37. お引っ越しと、2人だけの秘密のバレンタイン 第2幕

 スーパーでのお買い物を済ませて、櫻子のお部屋に帰ってきた。

 櫻子は自分の食料品を冷蔵庫にしまっている。

「じゃあ早速、始めますね。台所、お借りします。」

「ええ。楽しみにしているわ。私、何か手伝うことある?」

「櫻子はゆっくりしててください。私からのバレンタインですので!」

「ふふ。じゃあ、テーブルの上を拭いてお菓子を並べてるわ。

 果物を盛り付けるお皿とチョコを溶かすお鍋2つも用意しておくわね。

 それが済んだら、テーブルのそばで本でも読んで待ってるわ。」

「櫻子のおうちだからそうなるとはいえ、櫻子にいろいろやらせちゃって申し訳ないです。」

「ううん。気にしないでいいの。貴女とこうして過ごしたくてこのお部屋を選んだのですもの。今日は2人で楽しみましょう?」

「誰の目も気にせず2人っきりなんて初めてです。櫻子のおかげです。美味しいチョコ、作りますね!」

 包丁とまな板を借りて黒と白のチョコを刻み、2つの鍋に入れて生クリームと混ぜ、2色のガナッシュを作る。白のガナッシュをさらに2つに分けて片方に抹茶を混ぜ、緑のガナッシュを作る。親に頼んで買ってもらった製菓用ホワイトラムをほんの少し忍ばせる。

