9. 恋心は甘い調べに誘われて 4
体育館のステージにて、発表前日のリハーサルが始まった。
『水辺に願いを』の最後の練習の最中。私は通し練習でソロを吹く。
「清永、音だけ聞く分には申し分ない。お前のソロは合わせやすいし、音程も安定している。ただな、目が笑ってない。何があったのか知らんが、せめて楽しそうに吹いてくれ。」
「はい。」
とりあえずの返事。明日までにこの気持ちに、ひとまずでもいいから整理がつくかしら。
リハーサルが終わった頃には19時を回っていた。この時間まで活動が許されるのは本番前日だからで、終わり次第帰宅しなければならない。受験対策のため残っている3年生でも、このくらいの時間には先生に声を掛けられ帰宅を促される。
音楽室に戻り楽器を片づけていると(※防犯上、体育館に置きっぱなしは出来ないため。パーカッションやチューバのみ置いたまま。)千利が話しかけてくる。
「琴葉、何があったか知らないけれど、でも大体察しはつくけど、私で何とかなることなら言ってくれよ?」
やっぱり鋭いな。いや、付き合い長いのもあるか。
「ありがとう千利。でもここだと話したくないな……。」
ふと、思い付きで図書室のほうを見る。音楽室と職員室のある棟は同じで、向かいの棟の図書室は音楽室から見えるのだ。図書室には、明かりがついていた。
「ごめん、千利。行きたいところがあるの。でも、途中まではついてきていいけど、そこに着いたら一人にしてほしい。」
「やっぱりか。だいたい想像はついてるさ。そんなとこまでご同行は野暮ってもんだろ?」
「もう、千利には死ぬまで勝てる気がしないわ!」
「琴葉はわかりやすい。顔に書いてあるって言葉がこれ以上に似合う奴はいないと思うぞ。」
「ううう。ああ、時間がどんどん過ぎてく。じゃあ、図書室行こう。」
千利と私は、図書室へ向かって歩き始めた。音楽室から図書室への経路を半分ほど過ぎ、私と千利以外の吹奏楽部員に話を聞かれる恐れが無くなったところを見計らって話を始める。
「千利、『水辺に願いを』を吹いてると…藤枝先生が頭をよぎるの。最初のほうの合奏練習の時、この曲は好きな人がどうこう言われて、私がぼーっとしてたことあったでしょう。……実はあの時、どれだけ考え直しても藤枝先生しか出てこなくて。むしろ藤枝先生以外考えられなくて。でも……恋なんて普通は異性とするものだし、ましてや年上の先生だなんて……。でも、先生のことを考えてるときも、一緒にいるときも幸せで。……でも、私が先生のこと好きだなんて、怖くて言えない。どうなるかわかんないもの! ……これ、他の部員……というか誰にも話さないで。もちろん、藤枝先生にも。」
「やっぱり思った通りだ。図書室に入り浸ってるのも藤枝先生、今から図書室に行くのも藤枝先生に会うため、と。」
「その通りよ。さっき図書室のほうを見たら明かりがついてたから、こんな時間までいるのは先生しかいない、二人で話せると思って。気持ちにけじめがつくかどうか、わからないけどとにかく何か話したらすっきりするかもしれないと思って。」
「全部予想通りだったよ。付き合い長いからか? それなら、琴葉が私に話せることは全部話しただろうし、私が参加できるのはここまで。あとは自分で何とかするしかないだろうな。もう図書室が見えてきてる。じゃあ私は帰るさ。明日はいい演奏しような。」
「うん、ありがとう。千利が友達で、よかったよ。」
「これで12年目か友達やってるのは。改めて言われるとむずむずするな。んじゃ、良い方向へ向かいますように、と。」
千利は来た道を引き返し帰っていった。ありがとう、千利。まずは明日の演奏のために、ひとまずの気持ちの整理をするんだ!
