夜来化石 ~遊郭に残された謎の四字に秘められた意味は?齢九歳にして天下一の盗賊と噂される俺は、盗みと女装なら誰にも負けねえっ!(「ウチの親方が一番かわいい」手下A・談)~
十九之巻、夏祭り、花火に喧嘩に焼き鳥でぃっ!(後篇)
十九之巻、夏祭り、花火に喧嘩に焼き鳥でぃっ!(後篇)
橋から下流を
土蔵と土蔵の間、谷底のような
――遅かったではないか。
そう声をかける前に人影が口を開いた。
「
抑制された中性的な声に、彼は間抜けで哀れな部下の運命を悟った。
「待っておったぞ、ふぁしる」
彼はゆっくりと立ち上がる。「それともこう呼んだ方がよいかな」
ふぁしるの耳元に口を近付け何事かささやいた瞬間、ふぁしるの顔がこわばった。一歩下がって身構える。
「なぜその名を――」
思わず口走ってから、しまった、と口を閉ざす。ハッタリだったかもしれない。
「調べは全て付いている」
打ち上がる花火の中、
「女?」
ふぁしるは意味が分からない、というふうに眉をひそめてみせるが、
「そう。貴様の体があれば、
「汚らわしい」
いつの間にか黒衣の襟にかけられていた手を払い、ふぁしるは大きく跳躍して土蔵の屋根に飛び移った。「私には全く、あんたの言うことが分からない」
「今更とぼけても無駄だ」
(そうだろうな)
ふぁしるは内心、舌打ちせずにはいられない。(名を認めたら、全て知られたも同然だ)
冷静に記憶をたどる。はじめに来夜を助けたのは、この金巴宇の攻撃からだった。都の人々の話によれば、巴宇は小さい頃から来夜を知っているという。勘が良ければ、自分が何者か予想は付くだろう。
「逃げるか?」
「逃げはしない。ただあんたが強引な手に出れば、私は戦うだけだ」
「つまり、わしの言葉に従う気はないというわけか」
ひとつしっかりとうなずいて、ふぁしるは余念なく身構える。だが
「若き修理屋よ、よく考えるがよい」
と、その肩に手を置いた。顔をそむけ斜めから
「何も痛い目に遭わせようと言うんじゃない。あのガキをだませるくらいに、陵辱された女を演じてくれればよいのだ。なぁに、俺が頭目の座に返り咲いた日にゃあ、恩賞の一つや二つだって与えてやらあ。それとも本当に俺の女になるか?」
いい気になって、とんでもないことを言い出した。
「俺としてはそれも大歓迎だぞ。盗み屋マルニンには隠し資金が山とあるんだ。たっぷりいい目見せてやれるぞ?」
何も言わないふぁしるに、
「お前が若い女の身だということをわしは知っているんだぞ。それを町中の者にばらしてやろうか? そうすればもうお前は、修理屋として危険な仕事など続けられなくなるぞ」
ふぁしるはぎゅっと唇をかんだ。土蔵の下には
肩をつかんでいた
「さあ、
低い声に力を込めた。
顔をそむけていたふぁしるが、正面からにらみ据えた。
「邪魔だっ!」
ふぁしるの白い手が
「ああ、そうだとも、私は十七歳の小娘だよ、だからそれがなんだと言うんだ?」
にぃっと
「私に触れたいか? 女である私を見たいか?」
挑発する彼女は花開いた大輪のゆりのよう、
「お望みならば見せてくれよう」
ふぁしるは愉快そうに山吹色の布を引いた。するりと黒い衣の前が開く。肌着もなくあらわになった形の良い乳房に、思わずうわおう、などと見とれたとき、
「来夜くん秘伝の練乳光線っ!」
「うぎゃぁぁぁっ」
両乳房から発する怪しい光線に当てられて、
「私をなめるなよ。誰がそんな情けない役を演じるものか。頭目の座が欲しいのなら、盗み屋の実力で来夜に打ち勝ってみろ!」
後ろでどどーんと花火が打ち上がる。
