夜来化石 ~遊郭に残された謎の四字に秘められた意味は?齢九歳にして天下一の盗賊と噂される俺は、盗みと女装なら誰にも負けねえっ!(「ウチの親方が一番かわいい」手下A・談)~
二之巻、今はいずこへ…… 姉上捜しの始まりでぃっ!(後篇)
二之巻、今はいずこへ…… 姉上捜しの始まりでぃっ!(後篇)
「旦那~、帰ったんかぁ?」
手下のうちの一人は、酒臭い大あくびをして起きあがると、ふところに手を入れてぼりぼりと脇の下を掻き出した。このむさくるしい若者は名を
今一人――来夜の手下三人の中では一番年長であろう
来夜はうきうきしながら、いつかどこかで盗んできた鏡の前に立つ。鶴亀、松竹の木彫りがほどこされた立派な鏡だ。
マルニン印の
「ねえ、粛、似合う?」
くるりと振り向く来夜に、
「はいはい」
と返事を返すと、ようやく起きあがった金兵衛がのびをしながら、
「旦那は女になりたいんですかい?」
来夜はちょっと戸惑った。
「そんなんじゃなくて、ただ綺麗な恰好すると、鏡の中に俺のねえちゃんが現れるんだ」
「どうしやした、旦那」
強がりな来夜の口調がいつもと違って淋しげで、金兵衛はちょっと焦る。
「来夜殿は幼い頃にお姉さんと生き別れになったまんまなんですよ」
簡単な説明を加えた
「来夜殿のご両親は、来夜殿が物心つかぬうちに亡くなられていて、来夜殿は三つの時まで、八つ離れたお姉さんに育てられているんです。でも――」
「俺が三歳の時、ねえちゃんは俺を
「来夜殿――」
袖を目頭に当てたのは、
「俺、そんなふうになりたいんだ。ねえちゃんみたいに、神秘的な人になりたいんだよ。ある時気付いたんだ、鏡の中の自分がだんだん記憶の中のねえちゃんに似てくるって。だからこうやって綺麗な恰好すると、段々俺がねえちゃんになってゆける気がする」
「頭目や、カマになるなり、ほーりゅー寺」
寝ぼけ声を出したのは、いつの間に目を覚ましたのか、
「で、姉上の名前とか特徴とか覚えてないんですか?」
金兵衛に訊かれて来夜は、長い髪を指に絡めながら、
「名前は
「宇宙人だ!」
「手足取っかえたら、そんな特徴役たたねえじゃないすか」
金兵衛の意見はもっともだ。
「来夜殿の父上は、冗談のお好きな方だったんですね」
粛さんは取り合わない。来夜は構わず続ける。
「それでね、母ちゃんのお腹に落ちてきたのは、雷の晩のことだったから、気性も激しいって父ちゃんは言ってたみたい」
それから来夜は、ぽん、と手を打った。
「ねえちゃんは、俺とおんなじ金の瞳なんだ」
「旦那の目ぇ黒ですぜ」
来夜はにやりとして、粛に向けて左手を内側に倒して見せ、何事か指示を出した。
粛は部屋の
「うわっ、暗くなった途端寝るんじゃねえ、
「そいつはいいから俺の目を見ろ、
言われて振り向けば、暗がりに浮かぶふたつのまなこ。金とは言わぬまでも、確かに
「妖怪退治したくなっちまうぜ、旦那」
「またいらぬことを言ったな、金兵衛」
ごきっとコワイ音が聞こえて、
「なんでこんな暗いとこでしっかりみぞおちが分かるんですかいっ、旦那!」
「この目は暗いところでもよく見えるのだ。さすがに俺は、千里眼は出来ないけど」
「いいことを教えてさしあげやしょう、旦那。だから許して下さい……」
「よろしい。――粛」
来夜の呼びかけに応じて、行灯に再び灯がともされる。
「
梅乃屋というのは
「しかも旦那」
金兵衛は声をひそめ、
「花魁は、歳の離れた弟がいるってぇ話なんですよ」
「ほんとに?」
来夜は思わず息を呑んだ。
「そうだ、今日の午後はその
来夜はてきぱきと指示を下す。「粛、
今すぐといきたいところだが、あいにく遊郭の営業は昼八つ(不定時法で午後二時頃)にならないと始まらない。
ちなみに同じ吉藁の遊郭でも
「それから金兵衛、お前は俺たちが帰るまでに盗品をさばいてこい」
盗んだ体は、裏世界の売り手たちに流される。
「ちょ、ちょっと待ってくんなせぇ、旦那! この吉藁通のあっしをおいてくたぁ神罰がくだりますぜ」
「安心しろ。お前に味方する神などいないから」
「いや旦那、粛さんにゃあこーゆー仕事は向きませんぜ。吉藁で遊ぶのは難しいんでさあ、作法をきっちり守らなきゃなりませんしね、『三会』って言って、三度目に初めて抱けるんでさあ。初回は言葉も交わせねえし……」
「お前はそれだから、連れて行かれないんだ。俺たちは遊びに行くんじゃないんだぞ。偵察と仕事に行くんだ。遊女たちなら、高級な手足や胸を持ってるだろうしな。盗み甲斐があるってもんだぜ」
姉上捜しのついでに「仕事」のほうもやってくるつもりらしい。
「とにかく金兵衛、お前は梅乃屋への地図を書け。で、その
金兵衛は畳の上に散乱した衣服やら布団やらの下から、いらない紙を引っ張り出すと、机の上に転がしてあった筆の先をちょいちょいとなめて、
「
「だからふつーに遊ぶんじゃないって言ってるだろ。忍び込むんだよ、俺たちゃ盗み屋だぜ!」
「い~な~吉藁。あっしも行きてぇぇ」
ぼやいて金兵衛は、だらだらと地図を書き始める。
角頭巾などかぶって、着替え終わった
「マルニンの金で遊ぼうだなんていけませんな」
来夜は鏡の前に立って、遊女の変装に胸躍らせている。彼はこう見えても変装の名人、ちなみに逃げ足も、誰にも負けない。
変装と逃げ足に多大な自信があるならば、まだ盗みの技術がなくとも、有能な盗み屋になれること請け合いだ。我こそは、と思う諸君は、来夜の鼓紋を調べて弟子入りを頼んでみよう。
来夜は、肘から先をやわらかくて真っ白い腕に付け替え、和箪笥の引き出しを引く。男所帯なのに、きらびやかな女物の着物がたくさん入っている。
派手な着物を、首の後ろを広く開けて、
帯を遊女風に前で結んでから、来夜は髪をまとめた紐を解く。黒髪が滝のように肩や腰にかかった。
「今日は派手な髷に結ってね、粛」
来夜は大好きな平粛に、にっこりと微笑みかけた。
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