第7話 海賊(6/6)

私を攫ってメンファブリクァハタファニ身代金を請求してィオルジャタラブッフェディヤタン


囚われの女は必死にアーヴィンを説得する。


 彼女の額からは汗が滲み、きれいな鼻筋をつたっていく。

涙を溜めた緑の双眸。小さく薄い桃色の唇。

滑らかな小麦色の肌、肩まで伸びた真っ直ぐな黒髪。

あどけなさと妖艶さが混在するエキゾチックな顔立ちは、心奪われる男が出ても不思議はない。


しかし、会ったばかりの女の涙にほだされるほど、アーヴィンは情の深い男ではない。

他者の境遇に同情するほど、彼に余裕はない。


 生まれた時に地位や能力に恵まれなかった人間は、強者に恭順きょうじゅんして地位の向上をはかるか、自分より立場の弱い人間を作り出すしかない。

彼女のように奴隷身分に落とされることは、誰にでも起こりうる。


 弱いくせに他人に従う生き方を拒絶するならば、周囲を圧倒するほどの財力を誇示するしかない。


肝心の財産を貯めるのに必要なのは、知識と度胸。

なにより時の運だ。

運を引き寄せるには『こいつは利益を出す』と他者から認知されるしかない。


――金だ。何と言われようと、俺には金が要る。


 アーヴィンは立ち上がり、船長室の棚を漁り出す。

探していたのは女に着せる服だったが、手頃な服は見当たらず、目についた服を奪った。

服の確保をすると女の背後に立ち、被せていた外套をぐと、短剣を鞘から抜いて拘束を解いた。

女に服を着せると、その上にもう一度自分の外套を羽織らせ、フードを深く被せる。


 部屋の状態を元に戻すと、女には自分の後をついてくるように指示し、もと来た甲板の道を移動する。


波が出てきたのか、乗船した時より揺れが大きくなっていた。


 酔っ払いのようにふらつく女に、アーヴィンは手を貸す。

揺れる船内に馴れていないと、バランスを保つのは難しい。

人目のあるところで無様ぶざまに歩けば、船乗りじゃないと一発でばれてしまう。

 アーヴィン自身は支払いで貰った、シクロ銀貨六十枚分の重み(600g相当)を両肩に括り付けていたので、音を立てずに歩くのが厄介だった。



 甲板の喧騒が近づき、女を隠して船首のひらけた場所を眺めると、いきり立つベルカントが数人の船員をボコボコに殴っていた。

船首せんしゅの端には、すでに気を失った二人が倒れ、三人目は胸倉むなぐらを掴まれていた。

男は左の目元に青痣あおあざをこしらえ、口の端に血をにじませて「魔が差したんだよォ、許してくれェ」と哀願あいがんしていた。


その周りを他の船員たちが取り囲んで騒いでいる。

アーヴィンの前にいた船員が


「見張りがいなけりゃ、犯すにきまってんだろ」


と悪態をつき、隣の男が


「早く気づいてたら、俺も混ざったぜ」


と抑えた声で呟いた。野次馬の中には


「あーくそ、女抱きてえ。上陸してぇよぉ」


と聞こえよがしに言うやつもいた。


 ベルカントより先に戻っていたファニスは、帆柱マストに寄りかかり、つまらなそうにながめている。


 アーヴィンが船縁ふなべりから外の船底を覗き込むと、縄梯子付近の海面から離れた場所に、来たときの舟影が浮かんでいるのが確認できた。


アーヴィンは背後の女を振り返ると、唐突に問いかけた。


「体は丈夫じょうぶか?」


「……? たぶん」


何のための質問かわからない女は、曖昧あいまいに返事をした。

アーヴィンはそうか、と答えると


「振り返らずに縄梯子まで歩け。あまり物に掴まるな」


と耳打ちし、喧騒けんそうの輪を作る船員たちの背後を歩かせた。

アーヴィンも間を空けて歩き出すと、背後から声が掛かった。


「アーヴィ~ン」


――ファニスか。目ざといな。

アーヴィンは舌打ちしたい衝動に駆られるが、くっと堪える。


