二十一之巻、天下分け目の勝ち戦(いくさ)!(中篇)

 月を背に、来夜らいや巴宇ぱうと対峙していた。覆いかぶさるように見下ろす巴宇ぱうを、きっとにらみつけて、


巴宇ぱう、俺に勝ったってマルニンの頭目には返り咲けないよ。粛も金兵衛も円明まるあきも、あんたなんかにゃ絶対従わない」


「力で従わせるまで」


 巴宇ぱうの声は夜空に低くこだまするよう。


「ふん、盗み屋に必要なのは戦の技じゃねえ。盗みの妙技よ。あんたはそれで俺に負けたんだ。それを男らしく認めなよ! それも盗み屋に大事な気概きがいってもんだ」


「笑止!」


 偉そうに豪語し、右の親指を来夜に向けて構える。


「そーゆうみみっちいあんたの態度に、あんたを目指して盗み屋になった俺は失望してんだぜ?」


 親指の爪の間から金色の縄が走る。触れるものを灼き尽くす、超高温の光線は巴宇ぱうの手の動きに従い波打ちうねり宙を舞う。来夜は飛んで身を沈めて体をひねり、かわし続ける。


「甘いな」


 巴宇ぱうの嘲笑と共に、左の親指からも光が放たれた。


 屋根の上でかろやかにつまさきで飛び、よけながらも、来夜の額に焦りの汗が浮かぶ。


「痛っ」


 足首に熱を感じて均衡バランスを崩し、思わず瓦に両手をついた来夜の頭上を、飛びすぎたものがある。続いて巴宇ぱうの首を狙って――


 だがその正体を確かめる間もなく、来夜は屋根を転がり落ちた。墜落すると思ったとき、窓から両腕を伸ばして受け止めた者がある。


「金兵衛!」


「旦那。捕り方たちが来たようです」


 来夜と巴宇ぱうを狙ったものは、鉤縄かぎなわだったようだ。


「旦那、怪我しなすってるんで?」


 焦げた脚絆きゃはんに気付いて頓狂とんきょうな声をあげる。


「てぇしたこたぁねえ」


 お萩は屏風を引き寄せ二人の姿を隠すと、入り口でふるえている禿かむろに、


「そこを閉めてくんなんし」


 と、目で襖を示す。


「すまねえな、お萩さん」


 言いながら来夜は左足をさすっている。かすっただけと思ったが、しっかり火傷を負っている。金兵衛と二人、身を低くして屏風の向こうから見えぬよう、窓の外からも見えぬよう、膝を抱えた。


「原亮警部が来んしたえ」


 窓から下を見下ろして、お萩が報告する。


「やばい」


 来夜が小声で呟くと金兵衛も、


「今回は見逃しちゃあくれねえだろうなぁ。夜中に忍び込んでちゃあ」


幡屋まんやさんのいる座敷に向かってたわけだしね」


 来夜はふと、自分の声と重なってふぁしるの声を聞いたような気がした。口をつぐんで耳をそばだてる。


(なんでここに――)


 と胸の内で呟いたとき、外で原亮警部も同じ問いを口にした。


「なぜここへ来られたのです!」


 とがめるような強い口調。それに対するふぁしるの声は、いつも通り低く、二階までは届きにくい。「来夜が現れたのだろう?」


 ぎくっとして、二階の二人は顔を見合わせる。


「敵が一人増えちまったか」


 苦笑いする金兵衛。だが続いて聞こえた亮警部の悲痛な呟きは、その予想に反するものだった。


「ついに敵となりましたか」


「そのようなお顔をなされるな。互いの実力がどれ程のものか、楽しみではないか。私は修理屋ふぁしるとしてでも、女としてでもなく、一人の人間としてあなたに感謝している」


