二十一之巻、天下分け目の勝ち戦(いくさ)!(前篇)

 引け四つの拍子木と共に、梅乃屋の表戸は閉まり灯りも消えた。大酒後の大いびきが漏れるふすまもあれば、暗い廊下へ一筋、行灯あんどんの明かりが漏れるものもある。きっと中では客と遊女が,小声で語らいを続けているのだろう。


 暗い廊下を抜き足差し足進んでゆく怪しい人影三つ。先頭の小さいのがひとつ、げふっと大きな音を立てる。


「こんなときにげっぷなんて、よしてくんなせえよ、旦那」


 すぐ後ろのやせた男がささやいた。「やっぱり多かったんじゃねえすか? うな重」


「こんなとこまで来てうるさい奴だな。ちゃんとお前にも分けてやったろうが」


「そいつぁ飯だけじゃねえすか。具でさぁ、具」


「馬鹿二人、食い意地張って忍び込み、盗み屋ならぬ、飯屋なりけり」


 一番後ろからのとぼけた声に、


「何訳分かんねえこと言ってんだよ、おめぇさんこそ、盗み屋ならぬボケ屋じゃねえか」


 金兵衛とおぼしき男までが訳の分からぬことを言う。ここに平粛たいらのしゅくがいないのは、空き巣狙いにあった反省からだろう。


「旦那ぁ、暗くてほとんどなんも見えねえんですが、ちゃんと花魁おいらんの座敷に向かってるんですかい?」


宴小町うたげこまちの部屋はすぐそこだ」


 だが答えたのは先頭をゆく「旦那」の声ではなかった。「お前らにゃあ、たどりつけまいがな」


 不敵な笑い声に、天井を仰ぐ間もなく三人は三方向に転がった。


 数発の指爆弾が着弾した床には、穴が開いたはずだ。闇の中、うっすらと煙が上がる。


金巴宇こがねぱう! こんなとこで何してやがる。クサイめしがあんたを待ってるぜ!」


「余計なお世話だ、来夜らいや。今夜は幡屋まんやの若旦那がこの店へ来ている、お大尽目当てにコソ泥らしくお前も来ると待っていたが――予想通りだったな」


 貧乏人は火傷しても骨折しても自分の手足で頑張らなければならないが、金持ちは気まぐれやお洒落で手足を交換出来る。真珠のはまってる奴なんか持っていたりする上、遊里へはその取り巻きも来るから盗み屋にとっては絶交の機会なのだ。


 それに宴小町うたげこまちならば、万一盗み屋が忍び込んだと気付いても、来夜に免じて見逃してくれるかも知れない。


 天井に張り付いた金巴宇こがねぱうは、ふんと鼻で嗤って、


「仕事中まで鰻の話に花咲かせてるよーなガキに、俺の育てたマルニンを横取りされたままには、しておけないからな」


「仕事中って……」


 来夜は心底驚いた顔して、


「物色やら風呂敷詰め込みの最中じゃないんだから! 目的地に着くまでくらい、いいじゃんか!」


「もっと悪いわぁぁ! 人んち忍び歩いてる最中に、どうしてお前はそんなにキンチョー感ねえんだよ!」


 思わず昔の習慣で説教はじめる巴宇ぱうに、来夜くるりとケツ向けて、


「そいつぁ男の余裕――必殺! 烈臭れっしゅう煙幕えんまく!」


 片手で腰までまくり上げたその下、ふんどしの両脇からぷしゅーっともれる黒い煙。


 巴宇ぱうは悪臭と黒煙にむせびながら、


「己の台詞の途中で攻撃、それも俺の伝えた極意の技だったな、来夜!」


「ふっ、藍よりいでて藍より青し! 逃げろ!」


 元来た廊下を指差し、暗くてほとんど何も見えない金兵衛、円明まるあきを踏み越え、中庭の見える窓の所まで走ってゆく。黄金きんの瞳を持つ来夜は暗闇でも目が利くのだ。


「旦那! 待ってくんなせえ!」


 慌てる金兵衛の横で、からりと襖が開いた。


「何者だえ、お前さんたち」


 気丈な番頭新造が、高々と手燭をかかげて、天井の金巴宇こがねぱうを照らし出す。


「危ねえ!」


 彼女を部屋の中に押し倒した金兵衛のすぐ横をすべるようにして、金巴宇こがねぱうは来夜を追いかける。そうはさせじと羽織の裾を握る陶円明すえまるあき巴宇ぱうは焦らず動じず羽織を脱ぎ捨て、来夜を追って屋根の上に舞い上がった。追って窓に足をかけた円明まるあきは、ふと階段の方に目をやってぎょっとした。揺れる御用提灯先を争い、大挙して迫ってくる。


「もう着いたのか?」


「我ら幡屋まんやの旦那が花魁おいらんを揚げたと聞いて、潜んでおったのだ! 案の定、お前らがやってきた。おとなしくお縄を頂戴致ぁぁっせ!」


「ひえっ」


 円明まるあきは慌てて、二階の窓から中庭へ飛び降りた。


 部屋に転がり込んだ金兵衛はと言うと――


 番頭新造から離れてふと顔を上げると、屏風の陰から手招きする、まだ幼さの残る若い遊女。


「おはぎちゃん!」


 こそこそ這い進む金兵衛を、打ち掛けの下に隠して、


「静かにしていておくんなんし」


「へいへい、すまんのう」


 こんなときなのに、思わずにやついて胸に顔を埋めると、ほのかに甘い匂い袋の香りが金兵衛を包んだ。

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