十七之巻、ただ十五夜の月ぞ残れる

 いつの間にか、おみさとふぁしるは並んでさくに腰掛けていた。高い満月がぼんやりと、田んぼと畦道あぜみちを照らしている。


「ごめんね修理屋さん。あんなこと言って」


 ふぁしるは黒い布をあごの下までおろすと、おみさのほうを振り返り、


「なんで。私もそうだったよ。やさしくされたかったけど、同情されるとすごい腹立って」


「修理屋さん――」


 目を丸くしているおみさに、ふぁしるは首をかしげる。「どうした?」


「修理屋さん、女の子だったんだ……」


「あ、うん。女の修理屋なんて珍しいだろ。だから目指したんだ。なんか男に負けるの悔しくてさ、どうすれば一番鼻を明かしてやれるかな、って」


「あたしも―― あたしもそうなんだよ、馬鹿な男子がほんっとぉぉぉに嫌いなの!」


 おみさの言葉に異様に力がこもっていて、ふぁしるは思わず笑ってしまった。だがおみさは、ぷうっと頬をふくらます。


「なんでぃ、修理屋さんもおんなじなんでしょ?」


「同じなのかな。あのあと私は遠い町で住み込みで働かせてもらって、弟を育てようとした。その土地で意地悪な子供たちにいじめられてな。旦那様のお使いでお得意先を回るんだけど、私を困らせるためだけに暇な子供がその道々に潜んでいて、私が通ると貧乏人だの臭いだのブスだのって散々悪口言って仕事の邪魔をするんだ。気にすまい、無視しようとつとめても悔しくて、こんな自分がみじめで。傷つくことさえ腹が立って。夜、布団の中で一人になると自分が嫌で嫌で泣けてくるんだ。弟も段々よく食べるようになって、仕事はきついし、もう母ちゃんたちのところへ行っちまおうかとも思ったよ」


「駄目だよ、せっかく救ってもらったんだから」


 おみさはおしゃまなことを言う。


「でも私は、そんなこと考えられなくて、でもただ、いつか復讐してやりたい、あいつらに痛い目見せてやる、それだけを支えに毎日過ごしてた。怒りと、曲がった自尊心プライドが、私の命を救ったんだ。私が修理屋になったのって、すごく不謹慎な理由だよ。あの頃、勿論女の子たちも影で策動してたんだと思う。でも表で私をいじめるのは山猿以下な男どもばっかだったから、私は絶対奴等に勝てる仕事をしたかったんだ。別にブスというならそれでいい、私は女としての魅力なんていらないんだ。ただ、人として魅力的な大人になりたかったんだ」


「なんで、修理屋さん、綺麗だよ? 暗いとこだと、金色に光るんだね」


「ああ、これ?」


 ふぁしるは目の下に、そっと指を当てる。「母さんのが遺伝したらしい」


「それに修理屋さん、天下一の修理屋になって、夢、達成したんだね。いいな」


「達成か。でも、何か失くしてしまった気がする。人を信じることも出来ない」


 原亮警部、あの人を傷付けたのだろうな、と思う。避けられ逃げられて、昔深く傷付いていたのは、自分自身なのに。ただひたすらよくしてもらったのに、きちんとした礼も出来ずに今日まで来ている。


(人が信じられないだって? 当然かもな。この自分が、あんなに小さくて私の全てを信じていた弟を裏切ったんだから)


 また来るからね、そんな嘘をついた、弟との最後の日を思い出し、ふぁしるは自嘲せざるを得ない。あの日、嘘を言ったつもりはなかった。だが野望を追うことだけに必死になっているうちに、こんなにも時間が過ぎてしまった。今更どういう顔をして姉と名乗ればよいのだろう。あの子は私を覚えているだろうか。自分を捨てた姉に会いたいのだろうか。変わってしまった今の私を、姉と認めてくれるだろうか――。また悶々とし出したふぁしるを、おみさのかわいい声が引き戻した。


「それは修理屋さんのせいじゃあないよ。意地悪なガキどものせいでしょ」


 その前に自分が何を言っていたかを思いだし、ふぁしるは即座に否定した。


「違う。過去にとらわれ続けるのは、私が成長出来ずにいる証拠だ」


 おみさはまた何か言おうとして、小さな人影が駆けてくるのに気が付いた。


「ねえちゃんたち、こんなとこにいたの?」


「何」


 急に笑みを消すおみさに、この子は何で弟相手だとこんなに怖いんだろう、とふぁしるは苦笑する。


「で、おあしのほうはどうなった?」


「あたしが修理屋さんの弟子にしてもらって、出世払いすることに決まった」


「嘘!? ねえちゃんってほんと調子いいよね。こんなにお世話になって、まだ迷惑かけるの!?」


「うるさいよ」


 少年はふぁしるに向き直ると、


「この人ねえ、修理屋ふぁしるにずぅぅっと憧れてて大変だったんだよ。自分も修理屋になるとか言って。いいんですか? こんな性格問題児、弟子なんかにとって」


「いや、まだ考え中だから……」


(本当は断る気満々なんだけど)


 胸の中で付け加えて、ふぁしるは思わず溜め息つく。気付かず少年ははしゃいで、


「そうだ、庄屋さんが修理屋さんへのお礼に、ご馳走食べる会するんだって! ねえちゃんも修理屋さんも早く早く!」


「なんだよご馳走食べる会って」


 おみさは相変わらずそっけない。


(ずっと一緒に過ごしていたら、私もこんな姉になったものだろうか……)


 満点の星空の下、駆け出す姉弟の背中をみつめ、ふぁしるは複雑な思いに駆られた。

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