私は図書室の扉を開け、入っていった。
図書室に入ると、予想通り誰もいなかった。司書室のほうからがたがたと椅子を後ろに引いたような音がする。そして司書室の窓から顔を出したのは、期待通り、藤枝先生だった。
「あら。今からそちらに行くわね。」
司書室の窓から呼びかけられ、しばし待機する。すぐ、司書室から藤枝先生が出てきた。
「こんな文化祭の日にも来るなんて。一応、立場上言わなければいけないことは言うわね。早く帰りなさい。……でも、わざわざこんな時間にここに来たってことは、よっぽど何かあるのでしょう。」
「……うーん。はっきりと何かがあるわけでは無いんですけど……。はい、明日のことを考えてたらなんだか緊張してきちゃって。先生に元気をもらおうと思ってきました!」
嘘は言っていないが真実を全部話してはいない。
「あらあら。」
「先生。私、先生といるときが一番元気が出るんです。国語の授業も。先生が笑ってると、私も嬉しくて。だから……明日の演奏で、先生が喜んでくれたら、私も嬉しいです……。」
言える範囲のことは言う。しかし、そこまでしか言わない。
「……なんだか、今日の貴女はいつもと様子が違うわ。なんだか、思い詰めているような。……考え過ぎると身体も頭も心も固くなっていい演奏は出来ないと思う。あら、このセリフ、いつか貴女に言ったような気がするわ。」
覚えている。あれは……。
「コンクールの前にコッペリアの本を借りに来た時の話ですね。」
「あの時よりも、貴女の顔が固くなってるの。清永さん……。言えないことなら無理には聞かないけれど、何か悩んでいることがあるなら、私で力になれるなら、打ち明けてほしいわ。生徒を助けるのは、教師としては当たり前の仕事だけれど、そんなこと関係なく……貴女が苦しい顔をしていると私も辛いの。」
一番言いたい、
駄目だ。いつまででもこれでは、むしろ先生との関係が悪くなってしまいそう。
いつかは……貴女に言うべきなのか。私が、貴女を、好きだと。
とてもじゃないけれど、今は覚悟ができない。臆病者め。
「ごめんなさい。先生。今は、言えません。」
「……そう。いつか、話してくれると嬉しいわ。」
先生は悲しそうに言う。
「……先生。時間をください。準備ができるまで。」
「……わかったわ。」
そんな覚悟、できる日が来るのかしら。
「それでは先生、そろそろ帰り」
「待ちなさい!!」
帰ろうとしたら、先生に止められた。
「はい?」
「……このまま貴女を帰すわけにはいかない。これは教師としてではなく個人的によ。……貴女は明日、文化祭で大勢の前で演奏する。そんな気持ちで……人を楽しませることができるのかしら? この場で貴女を無理に問い詰めることはしないけれど、問題の先延ばしでもいいから、貴女の心を晴らしたい! 私に聞いてもらいたいって、わざわざ宣言したのなら、それくらいの
藤枝先生が珍しく強い口調で話す。目もカッと開かれ私を見据えている。
藤枝先生が、私だけを見ている......! 下手したら授業の時より圧がある。
こんなに真剣な藤枝先生、初めて見た。
「……そうです。私が先生に宣言しました。私の演奏を聞いてほしいって。悩みのことについては、準備が出来たら言います。今は、先生と一緒にいられればそれでいいです。もう大丈夫です。明日が楽しみです!」
先生に迫られて、吹っ切れた。告白は、いつかする。ただ、準備と覚悟をしっかりしてから。そうなれば、今考えるべきは明日の演奏だ。明後日は先生に喜んでもらうことだけを考えよう。
「ふふ。いつもの清永さんになってきたわね。明日は
補足であるが、
「はい! 楽しみにしててください!」
もう後戻りも、演奏の失敗も許されない。私がすべきことは、笑顔で明日のソロを吹ききることだ。もちろん、それ以外の演奏もだが。
「では、帰ります! さようなら!」
先生に挨拶をし、私は図書室を後にした。
後はもう、明日を迎えるのみだ。
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