八之巻、梅乃屋二階宴小町部屋、柱に見えたり、夜来化石(後篇)

 金兵衛きんべえは、ふらふらしながら仲之町を歩いて、大門を出た。駕籠かごから下りる客があり、帰る客を待つ駕籠屋の姿もある。


 曲者くせもの扱いされて妓楼ぎろうから放り出されのだから、茶屋の者の見送りもない。ただひとつの救いは、愛する萩だけは、来夜の姿を見ているということだ。彼女はひとりで金兵衛の肩を持ってくれたが、梅乃屋の玄関口までさえ、見送りを許してはもらえなかった。遣り手に首根っこをつかまれて、奥に連れてゆかれてしまった。


 大門を後にして、とぼとぼ歩いていた金兵衛は、はっとして足を止め、ゆっくりと振り返った。その視線の先には、かつぎのところてん売り。その横で、つるつるうまそうに一本箸を口に運んでいるのは、小さな女の子だ。普通の町娘まちむすめふうの着物、小さな背には大きすぎる風呂敷包みを結わえ付けている。


 だがこんなところに子供など、滅多にいるものではない。


 もしや、と金兵衛は少女に近付く。


「旦那ぁ、ひとつどうです?」


 売り子の声も耳に入らず、少女の目の前に立つ金兵衛、不思議そうに見上げた少女と、ばっちり目があった。


「あ……」


 少女の箸を持つ手が止まる。きつめの目尻を、おろした前髪で隠してはいるが――


「旦那?」


「…………てへっ、みつかっちゃった♥」


 金兵衛は無言で少女――否、来夜の首に両手を回し、通りの隅へ連れ去ろうとする。


「ああ~ん待ってぇ、全部食べてから~」


 どこから出てくるのか、来夜の作り声に普段を知っている金兵衛は、ぞぉ~っとするが、ところてん売りの親父さんは、


「待ってくんなせえよ、番頭さん。この子は淋しいんですよ」


 と、訳の分からぬ事を言いだした。


「淋しい? いやその前にあっしは番頭なんかやってっていて~」


 来夜がぐりぐりと足を踏みつけたのだ。


 状況の飲み込めない親父さんに、


「おじさん、ありがとう。話を聞いてくだすっただけでもあたし、嬉しかったわ」


 と、首をちょっと傾けて、来夜は悩殺ものの微笑みを浮かべた。


 折良くところてんもたいらげて、来夜はそれじゃ、と片手を挙げると、金兵衛の袖を取りその場を離れた。通りは三曲がりに曲がっている。ひとつめを曲がったところで、ところてん売りは見えなくなった。


「金兵衛、自分が盗み屋ってこと自覚してるか?」


 さっきまでとはうってかわって低い声。


「いやなんつーか、こう人気が上がっちまうと……」


 今や盗み屋マルニンは都の勇士ヒーローだ。


「だからこそ危険なんだよ。捕り方たちとの攻防戦を見たいなんていう、厄介な追っかけも多いことだしな」


 だから来夜は、昼間っから出歩くときはなるべく変装を解かないのだ。だが遊里に小さな女の子が出没するのは不自然だから、まことしやかな作り話をすることになる。今回は豪商のひとり娘。母に先立たれ、父よりほかに家族はないというのに、父は仕事を番頭に任せ色里通い、娘は淋しさに堪えられず追っかけてきた。だがもうすぐ口うるさい番頭さんが気が付いて自分を追ってくるだろう、という設定だった。


 多分中身は変装道具であろう大きな風呂敷包みに、金兵衛は目をやって、


「何も女に化けるこたぁねえじゃねえですかい」


「ついさっきまで禿かむろに化けてたんだ。女に化ける方が、手間が少なかったんだよ。それに俺って綺麗だから、女の恰好してるほうが自然だし」


 金兵衛は急にむせた挙げ句、足下の石につまずいて転倒しかけた。


「なに?」


 と怖い目で振り返る来夜に、


「そ、そうだ、旦那。お萩ちゃんに花魁のこと訊きましたぜ」


 来夜に会う前だろう。萩は花魁・宴小町の世話をする振袖新造だ。


 来夜は、え、と振り返る。


「まず刀傷は、ねえそうです」


 宴小町の妹女郎である萩は、彼女の化粧を手伝い知っているのだろう。首や胸にもよそおうから、肩から傷があれば気が付くはずだ。


「だがまあこりゃあ、新造になるときにでも付け替えたんでしょう。で、旦那、弟がいるってこたぁ間違えねえようです。花魁、嫌な客の相手で疲れたときなんか、会いたいとこぼすそうで」


 来夜は真剣なまなざしで見上げている。


「で、明日の昼見世ひるみせの頃に、いつもの茶屋で花魁と旦那を会わせようって話になったんです。まだ花魁の返事は聞いちゃいねえが弟のことなら何をおいても行ってくれるって、お萩ちゃんのお墨付きでさ。話はお萩ちゃんがしておいてくれるそうだ」


「うん」


 来夜は緊張した面持ちでうなずく。


(ねえちゃんに会える)


