第11話 マグリブの女(4/4)

「ねぇ、アーヴィン。この肉はなに?」


女を保護して五日目の朝。

クリスとアーヴィンの間に、白髪の女が食卓に同席していた。


 女は目を輝かせて、過熱されて脂のしたたるベーコンをフォークに刺し、匂いを嗅いでいる。

アーヴィンがそれは豚肉だと伝えると、彼女は表情を失くし、肉を皿の端に寄せた。


「美味しいですよ?」


クリスは女の顔を覗きながら、自分の皿のベーコンを頬張った。


「ケレス、あなたたちは豚を食すの?」


クリスは自分の名前を『ケレス』と名乗っていた。

あまり誤魔化せてない気がしたが、偽名を使ったからまずよし、とアーヴィンは諦めた。

アーヴィンが名前を呼ばれるのは、海賊たちから呼ばれていたことを覚えられていて、偽名を言う間もなかったからだ。


「ファティマは豚肉を食べないんですか?」


クリスは不思議そうに白髪の女に聞いた。


「“ファティマ”ぁ?」


アーヴィンがクリスを睨む。

数日前に『名前を呼び合うな』と注意したのに、クリスは彼女の名前を聞いてしまったらしい。

そしてここ数日の間に、彼女に日常の些事を教えているうちに、距離を縮めてしまったのか、今朝の食事からは彼女を同席させ、何のためらいもなく語り合っている。


アーヴィンの助言は見事に無視されていた。


ファティマと呼ばれた白髪の女は、アーヴィンに微笑み

「私、ファティマ」と自身を指さした後、「豚以外の肉はない?」と続けた。


「君は熱心な回教信者ムスリムか?」


クリスに言いつけを破られたアーヴィンは、不機嫌さを隠さずファティマに言葉を投げた。


日の沈む大地マグリブやイージェプタなどには、生活習慣や食事に厳格な戒律を設ける回教イスラームが、日常生活に浸透している。


回教信者ムスリムじゃない。でも豚を食べたことがない」


「食べたことがないだけなら、食べろ。君が自分の意思で教義にじゅんずるつもりがないのなら、なに食ったって問題ない」


――豚も牛も旨い。信者でもないのに食わず嫌いなど、贅沢だ。


 厳格な信者なら無理強いしないが、本人が回教信者ムスリムになったつもりがなく、生まれ育った環境になかっただけで口にしないのなら、食わせたところで問題はない。


「ファティマ、無理に食べなくてもいいですよ」


クリスがベーコンの盛り合わせをファティマから遠ざける。

ホッとしたファティマは、野菜盛りに入っているひよこ豆のペーストをさじですくって舐めていた。


「ここはタシトゥールでもマグリブでもない。豚肉を避けて食事をするのは難しい。君は信者をしてるつもりがないのなら、今後は食ってくれ。『ごうに入れば郷に従え』だ」


 食の選り好みをする奴隷など、倦厭けんえんされる。

早く他国の食生活になじませなければならない。

身の回りのことも一人でできない奴隷は、悲惨な扱いしかされない。


「……長期戦はごめんだ」


アーヴィンはクリスが遠ざけたベーコンを手前に引き寄せると、一人ごちた。


「ファティマ、この辺は羊肉が主流だから、食べれなくても大丈夫ですよ」


きつく言われて肩を落とすファティマに、クリスが優しく話しかけている。

アーヴィンから見ると、彼は自分の前でわざと名前で話しかけているように見えた。


「こら、甘やかすな。豚を笑うやつは豚に泣くんだからな」


クリスを一喝すると、アーヴィンは木杯カップから口を離し、残りのベーコンを頬張った。


――彼女の名前を知ってしまった以上、早く処分しなければ。

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