二之巻、今はいずこへ…… 姉上捜しの始まりでぃっ!(後篇)

「旦那~、帰ったんかぁ?」


 手下のうちの一人は、酒臭い大あくびをして起きあがると、ふところに手を入れてぼりぼりと脇の下を掻き出した。このむさくるしい若者は名を紀金兵衛きのきんべえという。都で一旗あげようと田舎から出てきて幸運にも、とある富豪の養子に入り、その商家を継いだが酒と女におぼれ身上(財産)傾け追い出されて盗み屋稼業に足を突っ込み、来夜に飼われ今に至る。


 今一人――来夜の手下三人の中では一番年長であろう陶円明すえまるあきは、来夜に踏まれた腹を押さえたまま、再び寝息をたてている。


 来夜はうきうきしながら、いつかどこかで盗んできた鏡の前に立つ。鶴亀、松竹の木彫りがほどこされた立派な鏡だ。


 マルニン印の半纏はんてん脱ぎ捨て、盗んできたきらびやかな着物に袖を通す。


「ねえ、粛、似合う?」


 くるりと振り向く来夜に、


「はいはい」


 と返事を返すと、ようやく起きあがった金兵衛がのびをしながら、


「旦那は女になりたいんですかい?」


 来夜はちょっと戸惑った。


「そんなんじゃなくて、ただ綺麗な恰好すると、鏡の中に俺のねえちゃんが現れるんだ」


「どうしやした、旦那」


 強がりな来夜の口調がいつもと違って淋しげで、金兵衛はちょっと焦る。


「来夜殿は幼い頃にお姉さんと生き別れになったまんまなんですよ」


 簡単な説明を加えた平粛たいらのしゅくに、来夜はうなずいてみせる。もっと詳しく話していいよ、という意味だ。


「来夜殿のご両親は、来夜殿が物心つかぬうちに亡くなられていて、来夜殿は三つの時まで、八つ離れたお姉さんに育てられているんです。でも――」


「俺が三歳の時、ねえちゃんは俺を寿隆寺じゅりゅうじにあずけて旅に出ちゃったんだ。それからずっと行方ゆくえ知れずだよ。もうあんまり覚えてないんだけど、ねえちゃんはすごく綺麗な人だった気がする。あんまり喋るほうじゃなかったけれど、目がすごくやさしかった」


「来夜殿――」


 袖を目頭に当てたのは、平粛たいらのしゅくだ。


「俺、そんなふうになりたいんだ。ねえちゃんみたいに、神秘的な人になりたいんだよ。ある時気付いたんだ、鏡の中の自分がだんだん記憶の中のねえちゃんに似てくるって。だからこうやって綺麗な恰好すると、段々俺がねえちゃんになってゆける気がする」


「頭目や、カマになるなり、ほーりゅー寺」


 寝ぼけ声を出したのは、いつの間に目を覚ましたのか、陶円明すえまるあきだ。彼は若い頃は官吏かんりを目指して勉学に励んでいたが、何年たっても公務員採用試験に合格しないので、とうとう田園にひっこんで酒を友に詩をぎんじていたが、ついに貯金も底をついて、挙げ句の果てに収入源だった土地も売ってしまい、盗み屋に落ち着いたのである。だから今でもうたが好きなのだ。


「で、姉上の名前とか特徴とか覚えてないんですか?」


 金兵衛に訊かれて来夜は、長い髪を指に絡めながら、


「名前は槻雪花つきせっか。星と一緒に空から母ちゃんのおなかに落ちてきたから、千里眼の持ち主で以心伝心テレパシーが使えて空も飛べて天才で、両手足が軟体動物で鱗と水掻きがあって――って、父ちゃんがねえちゃんに言ったらしい」