 胸が高鳴り言葉も出ない。


「よかったっすな、旦那」


 金兵衛がぽん、と背中をたたいた。


「うん!」


 と、来夜は笑って、


「そうだ、夜来化石の文字について、情報が得られたんだ」


 と、ふぁしるに聞いた話を披露する。


「ちょいと待って下せぇ」


 金兵衛はちょっと難しい顔をして、「あっしも萩ちゃんに、あの文字について訊いたんでさあ。でも旦那が修理屋から聞いてきたようなこたぁ、言ってなかったですぜ」


「どういうことだ? もっと詳しく話せ」


「お萩ちゃんも、そのお大尽と花魁の話はしてやした。でもその花魁が、身請けされてから正妻として迎えられたなんてぇ話は、お萩ちゃんなんかじゃあ知らねえ話ですぜ」


 来夜は首をひねって、


「ふぁしるは、修理屋筋の情報と言ってたんだけど――」


「確かに修理屋たちは、互いに知識やら客の情報やらを交換しあっているってぇが―― 修理屋ふぁしるは、修理屋仲間とも交わらねえ一匹狼で有名な奴だろ。そのふぁしるが仕入れた情報ってえなあ、いささか不自然じゃねえか?」


「じゃあふぁしるが嘘ついてるってこと?」


「嘘つく理由があるか?」


 金兵衛も首をひねって、


「旦那、ふぁしるは二十年くらい前と言ったんだよな。そんなら遣り手でも梅乃屋の主人でも、もしかしたら茶屋の女将さんあたりでも、知っているかもしれねえなあ」


 梅乃屋のような大見世は、茶屋を通さずには行けない。馴染みの茶屋は店ごとに決まっており、そこで花魁は新造たちと客を待つから、茶屋の主人は情報に通じている。


「ほんと? じゃあふぁしるの話がほんとかどうか確かめられるんだね!」


 大きな柳の下で来夜は立ち止まって、


「それじゃもう一度行ってきてよ」


「旦那~~ あんなことがあったあとで、行けるわけないでしょう~」


 金兵衛は祟りの幽霊みたいなうらめしい目で来夜を見下ろした。「あっしはなあ、あんなとんでもねえところに落とされたせいで、お萩ちゃんに何しただの天井で何やってただの、さんざん女たちになじられた挙げ句、庄次郎しょうじろうとかいう怖ぇ男にどつかれて、もう散々だったんだぞ!」


「もとはと言えば、お前が手水場ちょうずばへやって来なかったのがいけないのだろ?」


 来夜の言い分にも一理ある。だが金兵衛は、真剣な顔で怒っている。


「旦那、もしもう二度とお萩ちゃんに逢わせてもらえねえなんてことになったら、どうしてくれるんですかい」


「ほかの店にまた新しい馴染みでも作ればよかろう」


「旦那!」


 金兵衛は憤慨して、


「そんな言い方はよしてくんなせえ。あっしはお萩ちゃんがいるからこそ、足繁くくるわ通いなんぞしてるんですぜ」


「金兵衛……、本気だったの?」


 来夜は目を大きくする。丸い瞳でじっと見上げられ、決まり悪そうに、金兵衛はあさっての方へ視線をそらした。


与太郎よたろうって人もこういう奴だったのかな)


 大商人と一介の盗み屋、花魁と新造という差はあるけれど。


「金兵衛もやっぱり萩って人、身請けして、最後には結婚したい?」


「勿論でさあ。でもあっしには到底、そんなことしてあげられる金はありやせんよ」


 金兵衛はまだそっぽを向いている。そのつめたい顎の線を見上げながら、来夜は隠れ家の地下に隠してある、大判小判を思い浮かべた。財産管理は平粛たいらのしゅくに任せているから、どのくらいあるのかはよく知らない。金巴宇こがねぱうが頭目だった頃の収入分もあるはずだから、かなりの額になるはずだ。


 巴宇ぱうがマルニンの頭目に返り咲きたい理由は、ここにもある。何か目的でもあったのか、彼は盗んで稼いだ金を無駄遣いせずにマルニンの資金としてこつこつと貯めていた。それが頭目の座を奪われマルニンから追い出された途端、来夜のものになってしまったのだから面白くないのは当然だ。


 来夜としては、おいしいものを食べる、豪華な着物を身につける、物見遊山ものみゆさんに出かける、くらいしか贅沢の方法が思いつかないし、あまり贅沢をすれば目立って身の危険が迫る上、禁制に引っかかって別件逮捕されてはたまらないから、結局金は貯まるばかり、マルニンの生活は庶民水準レベルのままなのだ。


 ちなみに無駄遣いの達人のような金兵衛と円明まるあきは、地下倉庫への入り口さえ知らない。


「金兵衛、ごめんね」


 来夜はちょっと恥ずかしそうに上目遣い。


 謝られた本人は思わず目を見張った。


「やめて下せえよ、旦那に謝られちゃあかないませんわ」


 それからぼそっと小声で、「ああ薄気味悪っ」


「? 今なんと?」


 本当に聞こえなかったようだ。きょとんとした目で見上げている。


「旦那のためとあっちゃあ仕方ねえ。茶屋の女将おかみに訊いてくらあ」


「ほんとに? それじゃあ――」


 風呂敷包みを肩から下ろし、道の端で解く。禿かむろの衣装の下から、白い腕が見え隠れする。禿かむろと町娘で腕を変えるとは芸が細かい。目当てのものを探しあて、


「これを積んで喋らせてねえ」


 差し出したのは両手いっぱいの小判の山。日の暮れた通りにあっても、両脇の店の灯りを受けてきらきらしている。「宴小町うたげこまちについても訊いてきてよ。残りはあんたにやるから」


「うひょっ」


 見慣れぬものに思わず奇声を発して、金兵衛はきょろきょろする。慌てて小判を隠すようにして、来夜の小さな手から受け取った。

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