「さっきはごめんねぇ。あんなことになるなんて驚いちゃってさぁ」


背筋に冷たさを感じながら振り返るアーヴィンに、ニコニコしながら近寄ってきた。


「船長があんなに短絡的だったなんて、ねぇ? ……もともと足らない奴だと思ってたけどさ」


アーヴィンが襲われた時、ファニスは目を輝かせて見てただけで、その様は血に飢えた獣のように見えた。

少年の言葉には釈然としないが、その場を離れたいアーヴィンは一点の曇りのない笑顔を貼り付けた。


「お前はここの乗組員なんだ。仕方ないさ」


ここで焦った顔をして『お前にとりなしてもらいたかった』と反応したら、彼との距離は縮まるのかもしれない。

だが、妖しげな雰囲気を感じさせるこの少年には、アーヴィンは極力近づきたくない。

本能的な忌避感が拭えない。


「意外だったよぉ。アーヴィンがあんなにできるなんて」


アーヴィンも仲間になっちゃえよ、と誘うような目つきでつぶやいた。


「海賊を相手に商売する以上、ある程度覚悟はしてるつもりだ」


「そおかぁ。ますます気になっちゃうなあ」


少年は微笑みながら顔を寄せる。

身を硬くしたアーヴィンの耳元で「でも泥棒はいただけない」と低くささやいた。


顔を離したファニスの唇には微笑みを浮かべているが、目は笑っていなかった。


 アーヴィンは後ずさり船首を振り返ると、女は縄梯子を掛けた船縁まであと数歩という距離にいた。

静かに脱出することが無理だと悟り、女の元に走ると、異変に気付いた船員達がアーヴィンに注目し、騒ぎ始める。

ファニスがゆっくり近づいてくる。


 焦るアーヴィンは、女を肩にかついだ。

急に担がれた女は「きゃっ」と短い悲鳴を上げる。


その声を聞いた船員たちが「女だ」「女の声がするぞ」と色めき立つ。

騒乱そうらんの輪の中にいたベルカントが、アーヴィン達の騒ぎに気付き、野次馬を押しのけてやって来た。


「そいつは しょうひんだぜ」


「ああ。不足分をいただく」


「だめだ」


血管の浮き出たベルカントの太い腕が、担がれた女に伸びる。

アーヴィンは彼の腕を逃れ、船縁に腰をかけると、女を担いだまま後ろ向きで上体から海に落ちた。


 なんだ、あの野郎! と甲板はまた騒がしくなり、船員たちは思い思いに油燈カンテラを持ち出し、暗い水面みなもを照らす。

数人の船員が急いでクロスボウを持ち寄り、海面に向かって射ると「やめろやめろ! 矢の無駄だ」と他の船員が声を上げ、早々と見切りをつけた。


五月のエーゲ海は寒いぜエゲディネジマイェスアイェンダハラソーク


ベルカントがファニスの隣に立ち、リクラフルス語トゥルクメニキで呟く。


あの奴隷、そんなに価値あったのかなオカドゥンオカダーデアーリム?」


僕よりも、と末尾に加えると、ファニスは口の端を歪ませてベルカントを見上げた。

少年の紫の瞳は険しく光り、妖しさを増していた。


「……さあな」


ベルカントはため息を吐くと、船首にまとめた違反者たちの元に戻った。



「あの、船長はいないんスか?」


 拘束する縄を持ってきた船員が、ベルカントの向かいでおずおずと口を開く。

ベルカントの手が止まる。


「俺、呼んできます」と勢いよく甲板を駆け出す船員の横を、入れ替わるように別の船員が、息を切らしてやってきた。


「船長が倒れてます!」


 その場にいた船員たちから「はぁ?」と呆けた反応が拡がる。

他の船員が続きを促すが「襲われて……ました」とだけ言って彼は口ごもってしまった。

言いずらそうにする船員を横目に、ベルカントは他人事を装って船長室に向かう。

開かれた扉を覗くと、彼の想定とは違う光景が目に飛び込んできた。


気を失った船長は、裸にかれてしなびた局部を晒していた。

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