二十之巻、心の鎧、溶けゆきて(亮くんの恋愛大作戦!)

 虫の声に包まれた草深いいおりで、ふぁしるは金巴宇こがねぱうの氷のつぶてに当てられた患部の治療を終えた。治療しにくい場所も、はずして治せば簡単だ。


 亮警部は、鼓紋を用いて入ってくる部下からの報告に耳を傾けている。金巴宇は、追っ手を振り切り逃げおおせたようだ。事の顛末てんまつを確認すると、亮は悔しがるふうもなくふぁしるのためにたらいで手拭いを洗い始めた。元通り部分パーツを付け終えたふぁしるを見上げ、


「痛みますか?」


「いいや」


 首を振ると、長椅子に寝っ転がったおみさが、


「良かったねぇ。ふにゃ~~ 気持ち~ 警部さん警部さん、ちょっと寝てもいい?」


「子供は眠くなる時間か」


 ふぁしるに意地悪言われて、ふくれっつらする。「違うよ、ちょっと横になるだけだもん」


 などと言っていたくせに、すぐに寝息が聞こえだす。亮警部はふぁしると目を見合わせてちょっと笑ってから、


「ふぁしる殿、今日のこと話して下さいますか」


 口調は警察の義務と言った感じだが目は真剣だ。


「何を話せばよい? 何を話せば、捜査の進展に貢献できるのだ?」


「まず、なぜ金巴宇こがねぱうは、あなたを呼び寄せたのですか?」


「それが金巴宇こがねぱうの逃げる先と、どんな関係がある?」


 亮警部は答えなかった。


 沈黙が落ちると、草廬そうろを囲む虫の声が一層鮮烈に聞こえる。日が高いうちは、蝉の声がこだましていても、月の下で歌う虫たちは過ぎゆく季節を教えてくれる。


「すまない」


 ふぁしるは苦笑した。「かたくなになるのは、もうよそうと思っていたのだが」


「では、話して下さいますね」


 誠意のこもったまなざしで、卓越しにふぁしるの腕を両手で抱く。思わず身を引こうとしたふぁしるに、亮は慌てて謝った。


「忘れていた。あなたは触れられるのが苦手だったんだ」


 だがふぁしるは首を振る。


「そんなのきっと嘘だったんだ。自分さえも騙していたけれど。金巴宇こがねぱうに触れられても、全然平気だった。あのときは敵を目前にして神経を張りつめて、『今』のことしか頭になかったから。『過去』に忠実になったり、必死で『自分』をつなぎ止めたり、そんなことは考える余裕がなかったから」


 訳が分からず困惑する亮に、説明しだしたのはふぁしるではなかった。


「にっぶいの、警部さん」


 いつ目を覚ましたのか、


「修理屋さん、ちっちゃい頃に男の子にいじめられて、だから男なんて大っ嫌いなんだよ」


「そうだったんですか」


 慌ててふぁしるに確認すると、おみさはそれ以上に慌てて、


「うそっ、修理屋さん、警部さんに話してなかったの? ごめん、二人がとっても親しそうだったから。初対面のあたしにでさえ打ち明けてくれた話だし、警部さんくらいの仲だったらもう絶対話してあると思って」


 長椅子の上に正座したおみさは、何度も頭を下げる。


 その早口にしばらくあっけにとられていたふぁしるだったが、


「いいよ、おみさ。今日は亮に話そうって思ってたから。いろんなこと」


「だぁってほらぁ、下の名前で呼び合ってる仲だしぃ」


 いま|激謝げきしゃしていたくせに、すぐからかいだす。ふぁしるは頬を紅潮させて、


「この人がそう呼べと言ったんだ。『警部』はやめてほしいと」


「敵と思って欲しくなかった。『上』などとはもっと淋しいですがね」


「もうそんなことは言わない」ふぁしるは益々ますます頬を紅くした。「あなたの言う通り、私は人を排除していた。歪んだ誇りをいだいて自分は『下』の人間だという劣等感を『特別』とすり替えて。そうしなければ私は自分を嫌いになってしまうから」


 自分を嫌いだった子供時代が一番つらかったから、また死にたいなどと思うことを恐れて、ふぁしるは自分を嫌いになれない。


「自分の過去に忠実に――それが『自分』を失わない歩き方だと思っていた。最悪な過去でも、その積み重ねが私を作ったのだから。でももう、苦しかった頃って何年前になるだろう。いつまでも引きずって私は馬鹿みたいだ」


 情けないとばかりに、くしゃっと笑う。


 亮はどこかほっとして、


「ふぁしる殿―― 前にここへ来たときとは大分だいぶ変わられましたな」


「亮が私を変えてくれたんだ」


「いえ、私は何も。強引な態度であなたを傷付けただけで」


(違うんだ。この人が強引なほどに私の心を開かせようとした。それで私はやっと――)


 礼を言おう、と口を開きかけたとき、


「ほんじゃあたしのおかげだ~。ね、修理屋さん!」


 振り返ると、長椅子から足をぶらぶらさせて、おみさが満面の笑みを浮かべている。


「うん、それも大いにある。ありがとな、二人とも」


「それもなの?」


 と、口を尖らせて、「そうだ、修理屋さん。うら若き女性って都中にばれちゃって今まで通りの危険な仕事続けるの?」


「やはりここは足を洗って私と共に――」


「違うっ、あたしのお師匠さんになるの!」


 にらめっこする二人の姿に、ふぁしるは思わず笑い声あげて、


「続けられる限りは続けたいんだけど。儲けはいいし、飽きないし。でも本当言うと、近頃自分のやり方に疑問を持ち始めてたんだ。梅乃屋うめのやさんに呼ばれて都までの街道ゆく道すがら、ずっと考えてたんだ。私はそんなに自分が嫌いかよって」


 年齢、性別、名前――自分にまつわる全てを消して。


「幼い頃、いつも違う誰かになりたかった。でも思春期が訪れて、私の自尊心プライドは人をうらやましがることを許さなくなった。だから私は理想を演じきることにしたんだ」


 それは自己愛に見えてその実、情けない自己否定だった。


「確かにお強いふぁしる殿は魅力的だ。でもそうやって誰にでもある弱い心を打ち明けてくれるあなたは、とてもかわいくて――」


 真面目な顔してくどき始めた亮警部をさえぎって、


「えぇ~、どんなんでも修理屋さんは修理屋さんだぁい。あたしの大好きなお師匠様だもん」


 単純な言葉に、ふぁしるは「真実ほんとう」を見た気がした。否定する自分も否定された自分も、演じている理想も皆自分なのだ。


「亮警部、なぜ金巴宇こがねぱうが私を狙ったか、知りたいのだろ?」


 急にいつも通りの強い瞳でみつめられて、亮は慌てて頷いた。


「奴は私の生い立ちを調べ上げたのだろう。だから奴が知り得ただけの情報を亮警部にも提供しよう」


 いたずらっぽく笑って、ふぁしるは話し始める。


 夏の終わりの長い夜を、歳も育ちも身分も違う三人は語り明かした。ひとつひとつ言葉を紡ぐたびに、ひとかけらずつ心をふさぐ氷が溶けてゆく。ひたすら人との交わりを絶って自己を確立するのではなく、人とのつながりの中で再確認する――そんな方法もあったのだと、ふぁしるは気が付いた。


 草盧の語らいは続いた――亮警部の部下から彼の耳に、鼓紋を使って連絡が入るまで。すなわち、金巴宇こがねぱう吉藁よしわら梅乃屋に立ち現れたり、と。

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