おい」
昼間着ていた焦げ茶の外套は外され、黒いアバヤ(
「……アルハール……」
口の端から涎をこぼしたファティマは、だるそうにアーヴィンの顔を見た。
目の焦点が合っていない。
「
「
「
意識が混濁してるのか
「……おなか」
ファティマが答えると、アーヴィンはためらわずにスカートの裾をまくり上げ、彼女の腹部を見た。
「なんともないぞ」
パッと見たところ、わかる変化はない。
彼女が拘束された姿からは、いかがわしい想像しかできなかったが、下着を履いていてアーヴィンは密かに安心した。
「ちがう、もっとした」
ファティマが腰をもぞもぞと動かす。
「あし……あしのつけねの、まんなか。あしとおなかの」
ファティマは熱に浮かされたように息を漏らし、緑の瞳を潤ませてアーヴィンを見上げる。
その
「おい。しっかりしろ」
アーヴィンはファティマの左頬を軽く叩いた。
ぺちっと弾いても、彼女の反応は変わらなかった。
「なんか飲まされてるな」
『なんでこいつは、こんな目にばかり遭うんだ』とアーヴィンは呆れたが、一方で彼の中の
――若い女の使い道なんて、突き詰めればこんな事しかないじゃないか、と。
「女の
アーヴィンの背後から男の声が掛かった。
振り向いた先には、昼間交渉をしていた白髭の老人が入口の前に立っていた。
「スカートを捲るのは平気でも、局部にまでは手を出さない。意外と奥手かい」
アーヴィンは老人に食って掛かろうとしたが、昼間見た
「……それとも、食いつかれるのが怖いかねぇ」
老人は口の端を歪め、鋭い眼光でアーヴィンを笑っていた。
「なに言ってる。俺の商品だ。返してもらう」
白髭の老人は、拘束されて床に転がる黒髭男を見ても、眉一つ動かさず、アーヴィンの顔を見つめて静かに口を開いた。
「昼間、その男が撒いたと聞いてたんだがねぇ」
「敢えて人目の多いところで目立つ行動を取って、実際は現場から動かない。詐欺師の常套手段の一つだ。あんたが大元なら、ファティマもずっとテントにいて、あんたか黒髭と一緒に移動するだろうと思い至った。店仕舞いまで張り付いて正解だった」
アーヴィンの言葉に、老人は愉快そうに喉の奥をくっくと鳴らす。
「当たっていてよかったねぇ。……その娘がどんな人間か知ってるかい?」
「マグリブの奴隷だろ」
間髪入れずにアーヴィンが答える。
彼が認識している彼女のことは、それしかない。
「アッハッハ! 本気でそう思ってたのかぃ? その娘はタシトゥール王家の人間だよぉ」
堪えきれないとばかりに老人は吹き出した。
「こいつは奴隷船から拾われた女だ。王女なわけがない」
ムキになって言い返すアーヴィンに、老人は諭すように続ける。
「あっちの王族の特徴は一般には知られてないから、わからなくても仕方ないかねぇ」
老人は部屋の扉を閉めると、壁に寄りかかる姿勢でアーヴィンに語り掛ける。
「褐色の肌に緑の瞳、何よりもその
「
「本気で受け取ったのかい。知らないふりして売っているのかと思ってたよ」
笑う老人にアーヴィンは苛々して食い下がる。
「知ってたら、二百枚なんて言わずもっと吹っ掛けた。あんたも攫うほど欲しかったなら、値切らずに金を払えば穏便に済んだんだが」
「あんまり堂々と売りつけようとするものだから、なんかの罠だと思っちまってね。……本気で二百で売ってくれるのかい?」
アーヴィンは老人の発した言葉に一瞬顔をしかめると、静かに告げた。
「……シクロ銀貨五百」
「五百! そんな程度でいいのかね。セルダニアかタシトゥールに身代金を請求したら、三千以上は貰えそうだが……まあ、取引に持ち込むまでが面倒さぁね」
「即金だ。貰うもん貰えるならこっちはすぐに消える」
「わかったよ。ちょっと待ちなぃ、準備するよぉ」
老人はそう言ってアーヴィンに背中を向け、おもむろにしゃがみ込むと、床下に嵌めこまれた一枚板を引き上げた。
下に収納スペースがあるのか、床下に両腕を突っ込み、貨幣の入った壺をひとつずつ引き上げだした。
アーヴィンは部屋周りを改めて見渡す。
薄暗くて見にくいが、壁にはファティマの足首に取り付けられたような物々しい鎖がかけられ、鞭や木製の傾斜のきつい三角の台座などが置いてあった。
「あんたたちはこんな道具を使って奴隷の検分をするのか? ……それとも趣味か?」
「その娘は王女だよ? 手荒な扱いはしないさね」
床下の荷を漁りながら老人が応える。
無防備に背中を見せる老人の余裕が、アーヴィンの不安を煽った。
「……この姿は手荒じゃないのか」
「それは下準備だよ」
老人は肩を揺らして笑っていた。
「昼間までは普通だった。今はどう見ても調子が悪そうだ。病気じゃなければ、薬……
――症状からすると、泌尿器に刺激を促す
アーヴィンは湧きあがる嫌悪感が抑えられず、顔をしかめた。
「たしかに薬を飲ませたよ。これは彼女たちにとっては必要な……」
「彼女たち?」
アーヴィンは老人の言葉の違和感に食いついた。
「……まぁねぇ、あんたが王家の事情を知らないのは、仕方ないけどね。この娘たちには媚薬は必須なんだよ」
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