「宇宙人だ!」


 円明まるあきは嬉しそう。


「手足取っかえたら、そんな特徴役たたねえじゃないすか」


 金兵衛の意見はもっともだ。


「来夜殿の父上は、冗談のお好きな方だったんですね」


 粛さんは取り合わない。来夜は構わず続ける。


「それでね、母ちゃんのお腹に落ちてきたのは、雷の晩のことだったから、気性も激しいって父ちゃんは言ってたみたい」


 それから来夜は、ぽん、と手を打った。


「ねえちゃんは、俺とおんなじ金の瞳なんだ」


「旦那の目ぇ黒ですぜ」


 来夜はにやりとして、粛に向けて左手を内側に倒して見せ、何事か指示を出した。


 粛は部屋の行灯あんどんを吹き消す。この家は西向きだから、行灯を消せば朝はかなり暗くなる。


「うわっ、暗くなった途端寝るんじゃねえ、円明まるあき!」


「そいつはいいから俺の目を見ろ、金兵衛きんべえ


 言われて振り向けば、暗がりに浮かぶふたつのまなこ。金とは言わぬまでも、確かに翡翠ひすい色に淡く光っているように見える。


「妖怪退治したくなっちまうぜ、旦那」


「またいらぬことを言ったな、金兵衛」


 ごきっとコワイ音が聞こえて、平粛たいらのしゅくはまた溜め息をついた。


「なんでこんな暗いとこでしっかりみぞおちが分かるんですかいっ、旦那!」


「この目は暗いところでもよく見えるのだ。さすがに俺は、千里眼は出来ないけど」


「いいことを教えてさしあげやしょう、旦那。だから許して下さい……」


「よろしい。――粛」


 来夜の呼びかけに応じて、行灯に再び灯がともされる。


梅乃屋うめのや花魁おいらんが、確か光る目を持ってるって噂でしたぜ」


 梅乃屋というのは吉藁よしわらにある妓楼で、金兵衛の馴染みの遊女がいる店だ。その中で上級遊女を花魁と呼んでいる。


「しかも旦那」


金兵衛は声をひそめ、


「花魁は、歳の離れた弟がいるってぇ話なんですよ」


「ほんとに?」


 来夜は思わず息を呑んだ。


「そうだ、今日の午後はその花魁おいらんに会いに吉藁へ行こう!」


来夜はてきぱきと指示を下す。「粛、円明まるあき、あんたがたは客として、茶屋を通して表から乗り込め。費用はマルニンの経費を当てよう。俺は遊女に化けて中を探るから」


 今すぐといきたいところだが、あいにく遊郭の営業は昼八つ(不定時法で午後二時頃)にならないと始まらない。


 ちなみに同じ吉藁の遊郭でも位級ランクがあって、梅乃屋は結構な上見世である。上見世はどんな大尽でも振りの客(引手茶屋を通さず登楼とうろうすること)では遊べないのだ。


「それから金兵衛、お前は俺たちが帰るまでに盗品をさばいてこい」


 盗んだ体は、裏世界の売り手たちに流される。


「ちょ、ちょっと待ってくんなせぇ、旦那! この吉藁通のあっしをおいてくたぁ神罰がくだりますぜ」


「安心しろ。お前に味方する神などいないから」


「いや旦那、粛さんにゃあこーゆー仕事は向きませんぜ。吉藁で遊ぶのは難しいんでさあ、作法をきっちり守らなきゃなりませんしね、『三会』って言って、三度目に初めて抱けるんでさあ。初回は言葉も交わせねえし……」


「お前はそれだから、連れて行かれないんだ。俺たちは遊びに行くんじゃないんだぞ。偵察と仕事に行くんだ。遊女たちなら、高級な手足や胸を持ってるだろうしな。盗み甲斐があるってもんだぜ」


 姉上捜しのついでに「仕事」のほうもやってくるつもりらしい。


「とにかく金兵衛、お前は梅乃屋への地図を書け。で、その花魁おいらんの名は?」


 金兵衛は畳の上に散乱した衣服やら布団やらの下から、いらない紙を引っ張り出すと、机の上に転がしてあった筆の先をちょいちょいとなめて、


宴小町うたげこまち。ですが旦那、花魁おいらんなんてそう簡単にゃあ会えませんぜ」


「だからふつーに遊ぶんじゃないって言ってるだろ。忍び込むんだよ、俺たちゃ盗み屋だぜ!」


「い~な~吉藁。あっしも行きてぇぇ」


 ぼやいて金兵衛は、だらだらと地図を書き始める。


 角頭巾などかぶって、着替え終わった平粛たいらのしゅくが、いまだいびきをかいている陶円明すえまるあきを笑顔でどつきながら、


「マルニンの金で遊ぼうだなんていけませんな」


 来夜は鏡の前に立って、遊女の変装に胸躍らせている。彼はこう見えても変装の名人、ちなみに逃げ足も、誰にも負けない。


 変装と逃げ足に多大な自信があるならば、まだ盗みの技術がなくとも、有能な盗み屋になれること請け合いだ。我こそは、と思う諸君は、来夜の鼓紋を調べて弟子入りを頼んでみよう。


 来夜は、肘から先をやわらかくて真っ白い腕に付け替え、和箪笥の引き出しを引く。男所帯なのに、きらびやかな女物の着物がたくさん入っている。


 派手な着物を、首の後ろを広く開けて、平粛たいらのしゅくにいろっぽく着付けてもらう。一番上に重ねたのは、大きな朱や黄の蝶が羽ばたいている来夜の大好きな着物だ。粛は清楚な桜がらを推したのだが、来夜は耳を貸さなかった。


 帯を遊女風に前で結んでから、来夜は髪をまとめた紐を解く。黒髪が滝のように肩や腰にかかった。


「今日は派手な髷に結ってね、粛」


 来夜は大好きな平粛に、にっこりと微笑みかけた。

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