第12話 奴隷市場(1/2)

「ずいぶん賑わってますね」


最初に船から下りたクリスは、周囲を見渡した。


 レムノス島から一番近いリクラフルスの都市、イーロス。

ユーラシア大陸の東西からあらゆる文化圏の人・品が集まり、異国情緒が漂う港町の一つだった。


「そりゃ、市場だからな」


膝下までの長さの焦げ茶の外套を羽織ったアーヴィンは、先頭に立つクリスに応えた。

隣に立つファティマは外套の覆いを頭から被り、はぐれないようにアーヴィンに腕を掴まれて歩いていた。


「アーヴィン、本当にセルダニアの官吏かんりがいる?」


ファティマが深く被った覆いの中からアーヴィンを見上げた。


「ああ、セルダニア本国だとこちらが移動に手間取ることを知って、近場のリクラフルスで引き渡しに応じてくれた」


アーヴィンはしれっと嘘を吐く。

――王室関係者が名も知らない庶民と気安く交渉するわけがない。


三歩ほど先を歩くクリスは、二人の様子を確認するように時々後ろを振り返る。

そしてどっちに向かって歩けばいい? と伺うように何度もアーヴィンを見た。


そのたびにアーヴィンが「右だ」とか「左端に寄れ」と短く指示し、小さなクリスは人ごみに埋もれそうになりながら必死にかき分け、歩くスペースを確保していく。


 道の両端は古くからの建物が隙間なく密集し、風があまり吹き込まない。

この日の空は晴れ渡って気温が高いこともあり、すれ違う人たちからは汗や香料の臭気がして、ときどき見かける鎧をまとった兵士らしき男たちからは、ツンとした体臭もする。

 道の端に並ぶ屋台からははかり売りをする香辛料のモヤつく刺激臭と、肉と脂が焼ける匂い、港からの潮の香りが混ざり、どこを向いてもむせ返るほどだった。


市場に売られていく牛や羊、荷を引く馬や驢馬ろばともすれ違う。


「どうして駱駝らくだを使わないの?」


すれ違った行商人が引いていた馬を見て、ファティマが不思議そうにアーヴィンに尋ねた。


「君のいたとこは砂漠を越えてやってくる人が多かっただろうから、気候に馴染んだ駱駝らくだの方が使い勝手が良かったんだろう。こっちの大陸、少なくともリクラフルスの街中は馬や驢馬ろばの方が勝手がいいんだろう」


ふぅんと感心したファティマは、炙った肉の塊を薄くスライスしている屋台の主と、そのかたわらにいる牛を見ると

「あれは食べるのか乗るのかわからないね」と呟いた。


「あの牛は荷を引くためのものだろう」


――牛も売り物なのかは、店主にしか知りようがない。

今のところ食肉用ではなさそうだ、とアーヴィンも牛を見て思った。


「ここで待ってろ」


 茶色く苔むしたような色のテントの前でアーヴィンは止まった。

クリスにファティマの側を離れないように目くばせすると、一人で入っていく。


しばらくして白地の頭巾クーフィーヤ(男性用の頭巾)を被った黒髭の男を連れて出てくると、今まで通った大通りから外れ、狭い脇道を入り、人ごみから離れた位置にある小ぶりのテントに三人は誘導された。


テントに入ると、同じく頭巾クーフィーヤを被り白い髭を首の下まで伸ばした小柄の老人が、入ってきた三人を頭のてっぺんから足の先までじっと観察しながら、黒髭の頭巾クーフィーヤの男と小声で会話していた。


