十九之巻、夏祭り、花火に喧嘩に焼き鳥でぃっ!(中篇)

 提灯ちょうちん片手に番頭さんが、裏の木戸まで見送ってくれた。


「それじゃあ修理屋殿、わたくしはここまでしか送れませぬが、お気を付けて。先程のことは呉々も――頼みますよ」


 と、語尾を濁す。


「勿論です。ご安心下さい」


 抑揚のない声で答え、ふぁしるは一礼した。


 主人の病について他言無用の旨を言い渡された。広い間口にしっかりとした構え、表向きは大店おおだなだが、裏の顔は暗黒街の元締めか何かなのだろう。昼、明るい喧噪に満ちている繁華街は、日が暮れれば裏組織が暗躍する危険な町に変わる。おかみの禁じた「ブツ」をやりとりする彼らは、出身地域ごとに結びつき、たびたび他のグループとの間に抗争をやらかす。有力グループが病に倒れたと聞けば、また何か一悶着ひともんちゃく起こるのだろう。


 一人になると、ようやく落ち着く。川の方から、浮かれた歓声が流れてくる。


(今夜は祭りか)


 ふと見上げた夜空に、ぱっと花が咲き、脇道でうごめく人影に気付いた。


「何か」


 先に尋ねられて、塀に身を隠していた男はちょっとうろたえたが、薄く笑って姿を見せた。


「おみさ!」


 ふぁしるは男になど見向きもせず、その腕の中の少女に駆け寄った。


「おっと」


 と、男は片手をつきだす。


「その子に何をした」


 目を閉じたおみさの薄汚れた着物から下がる腕は、くたりと力がない。ふぁしるの声に、静かな殺気がこもる。


「気を失っているだけよ。あんたがおとなしく川べりの土蔵までついてくれば、この子供に危害は加えない」


 人質とって強気になったか、男はふんぞり返ってふぁしるを見上げた。


(暗黒街のごたごたに巻き込まれたかと思いきや――)


 この男には見覚えがある、ふぁしるは記憶の糸をたぐり寄せる。


(そうか、思い出したぞ)


 火箭かせん拳ぶっぱなって打つ手なくして、来夜らいやの練乳光線に当てられ屋根から落ちた情けない男だ。


金巴宇こがねぱうが私をお呼びか。それならそうと言え。人質なぞとられなくとも逃げはしない」


「へっ?」


 思わずあっけにとられた一瞬の間に、気を失った少女はふぁしるの腕に抱かれていた。


「よくもっ」


 顔をゆがめて、銀南の中指がふぁしるの眉間めがけてのびる。ふぁしるが膝を折るとほぼ同時に、のばしすぎた指は後ろの松の枝にからみつく。


「しまった」


 焦る銀南の横で、ふぁしるが静かに立ち上がる。


「それはこう使うのだ」


 おみさを塀の前に座らせて銀南の後ろに回ると、彼と同じようにすっと中指を伸ばす。修理屋といってもふぁしるの仕事は危険だらけだから、いつでも「戦闘装備」は欠かせない。


「ひっ」


 肩ごしに冷たい眼を見て益々慌て、腕振れば、伸びた指は余計に絡んで向こうの松が揺れるばかり。元の長さにも戻せず、二進にっち三進さっちも行かなくなる。


 ふぁしるが、左上に構えた右手を勢いよく振り下ろすと、伸ばした指にはじかれて銀南はすっ飛んだ。


「ひよぉぉぉ」


 松の枝に絡んだ指を中心に、ぐるんぐるんと夜空を三回転して、今度は体ごと、さっきの百倍くらい絡みまくってようやく停止する。


「川べりの土蔵と言ったな」


 夜空を仰いで確認するふぁしるの足下あしもとで、おみさが小さなうめき声を上げた。


「気付いたか?」


 ふぁしるは慌てて少女の前に片膝付き、額にかかるおくれ毛をのけてやる。おみさはじんわりと汗をかいていた。


「修理屋さん……?」


 うっすら目を開け、不思議そうにまたたきする。「あたし――」


「怖い目にあったね、でももう大丈夫だよ」


「修理屋さんが助けてくれたの?」


「違う。私のせいで、おみさは危険に巻き込まれたんだ。――立てるか?」


 おみさの両手をとった時、視界の隅に炎が映って、ふぁしるは小さな肩を抱いて道を転がった。胸の中で小さな悲鳴が上がり、たった今まで二人のいた場所に拳が着弾する。


「何をするんだ! 腹いせか?」


 見上げた松の枝に銀南。こちらに向けた腕の先がない。


「ふふふ。もう一発あるぞ」


 と、片足をあげる。もう一方の手は指が枝に絡んで使用不可能らしい。


「どうやって木から下りるつもりだ?」


 銀南を沈黙させたところで、ふぁしるはふるえるおみさの両肩に手を置き、濡れた瞳をのぞき込んだ。


「ここは危険なの。分かったよね? 早く逃げて」


 おみさは何か言おうとして、だが口をつぐんだ。ぱっと身をひるがえしてにぎやかな方へ駆け出してゆく。その後ろ姿を見送って、ふぁしるも川の方へ足を向けた。


「おい修理屋、俺はこのままか? おい、無視するな、聞け! この鬼、悪魔!」


 後ろでわめき続ける銀南を、松の木に残して――。

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