第6話 海賊(5/6)

 大男の姿が見えなくなったのを確認すると、アーヴィンは部屋の奥でうずくまる女に向かう。

下を向く彼女の正面に立ち、声を掛けた。


「……どこから取る気なんだメンエイナータンウィルホスールアーライヒ


女は顔を上げ、緑の瞳を大きく見開きアーヴィンを見上げた。


「わかってたのね」


彼女が感激に肩を震わせると、剥き出した小麦色の乳房が一緒に揺れた。

そのふくらみがあまりに柔らかく、大胆に揺れるので、アーヴィンの目が釘付けになる。


 女の感嘆かんたんに彼は無言でうなずくと、乳房から目を背けた。

おもむろに自分の外套を脱ぐと、彼女の頭へ雑に被せる。

彼はまともに会話できるように動いたつもりだったが、どこかでちょっと惜しい気がする自分がいることにも気づいた。


――女個人に興味がなくても、裸に意識が向かうのは悲しい性だ。


アーヴィンの思いとは裏腹に、正面の女は緑の瞳を輝かせて口を開いた。


「下のマグリブたちに話した時は、誰も反応してくれなかったの」


 彼女の言葉はアフリカ大陸北部から、東のアラビア半島までの庶民が使う、共通語フスハーと呼ばれる日常語アーンミーヤである。


 共通語フスハーというのは『基本言語』をさし、構文のルールや単語は同じだ。

しかし各国それぞれが使ううちに、その土地の歴史に根付いた慣用句、言い回し、ことわざなどが発生し、イントネーションも地方の特色が出てしまった。

 同じ共通語フスハー話者わしゃでも、よそ者がすぐには理解できない日常語アーンミーヤが出現したのだ。


 タシトゥールの日常語アーンミーヤは特に訛りが強く、独特だ。

タシトゥール人テシュミアン以外には通じにくいので、タシトゥール語トゥーニシャ別称べっしょうされていた。


「マグリブばかりじゃ、なかったんじゃないか」


「でも、あなたはわかってくれた」


そう言うと、彼女はアーヴィンの瞳をまっすぐ見た。


「君の日常語アーンミーヤタシトゥール訛りが強トゥーニシャすぎて、日の沈む大地マグリブでもタシトゥール人テシュミアン以外には通用しにくい」


「そうなの? あなたはタシトゥール人テシュミアン?」


「……違う」


 国籍と人種は見た目ではわかりづらい。

旧世界の頃は「南の大陸には色の濃い人が多い」とか、「北方系は色の薄い」など見る動きがあったが、世界崩壊前後で人種が入り乱れた現在では、話す言語や受け継がれる信仰が、アイデンティティの拠り所となった。

見た目の特徴で出身を遡ることは困難だった。


 タシトゥール王国は地中海沿岸諸国で、上位四国に入る交易国だ。

そこの言葉を押さえなければ、この地中海マーレノストゥルムでは商売の幅が狭まってしまう。


 ベルカントに意味を聞かれてすっとぼけたのは、彼女が『身代金フェディアトン』と言ったからだ。


ここの船長は読み書き計算ができることを誇っていたが、海賊稼業をやってる連中のほとんどは、読み書きが不自由だ。

しかし話すことは別で、海を行き交って数か国を渡り歩くと読み書きが不自由でも、二か国ほどの日常会話は次第に覚えるものだ。

海賊もたいてい二か国、三か国の言語は流暢でなくても、認識できるようになる。


 先ほどのベルカントは東部セルダニア語ヘレニックが苦手なのか、片言で慎重に話していた。

囚われていた彼女はベルカントの様子を見て、共通語フスハー(ただし癖の強いタシトゥール語トゥーニシャ)でアーヴィンだけに通じるようにと、賭けに出たのだろう。


「さっき話してた足りない分、あなたが私を誘拐して身代金を取ればいい」


彼女はもう一度言った。


東部セルダニア語ヘレニックもわかってたか。さっきも言ったが、どこにあてがあるんだ」


アーヴィンはなだめるように見下ろした。


「タシトゥール王室」


「根拠は?」


「私は王家の人間だから」


――この奴隷、大胆な嘘をつく。

アーヴィンは呆れて目を細めた。


「確かに君は流暢なタシトゥール語トゥーニシャを喋るけど、それだけじゃ王家の人間だなんて誰も信じない」


「これはどう?」


そう言うと、女はアーヴィンの知らない言語を話しだした。


「まってくれ。なんだそれは」


トゥアレグ語タマシェク。王家の血筋は南方遊牧民のトゥアレグ族なの。だから王族間ではトゥアレグ語タマシェクで会話する。国民や奴隷たちに内容がわからないようになってる」


「説明に信憑性しんぴょうせいはあるが、俺がわからないから判断できない」


長年奴隷をしていれば、言葉を覚えることもあるかもしれないしな、とアーヴィンは内心で毒づく。


「じゃあ、ヒエラグリフィコヘラティコフ(神官言語)なら、信じてくれる?」


「イージェプタの上級言語? 聞いてもわからない」


自分の言語能力をひけらかす女に、アーヴィンは閃いた。


「王家の人間なら、セルダニア王室とも関わるだろう。王都のある西部セルダニア語ファリスカンも喋れるか?」


もちろん話せるわチェルトポソパラーレ


リクラフルス語トゥルクメニキなんかはどうだ?」


できるわコヌシャビリリム


「うん……、いいね」


アーヴィンは目を細めて笑う。


「信じてくれる?」


海賊以外で身の安全を確保してくれそうな人間は、目の前のアーヴィンしかいないので女は必死だった。

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