 3色のガナッシュが出来たら、果物を切る。苺、バナナ、キウイ。

 櫻子が出しておいてくれた白いお皿に果物を盛り付けて、3色のガナッシュと共にテーブルへ運ぶ。

 タルトカップ、ビスケット、鈴カステラ、マシュマロ、ウエハース、アーモンド、クルミは既に大皿に出されていた。

 ポテトチップスとクラッカーも別のお皿に盛りつけられている。

 私の持ってきたハート型の陶器と竹串も置かれている。

 ガラスのおしゃれなポットには紅茶が淹れられていて、その横には同じくガラス製のカップとソーサーが2セット並んでいる。

 甘いお菓子がのった大皿の傍らに、ナッツチョコケーキの乗ったお皿がある。櫻子が作ってくれたナッツチョコケーキだろう。

「櫻子! もうこんなに綺麗に並んでるし紅茶まで!」

「甘いものがいっぱいだからとりあえず砂糖は出してないわ。要る?」

「砂糖は要らないです。こんなにお菓子が並んで、まるでパーティーみたいです!」

「うふふ。私の作ったナッツチョコケーキも出しておいたわ。美味しいといいけれど。」

「きっと美味しいです。 そろそろ食べ……あ、食べる前に写真撮っていいですか? このパーティーみたいなテーブル。素敵なので記念に残したくて。」

「ええ。私も撮るわ。誰と食べたか言えないからこの写真も秘密だけれど。」

「2人の秘密で充分です。櫻子とこんな風に過ごせるだけで私は幸せです。」

「本当に、貴女はいい子だわ。」

 それぞれスマートフォンで写真を撮って残す。

「それじゃあ……いただきます!!」

 櫻子が竹串に刺したマシュマロを抹茶ガナッシュにくぐらせ……私の口元へ出してくる。

もちろん、私は櫻子が出した抹茶ガナッシュがけのマシュマロをそっと食む。

 櫻子の顔が幸せそうで、私はこの櫻子の顔を見ただけで満たされてしまいそう。

 私も櫻子にミルクチョコガナッシュをくぐらせたバナナを差し出して、櫻子が口で受け取ってくれる。

 チョコ掛けバナナを食みながら唇からチョコを少し垂らし、それを舌で舐めとる櫻子は私の心のどこかを刺激してくるのか、私はぞくぞくしてしまう。 

「美味しいです。あーんしてくるときの櫻子の顔が可愛くて、それだけで今日この計画してよかったなって思えます。」

「琴葉のガナッシュ、甘くてとろとろで美味しいわ。ありがとう。こんな素敵な時間を考えてくれて。」

「櫻子が一人暮らししてくれたから出来たんです。……二人暮らしになっても、やりましょうね。」

「もちろんよ。……ねえ、私のケーキ、どう……?」

 櫻子がナッツチョコケーキを手でつまみ、私の口元へ持ってくる。ナッツチョコケーキと一緒に櫻子の指へ唇が触れて、私は一瞬しびれたかのようにどきんとしてしまう。

「甘すぎなくて美味しいです。ほろ苦い……ココア! って味です!」

「ありがとう。嬉しい! 砂糖控えめココア多めにしてみたのだけれど、美味しいなら何よりだわ。」

「また食べたいです。」

「うふふ。来年もまた作ってあげるわ。来年は……貴女が受験なら、差し入れしてあげようかしら。」

「受験……。私、どうしたいのかよくわからないです。」

「じゃあ……琴葉は何が好きかしら? 何をもっと、知ってみたい?」

「音楽……と言っても音大に行きたいわけじゃないです。そこまで熱意があるわけじゃないというか。」

 目の前の櫻子を見て私は思った。じゃあ、櫻子はどうして先生になったのだろう?

「逆質問しちゃいますね。櫻子は……どうして先生になったんですか?」

 ! と、櫻子は少しはっとしたように目が少し大きくなる。

「ん……私は親も先生だから。その影響は大きいと思う。

 でも、司書資格を取ったのは私だけ。

 私の親は、父が政治経済の中高教諭で母が小学校の教諭。

 そんな家だから親はあまり構ってくれなくて、小さい頃から家でずっと本を読んでいたり、学校に行くようになったら学校の図書室や市の図書館に籠って本を読んでた。

 そのときに司書の先生が優しくて、図書室が大好きになって。

 だから私は、あのときの先生みたいに素敵な図書室を作りたい。

 そう思って国語教諭と司書資格を取って今に至るの。

 昔、先生になりたての頃に、配属されたところが荒れた学校でそこの生徒達に散々舐められて。その時の私は、とにかく厳しくしなくちゃと必死だった。

 気がつけば、学校にいる私は笑えなくなっていた。

 今の貴女達にそこまでする必要は無いってわかってはいるけれど、トラウマになってしまって、授業になると『自分は厳しい先生だ』と武装してしまうの。

 でも光北高校でやっと図書室を任せてもらえて。やっと私の夢が叶えられる。

 私の夢は優しい司書の先生だから。ここでは厳しい先生である必要なんて無い。

 あの図書室は私の夢が叶った場所でもあるの。」

「……そうだったんですか……。櫻子も、図書室にずっと居たんですね。今の私みたいに。」

「ええ。つい長く話してしまったわ。あの図書室は、私の一生の宝物。私の夢が叶った場所で、琴葉と結ばれた場所。」

 言いながら櫻子が私を見つめる。

「琴葉。ずっと一緒にいてくれる?」

「もちろんです。」

 その証明、という意味も込めて私は櫻子の唇を食みにいく。

 ほんのりと感じるチョコの味に重なって、私と櫻子は糖蜜のように蕩け合う。

「私は、櫻子のそばに居たいです。」

「……琴葉と暮らせるのを待っているわ。貴女がどんな道を選ぶにしても。」

「櫻子。私も……貴女と生きたい。」

 今の私にはたくさんの選択肢がある。目の前の果物やお菓子のように。

 櫻子。私の傍に居てください。

 まだ私は迷ってしまうから、傍で支えてください。


 甘いキスと甘いチョコフォンデュに、ほろ苦いナッツチョコケーキが調和する。

 そんな素敵な時は、テーブルのお菓子が無くなっても、2人でいる限り続いた。


 食後のカロリー消費とばかりに、櫻子と私は会話を弾ませながら引っ越しのダンボールを開けて片付けを進めた。

 食器棚に納める食器は、殆どがペアのものだった。

 

 ちょっとだけ残ったダンボールと、夕焼けと夜のグラデーションに染まった窓をを背景に、櫻子とキスをして、私は櫻子のお部屋を後にした。

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