七之巻、かみなり和尚のお出ましでぃっ!(前篇)

  寿隆寺じゅりゅうじの奥――


 開け放った三方のふすまを、夏の風が渡り抜けてゆく。


 数年ぶりに寿隆寺じゅりゅうじを訪れた来夜らいや平粛たいらのしゅくは、一応座敷に通された。枯山水かれさんすいの庭はよく手入れされているが、ふたりに目をやる余裕はない。目の前に、ものすご~くこわ~い顔で、瑞宇ずいう和尚が構えているからだ。


「今頃何をしに来たのじゃ? 来夜に敬智けいち


 敬智けいちとは平粛たいらのしゅくの出家後の――と言うより出家していた頃の名、法名だ。


「いや、あのですね、まず昔のことは申し訳――」


 既にしどろもどろな平粛たいらのしゅくに替わり、


「あのね、和尚、久し振りっ! 二年前はごめんね、いきなり寺抜け出しちゃって。心配したでしょ?」


「いいや。心配する暇もなく、盗み屋としてのお前の噂が聞こえてきたからな」


 瑞宇ずいう和尚は憮然ぶぜんとしたまんま。


「和尚、そんな仏頂面ぶっちょーずらはよしねえ。ほんっとーに久方ぶりなんだから、さ」


「なにがよしねえだっ、このガキゃあっ!」


 和尚がいきなり伸び上がって、両のこぶしでこめかみをぐりぐりしだした。


「うぎゃああぁあああぁあぁっ!!」


 瑞宇ずいう和尚の必殺技「うめぼし」だ。


「ひょえぇぇ、勘弁、もう勘弁」


 しゅぅぅぅなんぞとうっすら煙あげてる来夜の頭から、ようやく和尚が手を離すと、来夜はたまらず粛にしがみついた。


「で、何をしに来たのだ」


 「うめぼし」やってちょっとは気が済んだのか、いささかマシな口調。


「私たちは、来夜殿の姉上様を捜しておるのです」


「ほう、なぜ今頃。雪花せっかが姿を消したのは、もう随分前じゃが」


「あっさり言うないっ、なんで姿を消す前に止めなかったんだよっ!」


 粛の膝に突っ伏していた来夜が、涙目を吊り上げて振り返る。


「『学問を究めたい』と、来夜をわしに預けたんじゃ。まさか翌日から消えちまうとは思わんじゃろ。わしはてっきり、手習指南所てならいしなんじょにでも通う間、弟を見ていてくれと言うのかと思ったわい」


 手習指南所てならいしなんじょとは寺小屋のこと。


「うわぁぁん、その日までは確実に、ねえちゃんはこの都にいたのにぃぃぃ」


「ああよしよし来夜殿、そう悲しまれますな。必ずやこの粛が、雪花様をみつけてさしあげましょう」


「おい敬智けいち。おまえ毎日、そんなに来夜を甘やかしているのか?」


「え、いや、はい……」


「ろくな大人にならんぞ、来夜は。既にろくな子供じゃないが」


「いじわる和尚なんかだいっきらいでーい。俺は粛の子になっちゃうもんねーだ!」


 またもやしがみつく来夜の髪を、平粛たいらのしゅくはこぼれんばかりの笑みを浮かべて、何度も撫でてやる。白い目向けてる和尚に、


「ねえちゃんのこともっと教えてよ」


「何を知りたいのだ」


「今どこにいると思う?」


 来夜は粛から離れて正座し直す。


 和尚は怖い顔で思案していたが、


「なんの学問を究めるのか聞いておらんから、なんとも言えぬのじゃ。もう国に帰ったかもしれぬし――」


「国? ねえちゃんは都の人じゃないんだ」


「学びたいことがあるから、都に来たと話しておった」


「どこから来たの?」


 和尚は何も言わず、首を振った。しょんぼりした来夜を気遣うように平粛たいらのしゅくが、


槻雪花つきせっかさんの身体的特徴とかは――」


「そうじゃ、右の肩から指先にかけて大きな刀傷を負ったのを見せてくれたわ。子供ふたりと知った浪人崩れの盗人ぬすっとから、なけなしの金を狙われたとき、来夜をかばって手傷を負ったそうじゃ」


「ねえちゃん……」


 と来夜はうつむいた。恐怖の塊に押しつぶされそうになりながら、ずっと守ってくれるぬくもりがあったことを、なんとなく覚えている。


「一度会ったきりじゃが、歳のわりにしっかりした子でな、『昨年両親と生き別れて、もう弟の面倒を見てあげられない』と、盗人の話をして、痛ましい傷を見せてくれたんじゃ」


「うそっ、ねえちゃんが俺を見ててくれたのって、たった一年ぽっちだったのか?」


 来夜には、姉に育てられた記憶しかない。


「そうじゃ。あの雪の日、門のところでお前を背中にくくりつけたまま、薄い着物一枚でふるえていたあの子を、部屋の中に招き入れてやったのを覚えている。案内した僧の話に寄れば、何度も何度も、部屋になど上がらせてもらう者ではない、と断ったそうじゃ」


 つぎだらけの着物はつんつるてん、乱れた髪に雪を散らせた少女は、火鉢に手をかざして訥々とつとつと語り始めた。


 ――生活はどんどん悪くなるばかり。父ちゃんの酒色好きはどうしようもねぇんだ……。わたしや母ちゃんを愛してくれてることは分かってた―― でも、父ちゃんは酒を飲むのをやめられない。そいで酒を飲めば別人になっちゃう……。


 母ちゃんもわたしも頑張って働いたよ、でも、だめだった。あんなことになって、わたしは弟を連れて逃げたけど、それから父ちゃんにも母ちゃんにも、会えないまま。わたしずっと働いてきた。でもほんとは、ずっと学問がやりたかったの。和尚さん、わたしのわがままを聞いて欲しいの。学びたくても学べない子供は、いっぱいいるって知ってる。だからわたしは、こんな話をして和尚さんの同情かってすがりつく気はない。でも、信じて。これだけは言えるんだ。わたし、絶対大物になる。


 でも弟には、これ以上ひもじい思いはさせたくないの。わたしには、弟を自分の夢につきあわせて、これ以上つらい思いをさせていいという権利はないはずだよ。お金がない、人がわたしたちを馬鹿にする、悔しい、今は何も出来ないからいつか見返してやる、そんな思いに取りつかれた人生は送らせたくない。だからこの子を出家させたいの。和尚さん、めんどう見てやって。お願いします。


 槻雪花つきせっかは深々と頭を下げた。


「そうだ。来夜に渡さなければならないものがあった。お前がもう少し大きくなったらと思っていて、大きくなる前に寺から逃げちまったからな。この馬鹿は」


 和尚はおもむろに立ち上がると、書斎からぶ厚い仏法書を持ってきた。来夜は興味津々のぞき込む。「何、その本」


「確かこれに挟んでおいたはず……」


 和綴じの頁の間から出てきたのは、古びた紙だった。


「雪花がな、弟が分別ついた頃に渡してくれって。両親につながる物は、それだけだそうじゃ」


 紙には、「夜」と「来」の二字が記されていた。「来」の下は、切り取られたように見える。


「下から読めば俺の名だ」


 紙をくるくる回してみる。


「達筆ではないが、勢いのあるですね」


 平粛たいらのしゅくは顎を撫でている。


「これなあに? 和尚」


「わしも分からないんじゃよ」


 来夜は古びた紙を穴があくほどみつめる。


(ともかく、これがねえちゃんにつながるものなんだ)


 古びた紙のかび臭さまでが、和尚の書斎の匂いなんだと分かっているのに、懐かしくて胸が詰まる気がした。

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