五之巻、町奉行所に潜入でぃっ!(中篇)

 町奉行所の門は片番所付きの長屋門だ。本瓦の屋根の下、白塗りの壁が夏の日に眩しい。


 大きく八の字に開いた門をくぐってすぐ右は番人の詰め所、石畳の道を行くと、土地戸籍部屋や警察部屋などが点在している。


 間口の広い土地戸籍部屋は、畳敷きの広間に帳場格子がずらりと並んでいる。その後ろにそれぞれ役人が座り、人々は板敷きまで上がって、用件を伝えている。上がりかまちの左右は格子のついた出窓。その格子から覗く怪しい頭四つ。


「いるんだなあ、あんなのが」


 感心している声は金兵衛きんべえのもの。変装して現れたマルニン四人組だ。


「運が良すぎて怖いくらいですね」


「あらざらん、さぞ出来すぎた罠だにも、いとありがたき、我が幸運よ」


 喜びすぎて円明まるあきが短歌まで作っちゃうくらいなのに、来夜らいやは一人、浮かない顔をしている。


「俺、あの人の変装するの……?」


 恐る恐る尋ねるその視線の先には、大人の半分ほどの背丈しかないおっさんの姿。帳場格子の向こう側で、台帳をめくり筆を動かす所を見れば、正真正銘、役人さんなのだろう。魚のような瞳と蛙のような口許くちもとが、なかなからぶりぃ♥だ。興味津々、彼から目を離せずしゅくさんは、


「勿論。今まで挑戦したことのないタイプで、変装し甲斐がありそうではないですか」


「まじ……?」


「問題は、彼をどうやって外におびき出すかですね」


 やる気満々だ。


「蠅でも飛ばしゃあ、追いかけてくるんじゃねえか?」


 蛙顔の役人を眺めながら、とぼけた案を出したのは円明まるあきだ。粛も金兵衛も取り合わない中、長屋門を抜け奉行所の裏通りへ入っていった。


「明日の昼来れば、飯食いに外、出てくるんじゃん?」


 来夜は問題先送り作戦に出る。


 そこへ、捕まえた蠅を白い糸に結びつけて円明まるあきが戻ってきた。


「本当にその案で行くの?」


 目を丸くしつつ、作戦失敗を決めつけて、来夜は内心ほっとしている。


「見てなせえ」


 円明まるあきは糸のもう一端を、どこかの家の庭先から拝借した竹竿に結びつけ、格子の間から差し込んだ。


 竿の先で飛び回る蠅が近付くにつれ、お目当ての「彼」はそわそわし出した。


「おおっ、すげぇや!」


 円明まるあき本人も思わず目を見張る。


 そしてついに、仕事仲間に「失敬」と一声かけて、彼は裏戸に向かったのだ。




 奉行所の裏通りを少し入った空き家の前、ちび役人の足下あしもとに、もう一人ちび役人が倒れている。こちらは、首の後ろに手刀を打ち込まれて気絶した本物。その証拠に下着以外身につけていない上に、手足の部分パーツをはずされている。


 彼の横に立っているのは、変装の天才来夜くんである。


「すっごい暑いんだけど。この変装」


 ちび役人の体型に横幅を合わせるため、幾枚も重ね着したのだから当然だ。手足は付け替え可能だが、胴体と首はこの時代でもさすがにはずせない。


「脱水症状起こさないうちに、早く行ってらっしゃい」


 粛さんは、来夜の細っこい手足を脱いだ着物に包んでいる。


「お頭、『検索机けんさくき』の使い方、大丈夫だな?」


「こいつはあっしらがちゃんと見張ってるんで、頑張ってきてくんなせえ」


 三人に見送られて、来夜はちょっと心配顔で奉行所の裏木戸を押した。


 帳場格子を横に見て座布団に腰を下ろすと、手元に円明まるあきの教えてくれた検索机けんさくきが置いてある。将棋台が横長になったような木箱だが、上部に漢数字の彫られた木製の押片ボタン、右横から「転出済」「該当者無」「除籍済」と、縦長の押片ボタンが並ぶ。除籍済みとは本籍地を変えた場合だ。


 みやこの住人は多い。膨大な量の台帳から指定された名前をみつけるために開発された、この時代の先端技術、検索方式システムだ。


 使い方は簡単、台の下にある引き出しからイロハの彫られた木片を取り出し、台上手前の窓に古活字版の要領で、検索したい人の名前をひらがなで並べる。すると上に並ぶ数字の押片ボタンが順に持ち上がって、番号で仕分けされた台帳の、特定のページを示す仕組みだ。台帳をしまってある木箱と検索机けんさくきに宿る木霊こだまの力を応用しているという、こっくりさんまがいの怪しい先端機器だ。


