第3話 海賊(2/6)
「あーれぇ? アーヴィンじゃ~ん」
蒸留酒を持った腕が背後からのしかかり、赤毛の男――アーヴィンの首に絡む。
後ろから身体を寄せる少年の毛先が、アーヴィンの頬にはりつく。
「ファニス! 上機嫌だな」
ファニスと呼ばれた少年は顔を
彼の身体は線が細く、いまだ成長途中の十代後半であることを思わせる。
柔らかな曲線を描く
長い睫毛に縁どられた切れ長の眼からは、紫の瞳が熱に潤んだように妖しく輝く。
小さくぷっくりとした唇。酔いで上気した薄紅の頬。
その絶妙なバランスが、女と見間違うほどの優美な顔立ちを作っている。
アーヴィンはこの船を訪ねるたびに思うことだが――
ファニスはアーヴィンに対して愛想が良いが、今夜は特に機嫌がいいようだ。
「夕刻にいい
「
「そうそう。今日はタシトゥールの姫さんが、セルダニア王室に嫁ぐってんで、豪華な
「な……っ、王家の船を狙ったのか?」
王家の船と聞いて顔をしかめたアーヴィンに、ファニスは吹き出した。
「そんな危ない橋は渡らないよ。王室の船は直接セルダニアには向かわず、中立国のイージェプタに行くしさ。王室の船が見えなくなるまで見送ってたらさ……」
「見送ってたら?」
なにが飛び出すかと気になるアーヴィンが、食い気味に
その様子にファニスは気を良くし、
「花嫁行列の後に、隠れるように出てくるボロい船があってさぁ! あぁ、こいつら警護もまともに雇えない、おんぼろ商人なんだろうかって思ったんだけど。王家の行列の後ろを
「王家とは関係ないボロ船が、
からかい半分に襲うとは。やはり彼らは常人と違い、頭のネジが抜けてるな、とアーヴィンは内心呆れた。
「そそっ! 襲っても王室の
そんなことがあるものか? とアーヴィンは
「それはついてたな」
「あとさ、何人か
「奴隷か」
アーヴィンは奴隷と聞いて肩をすくめた。
現在の少なくなった世界人口では、低賃金または無償で働く労働力の確保は、最重要課題である。
アフリカ大陸だけでなくユーラシア大陸全体でも、民族間の争いの中で常に奴隷や傭兵の確保が行われている。
「地味に装ってる船ほど、怪しい商いに手を染めてるって確信したよー!」
「なるほどな。確かにそうかもしれない」
船を派手に装えば、海賊に標的にされることなど火を見るよりも明らかだ。
王家の船や、自衛に自信がある豪商でもない限りは、目立つ船には乗らないのが普通だ。
運の悪い商船は、華々しい王家の威光にただ乗りする作戦が、仇となってしまったらしい。
「そういうわけだから、僕たちは臨時収入により酒盛り中」
「それは結構だな。そんなところに邪魔してしまって、申し訳ない」
ファニスはひとしきり話すと欲求が満たされたらしく、アーヴィンの様子に関心を持った。
「アーヴィンはどうしたの?」
「俺はいつもの『安定剤』を持ってきた」
『安定剤』とは麻薬のことだ。
命を懸けて仕事をする彼らは、明日の見えない不安や死の恐怖を乗り越えるために、酒や食事と同じくらい麻薬の常用が欠かせなかった。
「お、いいね! アーヴィンの薬は効きが良い上に悪酔いしにくいから助かるよ!」
「だが先月分は前金だけで、残りを貰ってないんだ」
アーヴィンは困ったように眉を下げてファニスを見つめる。
ファニスは「それは大変」とわざとらしく声を上げると、アーヴィンの二の腕を触った。
「ごめんよ。船長に伝えるからさ」
僕がキツく言ってあげようか、とファニスはつけ加える。
「ところでさ、……アーヴィンは女に飽きてるの? ……それとも、別の
ファニスの絡ませた腕はわずかに力がこもり、紫の瞳が妖しくアーヴィンを覗き込んだ。
「女に限らず良好な関係には金がかかるだろう。金のかかる
「愛は嗜好品……か。ずいぶん
アーヴィンは少年の肩に手をかけて身体を離すと、目尻を下げた柔らかい笑顔を浮かべたまま、静かに切り出した。
「船長はどこに?」
「船長室で金勘定してるはずだよ」
まだ何か言いたそうなファニスに「ありがとう」と朗らかに礼を言うと、アーヴィンは一人甲板を歩き、
ここの船長は酔って寝ていなければ、たいていは怒鳴り声を返してくる。
しかし、船室からは何の反応もなかった。
「すみません! 先月分の薬代をいただきに参りました!」
声を掛け、もう一度扉を強く叩いたが、無反応だった。
アーヴィンは木製の扉に耳を寄せ、中の音を聞いてみる。
不規則になにかが擦れる音と、妙な声が聞こえた。
人のいる気配があるので、中にいるのは確実そうだった。
――あえて無視しているのなら、何か不都合があるのかもしれない。
さて、どうしたものかと考えていると、先ほど通った甲板の通路から、後を追ってきたファニスが見えた。
「アーヴィ~ン! どぉ、会えた?」
少年が快活に声を掛けてくれたので、アーヴィンは困った顔で首を振った。
ファニスは「任せて」と目くばせして
「せんちょお! 集金だよ!」
と言うと、内側から鍵の掛かっていた扉を左脚で
横にいたアーヴィンは『そんなのありか!』と衝撃に目をひん剥き、表情筋を
ファニスは頭と口がよく回り、船員の中でも珍しく字の読み書きができる。
船長の処務を代わりにこなせるほど、能力もある。
管理や交渉なんかの右腕として活躍しているが、実際はその
船長相手に
ずかずかと入り込むファニスの鼻先に、生々しく甘酸っぱい香りが掠めた。
熱の
「はぁあッ?」
少年の顔から笑みが消え、鋭い
それを聞いたアーヴィンの肝は一気に冷え、何があったかと恐るおそる覗き込んだ。
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