五之巻、町奉行所に潜入でぃっ!(中篇)
町奉行所の門は片番所付きの長屋門だ。本瓦の屋根の下、白塗りの壁が夏の日に眩しい。
大きく八の字に開いた門をくぐってすぐ右は番人の詰め所、石畳の道を行くと、土地戸籍部屋や警察部屋などが点在している。
間口の広い土地戸籍部屋は、畳敷きの広間に帳場格子がずらりと並んでいる。その後ろにそれぞれ役人が座り、人々は板敷きまで上がって、用件を伝えている。上がり
「いるんだなあ、あんなのが」
感心している声は
「運が良すぎて怖いくらいですね」
「あらざらん、さぞ出来すぎた罠だにも、いとありがたき、我が幸運よ」
喜びすぎて
「俺、あの人の変装するの……?」
恐る恐る尋ねるその視線の先には、大人の半分ほどの背丈しかないおっさんの姿。帳場格子の向こう側で、台帳をめくり筆を動かす所を見れば、正真正銘、役人さんなのだろう。魚のような瞳と蛙のような
「勿論。今まで挑戦したことのない
「まじ……?」
「問題は、彼をどうやって外におびき出すかですね」
やる気満々だ。
「蠅でも飛ばしゃあ、追いかけてくるんじゃねえか?」
蛙顔の役人を眺めながら、とぼけた案を出したのは
「明日の昼来れば、飯食いに外、出てくるんじゃん?」
来夜は問題先送り作戦に出る。
そこへ、捕まえた蠅を白い糸に結びつけて
「本当にその案で行くの?」
目を丸くしつつ、作戦失敗を決めつけて、来夜は内心ほっとしている。
「見てなせえ」
竿の先で飛び回る蠅が近付くにつれ、お目当ての「彼」はそわそわし出した。
「おおっ、すげぇや!」
そしてついに、仕事仲間に「失敬」と一声かけて、彼は裏戸に向かったのだ。
奉行所の裏通りを少し入った空き家の前、ちび役人の
彼の横に立っているのは、変装の天才来夜くんである。
「すっごい暑いんだけど。この変装」
ちび役人の体型に横幅を合わせるため、幾枚も重ね着したのだから当然だ。手足は付け替え可能だが、胴体と首はこの時代でもさすがにはずせない。
「脱水症状起こさないうちに、早く行ってらっしゃい」
粛さんは、来夜の細っこい手足を脱いだ着物に包んでいる。
「お頭、『
「こいつはあっしらがちゃんと見張ってるんで、頑張ってきてくんなせえ」
三人に見送られて、来夜はちょっと心配顔で奉行所の裏木戸を押した。
帳場格子を横に見て座布団に腰を下ろすと、手元に
使い方は簡単、台の下にある引き出しからイロハの彫られた木片を取り出し、台上手前の窓に古活字版の要領で、検索したい人の名前をひらがなで並べる。すると上に並ぶ数字の
来夜は早速、下の箱から「
そこへ運悪く客が入ってくる。頬に傷のある目つきの悪い男だ。
「おい、今日はこいつらだ」
と数枚の紙を手渡した。一番上の紙には五、六人の名前が並んでいる。二枚目からは判の押された証文だ。やくざがらみの高利貸しで、長期滞納者や、夜逃げした連中の居場所を突き止めるため、またその家族から搾り取るため、附票を請求しにやってくるのだ。
だが来夜はそんなこと知る
ようやく「つきせっか」と並べ終えて、じいっと
だが一向に数字の
ややあって、右側の文字列がゆっくりと動いた。浮き上がった文字は――
「削除済」
(何? これなんて読むの? なんとか済みって――)
同じ年頃の子供より、漢字は読めると思っていたが、「削除」の字は知らなかった。
来夜は男から受け取った紙の端に、読めない字を見よう見まねで写し取る。
「おいまだかい? おっちゃん」
やくざもんの男がにらんでいる。
「ええっと、あのぉ、本人じゃないのに附票取っていいんですか?」
おずおず尋ねると、男はいきなり大声を出した。
「なんだとぉ? てめえ、俺ぁ毎日のように請求しに来てんじゃねえか、べらぼーめ! 責任者出せぇ、責任者!」
左手の指を二、三本はずしてちらつかせる。火薬入りだぞ、という脅しだ。
(ひえ~)
自分も堅気もんじゃあないくせに、来夜は舌を巻いて裏戸口に逃げ去ってゆく。
「おいちょっと」
金兵衛は
「どうなさいました?」
「逃げよ、粛、速く逃げよ!」
役人の着物を脱ぎ、両足片手をはずすと、粛が気絶した本人に急いで付けてやる。
「なんだ、どうした」
金兵衛も慌てて
「怖そうな人怒らせちゃった!」
と涙目になる。
「
金兵衛の声に、
全部の
「こんなところで何してるんだね」
額には憤怒の相があらわだ
暴れ出したやくざもんを取り押さえなだめすかし、窓口担当ではない職員に彼の相手をさせて、ようやく部屋頭は裏戸を出てきた。その手間が、来夜たちの救世主となった。
「あれ、部屋頭……」
きょろきょろし出したちび役人はだが、すぐに腹を抱えて呻きだした。「す、すんません、わたくしちと便所へ」
「待たんか」
その襟首を掴みあげると、帯の締めていない着物がするりと脱げ、ちび役人は目を白黒させた。
「おぬしさっきも便所へ行ったぞ?」
「い、行ってませんよ…… え~っとそうだ、裏から出たところで急に意識が遠のいて、気付いたらそこの空き家に座ってたんですよ」
「馬鹿言え。おぬし、戻ってきてすぐに、高利貸しと悶着起こして、逃げ去って行ったではないか」
「ご、ご冗談をぉ…… ああっ、とにかく――べ、便所!」
「こら、待たんか」
「お放し下さいぃぃ、お叱りは後でたっぷり受けさせて頂きとう存知まする~~」
なかなかしつこい上司だった。
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