 ふと沈黙が下りたような気がした。だがすぐに、ふぁしるは楽しげな声で宣言した。


「さあ、梅乃屋に一歩足を踏み入れたときから、私とあなたは敵同士だ。私が先にゆかせてもらうぞ。それでは健闘を祈る!」


 お萩は窓から身を乗り出して、


「おや修理屋さん、駆け込んで来んしたわ。それにしてもあの方、女でありんしたそうな」


「みてぇだなあ」


 金兵衛も、打ち掛けに抱かれた情けない姿のまま、感心したような声を出す。


(どういうことだ、ふぁしる)


 だが来夜は何か、しっくりゆかないものを感じていた。


「警部殿、今の女もしや修理屋ふぁしるじゃねえですかい?」


 聞こえる声は、部下の一人のものだろう。


「そうだが? 奴も捕らえてよいぞ。いかなる商売をしているものか、事情聴取せねばならぬからな」


 亮警部はあっけらかんとしたものだ。人を食った返答をけろりと返す。


 その時からりと襖が開いた。いかつい捕り方数人が、目をいからせている。


「ここに槻来夜つきらいやがいるだろう! 窓から飛び入ったのを見ていたぞ。いさぎよく出てこねえか!」


 ためらわず立ち上がろうとした来夜の半纏はんてんをお萩は強く引いて、


「おやめなんし。その怪我じゃあ思ったようにゃぁ行きんせんから」


「それじゃあここに隠れてろってか? そんなわけに行くかい! 奴らは、金兵衛までここにいるのは知らねえんだ。俺が出て行かなけりゃあ金兵衛だってみつかっちまうし、俺たちをかくまったとががあんたにまで及んじまう」


 早口にまくし立てるとあとは誰が止める間もなく、すくっと立ち上がった。


「盗み屋マルニン二代目頭目槻来夜つきらいや、ここにあり! 逃げも隠れもしねえ、かかってこい!」


 叫んで屏風を飛び越えると捕り方たちに突っ込んでゆく。鮮やかな身のこなし、とても火傷を負っているとは思えない。


「旦那ぁ~~」


 金兵衛は屏風の陰から情けない声を出す。「こ、こうしちゃいられねえ」


 立ち上がろうとすると、


「おやめなんし」


 お萩がぴしゃりと言った。「金さんは折角みつかっていないんだえ? ならばそれを利用しなんし」


 かわいい顔して、なかなかきれるようだ。


「で、どうしたらいい」


 情けないのは金兵衛だ。お頭が捕り方たちに囲まれて、脳みそがほとんど機能停止している。


「金さんはどんな技使うんだえ?」


「敵の急所めがけて爪を飛ばしたり、伸ばした指で敵をぐるぐる巻きにしたり。でも今日は、体の部分パーツを戦闘用に取っ替えて来なかったんだぁ」


 思わず泣き顔になる金兵衛の頬を、両手でやさしく挟んで、


「そんなお泣きにならないでおくんなんし。わっちのかんざしがありんす。これを投げればようすよ」


「ううっ、ありがとよぉ、お萩ちゃん……」


 生身で盗みに入ったおまぬけな金兵衛は、えんな仕草で簪を抜くお萩を、涙目で見上げている。


 そして――


「うりゃっ」


 屏風の上から投げた簪はひゅんと飛んで、手近な捕り方の首元に突き刺さ――ると思いきや、彼は前にいる来夜の攻撃と共によけてしまった。


「ああ、旦那に当たっちまう!」


 金兵衛が思わず目をつむったとき、来夜の後ろで十手が振り上がる。風の唸りから察して身をかわす来夜。そして簪は十手を振り下ろした男の股間に突き刺さった。


「うぎょわぁぁぁっ!」


 男の悲鳴に一旦戦闘中止。


「どうした?」


 仲間の問いかけに、


「じ、じ、十手が変なところを突きやがった」


 すこぶる嬉しい勘違いをして、男は廊下に走り出て階段を転がってゆく。


 捕り方たちがふと我に返ったとき、もうそこに来夜の姿はなかった。


「役に立てた! 旦那の役に立てたぞ、お萩ちゃん!」


「ようしたねえ、ほんにようしたねえ」


 屏風の後ろで二人は泣き笑い、抱き合って祝福しあった。

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