第13話 奴隷市場(2/2)

「ク、……ケレス、あの女は?」


アーヴィンがテントから出ると、クリスが一人で立っていた。


「他の女の人たちと一緒に行ったけど」


「……は?」


アーヴィンは琥珀の瞳を丸くして、クリスを見つめる。


「商談まとまったんだろ?」


クリスは茶色い瞳をぱちくりさせてアーヴィンに言った。


「いや、商談は決裂したんだ。他の女たちとって、どこに行ったんだ」


「黒い髭のおじさんに連れられて、大きなテントの方に向かったよ」


なにを馬鹿なと呟くと、クリスを連れて急いで大テントに戻った。

中に入ると十数人の女たちが皆、頭から外套を被って待機していた。


「ちょっ、ちょっと! 白い髪の女の人見なかった?」


クリスが入口手前に立っていた女の裾を引っ張った。

呼ばれた女は無言で首を振ると、二人から距離を取って奥に移動した。


「あの黒髭はどこだ」


アーヴィンが他の女に声を掛けると、女は言葉を失ったように見つめ「やだアッフ素敵ジャミラ」と呟いた。

隣にいた女が、アーヴィンに向かって声を上げた。


私を攫ってメンファブリクァフゥズニバーイダン


太眉で福々とした頬の女は、ぷるぷると豊満な二の腕をアーヴィンの肩に回してきた。

積極的な女に怯んだ彼は、笑顔を浮かべて固まると


「……また今度ィヤォマンマ


と消え入りそうな声で答えた。


アーヴィンは女性から離れ、他の女たちの頭の覆いを次々に剥いで行く。

誰一人として白髪は居なかった。


テントから出ると、外套を被った人だかりが道の中央にできていた。


「な、なんでこんなに似たような恰好の人間が集まって来たんだ」


「さっきの黒髭のおじさんは『これから競りが始まる』って言ってましたよ」


クリスが困った顔で答えた。


「交渉が決裂してるのに、なに勝手に手回ししてんだ、あの爺!」


 売られる方は競り台に上がって初めて姿を見せるが、買う方もなるべく身元を明かしたくないため、会場は頭巾クーフィーヤや覆いを被った人ばかりになる。


「くそ……多すぎるっ」


焦るアーヴィンにクリスが冷静に答える。


「ほら、アーヴィンさん。やっぱり名前は聞いといてよかったじゃないですか」


「……」


苦虫を潰したような顔をするアーヴィンをよそに、クリスは集まった人ごみに向かって名前を叫んだ。


「ファティマっ! ファティマ!」


数人の女が反応して振り返る。


「……反応する女も多いぞ」


共通語フスハーの生活圏では『ファティマ』と名付けられる女児は珍しくない。

アーヴィンはテントの近くで腰を下ろしていた男に声を掛けた。


「おい、こっちに白い髪の女を見なかったか? 白い女じゃない。肌は褐色だが髪だけ白いんだ」


「ほう、そんな女どこで見かけたんですか」


「見かけたんじゃなく、えっと、……連れだ連れ」


「そんな女が歩いてたらすぐにわかるぜ、兄ちゃん」


「だ、だよなぁ」


外套のフードで頭を覆ったまま歩いているなら、わかるわけがない。

アーヴィンは自分に呆れてしまった。


「ファティマ! ファティマっ!!」


アーヴィンが声を荒げて通りに向かって叫ぶと、奥の方からかすかに「アーヴィン」と答える声が聞こえた。

声のする方を急いで向かうと、人ごみに埋もれて遠ざかる外套が見えた。


「おいこら、どこ行くんだっ!」


アーヴィンが叫んで追いかけると、ファティマと思わしき外套の人影は突然倒れ、横にいた男に担がれ細い路地に入って行った。


「え。なに、彼女攫われてます!?」


後ろから必死についてきたクリスは、状況が飲み込めず素っ頓狂な声を上げた。


「どう見ても攫われてる!」


アーヴィンは後ろを振り返らず、人ごみを押し返しながら小路に入る。

逃すものかとアーヴィンは脇道の先を駆けるが、道の先は袋小路になっていた。


「これって、僕ら元手も取れずにただ働きってことですか?」


おたおたしながら喋るクリスに、アーヴィンが叫んだ。


「ゆるさん……。俺はタダ働きなんぞ、ぜったい許さんッ!」


突き当りの塀の上に、毛の長い銀縞シルバータビーの猫が、尻尾を垂らして見下ろしている。

クリスは周囲を見渡すが、人の通れる隙間はどこにもなかった。


「あの女、ぜったい取り返す。かっ攫った奴からは最低三百枚以上は請求してやる!」


汗だくで息を切らせたアーヴィンが、大通りに向かって吠える。

それに驚いた猫は身体を震わせ、塀の向こうに消えていった。


「請求してやるって言っても……。逃げられてしまってどうやって請求するつもりですか」


肩を怒らせるアーヴィンにクリスが聞いた。

聞かれたアーヴィンは、少年の目を見ずに


「人目のある場で捕まらずに悪いことをするには、前もって計画してるもんだ」


と言って「蛇の道は蛇だ」と呟き、奥歯を噛みしめた。

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