 来夜は早速、下の箱から「槻雪花つきせっか」の文字を探し始めた。


 そこへ運悪く客が入ってくる。頬に傷のある目つきの悪い男だ。


「おい、今日はこいつらだ」


 と数枚の紙を手渡した。一番上の紙には五、六人の名前が並んでいる。二枚目からは判の押された証文だ。やくざがらみの高利貸しで、長期滞納者や、夜逃げした連中の居場所を突き止めるため、またその家族から搾り取るため、附票を請求しにやってくるのだ。


 だが来夜はそんなこと知るよしもない。本人や家族じゃないのに、附票取れるのかな、と首をかしげつつ、紙だけは受け取る。受け取っておきながら、調べるのは姉、雪花のこと。


 ようやく「つきせっか」と並べ終えて、じいっと検索机けんさくきをみつめる。


 だが一向に数字の押片ボタンは動かない。


 ややあって、右側の文字列がゆっくりと動いた。浮き上がった文字は――


 「削除済」


(何? これなんて読むの? なんとか済みって――)


 同じ年頃の子供より、漢字は読めると思っていたが、「削除」の字は知らなかった。


 来夜は男から受け取った紙の端に、読めない字を見よう見まねで写し取る。


「おいまだかい? おっちゃん」


 やくざもんの男がにらんでいる。


「ええっと、あのぉ、本人じゃないのに附票取っていいんですか?」


 おずおず尋ねると、男はいきなり大声を出した。


「なんだとぉ? てめえ、俺ぁ毎日のように請求しに来てんじゃねえか、べらぼーめ! 責任者出せぇ、責任者!」


 左手の指を二、三本はずしてちらつかせる。火薬入りだぞ、という脅しだ。


(ひえ~)


 自分も堅気もんじゃあないくせに、来夜は舌を巻いて裏戸口に逃げ去ってゆく。


「おいちょっと」


 部屋頭へやがしらが何か言うのも聞かず、走り出た来夜は、慌てて裏小道に飛び込んで仲間の元へ駆け込んだ。


 金兵衛は煙管きせるをふかし、円明まるあきはうつらうつら。平粛たいらのしゅくだけが、ただごとではない来夜の様子に立ち上がり、


「どうなさいました?」


「逃げよ、粛、速く逃げよ!」


 役人の着物を脱ぎ、両足片手をはずすと、粛が気絶した本人に急いで付けてやる。


「なんだ、どうした」


 金兵衛も慌てて煙管きせるの火を消す。


「怖そうな人怒らせちゃった!」


 と涙目になる。


円明まるあき、置いてくぞ!」


 金兵衛の声に、円明まるあきはようやく目を開けて、のびして腰など鳴らしている。


 全部の部分パーツを自分の物に交換し終わった来夜は、近くの井戸に走り顔を洗う。粛さんは、倒れたままの役人に着物をかぶせ、空き家の上がりかまちに腰掛けさせると、その首元をひとつ、とん、と突いた。役人がうっすらと目を開けたときには、四人のかわりに、大股に近付いてくる部屋頭が見えた。


「こんなところで何してるんだね」


 額には憤怒の相があらわだ


 暴れ出したやくざもんを取り押さえなだめすかし、窓口担当ではない職員に彼の相手をさせて、ようやく部屋頭は裏戸を出てきた。その手間が、来夜たちの救世主となった。


「あれ、部屋頭……」


 きょろきょろし出したちび役人はだが、すぐに腹を抱えて呻きだした。「す、すんません、わたくしちと便所へ」


「待たんか」


 その襟首を掴みあげると、帯の締めていない着物がするりと脱げ、ちび役人は目を白黒させた。


「おぬしさっきも便所へ行ったぞ?」


「い、行ってませんよ…… え~っとそうだ、裏から出たところで急に意識が遠のいて、気付いたらそこの空き家に座ってたんですよ」


 はえ目当てに出てきたのではなく、手水場ちょうずばに向かっていたらしい。


「馬鹿言え。おぬし、戻ってきてすぐに、高利貸しと悶着起こして、逃げ去って行ったではないか」


「ご、ご冗談をぉ…… ああっ、とにかく――べ、便所!」


「こら、待たんか」


「お放し下さいぃぃ、お叱りは後でたっぷり受けさせて頂きとう存知まする~~」


 なかなかしつこい上司だった。

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