「くそぅ……」
「この俺に恥をかかせやがって…… 目にものみせてくれるわ!」
「望むところだ! お前が来夜の敵にふさわしいかどうか、この腕で確かめてやる!」
土蔵の下で人々は手をたたく。
「いいぞいいぞー!」
「やっちまえー! 悪の盗み屋なんかぶっとばせー!」
「ふぁしるちゃん頑張れぇぇ!」
陽気な人々に、ふぁしるはふと笑んだ。ひとつ頷いて右肩を脱ぐと、山吹色の腰ひもをぎゅっと結び直す。
「いざ!」
掛け声ひとつ、ふぁしるは屋根からひらりと飛び降りる。空中で右手を抜くと、白い腕の半ばから、白銀の
「たぁぁっ!」
飛び降りざま、真上から
「うあぁっ」
たまらず群衆のただ中へ吹っ飛ぶふぁしるに、
ふぁしるが起きあがる前に、
「後悔するなよ、修理屋さん。今なら――」
かっこつけ始めた
「うごふっ」
こめかみを押さえて野次馬たちを
「修理屋さん!」
「おみさ……」
ふぁしるが少女の無鉄砲を
「ひえ」
目を丸くしたのは
「怪我してるでしょ、修理屋さん。動いちゃ駄目だよ」
おみさに両肩を押さえられて、恐る恐る亮警部の端正な横顔を盗み見る。
「追え!」
原亮警部の号令一下、捕り方たちはざざっと
わぁぁ、と声をあげて、捕り方たちは隣の土蔵へ押し掛ける。野次馬たちもそれを追う。
「二班は町の者を遠ざけ、
「はっ」と声を合わせて、ふたつの班は散らばってゆく。
見れば銀南は、後ろ手に縛られ縄でぐるぐる巻きにされ、引っ立てられている。無事松の木から下ろしてもらえたようだ。
野次馬していた人々も、ある者は連れだってにぎやかな
いつの間にか花火がやんでいる。毎年もう少し遅くまで打ち上げているから、今は小休止だろうか。その代わり、盆踊りの和太鼓の
「修理屋さん、忘れ物だよ」
おみさが、風呂敷包みを差し出す。
「あれ、しまった」
銀南に襲われて、塀の陰に置き去りにしていたものらしい。
「それで自分の怪我、治せる?」
ふぁしるが頷くと、
「とはゆえここでは暗くて無理でしょう。私の
「亮警部――、職務中だろ?」
と、不安そうに見上げるふぁしるに、亮警部、
「怪我人の保護と事情聴取を兼ねているのですよ。おみさは自身番に、善良な市民が脱獄犯の手に掛かった、と訴え出たのです。私は自身番の要請で駆け付けました。善良な市民を助け出すのは警察の勤めですからね。そして脱獄犯を追うために、その市民から事情も訊かねばなりません」
すとひざまずいて、広い背をふぁしるに向ける。
「歩けるよ」
むっとすると、
「修理屋さん、無理しちゃ駄目だよ。荷物はあたしが持ってってあげるから」
「おみさは家に帰んなきゃ。父さんたちが――」
「修理屋さんが、家のことやんなきゃ駄目だって言うから、あたし雑草抜き終わらせてから来たんだよ、だからいいでしょ?」
ふぁしるは亮の背中で困惑顔だ。家族を困らせてはいけないと言ったが、それは自分にひっついて来るのをあきらめさせるためだ。家の仕事を終えてなお修理屋の修行に励んでは、疲労で体をこわしてしまうんじゃないかと心配になる。今日、怖い目に遭って
「でもね、今日修理屋さんが危険だって言ってた意味分かった。もう無闇に付きまとったりするの、やめるよ」
ふぁしるは目を輝かせて顔を上げる。なんだ、物分かりいいじゃん、と思っていると、
「だからその代わりにね、これからは修理屋さんがうちに教えに来てね」
ふぁしるはやっぱり憮然とした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます