第28話 無責任
「……多少は気が紛れましたか?」
血塗れの部屋で、むくりと体を起こす。
床にぺたんと座る黄昏。会話を試みたが、視線は合わない。
「彼氏に振られたの」
「……うん」
「わたしは何も悪くなかったのに」
「……うん」
「わたしはただ、好きな絵を描いていただけ。彼も好きだって言ってくれてた。だからわたしはもっと頑張った。たくさんたくさん頑張った。それなのに、彼はだんだんわたしが怖いとか言い出した。意味わかんない。わたしは絵を描いているだけなのに、何が怖いの? 何であんなに怯えた顔をするの?」
「……うん」
「わたし、絵を描く以外のことも頑張ってたんだよ? 彼の理想の彼女になれるように、料理の勉強したり、男性を喜ばせるテクニックを磨いたり、外見を良くしたり」
「……うん」
「すごく頑張ってたのに、なんで振られるの? わたしの全部は彼のためにあったのに、何で彼は全部をわたしにくれないの?」
「……うん」
「わたしがおかしいの? わたしの何がダメなの? わたし、彼のために一生懸命尽くしたのに」
「……うん」
「もうやだ。あんなに頑張ってもわたしのことは誰も本気で愛してくれない。わたしは誰にも必要とされない」
「そんなことはなありませんよ」
「あんたに何がわかるの!?」
黄昏が爪を立てて僕の頬を削る。痛い。けど、包丁で刺されるよりはマシ。
「僕には、黄昏さんの気持ちはわかりません。黄昏さんの人間性もよく知りません。
だけど、黄昏さんが誰にも愛されないとか、誰にも必要とされないっていうのは、否定させてもらうます」
「何も知らないくせに!」
「黄昏さんは、誰かのために一生懸命になれる人です。そんな素敵な人が、誰からも愛されず、必要とされないままなんてことはありえません」
「何も……知らないくせに……っ」
「そうですね。何も知りません。でも、だからこそ、偏見もなく黄昏さんを評価します。黄昏さんはとても素敵な人です」
なんて。
僕がどれだけまっとうなことを言っているのかは知らない。とりあえず相手を肯定して気持ちを落ち着かせる、という程度の認識で話をしているに過ぎない。
客観的に見れば、どれだけ落ち込んでいたとしても、人を包丁で刺してしまえる人間は異常だ。黄昏も決して普通の人ではないし、非常に危うい人だと思う。
でも、だからって、あなたは異常です、このままじゃ誰もあなたを愛してくれません、などと言っても、黄昏は余計に状態を悪化させるだろう。
だから、僕は口から出任せでもいいから、黄昏を肯定する。大丈夫だよと言ってやる。
正解かどうかなんて知らない。僕はカウンセラーなどではない。無責任で、ただ死なないだけの普通の人だ。
黄昏が、何度か僕を爪でひっかく。最後には両手で僕の首を絞めてくる。
しかし、だんだんとその手に力が入らなくなり、がっくりと俯いてうなだれる。
「もう全部やだ……死にたい……」
ポロポロポロポロと涙が溢れる。
血塗れの顔がそこだけ洗われて、すっと綺麗な道筋を作る。
「死ぬくらいなら、僕を殺してください。何度でも。黄昏さんの中の苦しみは、全部僕が受け止めますから」
黄昏の顔が歪み、子供のようにみっともなく泣いた。
僕は膝立ちになり、黄昏の頭をそっと抱きしめる。黄昏は僕にすがりついて、僕の体に新しい爪痕を作る。
「……たくさん泣くといいですよ。辛いときには涙が枯れるまで泣いて、そしたら、きっとまた顔を上げられるようになります」
それから三十分程は、ひたすら黄昏に抱きつかれる時間が過ぎた。ただの抱き枕になるのもなんなので、優しく黄昏の頭を撫で続けた。
そして。
「……疲れた」
恥も外聞もないようなぐちゃぐちゃな顔で、黄昏が愚痴る。
「でしょうね。もう休みますか?」
「……死にたい」
「死ぬのはダメです」
「もう死にたい!」
「死にたいときには、飽きるまで死にたいって唱え続けるといいみたいですよ。そうやって暗い感情を吐き出し続けると、少しずつ気持ちも晴れてきます」
「……あなたって、変な人」
「そりゃもう、不死スキルを生かして、何度も何度も殺されまくってますからね。普通の人間であり続けられるわけもありません」
「変な人だけど……嫌いじゃ、ないかも」
「それは良かったです」
「……一緒に死のう?」
「それは無理です。僕は死ねませんので」
「……ケチ」
「そうですね。ケチなんです。さ、もう疲れているでしょうから休んでください。ベッドはまだ無事ですよ」
血にまみれているのは床だけ。ベッドにも多少血が飛んでいるが、使えなくなるほどじゃない。
「……添い寝して」
「僕でいいんですか?」
「……いい」
「わかりました。いいですよ」
黄昏に促されて、電気を消してから一緒にベッドに入る。
黄昏が抱きついてくるので、僕も抱きしめ返す。
黄昏はまた少し泣いて。
「……温かい」
小さく呟いた後、すぅすぅと安らかな寝息を立て始めた。期待はしていなかったが、本当にただ添い寝してほしかったようだ。
「……明日は、今日より良い日になりますよ。きっと」
明日には、多少は元気になってくれているだろうか? そうだといいけれど、しばらくは面倒を見ないといけない雰囲気。一発で完璧に元気にできる、特別な力が僕に備わっていたらいいのに。
「……早く、元気になってくださいね」
もう聞いていないと知りつつ、軽く声をかけておく。
次第に僕も眠くなってしまって、そのまま意識を手放すに至る。
……お金の話も、黄昏が元気になってからだな。うん。仕方ない。
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