第5話 海賊(4/6)

 船長の舶刀カットラスは、アーヴィンの首をめがけて振りかぶられた。


 舶刀の軌道を見た彼は、外套の中で待機していた右手で両刃短剣カーマグリップ逆手さかてに握り、自分の顔の位置まで短剣をかかげる。


――全長は二パラディム(60cm)、刃渡りは一クビト(50cm)弱か。


アーヴィンは舶刀の剣身ブレイドの間合いを瞬時に見極める。

刃先カッティングエッジを受け止めていた短剣に力を込め、舶刀の切先ポイントを押し返すと、即座に後ずさった。


 最初の一撃を避けられた船長は、嬉しそうに剣身を舐めると、切先を前に出して追撃の構えを見せた。

 アーヴィンは逆手に握った柄を順手じゅんてに持ち直す。

前に出した右足に重心をかけ、迎撃体勢げいげきたいせいを取った。


 舶刀は身幅みはば一パラミ(7.5cm)弱、三メナ(1.5kg)近い重さがある。

大きく振りかぶった分だけ、斬撃ざんげきの威力になる。


 対してアーヴィンの持つ短剣の全長は一クビト(50cm)、握りの部分を除くと剣身は一パラディム二ユニカ(35cm)と短い上に、身幅は一ユニカ(2.5cm)より少しだけ広い程度だ。


船長の振るう舶刀を何度も正面から受ければ、アーヴィンの持つ短剣など、たちまちひしゃげてしまうだろう。


――痴話喧嘩に白刃戦はくじんせん。海賊相手は飽きない商売だ。


 アーヴィンは自分の不利な状況を、どう回避しようか悩む。

船長までの間合いは二歩、だいたい三クビト(150cm)強。

彼の背中を冷たい汗が伝う。


 おかしな争いに巻き込まれないように、淡々と対応してきたつもりが、相手の都合が悪すぎた。

気分で請求額を値切られそうになった時、焦りから詰める発言をしてしまった。

本物の商人はこういう時、どう切り返すのだろうか。


 船長の左後方では、部屋の壁に寄りかかったファニスが、興味深そうに紫の瞳を光らせていた。

口元には笑みを浮かばせ、止める気はなさそうだった。


部屋の奥に追い詰められたアーヴィンに対し、入口を背にした船長。

勢いで逃げ出すこともできない。


自分から仕掛けるのは嫌だ、と防戦一方を決めるアーヴィンに船長が舶刀を突きつけ、右足が一歩前に出た。


――次はどう動くつもりだよッ


逡巡するアーヴィンは、少し浮かせた左足の踵に、つま先から重心を寄せ、攻撃に耐える体勢に入ろうとした瞬間――



部屋の入り口が大きな影で塞がれた。


背後から迫る影は、船長の首を握って身体を持ち上げた。

対峙する船長の身体は浮き上がり、舶刀が音を立てて床に落ちる。


突然の衝撃に船長は目を白黒させ、両手を自分の首に添えると、両足をばたつかせて暴れた。


「おいっ! やめろ」


ファニスが背後の影――四クビト(2m)を超える大男に声を荒げた。


 船長の足は完全に宙に浮き「ンぐふッ」と短く叫ぶと、白目を剥いて脱力した。

口の端からあぶくき出す。


 大男は、猫の子でも掴むように握っていた船長の首を放すと、支えを失った彼はその場で崩れ落ちた。

ファニスは倒れた船長に近寄ると、圧迫された頸動脈けいどうみゃくが止まってないか確認する。


「あぁ……生きてるか。やりすぎだよベルカント」


そう言って見上げるファニスを、ベルカントと呼ばれた男は憮然ぶぜんと見つめる。


「こいつは きそくを やぶった」


ベルカントは単語を切り離すように、ゆっくり喋る。

半ば呆れた表情をしたファニスが、大男に問いかける。


「いつからいたのさ」


「さっき」


 日に焼けた浅黒い肌、突き出た太い眉にくぼんだ眼孔がんこう

その奥に猛禽類もうきんるいのように険しい瞳が、茶色に光る。

高い鉤鼻かぎばなに、分厚い唇。

頭髪がなく、滑らかな頭皮が船内の明かりを照り返し、彼の厳めしい容貌をいっそう凶悪に演出していた。

首回りや腕は大木の幹のように太く、少し離れた位置にいるアーヴィンの目からも、太い血管が浮き出ているのがわかる。

上半身は袖のない肌着一枚で、それも分厚い胸板に破れそうなほど心もとない。

下に履いてる黒いトラウザーズはサイズが合っていないのか、腕以上に太い腿にパツパツに張り付いている。


「さっきって、最初からじゃないの?」


ファニスが訝しがって聞くと「そうだ」とベルカントはこともなげに答えた。


「……なあ、いま誰が下の奴隷を見張ってる?」


ファニスは眉をしかめてベルカントに尋ねると


「おれは いないな」と彼はそっぽを向いた。


「おい! 誰もいないのかっ?!」


声を荒げたファニスは続けて「馬鹿! お前がいなきゃマズいだろ」と言うと、一人甲板の下に走り出した。


 呆気にとられたアーヴィンが大男を見上げると、目の合ったベルカントは睨み返してきた。

大男の鋭い眼光に怯みながら、アーヴィンが礼を言うと「おまえのためじゃない」とベルカントは目を細め、鼻を鳴らした。


「かいぞくは ふねで おんなを だかない」


「そうなのか?」


「ひとりやれば みんなやる。おんなは どくだ」


「女は毒……ね。なんにしても助かった」


女は、の部分をあえて強調したアーヴィンに、ベルカントは怪訝けげんそうな顔を向けた。


「なあ、ベルカント。俺は商売で来てるんだ。料金が足りない。お前、持ち合わせあるか?」


アーヴィンはダメ元で聞いてみたが、大男は黙って首を振るだけだった。

どうしたもんか、とアーヴィンは自分の顎に手をあてて思案する。


「ェルフィデェアット」


 部屋の隅で、怯えていた女が口を挟む。

ゆるんだ猿ぐつわを肩でずらしていた。


「ィェルフィデェアット! ……ラ、フェディアトン!」


先ほどまで隠していた剥き身の上半身をこちらに向け、両乳を振り乱して叫んでいる。


 ベルカントは顔をしかめ、こいつなにいってんだ、と伺うようにアーヴィンを見た。

アーヴィンも困った顔をして、日の沈む大地マグリブの言葉はわからん、と肩をすくめる。


まだ何か言う女を無視すると、ベルカントに向き直り「支払いが済むまで引かないぞ」とアーヴィンが言った。


「おれは しらん。せんちょうに もらえ」


床に倒れる船長に視線を投げると、ベルカントは騒がしくなった甲板へ向かい離れていった。

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