アーヴィンが一歩前に出ると、老人が口元に微笑みを浮かべながら静かに尋ねた。


「そこの二人かい」


老人はアーヴィンから目をそらさずに聞いた。


「いいや、一人だ」


「一人? ……失礼。シクロ銀貨二百枚(一枚で一万円相当)とは、ずいぶん高値なので二人分かと思ったわい」


「そこの子供は数に入れてない。女一人だ」


「女一人で二百ですかい」


「若いんでね」


「若いと言っても、十代は超えてますでしょう?」


「まだ二十になってない」


嘘だ。アーヴィンはファティマの実年齢など知らない。


「髪が特徴的なんだが、年嵩としかさや病気からじゃなくて、遺伝なんだ」


「ほう」


「見てみるかい」


アーヴィンは、早口で交わされるリクラフルス語トゥルクメニキに理解が追い付かずポカンとしてるファティマを手招きし、彼女の外套の覆いを外す。

肩にかかる豊かな白い髪が、老人の眼に映る。


「見事な若白髪だねえ」


老人が笑う。


白金髪プラチナブロンドだよ。珍しいだろう」


白金髪プラチナブロンドとは良く言ったもんだ。言うんだったら銀髪シルバーブロンドの方がわかりやすいさなぁ。染めてんのかい?」


「地毛だ」


「いやあ、初めて見るなぁ」


老人はしげしげとファティマを見る。

白い髪も珍しいが、緑の瞳が美しい。


「褐色の肌に緑の目って組み合わせも、あまり見かけないねぇ」


 アーヴィンはファティマの頭にフードを被せると、後ろに控えていたクリスと一緒にテントの外に出て行くよう促した。

クリスとファティマが静かにテントから出ると、老人に話の続きを始めた。


「変わった血筋なんだ」


「へぇ。どこのお嬢さんなんだい」


「タシトゥールだよ」


日の沈む大地マグリブの人間かい」


「ああ。だが言葉はタシトゥール語トゥーニシャ以外にリクラフルス語トゥルクメニキ西部セルダニア語ファリスカン東部セルダニア語ヘレニックも理解できる。共通語フスハーだったら読み書きできる」


「そいつはいいね」


「妥当だろう?」


「そうさなぁ……。百二十枚が妥当だなぁ」


「百二十? あんたらこの女を競売にかけるなら三百から売るだろう」


「馬鹿言っちゃいかんよ。そんな高値は若い男の相場だ」


「若い女なら性奴隷の需要があるし、なんなら娼館に転売できる。男以上になることも知ってるぜ」


「すぐには決着つきそうにないねえ。こちらは見た目だけしか見れてない。本当にあんたが提示する価値に見合ってるかは、時間をかけて隅々まで見ないといけないしねぇ」


老人は『隅々まで』を強調して、黒い目を鋭く光らせた。


「検分するなら買い取ってからにしてもらいたい」


アーヴィンは強気で対応する。はじめが肝心だ。


「なら奴隷としての相場価格で引き取るしかない。身体の利用価値まで含んで吹っ掛けるのはよしとくれ」


「買い取った後でどの競売にかけるかはそっちの勝手だが、こっちの最低ラインは二百枚からだ。それ以下は呑めん」


「強気だねえ。……あの女にそんなに価値があると本気で思ってるのかい」


「複数の言葉を理解できる奴隷なんて、需要高いだろう」


老人は隣にいた黒髭の男に目くばせして顎をしゃくると、男は黙ってテントの外に出た。

テントの中で二人っきりになると、アーヴィンの瞳をじっと見つめて口を開いた。


「なるほど。……あんた、この商売初めてだね?」


アーヴィンは二の句が継げずに押し黙る。

老人の言葉が図星だったからだ。


「慣れない奴隷商にいきなり参入したってうまくいきっこないよ。悪いことは言わない、百五十枚で手を打とう。こちらとしては最大の譲歩、シクロ銀貨を三十枚も上乗せしたのは新規参入者への初回特典みたいなもんだ。今後も同業者として付き合いたいという良心だよ」


老人はアーヴィンをねぎらうように優しく諭す。

今後もいい人材をよろしく頼みたい、と先の付き合いをほのめかすのが、右も左もわからない新参者に効くことをよく理解している。


「せっかくだが俺はこのあきないを本業にする気はない。本業は別にあるし、今回はたまたまだ。先の付き合いなど見ていない」


おや、と眉を上げる老人にアーヴィンは続けた。


「せっかく譲歩してくれたのに悪いな爺さん。あんたがダメなら他を当たる」


すまんと言って諦めの笑顔を浮かべるアーヴィンに、老人は優しく微笑むとこう言った。


「強気の姿勢は買うが、あんたこの商売向いてないな。本業がなにか知らないが、卸業や販売には向いてなさそうだ」


俺もそう思う、とアーヴィンは振り返ると「時間を奪ってすまなかった」と言ってテントを出た。


「熱意は買うがなぁ」


老人は一人呟いてほくそ笑んだ。

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