十五之巻、ついに明かされた真実(まこと)(後篇)

「やっぱり俺とねえちゃんは、与太郎さんの子だった」


 槻与太郎けやのよたろう登勢とせに続き、ちゃんと槻雪花けやのせっか槻来夜けやのらいやと記されている。


「全員『職消除権』になってるぜ」


 と金兵衛。皆、現住所不明なのだ。


「結局、ねえちゃんも父ちゃんたちも、どこにいるか分かんないんだ」


 来夜は不安になる。皆、無事なのだろうか。


「きっと来夜殿のように、皆ひっそり元気に暮らしてるんですよ」


 と、粛さんが励ます。


 父ちゃんと母ちゃんは、遠い国でひっそり暮らしているかも知れない。だけどひとり都に戻ってきたねえちゃんは? 俺を寿隆寺じゅりゅうじにあずけた後どこに行ったんだ? と不安は募る。


「だがそもそも誰が、お頭の戸籍を破いたんだんだよ」


 あぐらかいた円明まるあきに亮は、それですが、と声をひそめた。「おかしな噂を聞いた者がありましてな」


「うわさ?」


 と、来夜は首をかしげる。


「噂自体は益体やくたいもないお化け話です。真夜中に、番人が小さな女の子の幽霊に会ったという。ですから皆気に留めなかったのですが、その番人にもう一度詳しく聞いてみたら、彼、結構しっかりした者で、そのお化けに会ったというのが、来夜殿、あなたが私に姉上の件について依頼された日の前日なのです。その少女は幽霊などではなく、実在するのではと、私は思うのだ」


「そうだよ」


 と、来夜は唇の端を吊り上げて、歯を見せた。「その愛らしい少女ってのは、俺なんだから」


 目を点にしている亮警部に、来夜は無邪気な笑い声あげて、


「夜、土地戸籍部屋に侵入して、台帳が破られてるってことを突きとめたのさ」


 これには粛さん慌てて、


「来夜殿、警部の前ですぞ」


 と押しとどめ、亮に向き直り、


「いやまあ、申し訳ありません、聞き苦しい話をお聞かせして……」


 粛さんの腰が低いのは性分らしい。来夜くん、大好きな粛が亮に頭を下げる姿が耐えられず、


「おい亮、ここをどこと思ってやがる。盗み屋マルニンの隠れ家でいっ!」


 見栄を切って、水になったかき氷をぐっと飲み干す。亮警部は来夜を一瞥いちべつしただけ、涼しげに扇をゆらしながら、


「まあそんなことはどうでもよい。見に入るのも破りに入るのも同じ事だ。少々盗みに慣れた者ならば、台帳を破るのはさほど困難ではない。問題は来夜殿とそのお姉さんの戸籍を消すことで、誰がどんな利益を得られるか、ですな」


 警部の口調ははっきりしていて迷いがない。一番の問題は、簡単に入られてしまう土地戸籍部屋なのだが、今ここでそんな討論をしても始まらない。


「誰か俺の名をかたりたい奴がいるとか」


「旦那の名を騙ったって、何の特もありやせんぜ」


警察サツに狙われるだけだな」


 来夜の案は、金兵衛と円明まるあき一蹴いっしゅうされた。


「それより、来夜殿の両親を追い回していた借金取りの線はどうです?」


「借金取りが、ねえちゃんの名をかたって俺に近付く!?」


 来夜の推理には耳も貸さずに、亮くんは粛さんの方に向きなおった。


「借金取りの話を聞かせてくんなさい」


 説明を聞き終えて原亮警部は、成程なるほど、とうなった。


「来夜くんのご両親が、子供たちへ請求の手が伸びないよう、ふたりの名を戸籍台帳から抜いた――考えられる状況としては、これが一番自然な線ですな」


 亮警部の表情は相変わらずおだやかだが、その眼光は利口な者らしい冴えを帯びている。粛さんは、顎を撫でながら何度も首を縦に振り、金兵衛も懐手ふところでしたまま頷いた。


 一座の皆は思案顔で沈黙する。ややあって、


「今日は芦屋あしやさんのところへ伺うために、参ったのです」


亮くんぱっと切り替えて、


「そろそろ約束の時間でしょうから……」


 と目を向けた先には、幸せそうな円明まるあきの寝顔。今度は金兵衛に起こされた円明まるあきは、眠い目をこすりながら、


芦屋あしやさんちは仁王橋におうばし渡ってすぐの堤町つつみちょうですぜ。もうちっとゆっくりして行きねえ」


「それじゃあその間に、警部殿のを見せてもらいたいですね」


 思わず不用意な発言をしてしまう、粛さん。


「おう、見てくださるか。それならば何かご批判願いたいのだが」


 亮くんいそいそと、脇に置いた風呂敷包みをほどきだす。まず取り出したのは、長椅子に腰掛けた女性の図。


「鳥の声を聞いているところです」


 粛さんは沈黙した。


「思うままを言ってもらえると嬉しいのです」


 と、積極的な亮警部に、


「いや~、なかなか素晴らしい構図ですな。千年以上昔の画家ですが、ピカソをご存知ですか?」


「いえ、西洋画はあまり学ばなかったもので。浮世絵に興味を持つ前は、狩野派を学んでいましたから。しかし名前くらいなら」


「それはよろしい」


 何がよろしいのか尋ねられる前に、


「人物に於いてはピカソのキュビズム時代を思わせる素描デッサン力で、なかなかおもむき深い。女性の腰掛けた長椅子の輪郭線はダリの描いた時計のようで、面白いと思いますよ」


「さすが粛殿。盗み屋などにしておくには、勿体無い見識ですなあ」


「お世辞がうま……んぐっ!」


 何か言いかけた来夜の口を慌ててふさぎ、


「特にこの女性の表情、ムンクの描いた人物のようで、性別など分からぬほど魅力的ですなあ」


「そ……それはどうも……」


 ここに至って亮くんも、本当に誉められているのやら、少々疑問を持ち始めたご様子。粛さんすかささず、


「やや、だいぶ暗くなって参りましたなあ」


 すだれを通して夕日が差し込む。長い夏の日も、いつの間にか沈む頃になった。風が、どこからか風鈴のを運ぶ。


「もうじき鐘の鳴る頃、そろそろ出られたほうがよろしいでしょう。いやいや、長々お引き止めしてしまって申し訳ない……」


 穏やかな笑みは絶やさずに、円明まるあきをどつき起こす。


 すだれを払い表へ出れば路地裏まで赤く染められている。来夜は大通りに出るところまで、お見送りだ。草履を引っかけ小走りに、亮と円明についてゆく。そこかしこの家から夕ご飯の匂いが漂い、来夜は思わず腹に手を当てた。


 小さな風鈴をつるした家の角で、大通りを遠ざかる二人に手を振る。


 暮れなずむ空の下、町屋の並んだ通りはにぎやかだ。米俵が山積みされた米屋の前を、出店をしまい、むしろやら商売道具を積んだ大八車が駆け抜ける。


 暮れゆく空へ立看板がそびえ立ち、向かいの屋根にはのぼりがひるがえっている。向こうの辻からは、自身番の火見梯子ひのみはしごが夕空へと伸びていた。




・~・~・~・~・~・~



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