夜来化石 ~遊郭に残された謎の四字に秘められた意味は?齢九歳にして天下一の盗賊と噂される俺は、盗みと女装なら誰にも負けねえっ!(「ウチの親方が一番かわいい」手下A・談)~
七之巻、かみなり和尚のお出ましでぃっ!(前篇)
七之巻、かみなり和尚のお出ましでぃっ!(前篇)
開け放った三方の
数年ぶりに
「今頃何をしに来たのじゃ? 来夜に
「いや、あのですね、まず昔のことは申し訳――」
既にしどろもどろな
「あのね、和尚、久し振りっ! 二年前はごめんね、いきなり寺抜け出しちゃって。心配したでしょ?」
「いいや。心配する暇もなく、盗み屋としてのお前の噂が聞こえてきたからな」
「和尚、そんな
「なにがよしねえだっ、このガキゃあっ!」
和尚がいきなり伸び上がって、両のこぶしでこめかみをぐりぐりしだした。
「うぎゃああぁあああぁあぁっ!!」
「ひょえぇぇ、勘弁、もう勘弁」
しゅぅぅぅなんぞとうっすら煙あげてる来夜の頭から、ようやく和尚が手を離すと、来夜はたまらず粛にしがみついた。
「で、何をしに来たのだ」
「うめぼし」やってちょっとは気が済んだのか、いささかマシな口調。
「私たちは、来夜殿の姉上様を捜しておるのです」
「ほう、なぜ今頃。
「あっさり言うないっ、なんで姿を消す前に止めなかったんだよっ!」
粛の膝に突っ伏していた来夜が、涙目を吊り上げて振り返る。
「『学問を究めたい』と、来夜をわしに預けたんじゃ。まさか翌日から消えちまうとは思わんじゃろ。わしはてっきり、
「うわぁぁん、その日までは確実に、ねえちゃんはこの都にいたのにぃぃぃ」
「ああよしよし来夜殿、そう悲しまれますな。必ずやこの粛が、雪花様をみつけてさしあげましょう」
「おい
「え、いや、はい……」
「ろくな大人にならんぞ、来夜は。既にろくな子供じゃないが」
「いじわる和尚なんかだいっきらいでーい。俺は粛の子になっちゃうもんねーだ!」
またもやしがみつく来夜の髪を、
「ねえちゃんのこともっと教えてよ」
「何を知りたいのだ」
「今どこにいると思う?」
来夜は粛から離れて正座し直す。
和尚は怖い顔で思案していたが、
「なんの学問を究めるのか聞いておらんから、なんとも言えぬのじゃ。もう国に帰ったかもしれぬし――」
「国? ねえちゃんは都の人じゃないんだ」
「学びたいことがあるから、都に来たと話しておった」
「どこから来たの?」
和尚は何も言わず、首を振った。しょんぼりした来夜を気遣うように
「
「そうじゃ、右の肩から指先にかけて大きな刀傷を負ったのを見せてくれたわ。子供ふたりと知った浪人崩れの
「ねえちゃん……」
と来夜はうつむいた。恐怖の塊に押しつぶされそうになりながら、ずっと守ってくれるぬくもりがあったことを、なんとなく覚えている。
「一度会ったきりじゃが、歳のわりにしっかりした子でな、『昨年両親と生き別れて、もう弟の面倒を見てあげられない』と、盗人の話をして、痛ましい傷を見せてくれたんじゃ」
「うそっ、ねえちゃんが俺を見ててくれたのって、たった一年ぽっちだったのか?」
来夜には、姉に育てられた記憶しかない。
「そうじゃ。あの雪の日、門のところでお前を背中にくくりつけたまま、薄い着物一枚でふるえていたあの子を、部屋の中に招き入れてやったのを覚えている。案内した僧の話に寄れば、何度も何度も、部屋になど上がらせてもらう者ではない、と断ったそうじゃ」
つぎだらけの着物はつんつるてん、乱れた髪に雪を散らせた少女は、火鉢に手をかざして
――生活はどんどん悪くなるばかり。父ちゃんの酒色好きはどうしようもねぇんだ……。わたしや母ちゃんを愛してくれてることは分かってた―― でも、父ちゃんは酒を飲むのをやめられない。そいで酒を飲めば別人になっちゃう……。
母ちゃんもわたしも頑張って働いたよ、でも、だめだった。あんなことになって、わたしは弟を連れて逃げたけど、それから父ちゃんにも母ちゃんにも、会えないまま。わたしずっと働いてきた。でもほんとは、ずっと学問がやりたかったの。和尚さん、わたしのわがままを聞いて欲しいの。学びたくても学べない子供は、いっぱいいるって知ってる。だからわたしは、こんな話をして和尚さんの同情かってすがりつく気はない。でも、信じて。これだけは言えるんだ。わたし、絶対大物になる。
でも弟には、これ以上ひもじい思いはさせたくないの。わたしには、弟を自分の夢につきあわせて、これ以上つらい思いをさせていいという権利はないはずだよ。お金がない、人がわたしたちを馬鹿にする、悔しい、今は何も出来ないからいつか見返してやる、そんな思いに取りつかれた人生は送らせたくない。だからこの子を出家させたいの。和尚さん、めんどう見てやって。お願いします。
「そうだ。来夜に渡さなければならないものがあった。お前がもう少し大きくなったらと思っていて、大きくなる前に寺から逃げちまったからな。この馬鹿は」
和尚はおもむろに立ち上がると、書斎からぶ厚い仏法書を持ってきた。来夜は興味津々のぞき込む。「何、その本」
「確かこれに挟んでおいたはず……」
和綴じの頁の間から出てきたのは、古びた紙だった。
「雪花がな、弟が分別ついた頃に渡してくれって。両親につながる物は、それだけだそうじゃ」
紙には、「夜」と「来」の二字が記されていた。「来」の下は、切り取られたように見える。
「下から読めば俺の名だ」
紙をくるくる回してみる。
「達筆ではないが、勢いのある
「これなあに? 和尚」
「わしも分からないんじゃよ」
来夜は古びた紙を穴があくほどみつめる。
(ともかく、これがねえちゃんにつながるものなんだ)
古びた紙のかび臭さまでが、和尚の書斎の匂いなんだと分かっているのに、懐かしくて胸が詰まる気がした。
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