十五之巻、ついに明かされた真実(まこと)(中篇)

 かき氷をたいらげて、旅の疲れから円明まるあきはごろんと横になる。寝息が部屋中に響き渡る頃、


「ご免」


 と、表に立った者がある。見れば、編み笠を目深にかぶった男の姿、片手に扇をゆらし、もう一方の手には風呂敷包みを提げ、この暑いのに黒い着物をきっちりと着込んでいる。


「あれ、その声は――」


 驚く来夜に平粛たいらのしゅくが小声で呟く。「すえさんが警部殿をお呼びしていたんでした」


 土間に下りて、


「さあどうぞどうぞ、気兼ねなくお入んなすって。散らかったままで申し訳ありません」


 編み笠の男は、敷居をまたぐ前に、路地の左右に目を配り、大通りにまで首を伸ばしてから、ようやく土間に足を踏み入れた。


「これをちと下げさせていただいてもよろしいか?」


「ええどうぞ」


 巻き上げたすだれを下ろし、かまどの横に草履をきっちりと並べ、板の間に上がって、男はようやく息を付いて顔を見せた。


「やっぱり亮! どうしたの、こんなところに来ていいの?」


 編み笠の下からのぞいた顔に、来夜は氷の溶けた器をひっくり返しそうになる。


「しーっ」


 腕利き警部原亮は、顔をしかめて人差し指を立てる。「そう思うのなら、そんな大声で私の名を呼ばないで下さい!」


「ああ、すまねえ。お詫びに俺の宇治金時わけてあげようか?」


「宇治金時? そのにごった水が!」


 原亮警部をここへ呼んだのは陶円明すえまるあきなのだが、彼は未だ夢のうち。


「わざわざお越し頂いたのに申し訳ございません、今起こしますから」


 と、粛さん、立ち上がり笑顔で円明まるあきを踏んづけるが、円明まるあきもなかなかの強者つわもの、寝返りさえうたない。


「なんでわざわざこんなところへ来たんでぃ?」


 楊枝で口の奥をまさぐりながら尋ねる金兵衛に、


「版元の芦屋あしやさんに紹介してもらえることになったのですが、その場所が色町だというので、それならば円明まるあきさんに案内してもらって、こちらからお宅のほうに直接伺おうと申したわけです」


「なんでぃ警部さん、色町の誰かから、金でも借りてんのか?」


「金を!? ではなく…… ああいったところはどうも苦手で――ああ、それから私のことは、警部ではなく亮とお呼び下さい。今日は私用で参ったのですから」


「しかし亮さん、役人なんてつきあいでよく行くんでしょ、吉藁にせよ岡場所にせよ」


 岡場所とは、政府非公認の女郎屋があるところだ。


「ええ、つきあわされるから嫌いだということが分かったんですよ」


 太い縄を首に巻きつけられて、円明まるあきはようやく体を横にした。


春眠しゅんみんあかつきを覚えず……」


 などとぶつぶつ言いながら、うっすらと目を開ける。


「今は真夏ですよ」


 呆れ顔の粛さんに、


「そんなこたぁ分かってらぁ。何言ってんでぃ、お前さんは」


「今あなたが春眠云々うんぬんなどと言ったから……」


「はん、俺がこのくそ暑いのにそんな無粋なことを言うかってんだ。どこぞのおんぼろ小屋に住んでる警部さんでもあるまいに――」


 亮の片目がすっと細くなる。


「ほう…… 本人を前にして口さがない」


「本人なんてどこに――」


 と振り返った円明まるあきは、その場で凍りつく。ややあって、


「これはこれは警部さん、いるならいると言ってくんなせえよ、思わず本音が出ちまったじゃねえですか」


「本音がねえ」


 亮くんお得意の、「口元笑って目は笑わず」だ。お寒い空気が流れたところで粛さんすかさず、


「ぬか漬けは我が家の自慢なんです」


 と漬け物すすめ、


「して、戸籍の件はいかがなものでございやしょうなあ」


「私は土地戸籍部屋の者ではないから、令状もなく台帳を見ることは出来ないのだが、五年毎の台帳調査がかなり杜撰ずさんだということを突いて、役所内の内部告発という手で揺さぶりをかけてやりました」


 と、満足そうに微笑む。戸籍台帳に不備がないか、五年ごとに調査するのは土地戸籍部屋の業務だが、実際には徹底されていない。役人は上役ほどくるくると配属先が変わるから、自分の担当中に不備をみつけたい部屋頭へやがしらはいないのだ。そういうお役所お得意の事なかれ主義は亮警部の一番嫌いなもの。彼は公明正大に事を運ばねば気が済まないから、この機会に土地戸籍部屋をつっついて、さぞや気の晴れたことだろう。こんなことやってるから出世しないんだけど。


「戸籍が取り寄せられないという相談を個人的に受けたと言って、雪花せっかさんの戸籍を調べさせましたよ。きちんと修復したそうです」


 亮警部は、ふところから折り畳んだ紙を差し出した。「雪花さんの戸籍の写しです」


「ほんとに?」


 と、来夜は目を丸くする。


「きみの名も載っていますよ、勿論ご両親もね」


 亮警部の手際の良さに、一同感心してのぞきこむ。


「よく旦那みてぇな指名手配犯の籍なんざ、取り寄せられたもんだ」


 金兵衛のほめ言葉に、亮くんふっと笑んで、


「お姉さんの名前しか、出していませんから。そりゃ向こうだって、つき来夜らいやの名くらい知っていますから突っ込みたかったでしょうが、自分たちに不備があるので問題は起こしたくないのですよ」


 へえ~、などと口先で相槌打ちながら、皆目は写しに吸い込まれている。すかしの入った紙に、青みがかった特殊な墨で、手書きされている。左下にきちんと、北町奉行所の判入りだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る